2019年7月31日 (水)

毎日新聞政治プレミアさんからインタビューを受けました

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20190726/pol/00m/010/008000c
毎日新聞政治プレミアさんからインタビューを受けました。
 
今法制審議会で行われている「嫡出推定」の見直し規定について、「当事者抜き」のまま議論が進むことへの危惧を語っています。
 
親が婚姻しているかいないかで、子どもの登録の有無が変わるなんておかしい。生まれてくる子どもたちを差別し、母親たちを追い込むというこれまでの法の欠陥をそのまま残す結果になりはしないか。そして表向き前進したかのような法改正が、「無戸籍固定法」とならないか。
 
しかし・・明治民法制定以来120年ぶりの初改正なのに、未だ「子ども」が後回しになるって、どんな国なんでしょうか?
 
早く国会戻りたい!!!!
が、解散も遠い感じ?なので、国会外でできることを全てやっていきたいと思います!!!

2019年7月30日 (火)

当事者抜きの「無戸籍固定法案」への危惧

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190723-00000014-kyodonews-soci&fbclid=IwAR2y7NMO5jhTht0saV7EF-jS778kYK0kY3fFI1dEm0_T0Y7yVUuZJpjVjpY
 
「無戸籍固定法案」ができつつある。

見出しだけ見ると画期的に見える。

確かに一部は解消するものの、理不尽な300日規定は形を変えて、さらに偏見・差別を増長する形で存続する。

親子法が子どもの利益に基づくものなら、「存在の登録」を何より優先させて考えなければならない。

母親が婚姻しているかしていかないかだけで子どもの扱いが変わるなんで、そもそも憲法違反だろう。

「今後の検討課題」と最もらしく言うが、それはこの改正が「無戸籍固定法」となることを意味し、不誠実極まりない。

無戸籍当事者の声も聞かず法改正を行うことに、当事者の一人として断固抗議する。

しかし・・こんなことも見抜けない自称人権派国会議員もいて、暗澹たる思いになる。

2019年6月28日 (金)

「普通の人」とは誰か 「百田尚樹現象」余波に思う

『普通の人々』(原題:Ordinary People)は1980年、アカデミー賞作品賞と監督賞を得たロバート・レッドフォードの秀作である。ここには「普通の人」の定義が明確にある。

「百田尚樹現象とは何か」を問う石戸氏の記事を読んだ時に最初に感じたのは「普通の人」もしくは「普通でない人」の定義を示していないことが「あえて」なのだろうかという疑問だった。

一般論で言えば賛否のある素材を書く場合もしくは自分とは立場の異なる人物を取り上げる場合、書き手としては「問題提起」を行うだけでジャッジはしない方法をとる場合がある。
そして、最後は「読者の判断に任せる」とするのである。

ただ、それにしても、記事の根幹として、記事を貫く視座(例えば、この件では「普通の人」と言うキーワード)を示さないままに論を進めていくことは、そもそもなぜ記事にしたのかと言う、書き手や媒体の意図を無にして、単なる「広告」になってしまう危険性があるからだ。

だからこそ、石戸氏がどうしてこの手法を用いたのかなと不思議だなと思っていた。
しかし、津田氏の論考への反論という形の「苛立ち」を見ながら、どこかで自らが抱えていた後ろめたさ、つまりはいわゆる保守業界全体への蓄積がない中で書いたこと、もしくは結果的にその現象が時代をどう表したものなのかを示すことができていないことへの不全感なのかもしれないなと思った。

今、ネットメディアの勃興で息を吹き返してきたノンフィクションライターで沢木耕太郎を信奉する人は多い。

1977年、ノンフィクションライターとして出発したばかりの沢木耕太郎氏は『危機の宰相』の原型となる原稿を書いた。250枚を取材を含めて1ヶ月半で。長いので50枚ほど削ったとある。政治ネタ、特に政治家個人を描くことはかなり危険である。
そこで用いたのは複数の語り手を用意するという手法である。
政権を引き継いだ池田勇人とエコノミスト下村治、宏池会事務局長田村敏雄・・大蔵省という組織の中で敗れた3人を軸に『所得倍増』という夢を現実化して行く過程だ。
この原稿は実にその後27年という時を経て、単行本化される。それだけの時間が必要だったのは、単行本にまとめるよりも次の原稿を書きたかったからだと沢木氏自身が告白しているが、『危機の宰相』の原稿自体に「一人称」と「三人称」が混在している等の構成上、いくつかの難点があったことも指摘されている。
なん人称で書くか。
試行錯誤の上沢木氏はニュージャーナリズムの影響を受けた中で「徹底した三人称によって『シーン』を獲得する」ことに強く反応した。そして「シーン」こそがノンフィクションに生命力を与えるものなのではないか、と。
「シーン」を作るのは人称というフィルターを通して見えてくる「視点」なのである。

体制側の提出した夢と現実として「所得倍増」の物語。(「危機の宰相」)
右翼と左翼の交錯する瞬間としての「テロル」の物語。(「テロルの決算」)
学生運動とメディアの絡み合いが生み出した「ゆがんだ青春」の物語。(「未完の6月」)

なぜ今その素材を書くか、仕事のアウトプットを見ると、ある種の見取り図が読み取れる。
団塊の世代として「時代の記憶」を辿りながら、日本の歩んだ道を浮き彫りにして行く野心を感じる。

何れにせよ、ある種のメディア媒体を投じて物を書く人々はその論考を通じて、単なる「disり」でも、お太鼓持ちの「広告」でもない、読者に思考の視点を提示する役割を担う。それにより収入を得ているならなおのこと、「見出し」以上の情報と問いかけをしなければ職場放棄だと常々自戒しているのだが、そういう意味でも考えさせられる論争だ。

2019年6月14日 (金)

2000万円問題で、野党が追及すべきこと 〜 70年代に個人年金が商品化された意味を踏まえて

 

「国民年金はですね、現在の段階で一人あたり月々六万円程度しか支給されないんです。これが将来に二十年後になりますと、おそらく二万円程度になります。お小づかいにもなりませんね。
(中略)
年金なんて一昔前は四十歳代になって初めて考える方が多かったんですけど、最近は違います。この七月からは加入開始年齢が二十歳まで下がったんですが、加入者がいるんですよ、これが。二十歳から年金に入ってしまうかたが実に多いんですから」

これは今の話ではない。1990年に刊行された「結婚しないかもしれない症候群」(谷村志穂著・主婦の友社)の一節である。
つまり今から30年前、生命保険会社は「20年後、おそらく国民年金は2万円程度になる」との試算を出して、個人年金商品の勧誘を行っていたのである。

ちなみに、老後生活資金準備へのニーズが増大したことで「医療保障」だけでなく老後を生きるための「生活保障」が求められるようになるのは平均寿命が恒常的に伸びた1970年代だ。1979年以降、保険会社各社は相次いで「個人年金保険」を発売し始めたのだ。
1984
年には「個人年金保険料控除制度」が創設され、税制面での優遇措置もあって「養老保険」「終身保険」「個人年金保険」といった貯蓄性商品が積極的に売られていく。

それらに加入した人たちは公的年金だけでは老後望む水準の生活を過ごせるかどうか、また平均寿命が延びる中、自分たちの老後がいつまで続くかも不安だからこそ、貯蓄や投資を行ったのである。

さて、「結婚しないかもしれない症候群」執筆当時27歳だった谷村氏が生保のセールスレディの勧誘トークに30分で陥落、加入した個人年金保険の毎月の保険料は、月々16千円だという。20歳から60歳まで払うと年金保険料は総額で768万円である。
一方で受給の方は60歳から10年間、一年300万円ということは全額3000万円となる。
768
万円払って、3000万円の戻り・・・
逆にいうと、3000万は必要だと思われていたのだ!30年前にはすでに。

1989年、「1.57ショック」と言いつつ、危機感は薄く、高いインフレと経済成長が続くだろうと、無邪気に信じ、「少子化対策」と言いつつ失策の限りを尽くしたことが「無子高齢化」を産み、公的年金の基盤を揺るがせた。そのことこそ、野党は追求すべきである。
詳しくはhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65200へ。

 

2019年6月 5日 (水)

川崎登戸事件の深い闇

「現代ビジネス」さんに寄稿しました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65001
川崎登戸の事件を、昭和40年〜50年代の日本の離婚家庭に育つ子どもの環境から考察しています。
ネグレクトを受けた経験がセルフネグレクトを生むことにも言及しています。

2019年5月27日 (月)

「不機嫌」という交渉術 〜トランプ外交の真髄

トランプ大統領が来日した。
が、どうやら不機嫌?

そんなトランプ大統領に、なんとか笑ってもらおうと、あたふたする関係者。
大相撲に、炉端焼き。
最高の「おもてなし」と思ったことが、もしかしてお気に召さなかった?実は迷惑だった?
でも、大人でしょ。大統領でしょ。社交辞令でも楽しんでいる風を装ってくれ。ほんの一瞬でもいいからーーー。

ゴルフ場で自撮りした写真は我ながらうまく撮れた。大成功!
貿易交渉も選挙後にするという言質をとったのもホッとしたが、秘密にしたいことも全部書いちゃうから、また国会対策が大変になるのう。でも、ま、選挙に持ち込んじゃえば皆それどころじゃ無くなるからいいっか。

・・・こうした声が画面からも伝わってくる。

ことほど左様に、「おもてなし」文化国民は「不機嫌」という交渉術に極めて弱い。

あれ?もしかして、つまらない?
なんか気に入らないことある?
会話が途切れているけど、この「間」はつらすぎるわー。

ちょっと、待ってよ。
大人なんだから、ここはなんとか笑って笑顔アピールでないと困るんだけどーーー。
と思いつつも、
なにか相手が気に入ることでも言わないと。
・・とついつい口を滑らせ、想定していたことよりも過剰にサービスをしてしまう。
すると、途端に笑顔!
やった!
だが、またすぐ不機嫌に。
で、またまた場を盛り上げるために喜ぶことを言ってしまう。
「自分が言ったのではない。あくまでそちら側からの提案でしょ」
実際の交渉に入った時に、そう言われるのは自明である。

ってことで、すでに1日目で「取るものは取った」感のトランプ大統領。

「スマイル、0円」なわけ、ないじゃん。
「不機嫌」はトランプ外交の真髄なのだ。

高笑いが聞こえてくる。

2019年5月22日 (水)

原武史 × 井戸まさえ講演会 『「平成の終焉」と「令和の時代」』開催決定!!

 

「平成の終焉」と「令和の時代」
〜退位と天皇・皇后
「象徴」と国民の政治的関係性を問い直す〜

2019年7月3日(水)午後6時半〜
大田区民ホール アプリコ B1
優先席の予約受付開始いたします。
info@idomasae.com
ぜひお越しください!!

Photo

<講演内容>
平成とは天皇制の新たなスタイルが確立された時代だった。日本中をくまなく訪ね歩き、自らの思いを国民に直接語りかけてきた明仁天皇と美智子皇后。二人が生み出した「平成流」は退位後も受け継がれていくのか。女系・女性天皇問題も取りざたされる中、日本政治思想史研究者(原武史)と戸籍研究者(井戸まさえ)による「象徴」と国民との奇妙な政治的関係性を問い直す意欲的かつ刺激的な講演会。

<講師> 原武史放送大学教授
プロフィール
昭和37年生まれ。放送大学教授。専門は日本政治思想史。『〈出雲〉という思想』『「民都」大阪「帝都」東京』『大正天皇』『滝山コミューンー九七四』『昭和天皇』『レッドアローとスターハウス』『可視化された帝国』『皇后考』『「昭和天皇実録」を読む』など、皇室・団地・鉄道に関する著書多数。
「平成の終焉」(岩波新書)では豊富な独自資料をもとに「平成流」を問う。

 

2019年5月15日 (水)

領土とは、国境とか何か 

「サハリン残留日本人と戦後日本」樺太住民の境界地域史(中山大将著・国際書院)を読む。

領土とは、国境とか何か。

戦争の随伴現象としての境界変動ー国境線が消える、もしくは移動するーは、そこに住む住民の生活を<引き揚げ><残留>等で分断する。それが一つの戦争の結果のみならず、重複、重層化したがゆえに、個人はもとより国家も地域もさらに複雑な事情を抱え込むことになる。

中山大将氏とはサハリン調査の際、数日をご一緒させていただいた。
この春に中山氏の研究成果(本書)が出ると知っていたが、ちょうど同じような内容で私も書いていて、得たデータをどのような表にして区分するか等悩んだのだが中山氏の論文はまだ出ていなかったので参照するわけにもいかず・・と、本書で確認すると、やっぱりそういうわけ方だよねーーと、シンクロしていてちょっとホッとした。
しかも・・私の書いた小文へのご批判もいただき(笑)大変光栄である。確かに冷戦期の残留や帰国については視点が抜け落ちている。

何れにせよ、論文を通して対話できることのありがたさを思う。
そして、当時の国会質問等も含めて詳細なデータの集積は、何よりありがたい。
残さなければ「なかったこと」となるし、「あった」としても届かぬところに存在するなら、それも「なかったこと」になる。

「確かに存在した」国境とその境界変動にスポットを当てるからこそ浮き彫りとなる人の営み。
「なかったことはできない」という中山氏の強い意志を感じる。

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『ネトウヨとパヨク』

松下政経塾の後輩、物江潤氏が新著『ネトウヨとパヨク』(物江潤著・新潮新書)を出版した。
本書はネトウヨ、もしくはパヨクと呼ばれる「対話不能な人」の実態や問題点を説明した上で、
彼らはネット上だけでなく、日常生活をする中にしばしば出会う存在であることを具体的事例をあげながら説明する。

物江氏になぜそれが可能なのか。

「松下政経塾に所属していたこともあって、極端な意見を持つ厄介な人たちに絡まれることもしばしばありました」


ああ、わかる、わかる。
物江氏の思想のしなやかさは、理由もなく突然ふっかけられる対話のルールが通じない人々のサンドバックと散々なってきたからなのである。

例えば、丸山穂高衆議院議員が松下政経塾出身とわかると、「松下政経塾出身者は皆、戦争好きとか、マッチョ」だと言って聞かない。
「いやいや、出身者にもいろんな人がいますよー」
と反論しても、「そんなわけない」「そう見せているだけ」と主張して自説は決して曲げることはしない人々の、時には悪意とだけは思えない言動を観察していくとそこにある社会のある側面が見えてくる。

途中、声をあげて笑ってしまった場面がいくつもある。
選挙活動を手伝えながら物江氏が政治家の姿を冷静に分析しているところもそうだ。

「強い政治的な主張をもつ、対話のできない人」は、現実社会でしばしば孤独であり、そのために必ずしも活発な活動ができませんでした。しかし、ネット上に活動の場を移せば、この孤独は解消されます。説得力に乏しい主張(断言)という欠陥に続き、孤独に陥ってしまうという難点も、ネットによって解決できてしまったわけです」(p95)

複雑化する選挙や政治の断層、世代間、特に10代が置かれている対話の環境、
まさに「右」でも「左」でもない「無知」を生む足元を、今一度見つめるための、最良のテキストである。

*これを読むのが「丸山穂高(30期)と同じ」に対する一解答でもありますな。物江氏(32期)とほぼ同じ時期に教育受けているのだものね。60261398_2225929260819840_17966570956264 

2019年5月14日 (火)

東京医大から新たな通知が! 平成25年度受験生にも

https://twitter.com/kaese0802/status/1128282175554502657
5月10日付で新たな通知が東京医大から出ています。
平成25年度の受験生も対象となっています。
東京医大等差別入試被害弁護団にも相談が続々届いてますが、同意書等については慎重な対応が必要かと思いますので、ご相談ください。

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