2017年8月23日 (水)

VIVA! 図書館!!

以前にも書いたように、ワタクシは本は基本、購入する。

一冊書くまでに至る著者の投資や執筆にかけた時間他への敬意もあるが、
基本、「本の神さま」へのお布施的意味合いが強い。もしくは宝くじを購入する的感覚で「買い続ければいずれ自分も一等7億円があたる」ような、そんなヨコシマな願望も含めて(笑)だ。

まあ、一番の理由は、本に書き込みもするし、乱暴に持ち歩いたりもするので、誰かのものを借りたら気を遣ってしまい、本自体と「取っ組み合い」をする覚悟が生まれないからである。

逆に「著者」という立場となり、、印税をもらうようになって気がついたのは、
紙書籍での場合、基本「刷り部数」に対して印税を貰うので、
とりあえず印刷された冊数が売り切れるまでの分は「先払い」でもらっている、ということだ。
で、「もっと売れそうだ!」となると、出版社は版を重ねる。
そこで、著者はまたまた「先食い」で印税を戴く。
他の商売?と違って、売る売れないのリスクを著者が抱えることはない、ってすごいなーといつもながら思う。

もちろん、印税については個々別の契約によって違うとは思うし、
kindle版などは、何月に何部売れたかという詳細なレポートが支払い調書とともにやって来るので、紙の書籍だけの時代とは変わって来ているのかもしれない。
kindleの明細書はものすごく面白くて「何でこの月だけフタケタ違って売れている?」とか、何年も前に出した本なのに、細々と命をつないで毎月微妙に売れているのはなぜか?とか、謎解き的意味合いも含めて(笑)半年に一回楽しませてもらっている。
まあ、既に紙での初版のときの最初の印税で、執筆やそれにまつわる基本コストは支払ってもらっているという認識だから、
こうして出版以来、何年か後にも入り続けてくる印税については、知らない誰か、まさに本の神さまからの「コーヒー一杯、どうぞ〜飲んで〜」的なエールのようにも思えて、金銭の授受を越えたなんとも言えない感謝の思いを抱くのである。
ありがとう、ありがとう。

そして、著者にとって何よりありがたいのは「図書館」という存在である。
「お母さんの本、図書館にあったで。びっくしりたわ」(by中3息子)
いや、ほんと、全国の学校や、公共図書館に入れていただけることは、初版の刷り部数の基準ともなるから、図書館の存在は著者たちにとって、今や貴重な「基礎票」、自民党にとっての公明票ぐらいの?(笑)ありがたい存在なのである。

プラス、どんなに願っても、買うことも、見ることさえ叶わないだろう本がある。
古い学術書、洋書他、イマドキはたいていAmazonの中古で出回ってはいるのだが、それでもアクセス不能な著作はたくさんある。
そんなとき、ああ、VIVA!図書館!!
この本を大切に持っていてくれて、本当にありがとう!!
原稿を書きながら、何度そうつぶやいたことか。
いい本になるか、否かというのは、いかに「アクセスできない資料にアクセスするか」ということだと思う。
その素材の宝庫である図書館は、大英博物館やエルミタージュ美術館のような輝きを持っているのである。

そして・・国会図書館すら持っていない本を、遠いところの大学が保管していたり、一冊の本を求める作業は、知への揺るぎない信頼と愛情を持つ人々の生きた証を辿る旅のようにも思えて、たびたび足が震えるような感動を覚える。

もうひとつ思うのは、
やっていてよかった、関西学院大学非常勤講師(笑)
大学に籍をおき、図書館が利用できるって、世界のアカデミズムにアクセスできるってことなんだね。
“Mastery for Service”「奉仕のための練達」(←関学建学の精神)
「私たちは努力して専門知識の修得と人間形成に努めなければならないが、それは単に自己の利益のためではなく、隣人への奉仕を目的としたものである」(by第四代ベーツ院長)

そう、本を書くのも自己の利益のためだけではなく、隣人への奉仕の意味もある!
なるほどね。
がんばりまっす。

2017年8月10日 (木)

由貴と金妻と代表選と

先日、なにげなくテレビを見ると、森高千里、工藤静香、岸谷香が往年のヒット曲を歌うシーンだった。

この三人の中で1966年生まれの斉藤由貴と同学年は翌年早生まれの岸谷。森高は69年、工藤は70年生まれである。

それぞれともに声が出なくなったな、という印象だったが、
あれから30年、出産を経てこのスタイルをキープするとは尊敬に値するなあと思いつつ、
ふと頭は30年前の不倫を描いたドラマ「金曜日の妻たちへ」に至る。

あの頃の篠ひろ子、いしだあゆみ、小川知子、森山良子はあの時、何歳ぐらいの役柄を演じたのだろうか。
調べてみると、34歳、35歳・・。
古谷一行は38歳。
石田えりにいたっては24歳であり、いずれも実年齢とそう変わらなかった。

そして、想像する。
森高千里、工藤静香、岸谷香、加えて斉藤由貴と今井絵里子のキャストで「金曜日の妻たちへ」を作ったら、どんなドラマになるのだろうか。
いやいや、これを成立させるのは、いかにも難しい。
なぜなのだろうか。

「金曜日の妻たち」シリーズ3作は、いずれも核家族化の中での「夫婦」と「不倫」、そして裏のテーマとして「性的役割分担」の中で揺らぎ始めた女性の生き方の選択肢がいかに少ないかを、妻、愛人の立場を通しながら描いている。

「家庭を持つ妻」「子どものいる母」の不倫は、もちろん斉藤由貴氏や今井絵里子氏にに始まったわけではない。
しかし、昨今の報道の過熱ぶりはどう捉えたら良いのだろうか。
そこには「金曜日の妻たちへ」に描かれたものがないのだ。
「”葛藤らしい”「葛藤」が感じられないところに、納得するだけの理由が欲しいようにも思える。だから深追いする。

斉藤由貴の騒動は、どこか「暖簾に腕押し感」があるのだ。
彼女の受け答えは24歳時のそれとなんら変わらない印象であり、
この約25年の間をどう生きて、どう過ごして来たのかは過激なダイエットの中にしか見いだすことができない、というのも、実は時代的な何かを物語っているような気がする。
だからそこ、「斉藤さんは僕の中ではひとつの作品」とまで言い切る医師への傾倒に至ったのだろう。

強烈なアイドルが存在したこの世代をくだると、次なるアイドルが生まれるまで間があく。
ある意味「若手」として生きた時間が長い、というのも、彼らの成熟を阻む理由だったのかもしれない。本当は葛藤しているかもだけど、それが表に出ない、出せないのかもしれない。

さて、民主党代表選。
いつも変わらない顔ぶれ、とも言われている。
前原誠司は1962年生まれ。枝野幸男は1964年生まれ。
彼らもずっと「若手」と呼ばれてきた。
気がつけば、
中選挙区制度を経験した最後の期である現在8期の上には岡田克也ほぼ数人になっていて、
政治にける直「衆議院・小選挙区」という人材育成システムが
連続当選を危うくし、結果的には次の世代を生み出すことを阻む要因になったとしても、実はこの「中選挙区最後世代」にそれぞれ個性と実力を備えた人材がある意味”供給過剰”ともいえるように揃ってしまったという不幸もある。

偶然に思える出来事の起こり微妙な連関性がある。
彼らの斉藤由貴にも通じる、「暖簾に腕押し感」(笑)
代表選挙の議論を通じて、どちらもがそのイメージを払拭し、付託に足りうる「成熟した政党」に脱皮する未来を打ち出せるかが、民進党浮上の鍵でもあると思う。

2017年8月 6日 (日)

デマと政策

先日、ある方から
「知ってる?前原さんは日本会議じゃないんだよ」と言われた。
・・それ、ワタクシが(笑)
しかし、どこで伝搬したんだろうか。早いわー。

で、またまた先日、
日本会議所属の某政治家と話したら、
「どうしてそういうデマ(前原=日本会議)が、まことしやかに流れるかなー。
んなわけないじゃん。
前原氏は外国人参政権も、夫婦別姓も賛成。
その段階で『日本会議なはずない』って、フツーはわかりそうなもんだがな。
そもそも日本会議には政策的に入れない」
確かに(笑)ぶれてませんな、日本会議。

しかしこのデマの拡散をみていると、
「政策本位」と言う人でも、政治家の基幹部分の政策を見ていない人の方が断然多いということなのだろうか。

2017年8月 5日 (土)

それは嘘ではないけれど〜  「斉藤由貴論」①

斉藤由貴氏にせよ、今井絵里子氏にせよ、
これだけ話題になるのは、彼女たちが「子を持つ母」であるという側面を無視することはできない。
子育て中の母が、子をおいて、夫以外の、もしくは妻のいる男性と「一線を越える」ことは、多くの人々にとって「信じたくない現実」なのである。

実はワタクシ、昨年11月に書いた「松本隆論」の中で、

斉藤由貴氏についても言及しているのだが、

「卒業」は戦後初めて?かわいらしくてはかなげな女の子が、大方の流れに逆らって「泣かない」「待たない」ことを宣言した画期的な楽曲である。

従順で夢見がちに見える少女が、「それは嘘ではないけれど〜」としつつ、現実を直視せよと男子を諭し、行動するのである。

豊田真由子氏、松居一代氏、稲田朋美氏、蓮舫氏も含めて、「2017年オンナの事件簿」ともいえる様々な事象は、「おにぎりマネージャー論争」「家事ハラ」「保育園落ちたの・・」他、ここ数年のジェンダーをめぐる問題と無関係ではない。いや、その根源はつながっているのだ。

こうした中で「国籍」や「戸籍」が問われたことは、実はこの国が抱える、そしてあいまいにし続けてきた問題が、いよいよ吹き出さざるをえない状況まで追い込まれているということを示しているのかもしれない。

いずれにせよ、日本社会にとっては今年がひとつ、大きな節目であることには間違いない。


2017年8月 1日 (火)

民進党代表選 「リベラルVS保守」ではない

慶応大学井手英策教授の民進党代表選挙に関するコメントをシェアします。

今回、立候補を検討しているといわれている枝野、前原氏に対しては残念ながら多くの方々が誤った情報を信じ、あたかも真実のようにレッテル貼りが行なわれており、本当に残念です。

前原さんの「日本会議」云々に関しては、違うと否定してもあまりに言われるので、前原さんご本人も自分でなく誰かが登録した可能性もあるかと思い、直接本部に確認。
結果「履歴は一切ない」との回答。つまりデマでした。
もし、今まで「前原は日本会議」とした内容を書いたり、シェアしたりしたことのある方は、自らが根拠としたものを再度ご確認いただいた上で訂正をお願いいたします。それが少なくとも発信者としての最低限の責任だと思います。

今回の代表選に関しても、「リベラルVS保守」と決めつけて分断をあおろうという論説もみますが、それについてはナンセンス。
昨日枝野さんともお話をし、彼もそう矮小化されることに強い懸念があるとおっしゃってました。

ワタクシは双方とも30年来の付き合いがあります。新党さきがけ、民主党の発足時、彼らの政策や言動も見てきました。
政治人生のほぼ全てを互いに切磋琢磨してきたふたりだからこそ、今回の代表選は真の「政策論争」ができると思っていますし、そうしなければならないとも思っています。

そういう意味では「誤解を解く」という作業は、彼らにも、また民進党には課せられていると思います。

正式に日程が決まり、立候補者が出そろったところで、
ワタクシの考え方他は表明させていただきたいと思います。

以下、井手教授のFBより

予期せぬ形で民進党の代表選が行われることとなりました。ご存知のように、僕は前原さんを支持してきました。ですが、そのような僕なんかに蓮舫代表は発言の場を準備してくださいました。その懐の深さはここにきちんと書き記しておきたいと思います。ここでまかれた種が大きく伸びゆくことを願っています。本当にありがとうございました。

メディアはいまだに保守とリベラルのレッテル貼りをしようとしますし、正直、党内にもその雰囲気はあります。でも、大切なことは、もうその区別ではこの社会の行きづまりは説明できないし、また解消もできないということです。

まだ候補者は出揃っていません。ただ、枝野さん、前原さんは、気心の知れたおふたりです。お互いの主張・存在を尊重し合いながら堂々と議論し、私たちがどんな社会を目指すのか明確に示していただきたいと思います。そんな思いでいますから、この朝日の記事はグッときました。素晴らしいスタートです。

保守とリベラルを「止揚」するための闘いとなることを期待しますし、もしそれができないとすれば、いよいよ党の存在意義が問われることとなるでしょう。僕にとっても熱い夏が始まります。

2017年7月31日 (月)

横浜市長選挙における山尾氏バッシングに思う

横浜市長選挙が終わった。
候補者の皆さん、並びにそれぞれの陣営で頑張られた支援者の皆様、お疲れさまでした。

さて、この市長選で最も違和感を感じたのは林候補の応援に出向いた山尾志桜里代議士に対する反応である。

「山尾さんとて組織の命令には背けない。仕方がない」
「連合の圧力があったはず」
「そもそも前原派だから信用していない」はまだ良い方で、ここには書けないような酷い内容もある。

普段「人権」「自由」を尊重する立場で活動をしているであろう人々の、思い込みと偏見に満ちた(たぶん自覚のない)個人攻撃は目に余るものがある。

同業界にいるものの経験として、少なくとも「自主投票」になっている選挙において、党が誰かに対して応援に行けとの縛りをかけることはない。依頼が来たとしても、あとはそれこそ、それぞれの「自主判断」だ。

よしんば批判するにしても、
山尾氏が元民進党の市会議員であった伊藤候補ではなく、林候補を応援したにはそれなりの理由があるはずで、
山尾氏自身にそれを確認せずに、憶測でものを言う人々の感覚が理解できない。
理由を確認した上で、今まで言動と違い、信頼を失うに十分な行為であれば批判をすれば良いと思う。

地方政治は二元代表制のため、
国政選挙とだぶって考えられることが多い。
宮城等の場合は過去の経緯も含めて、そうした闘いの構図になりやすかった。(参議院も一人区だったが、神奈川の場合は四人区他。野党共闘の図式が作りやすく、既に実践もされてきた他)
しかし、日本全国どこでもそうかというとそうではない。

いずれにせよ、今後のためにも、
自分の書いた、もしくは語った内容が的確であったかどうか、山尾氏のところを自分に置き換えて考えてみることが必要な気がする。

2017年7月29日 (土)

代表選を通じて民進党が訴えなければならないこと ①「国籍法」改正も見据えた「公職選挙法」改正

「国籍」の枠組みは、主権者たる国民の範囲を決める民主主義の最重要事項である。
日本人にとってはその権利能力形成を行い、担保するのが「戸籍」である。


にもかかわらず、「国籍法」「戸籍法」には不備や不足、もっと言えば「確信的バグ」があちこちに埋め込まれており、過去から現在まで全ての日本人の権利擁護機能を十分に果たしているとはいいがたい。
 結果、主権者である日本人にも関わらず参政権にすらアクセスできない人々(無戸籍者)がいることは、国家にとっても国民にとっても恥ずべきことであると思う。


 その認識があるからこそ、私は国会議員、国会議員を目指す政治活動者として、国の根幹(佐藤優先生に言わせれば「ど真ん中の政策」)である「戸籍」「国籍」の問題にコミットしながら活動をしてきたのだ。誰にも評価されないけど(笑)

さて、今回の代表選挙だが、民進党はこの機会を通じて訴えなければならないことがあると思っている。

まずは「国籍法」改正を見据えた「公職選挙法改正」である。

 代表選挙中に独占インタビューを行なったジャーナリストの野嶋剛氏は、戸籍開示をした蓮舫氏に対し「国籍問題の敏感さや難解さを十分に理解しないで対応した初動の甘さが大きな代償となりました。」(野嶋剛公式サイト二〇一七年七月二〇日記載)とし指摘しているのだが、
「国籍問題の敏感さや難解さを十分に理解しないで対応」どころか、これに対して沈黙した民進党に対しても国民は信頼感を高めるには至らなかったのではないかと思っている。

 なぜならば、それは「国権の最高機関」である国会の構成要員である「国会議員」を決めるという重要要件とつながるからだ。

公職選挙法第10条(被選挙権)は次のように規定している。

「第十条  日本国民は、左の各号の区分に従い、それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する。
一  衆議院議員については年齢満二十五年以上の者
二  参議院議員については年齢満三十年以上の者
三  都道府県の議会の議員についてはその選挙権を有する者で年齢満二十五年以上のもの
四  都道府県知事については年齢満三十年以上の者
五  市町村の議会の議員についてはその選挙権を有する者で年齢満二十五年以上のもの
六  市町村長については年齢満二十五年以上の者
2  前項各号の年齢は、選挙の期日により算定する。

 さて、ここには実は幾つもの論点がある。
 地方議会議員においては「選挙権」がなければ「被選挙権」が行使できないが、首長だけはそれがないのはなぜか?
 知事には自治省・総務省出身者が多く、居住要件をかけると、いざという時に立候補ができないから、ともまことしやかに言われてもいるが、それも含めて選挙権の居住要件は妥当なのかは、今回の国籍等とは別途論じたい。

 さて、国会議員について見てみよう。

 まず、選挙権の行使だが、小選挙区については居住要件があるが、比例区については一切ない。だからこそ、在外投票が行なわれている。
 被選挙権については居住要件もない。「日本人であること」だけだ・
たとえば、山形県在住でも東京都の選挙区で選挙に出ることはできるし、外国在住でもできるのだ。単一か多か等国籍所持に関しての規定もないので、国籍法の規定に反して二重国籍状態であろうが、立候補することはできる。
 オーストラリアの国会議員が辞職したのは、憲法で国籍要件があるからである。
 消極的にせよ二重国籍を認めているアメリカでは、一定期間居住実績がなければ選挙に出ることはできない。連邦下院議員の候補者は、25歳以上で、米国市民となって7年以上経過しており、選出される州の合法的居住者でならなければならない。上院議員候補は、30歳以上、米国市民となって9年以上経過しており、選出される州の合法的居住者でなくてはならない、というふうに。

 日本はこうした規定がないから、理論上は他国の国会議員であっても、日本の国政選挙、もしくは首長選挙の候補者となることはできるのだ。
 なぜそうしたことが起るかと言えば、公職選挙法はそうした被選挙人が登場することを想定していないからだ。
 

外務公務員法第七条では、「外務公務員の欠格事由」をこう規定している。
 1 国家公務員法第三十八条 の規定に該当する場合のほか、国籍を有しない者又は外国の国籍を有する者は、外務公務員となることができない。
2  外務公務員は、前項の規定により外務公務員となることができなくなつたときは、当然失職する。

 外交官は単一国籍が求められ、外交官以上に国家機密や国益に関する情報を得る立場にある国会議員が重国籍を認められるのはおかしいというのは常識的な判断だと思うが、それを具現化するためには、公職選挙法で国会議員の被選挙権の要件に国籍を入れるか、また居住要件等を入れるなどの工夫をしていかければ、少なくともこのアンバランスさは解消しない。
 さもなくば、外務公務員法を改正して、この条項をなくすか、である。

 「国籍」「戸籍」と対峙していると「父母両系血統主義」を採用した以上、重国籍者を完全に防止することは困難であると実感する。
 「国籍選択制度」は1985年の国籍法が大きく変わる時に重国籍抑止のために作られた制度だが、30年が経ち、実効性がないこともわかっている。
 世界が現実的には積極的、否かにかかわらず重国籍容認となっているなかで、日本が今後とも国籍唯一の原則を堅持していくことは困難であるし、そもそも国籍選択を迫ることは基本的人権の尊重に反するとも思う。
 だからこそ、今までの曖昧で、表向きは勇ましく「禁止」を叫ぶが実効性がなく、公平性にも乏しい「国籍法」を改正し、一般的には重国籍を認めた上で、国会議員等の被選挙権については新たな要件を入れる、という形が最も現実的な解決だと思っている。

 こうした点も含めて「微妙な問題については触れない」代表選ではなく、公党として堂々と党内論議・論争ができる民進党に生まれ変わらなければ、政権担当能力云々以前に民意の受け皿になることはできないと思う。

(関連して、8月8日発売の岩波書店「世界」九月号巻頭「世界の潮」に「‘蓮舫氏の「二重国籍問題」“から見えるもの」と題して寄稿しているのでお読みいただきたい)

2017年7月27日 (木)

蓮舫民進党代表が辞任

蓮舫民進党代表が辞任した。

会見を聞いた。
厳しい時期の代表職に全力を注いでがんばって来られたと思う。
党員、また総支部長として感謝の気持ちを述べたい。

ただ、一方で、残念なのは、今日の会見にいたるまで、既に社会的課題となっている「二重国籍」や「国籍法」そのものの問題と正面から対峙しているようには見えなかったことである。

今日は「二重国籍問題」や「戸籍開示」についての質問も出た。
「二重国籍問題」についての言及は「辞任の理由ではない」という文脈でだけだった。

「戸籍開示」について質問については、
「戸籍法の改正等が必要だと判断すれば党の中で議論をしていきたい」と述べたが、開示の問題と戸籍法はそれこそ別の問題だ。

民進党代表として「二重国籍や、国籍法の足らざるところについて熟議が必要」という言葉を、あの場でこそ言ってほしかったと思う。

それこそが、「多様性の象徴」として就任した蓮舫代表の役割のひとつだったのではないか。

民進党も真の再生を行なうために、
党員サポーターを含んだ代表選挙を、強く望む。

2017年7月26日 (水)

女性議員スキャンダルの意味

朝から、吉田所長と上西小百合氏の話題をきっかけに、この30年に渡る政界における女性議員についての評論をする。
ある意味、私たちが誰よりも取材蓄積があるともいえるから、いや、ほんと、どんな評論家よりも濃い内容。
書けんけど(笑)
検討項目は「氏変更」「浴衣姿」「政策可視化アイテムとしての子ども」等々(笑)
第一回衆議院選挙から70年の全女性議員を政策面も含めて分析したら、立派な論文になりそうだ。
あと、「政治家の妻」も一章加え、年表作って、世界の潮流との対比も面白いかも?

そんな折、飛び込んできた某スキャンダル。

豊田氏問題こうした女性議員のスキャンダルが、政権を揺るがす(かもしれない)飛び道具に使われるようになった時期は直近ではいつだったのだろうか?

抱えている原稿終わったら、分析してみたい。

2017年7月24日 (月)

次のポイントは「武蔵野市長選挙」!

昨日行なわれた仙台市長選挙で、野党共闘候補である郡和子元衆議院議員が勝利した。
この結果が安倍政権に与えたダメージは大きい。
そして、総選挙に向けた次のポイントは9月24日告示・10月1日投開票の「武蔵野市長選挙」となる。
東京ではそれ以前に9月初旬に「青ヶ島村町長・町議会選挙」があるが、都民ファーストも含めて国政の前哨戦となるのは「武蔵野市長選挙」であろう。

これは都民ファーストの勢いがどこまで持続しているのか、公明党がどう動くのか、自民党は立て直せるのか、野党共闘の成果等々、業界としては注目ポイントが幾つもある。

内閣改造他も含め、安倍政権は10月1日時点ではどんな形になっているのだろうか。

都議選は終わったものの、既に総選挙は始まっているというのが実感でもある。
熱い夏は続く。

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