2017年11月24日 (金)

育児中の議員こそ「テレワーク」を  課題解決に向けて具体的に語ろう!!

今回の熊本市議の子連れ出席の話をみながら、

日本の課題としてとらえるならば、保育所の整備に向けての努力とともに、

まず「すぐできること」としてテレワークの推進をおこなったらどうだろうかと思う。

議員には議会内に「控え室」がある。
会派で、の場合もあれば、無所属だと単独で、もしくは何人かの無所属議員と一緒に、実務を行なう空間が議会内に置かれている。
その「控え室」で、通常のテレワークと同様、ネット回線で議場と控え室を繋いで、議会が行なわれている時には中継を行い、議場に置かれたモニターに控え室側の議員も映しされる形式だ。
議長からチェックができる位置にモニターがあれば、起立採決等には対応ができる。もしかすると質疑も可能だ。記名投票の場合は、投票用紙を移動する手間は出るが、これも何らかの対応はできるだろう。もしくは投票するぐらいの時間は子どもも対応可能だろう。

これは別に熊本市議会に限らず、全国の地方議会でも、もちろん国会でもできる。
ただ、意図的に悪用されないような工夫は必要だから、
その辺は専門家でもあるテレワークの第一人者、田澤由利さん他に相談すると良いと思う。
(そこを端折ると、失敗するからご注意!!)

もしかしたら、議会のあり方をより良く帰るきっかけになるかもしれない。
会議の多い職についている人たちにも応用可能だ。

そう思うとワクワクする。

こういう話はイエス、ノー双方が、相手の考えを受けいられず、最後は個人攻撃で終わるケースが多い。

そんなことは誰も望んでいない。

だからこそ、具体的な話をしましょうよ!

女性の「嫡出否認権」は当たり前で歓迎だが、無戸籍問題の抜本的解決ではない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171124-00000004-mai-soci

11月29日に民法774条「嫡出否認権」をめぐる裁判が神戸地裁で行なわれる。

ワタクシは近著「日本の無戸籍者」(岩波書店)でも書いたように、現在夫にのみ認められている「嫡出否認権」が妻にも認められるべきだと思っているが、最近の論調で、「これが認められれば無戸籍問題解決への糸口になる」という見解については、現場を知らなすぎる空論だと思っている。

つまり男女平等という点では評価をするが、
そうした楽観論が広がることで、さらに無戸籍問題が固定化するのではないかという懸念を持つ。

女性が「嫡出否認権」を持ったとしても、対して調停・裁判の手続きの相手方、被告は前夫または夫になる。
出生届が出せないDV被害者等を受けた母親たちが最も怖れるのは、彼らとコンタクトを取ること自体なのである。
女性に嫡出否認権が認められても、そのハードルの高さは変わらない。
むしろ「嫡出否認権があるのに、なぜ手続きをしない?」という社会的プレッシャーが起ることを危惧する。

今回の裁判の結果によっては、
夫婦別姓等、当たり前にあっていいはずの女性の権利保障の拡大にもつながる可能性もあると思っているし、そう願っている。

しかし、残念ながら、裁判の結果が「違憲」となり、法改正が行なわれても、無戸籍問題の抜本的問題にはつながらない。たぶん、ほとんど影響がないだろう。

無戸籍問題の本丸はあくまで民法772条「嫡出推定規定」そのものなのだ。

報道関係者の方々にもその辺の理解を是非にお願いしたい。

あえて「現実」をお知らせしておく。

「佐藤優&井戸まさえ クリスマスクルーズ」

12月17日(日)午前11時半〜午後2時頃まで

「佐藤優&井戸まさえ クリスマスクルーズ」

やります💝 佐藤優氏と2時間じっくり+個別にお話できる絶好の機会です! どなたでも参加できま〜す 東京湾をクルーズしながら語り合いましょう!    Photo

議会への子連れ出産は是か否か②

ワタクシは地方議員と国会議員を経験している。

常日頃から、職住接近(ケースが多い)の地方議員は、政策面も含めて、子育て中の女性にとって最も適した職業の一つだと実感を込めて語ってきた。

議会があるのは年間100日程度。政治活動に関してはほぼ毎日、時間を選ばず、という側面はあるものの、時間と内容を「自己選択できる」という意味では、会社務めより有利である。


もちろん、ライバル議員があちこち顔を出していたら気にもなるが、焦る。が、大抵の選挙区は小選挙区ではなく中選挙区。つまり、自分のお客さんに向かって、事情を説明し、少ない機会でも真面目に活動していれば理解は得られる(次回も当選できる)可能性は多いにある、むしろ広がるからである。



「議員」と「議員の妻」を経験してみて、思うのは、実は保育園をより必要としているのは「議員の妻」だったなと実感する。
事務所を手伝っている「議員の妻」の場合、自分で時間をコントロールする裁量権の幅も狭い。
賃金は発生しないが、扱いはほぼ「フルタイムワーカー」の「被雇用者」だ。
「議員」の育児環境は全く違う。

ワタクシの場合、第一子は2歳まで、事務所で育てた。
当時は3歳児神話や母乳育児がまだ幅を利かせ、おむつも布おむつ利用era(笑)
狭い空間で、ちょろちょろする子どもを見ながら、電話を取り、来客を受ける。
たまに外には行くが、公園に長居することもできない。
子どもは常におんぶかベビーカー。
母親と密着するも、これで彼はしあわせなのだろうか。
ある日突然、ベビーカーの上で彼は熱性けいれんを起こした。
みるみる紫になって、呼吸が止まった子どもを、どうしたらよいのかわからず、おろおろしながら小児科に走った。
自分の呼吸も止まりそうだった。生きた心地がしなかった。

ワタクシはそこで学んだ。
子どもには、「育つための環境」が必要だ。
少なくとも、政治家の事務所では育てる側も、育つ側もストレスがかかる。
「大人の空間」と「子どもの空間」は交わる部分もあるが、大部分は違う。
子どもにはのびのびと、声を出して大丈夫、好奇心のままあちこち歩いて大丈夫な空間が必要なのだ。
そうして、保育園を探し始めた。

議会に保育園が併設されていたら、議員はとても便利だと思う。
そしてそれが市役所の職員や市民も利用できるものだったらとても良いと思う。
誤解を怖れず言えば、ある意味、義務を遂行するための最低限の時間が決まっている議員は、ファミリーサポートセンターやベビーシッター等で対応が効く。
「切羽詰まっている感」からいったら、優先順位は被雇用者として働いている人が議員より先であると思う。

政治家が政治家たる由縁は、自らの体験を社会化し、制度を変え、必要とあれば予算を付け、問題解決へと導くことだと思っている。

報道ベースなので真偽はわからないが、
子連れ登院の目的が、議会に託児施設を設置して、とか、ベビーシッター代の補助を、という要望に当局が応えなかったからということだったならば、違和感は拭えない。

子育てが終わると、介護が待っている。
今後、家にひとりでおくことができない認知症等の高齢者が施設に入れず、もしくはデイケアも満員。仕方なく議会に連れてくる、ということも、当然だが想定しなければならない時代がやってくるかもしれない。

介護離職と言われる人々はそうした環境の中で生まれる。

企業でもそうしたことを鑑みて、重要な会議も物理的、距離的困難を克服できるように「テレワーク」が広がって来ている。
ワタクシが今回のような状況だったら、控え室で子どもといながら参加ができるようにするように、また議会だけでなく市役所内でもそうしたトライアルをするとか、もろもろ提言しただろうなと思う。

こうしたことがある度、いつも思い出すのは、マザーテレサと「COCO」の話である。
カルカッタの「死を待つ家」に行った時に、段ボールに入った大量のココアを持った日本人と遭遇した。
「マザーを尊敬しているの。マザーはココアが大好きで、「COCO」と呼んで飲むのを楽しみしているのよ。マザーは「ここにいる全ての人が飲んでからでなければ、飲まない」とおっしゃるから、これぐらいを持ってこないとマザーのお口には届かないの」

マザーテレサ、政治家やのう。
もちろん、マザーにはなれないが、マザーの手法には学ぶことができると思う。

2017年11月23日 (木)

議会への子連れ出席は是か非か?

熊本市会議員が赤ちゃん連れで本会議への出席を試みたとのことに賛否が出て、「平成アグネス論争」との声も上がっている。

ワタクシは現職の議員であったとき、乳幼児を抱える身であったが、議会という「大人の場」に子どもを連れて行くのは、子どもにとってつらかろうと思い、議場はもちろん、保育園等が休みの日に行なわれる会議の際でも、必ずベビーシッターや保育ルームなどを利用し、職場に連れて行くことはしなかった。

一方で政治活動での「祭り」等には同伴、一緒に楽しむことはたびたびあったが、議会という「公務」と「それ以外の活動」は分けて考えるべきだとも思っていた。

今、尼崎市長をしている稲村和美さんも同じ時期に議会にいたが、産休後、たまにお子さんを議会に連れてくることはあったが、自分の控え室以外には出していなかったと記憶している。

基本、「寝てる」か「飲んでいるか」の乳幼児中盤までの場合は、本会議等の間でも比較的おとなしくしてくれているとは思うが、それ以降は動きも激しくなって、予想外の動きをすることもある。「泣き」を収めるためには、授乳だけで済まなくなるのだ。
そうなると、まわりの集中力を欠かせることもあるので、たとえ「公務」でなくとも、子連れで何かする時には、多方面に気遣いをしなくてはならない場面が増える。


もちろん、緩やかに「よか、よか〜」と言ってもらえればよいが、実際にはそうはいかない場面は多々あるし、少なからずの報酬を受け取る職業人としてはその辺の区切りを自分自身で見極める必要がある。


「寝ている議員もいるんだから、いいんじゃね?」という論理は、それを肯定するようでワタクシは賛成しかねる。寝ている議員は糾弾されねばならない。

一方的な質問と答弁が続く本会議であっても、とても勉強になり、ワタクシはその時間がとても大事だった。メモを取ったり、頭を働かせたり、それ相応に忙しい、はずだ。
子どもを抱っこしながら、で、それが貫徹できるかと言ったら、少なくとも私自身は自信がない。
冒頭にも書いたが、7ヶ月のお子さんがじっとしているのも大変だ。動きたかろうに・・と、ついつい子ども目線になってしまう。

どういう事情で、どういう目的で「子連れ出席」だったのか詳細はわからないので、軽々に発言することは控えるが、たとえば、ワタクシが想定している本会議は3時間コース、4時間コースとかだが、30分だけとか、採決だけの短いものだったらどうか?とか、まあ、その前提条件によっても違うであろう。

ちょっとお試しでやってみてもよいかも、とは思うケド。

繰り返すが、この場合、最も優先されなければならないことを見誤ってはならぬ。

最後は松田道雄口調で☆

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3218235.htm

蒲田警察署にて被害相談

蒲田警察署にて被害相談。

最近、ワタクシが「ある件」に関し言及すると、商業出版物、ブログ、SNS等媒体に関わらず、
誹謗中傷威嚇的脅迫ともとれる行為を受けることが相次いだ。

その多くが、某党の支持者と名乗り、職業にも共通の特徴がある。不思議。
しかし、ことがワタクシだけに留まらず、家族他にも及ぶに至り、
上記の対応を取らせていただくことにした。

思えば、神戸にいたときはほぼ毎週のように「捜査2課」にお邪魔していた。
怪文書、ポスター破損、いいがかり他・・。
10年経って舞台はネットの世界になったが、基本同じようなことが繰り返される。

以前にも書いたが、昔はそれが「明らかに敵陣営」だったのが、
今は必ずしもそうともいえなくなっている。
誹謗中傷の類はより巧妙、複雑化しているのだ。

エビデンスや、事実関係を押さえた一定のクオリティをクリアした上で、別の意見を持つ同士が議論して行くことは悪いことではない。むしろ歓迎されるべきことだと思う。

ただ、残念なのは、中には意図的に内容を曲解して、一方的に攻撃、また記載内容ではなく身に覚えのない個人攻撃を仕掛けてくる人もいる、ということだ。
こうした最低限のルールを理解せず、かつ礼節を持ち得ていない人とのやりとりは、物心両面で消耗するし、その意味も必然性も感じない。
単に「自分の意見を押し付け」「相手の言論を封じる」ことが目的化した反論や、個別のメッセージに含まれた「悪意」は看過できない。

というわけで、対象行為に関してはこれからも、今後も、同じような対応を取らせていただきます。

2017年11月21日 (火)

明日発売です!! 「徹底検証 教育勅語と日本社会 いま、歴史から考える」

「徹底検証 教育勅語と日本社会 いま、歴史から考える」(岩波書店)
明日(11月22日)発売です!!
戦後日本社会では否定されたはずの「教育勅語」がなぜ折々に甦るのか。
10名の研究者、ジャーナリストがそれぞれの視点から検証します。
いや、マジ、面白い。
歴史、背景、「今」とのつながり・・・この一冊で「教育勅語」の謎が解けます!思わず朝から熟読してしまいました
ワタクシは松田道雄氏の「育児の百科」と「教育勅語」の意外なつながりから、現在も確実に存在する「明治的支配」について考察しています。
松田道雄氏についてのロシア取材も含めたアウトプットは、来年、必ず。
そのイントロダクションとしてもお読みいただけたら幸いです。


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「誰も知らない」 是枝裕和監督と対談〜「家族」「戸籍」を語る

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2016年1月に発刊された「無戸籍の日本人」が来年1月に文庫化されます。
それにあたり、冒頭と最後に引用した映画「誰も知らない」(2004年公開)の是枝裕和監督との対談が文庫本オリジナル原稿として収録されます。
今日はその対談の日。
ドキドキしながら監督のオフィスにお邪魔すると・・あの印象的な「誰も知らない」のポスターとともに、一般には未公開の、幻のポスターを出してくださいました。(写真参照)
空に解けて行く飛行機。映画をご覧になった方なら、その意味はわかるはず。
この映画のもととなった巣鴨子ども置き去り事件は1988年に起ります。是枝監督は翌1989年にはシナリオを書き始め、15年の月日を重ねて丁寧に作品にしていきます。
「家族」とは「戸籍」とは、「大人になる」とは。
「無戸籍の日本人」に登場するひとりひとりについてへの思いや、
ノンフィクションとフィクションの役割、年を重ねるとともに起る「視点」の変化等々についても、じっくり語っています。
文庫本は2018年1月19日発売予定。乞うご期待ください!
是枝監督最新作「三度目の殺人」も非常に面白いです。
そして現在次回作を作成中だそう。完成が待ち遠しいです!

2017年11月18日 (土)

「◎◎の疑い」という診断書

大相撲のことは詳しくわからないが、どんな世界であろが、暴力があってはならない。決して。それは大原則である。

その上で、今回の日馬富士関の問題について「診断書」の取り扱いに関して担当医が反論しているとの記事を読んだ。

書かれているような「診断書」を巡って起るトラブルは実は日常にも起こり得ていて、
こと政治の世界や著名人ともなると、頻繁とは言わないまでもそこそこ起っていたりする。

「被害届」を出されたり、裁判で「訴えられる」というのは、結論が違っていたとしても決して人聞きがよいものではないので、皆言わないが、だからこそ密かに困っている人は多いのではないか。

ある日突然、裁判所から多額の損害賠償額が記された書面が送られてくる。
例えば、子どもが友人と喧嘩をしたとか、犬がうるさい、すれ違った時に転んだ等々…。

そうした中には正当な訴えも多いことだろう。
しかし一方では「難癖」や「嫌がらせ」的なものもあり、目的が別なこともある。
それがわかっていたとしても、「裁判」という形を取られると誰だってひるむ。
添付された「診断書」には「頭蓋骨骨折」「内臓破裂」等々の文字。それを見た瞬間、クラクラして、平常ではいられなくなる。

相手方の怪我等の状況は大丈夫なのだろうか。
日常に支障があったらどうしよう。何ができるのだろうか。謝罪は?コンタクトは直接とって良いものか。
そして、損害賠償請求の額を見て、驚き、慌てる。
診断書に書かれた内容を詳しく見る余裕はない。

「よく見て下さい。診断書に書かれているのは、あくまで『疑い』ですから。レントゲンなんかを取る時に理由がないと医療行為はできないし、保険点数が出ませんから『疑い』とするんです」

弁護士に促されて、よくよく見ると確かに「疑い」と書かれているではないか。

カルテの開示をしてみると「内臓破裂(の疑い)」の日に出している薬がアトピーの薬だったり(笑)日程を詰めて行くと「頭蓋骨骨折の疑い」の人が、その診断を受けた後にプールで泳いでいたことがわかる、などなど「疑い」の範疇の広さに、驚くことになる。

結果的に相手方からの損害賠償請求は取り下げ、というパターンで、訴えられた側は一体何のために時間と弁護士費用をかけたのか、わからないという結果に至る、こともままある。

「疑い」の前に書かれた文字。
これが強ければ強いほど、それが動かし難い事実のようにも思えてきて、一方で「疑い」の印象が薄まる。

冒頭でも書いたが、暴力は決してあってはならない。
しかし冤罪を作り上げることもまたあってはならない。

冷静に事実を積上げることこそが、今起っていることが何に起因することなのかを語るのだ。

2017年11月14日 (火)

「政治塾」のお誘いが来た!

「政治塾」がはやりである。
事務所のポストには、1年半後の区議会議員の候補者確保を目指す?
新たな「政治塾」の募集が名刺サイズの紙に印刷されたものが入っていた。
どんな人がやっているのかな?と思って、QRコードにアクセスすると・・・

なるほどー

しかし、「政治家になりたい方」ってのが、キャッチとして使われる時代がくるとは〜

「政治業に就職しませんか?倫理ある人の就職先です」

・・・いろいろな意味で考えさせられる。

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