2019年6月14日 (金)

2000万円問題で、野党が追及すべきこと 〜 70年代に個人年金が商品化された意味を踏まえて

 

「国民年金はですね、現在の段階で一人あたり月々六万円程度しか支給されないんです。これが将来に二十年後になりますと、おそらく二万円程度になります。お小づかいにもなりませんね。
(中略)
年金なんて一昔前は四十歳代になって初めて考える方が多かったんですけど、最近は違います。この七月からは加入開始年齢が二十歳まで下がったんですが、加入者がいるんですよ、これが。二十歳から年金に入ってしまうかたが実に多いんですから」

これは今の話ではない。1990年に刊行された「結婚しないかもしれない症候群」(谷村志穂著・主婦の友社)の一節である。
つまり今から30年前、生命保険会社は「20年後、おそらく国民年金は2万円程度になる」との試算を出して、個人年金商品の勧誘を行っていたのである。

ちなみに、老後生活資金準備へのニーズが増大したことで「医療保障」だけでなく老後を生きるための「生活保障」が求められるようになるのは平均寿命が恒常的に伸びた1970年代だ。1979年以降、保険会社各社は相次いで「個人年金保険」を発売し始めたのだ。
1984
年には「個人年金保険料控除制度」が創設され、税制面での優遇措置もあって「養老保険」「終身保険」「個人年金保険」といった貯蓄性商品が積極的に売られていく。

それらに加入した人たちは公的年金だけでは老後望む水準の生活を過ごせるかどうか、また平均寿命が延びる中、自分たちの老後がいつまで続くかも不安だからこそ、貯蓄や投資を行ったのである。

さて、「結婚しないかもしれない症候群」執筆当時27歳だった谷村氏が生保のセールスレディの勧誘トークに30分で陥落、加入した個人年金保険の毎月の保険料は、月々16千円だという。20歳から60歳まで払うと年金保険料は総額で768万円である。
一方で受給の方は60歳から10年間、一年300万円ということは全額3000万円となる。
768
万円払って、3000万円の戻り・・・
逆にいうと、3000万は必要だと思われていたのだ!30年前にはすでに。

1989年、「1.57ショック」と言いつつ、危機感は薄く、高いインフレと経済成長が続くだろうと、無邪気に信じ、「少子化対策」と言いつつ失策の限りを尽くしたことが「無子高齢化」を産み、公的年金の基盤を揺るがせた。そのことこそ、野党は追求すべきである。
詳しくはhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65200へ。

 

2019年6月 5日 (水)

川崎登戸事件の深い闇

「現代ビジネス」さんに寄稿しました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65001
川崎登戸の事件を、昭和40年〜50年代の日本の離婚家庭に育つ子どもの環境から考察しています。
ネグレクトを受けた経験がセルフネグレクトを生むことにも言及しています。

2019年5月27日 (月)

「不機嫌」という交渉術 〜トランプ外交の真髄

トランプ大統領が来日した。
が、どうやら不機嫌?

そんなトランプ大統領に、なんとか笑ってもらおうと、あたふたする関係者。
大相撲に、炉端焼き。
最高の「おもてなし」と思ったことが、もしかしてお気に召さなかった?実は迷惑だった?
でも、大人でしょ。大統領でしょ。社交辞令でも楽しんでいる風を装ってくれ。ほんの一瞬でもいいからーーー。

ゴルフ場で自撮りした写真は我ながらうまく撮れた。大成功!
貿易交渉も選挙後にするという言質をとったのもホッとしたが、秘密にしたいことも全部書いちゃうから、また国会対策が大変になるのう。でも、ま、選挙に持ち込んじゃえば皆それどころじゃ無くなるからいいっか。

・・・こうした声が画面からも伝わってくる。

ことほど左様に、「おもてなし」文化国民は「不機嫌」という交渉術に極めて弱い。

あれ?もしかして、つまらない?
なんか気に入らないことある?
会話が途切れているけど、この「間」はつらすぎるわー。

ちょっと、待ってよ。
大人なんだから、ここはなんとか笑って笑顔アピールでないと困るんだけどーーー。
と思いつつも、
なにか相手が気に入ることでも言わないと。
・・とついつい口を滑らせ、想定していたことよりも過剰にサービスをしてしまう。
すると、途端に笑顔!
やった!
だが、またすぐ不機嫌に。
で、またまた場を盛り上げるために喜ぶことを言ってしまう。
「自分が言ったのではない。あくまでそちら側からの提案でしょ」
実際の交渉に入った時に、そう言われるのは自明である。

ってことで、すでに1日目で「取るものは取った」感のトランプ大統領。

「スマイル、0円」なわけ、ないじゃん。
「不機嫌」はトランプ外交の真髄なのだ。

高笑いが聞こえてくる。

2019年5月22日 (水)

原武史 × 井戸まさえ講演会 『「平成の終焉」と「令和の時代」』開催決定!!

 

「平成の終焉」と「令和の時代」
〜退位と天皇・皇后
「象徴」と国民の政治的関係性を問い直す〜

2019年7月3日(水)午後6時半〜
大田区民ホール アプリコ B1
優先席の予約受付開始いたします。
info@idomasae.com
ぜひお越しください!!

Photo

<講演内容>
平成とは天皇制の新たなスタイルが確立された時代だった。日本中をくまなく訪ね歩き、自らの思いを国民に直接語りかけてきた明仁天皇と美智子皇后。二人が生み出した「平成流」は退位後も受け継がれていくのか。女系・女性天皇問題も取りざたされる中、日本政治思想史研究者(原武史)と戸籍研究者(井戸まさえ)による「象徴」と国民との奇妙な政治的関係性を問い直す意欲的かつ刺激的な講演会。

<講師> 原武史放送大学教授
プロフィール
昭和37年生まれ。放送大学教授。専門は日本政治思想史。『〈出雲〉という思想』『「民都」大阪「帝都」東京』『大正天皇』『滝山コミューンー九七四』『昭和天皇』『レッドアローとスターハウス』『可視化された帝国』『皇后考』『「昭和天皇実録」を読む』など、皇室・団地・鉄道に関する著書多数。
「平成の終焉」(岩波新書)では豊富な独自資料をもとに「平成流」を問う。

 

2019年5月15日 (水)

領土とは、国境とか何か 

「サハリン残留日本人と戦後日本」樺太住民の境界地域史(中山大将著・国際書院)を読む。

領土とは、国境とか何か。

戦争の随伴現象としての境界変動ー国境線が消える、もしくは移動するーは、そこに住む住民の生活を<引き揚げ><残留>等で分断する。それが一つの戦争の結果のみならず、重複、重層化したがゆえに、個人はもとより国家も地域もさらに複雑な事情を抱え込むことになる。

中山大将氏とはサハリン調査の際、数日をご一緒させていただいた。
この春に中山氏の研究成果(本書)が出ると知っていたが、ちょうど同じような内容で私も書いていて、得たデータをどのような表にして区分するか等悩んだのだが中山氏の論文はまだ出ていなかったので参照するわけにもいかず・・と、本書で確認すると、やっぱりそういうわけ方だよねーーと、シンクロしていてちょっとホッとした。
しかも・・私の書いた小文へのご批判もいただき(笑)大変光栄である。確かに冷戦期の残留や帰国については視点が抜け落ちている。

何れにせよ、論文を通して対話できることのありがたさを思う。
そして、当時の国会質問等も含めて詳細なデータの集積は、何よりありがたい。
残さなければ「なかったこと」となるし、「あった」としても届かぬところに存在するなら、それも「なかったこと」になる。

「確かに存在した」国境とその境界変動にスポットを当てるからこそ浮き彫りとなる人の営み。
「なかったことはできない」という中山氏の強い意志を感じる。

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『ネトウヨとパヨク』

松下政経塾の後輩、物江潤氏が新著『ネトウヨとパヨク』(物江潤著・新潮新書)を出版した。
本書はネトウヨ、もしくはパヨクと呼ばれる「対話不能な人」の実態や問題点を説明した上で、
彼らはネット上だけでなく、日常生活をする中にしばしば出会う存在であることを具体的事例をあげながら説明する。

物江氏になぜそれが可能なのか。

「松下政経塾に所属していたこともあって、極端な意見を持つ厄介な人たちに絡まれることもしばしばありました」


ああ、わかる、わかる。
物江氏の思想のしなやかさは、理由もなく突然ふっかけられる対話のルールが通じない人々のサンドバックと散々なってきたからなのである。

例えば、丸山穂高衆議院議員が松下政経塾出身とわかると、「松下政経塾出身者は皆、戦争好きとか、マッチョ」だと言って聞かない。
「いやいや、出身者にもいろんな人がいますよー」
と反論しても、「そんなわけない」「そう見せているだけ」と主張して自説は決して曲げることはしない人々の、時には悪意とだけは思えない言動を観察していくとそこにある社会のある側面が見えてくる。

途中、声をあげて笑ってしまった場面がいくつもある。
選挙活動を手伝えながら物江氏が政治家の姿を冷静に分析しているところもそうだ。

「強い政治的な主張をもつ、対話のできない人」は、現実社会でしばしば孤独であり、そのために必ずしも活発な活動ができませんでした。しかし、ネット上に活動の場を移せば、この孤独は解消されます。説得力に乏しい主張(断言)という欠陥に続き、孤独に陥ってしまうという難点も、ネットによって解決できてしまったわけです」(p95)

複雑化する選挙や政治の断層、世代間、特に10代が置かれている対話の環境、
まさに「右」でも「左」でもない「無知」を生む足元を、今一度見つめるための、最良のテキストである。

*これを読むのが「丸山穂高(30期)と同じ」に対する一解答でもありますな。物江氏(32期)とほぼ同じ時期に教育受けているのだものね。60261398_2225929260819840_17966570956264 

2019年5月14日 (火)

東京医大から新たな通知が! 平成25年度受験生にも

https://twitter.com/kaese0802/status/1128282175554502657
5月10日付で新たな通知が東京医大から出ています。
平成25年度の受験生も対象となっています。
東京医大等差別入試被害弁護団にも相談が続々届いてますが、同意書等については慎重な対応が必要かと思いますので、ご相談ください。

丸山穂高衆議院議員問題に思う

丸山穂高衆議院議員。
議員になる前からその資質には疑問の声があった。

維新はそれでも丸山氏を公認をし、有権者に「候補者」として示したわけだから、当然ながら責任があるだろう。
特に酒がらみの失態は今回だけではないから、こうした事態が起こるのは容易に想像つくはずだった。

丸山氏に限らず、候補者選定の際にすでに疑問符がついているにも関わらず、見て見ぬ振りをしてそのまま候補者→当選(多くは比例復活)というケースはままある。
しかし、人はそう変わらない。変われない。
むしろ議員になったことで勘違いをし、増長する。
そして遅かれ早かれ問題が発覚し、騒ぎになるのだ。

その際には「党に迷惑をかけた」と「離党」したり、「時には「辞職」となるわけだが、迷惑がかかったのは党ではない。あくまで国民である。

こうした議員が出てきた時には、少なくとも党公認で戦った候補者に対しては選定に関わった政党関係者が出てきて、候補者選定過程等について公表した上で、なぜこのような事態に至ったのかを説明すべきだと思う。

そう言うと「有権者は選挙で民意を示せるから、それが全て」と言い返されることがままあるが、「有権者が選ぶ前に政党が選んでいる」のが現実を踏まえれば、そうとは言えないはずである。
特に国政選挙においては粗悪な議員がその時の勢いだけで誕生ことを抑止する方法を考えなければならない。

維新のみならず、全ての政党の選対や幹部は、
今一度、自分の政党の公認候補予定者が国政を担うにふさわしいか、将来問題を起こす芽を持っていないか等を総点検するべきだと思う。
大抵、その芽は候補者になる段階で芽生えているのだから。

と、書いている間に離党届は受け取らず、除名・・。
いつものパターンが繰り返させる

2019年5月 8日 (水)

「主戦場」(バトルグランド)の主演者たち

http://www.shusenjo.jp
評判の「主戦場」(バトルグラウンド)を観た。

本作の主演者たちが「演じて」いるのは、戦後が生み出した新たな「愛国戦士(保守論客)というキャラクター。
そのバトルグランドはアニメや小説の世界ではなく、リアル社会だ。

インタビューを意気揚々と受けるキャラたち。
自分の主張を微塵も疑っていないといった具合に発せられる言葉とは裏腹に、カメラは表情の歪みを捉える。
目の動き、口元の引きつり、ストップモーションのように伝線していくシワの動き等、そこで露わになる心の揺れや不安は根拠ない優越感がいかに脆弱であることを示している。

国と我とを同一視し、
そこにヒロイズムを感じる彼らは何のために、誰と戦っているのだろうか。

慰安婦問題について「あれは性奴隷ではない、売春婦だ」と主張するネトウヨ他の言動は見慣れたものではあるが、
それを字幕も含めた「英語」というフィルターを通すことで、日本、韓国という枠から離れて問題の本質を浮き彫りにすることに成功してとも言える。

2019年4月17日 (水)

選挙における街頭演説の意味

選挙戦も中盤戦。
蒲田の事務所にいると、朝の街頭演説から選挙カーの行き来まで、さまざまな声が聞こえてくる。その声の先に思いを巡らしつつ、まるで読経のように唱和してしまうのは職業病であろう(笑)

さて、朝6時半から駅に立っていると「がんばっていますね」とか「偉いね」と言われることが往々にしてある。
いや、がんばってはいないっすよ。マジで。
好きでやっているわけではない、という意味では、ある種の苦行かもだが、それは「がんばっている」とは質が違うものだと思う。

ワタクシは政治家にとっての街頭演説の意味は、「自分よりずっとがんばっている人がいる」ことの確認だと思っている。

学生、通勤者、夜勤明けで帰ってくる人々ーー。
駅前には、候補者よりずっとがんばっている人々で溢れている。
例えば我が家で言えば、午前5時20分には家を出て朝練に行く子どもの方が、親よりよっぽどがんばっている(笑)
日曜以外、毎日、その生活だぜ。
街頭演説は出来ても、私には無理だわ。

選挙前だけ好きなことだけくっちゃべって、上から目線で「市民の代表」などとちゃんちゃら可笑しい。
でも、時に政治家の、選挙前限定=ピンポイントの「がんばる」はどこかで「自分が一番がんばっている」的な倒錯をもたらしたりする。時には「なんで私がこんなことを」と被害者意識すら持つことも。

そのうち書こうと思っている「上野千鶴子氏の東大入学式祝辞への反応に対する違和感」ともつながるのだが、
社会のルールを決める側にいる人々たちこそが、実はその彼らの思う「理不尽」ゆえに、よりがんばっている人々に対して「理不尽」なルールを構築し、或はそれを維持する側になる可能性があるということを忘れてならないのである。

人は往々にして「がんばる自分」しか見えていないものだ。
自分の「がんばっている」が最大限認められるルール、理不尽が排除されるルールを作る時には、他人の「がんばっている」を知り、認めなければならない。
時に「がんばる」の内容の種目が違ったり、質が違えば、エリートたちが「理不尽だ」と思うことは、実は妥当なものだったりするということがあるということも、自覚しなければならないのだ。

ってことで、選挙モードに戻ろうっと。

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