2017年4月28日 (金)

「ブレません!」「議員は知事の子分じゃない!」〜のぼり旗は語る

「ブレません!」「議員は知事の子分じゃない!」「豊洲市場は安全とは言えない!」

ここまで「語る」のぼり旗は滅多にない。
飛ぶ取り落とす勢いの知事に対して、正論をぶつけて闘いを挑むことは誰にでもできることではない。
「小池百合子並み」「小池百合子以上」。
前にも書いたが、松下玲子氏が本当の意味で都民のための政治を実現するための資質と、その思いに嘘偽りないという自信を持っているからこそ、できることなのだ。

誰かの人気にあやかり、その庇護を受けようとする姑息な政治家は、早晩有権者を裏切る。
自立できていないのだから、いざと言う時には自分の信念より、他人の意見に従わざるを得ないからだ。
有権者の皆さんには、都議選の候補予定者がどんな「のぼり旗」を掲げているかを見てほしい。
彼らは単に「売名」で立っているのか、「真に伝えたいこと、やりたいこと」があるのか、「のぼり旗」の言葉は雄弁に候補者自身を語ってくれるのである。
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2017年4月25日 (火)

「プレイ」としての「教育勅語」③そもそもは「夫婦相和シ」ではなかった 

「教育勅語」の成立過程を見ると、それがいかに「プレイ」だったかがわかる。

「御維新とジェンダー」(関口すみ子著 東京大学出版会)を参照しながら、検証してみよう。

「ジェンダー」という言葉を聞いただけでアレルギーというのは「プレイとしての保守派」だと常々思っているのだが、この「御維新とジェンダー」はそうした人々こそが読むべし本。

声高に唱える「教育勅語」容認論がいかに稚拙な「保守プレイ」かと言うこともわかるのではないかと思う。
ちなみに、6200円とお高いが、それ以上の価値は絶対にある。

さて「教育勅語」。

その元となっている「五倫」は儒教が土台とする5種の人間関係とその規範を示している。
「父子親有り」「君臣義有り」「夫婦別有り」「長幼序有り」「朋友信有り」。(「孟子」)

男女に関してはこの「夫婦別有り」が唯一の規範であり、男女がむやみに近づかず、「別」を立てることこそが「禽獣の道」に堕さないで「人の道」を歩む上の核心であり、「礼」の基本であるとの思想である。

しかし、こうして当初は「禽獣の道に落ちないこと」を主眼とされていた内容が、そこから数千年の後、違う解釈がされて広がっていく。

「妻妾に明確な区別を立てる」「男女が『内外』で空間的分離と分業を守る」「婦人が『三従の道』に従う」・・つまり「ジェンダー装置」そのものとして。

実は江戸時代、日本ではこの「夫婦別有り」に対する言葉に対して違和感が強く、解釈を巡って混乱が起きる。

「夫婦別有り」を解こうとするもににとっては、
意外にも男女の役割分担や従属的位置に留まることへの抵抗が強いこと、また夫婦が一体、夫婦は仲良くという「人の道」に対する思想を融和する必要があったのである、

こうした状況の中で「開国」「維新」が起ったのである。

そこから20年あまりが経った1890年(明治23年)、「教育勅語」ができる。

「教育勅語」は草案の段階からもはや「夫婦別有り」の言葉は採用していない。
一方で「相和シ」という言葉になるまでには紆余曲折がある。
時系列で見てみよう。

明治23年3月 明治天皇 文部大臣に対し「教育勅語」起草の勅令

6月 中村正直案(徳育大旨=そもそも「夫婦相和シ」もない)に対して法制局長官井上毅が激しく批判

山県有朋総理の了解のもと、井上毅案作成(夫婦相和シ」)
天皇側近の元田永孚案(「教育大旨」=「夫婦ノ和シテ淫セズ」)

9月 3人が持ち寄った案(「なし」VS「夫婦相和シ」VS「夫婦ノ和シテ淫セズ」)を巡って抗争が起る 

井上案(早い段階で「夫婦相和シ」→「夫婦相和キ(やわらき)」に送り仮名を変更)を軸に元田と井上で修正を繰り返す

9月9日頃 紆余曲折の末元田が天皇に奉答修正案(「夫婦相和キ(やわらき)を提出
元田と井上でさらなる修正 文部提出閣議案取りまとめられるが中村正直から出された「夫婦相和シ」が採用

9月26日 文部大臣吉川顕正から閣議に「徳教ニ関スル勅諭ノ議」が提出 閣議決定

10月21日 内閣から最終勅語案が上奏

10月23日 天皇が元田にさらに検討を加えるよう下問、元田が「相和シ」と「相和キ」と両論併記で奉答 
最後の最後に「夫婦相和シ」で決着
同日天皇が裁可

元田は「相和シテ淫セス」を入れたかったが「淫セス」を入れないのだったらせめて「和キ」の方が良かったということだったのだろうが、井上は強行に「相和シ」を主張する。
そこにはどんな思いがあったのだろうか。

井上にとっては「相和シ」は単に「仲良く」ではない。
彼が「教育勅語発布」と同時期に新聞「日本」に匿名で発表した「論理と整理学の関係」では、「夫婦相和シ」は単に仲良くではなく「一陰一陽一剛一柔」と相反するものの「和合」であり、男女は「一は外を収め他は内を治るに適当なるの固有の性能」を持つとして、「故に、女子に政権を有せしめされざるは各国の同じところに非ず荷名」と、女性の「政権」からの排除を敷衍的なものとして主張して行くのだ。

そして、勅語の起草過程と平行して、第一回衆議院選挙勅語に「集会及び政社法」が公布、女性の政治活動は全面的に禁止。
女は「陰」、井上的に言えば本来の位置に戻すということが行なわれるのだ。
そしてその思いは結実して行く。と、同時に、日本は富国強兵、植民地主義へとさらに舵を切って行くのだ。

さて、関口氏の本だけでなく「教育勅語」が生まれた時代を、ジェンダーの視点から考察した本は、安倍政権他、今の時代の「プレイとしての保守」読み解く上でも多くの示唆を与えてくれる。
「明治維新とジェンダー」(長野ひろ子著 明石書店0
「歴史を読み替えるジェンダーから見た日本史」(久留島典子他編 大月書店)
「歴史教育とジェンダー」(長野ひろ子・姫島とし子編集 青弓社)などなど。
大奥に配分された予算等から、当時の「女権」の強さを検証したり、大変興味深い。
思想や思いで歴史を見るのではなく、数字や事象(歌舞伎演目他)から、当時の等身大の姿をあぶり出す作業を、日本の女性たちが積み重ねてきていることに、感動する思いだ。

「エセ」・・いや「プレイとしての保守」以外の方々にも(笑)広く読んでいただきたい内容である。

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2017年4月22日 (土)

政治家と「重婚」① 中川前政務官の「重婚ウエディング」〜「戸籍に妻ふたり」が可能という現実

中川前政務官の「重婚ウェディング」。
日本における一夫一妻制の婚姻制度を支える戸籍法・戸籍実務には大きなバグがあり、実質上重婚が可能となっているということを、以前にも「ダブルマリッジ」(橘玲著・文藝春秋)を紹介しながら指摘したが、
よもや、国会議員、政務官を務める人がこんなにも分かりやすい例を提示してくれるとは思わなんだ。
まさに「事実は小説より奇なり」である。

日本は一夫一妻制。
夫ひとりに妻ひとり、が原則で、重婚などできやしないと思っている人が多数であろうと思う。
が。
実は夫ひとりに妻ふたり、妻ひとりに夫複数、ということが、現実に、フツーにあり得ている。
なぜそれが可能かというと、「外国法に則り婚姻」と抜け道があるからである。

外国法に則り正式な婚姻をした場合、
たとえ既に日本法で婚姻し配偶者がいたとしても、
婚姻届は「報告的届出」なために、日本の役所はそれを拒むことができない。
それがふたり目の妻になろうとも、三人目の夫になろうとも
とりあえず「戸籍に記載」という流れになる。

「ダブルマリッジ」では婚姻相手が外国籍なので、婚姻の欄に日本人妻と並んで外国籍の妻の名前と国籍が注記として記載されていることなどに、同時者や家族が驚く場面がでてくるが、

今回のように日本人同士の場合は筆頭者に続いて、妻ふたりの欄が設けられるのである。

刑法には重婚罪が設けられているものの、
民法では「配偶者のある者は、重ねて婚姻できない」として当事者がその取り消しを請求できると定めているだけ。
つまりは、法律上、行政が重婚を解消できる手続きは定められていないので、当事者が請求するまでは何ら手出しができないのである。

さて、中川前政務官は挙式し、「結婚証明書」にサインまでしているが、日本の役所に届出は行なっていない。
さて、今からでも婚姻届を提出し、元愛人とされる女性が妻として戸籍に記載されることは可能なのだろうか。

結論から言うと「可能」であろう。
戸籍法41条には「外国に在る日本人が、その国の方式に従つて、届出事件に関する証書を作らせたときは、三箇月以内にその国に駐在する日本の大使、公使又は領事にその証書の謄本を提出しなければならない」とある。つまりは届出をするのは義務。
中川前政務官の「結婚証明書」が正式なものか否かは週刊誌に記載された写真のみでは分からないが、
教会での挙式には基本的にハワイ州保険省(Departmet of Health)が出す「結婚許可証」が必要で、その手続きに則って挙式まで行なっていることを前提とした場合、
この時発行された「結婚証明書」を持って、3か月以内に婚姻届を大使館他に提出しなければならなかった。
つまりは、中川前政務官はその義務を怠っていたということにもなり、

実は今からでも婚姻届提出は可能で、結婚証明書の日付に遡り、彼らは正式な夫婦となることも可能である。
重ねていうが、既に戸籍上も婚姻継続中の妻がいたとしても、だ。

中川氏のリバースパターン?としては、
以前、歌手の浜崎あゆみ氏が外国籍の人と婚姻・離婚となったときに、外国では届出を出しているが、日本ではしていないので、婚姻または離婚したとしても戸籍上はずっと未婚のまま、何の移動もない、ということが話題になったが、
となると、日本法では未婚だから、別な人と日本法に則り婚姻すること、つまりは重婚することは十分に可能なのだ。

さて、こうして制度の狭間を活用?した重婚だが、行政が把握していても、前述通り通常は放置のままだ。
刑法第189条で「配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは、二年以下の懲役に処する。その相手方となって婚姻をした者も、同様とする」との罰則があっても、実際には適用されないままとなっているケースがほとんどであろう。

戸籍・国籍を専門とするものとして、常日頃、制度の根幹を揺るがす大きな問題だと指摘をしつつも、周囲の反応並びに危機感は薄く、忸怩たる思いだったのだが、
中川前政務官が身を挺して?自ら「法のバグ」を示してくれたと言う意味では「ナイスアシスト!」と感謝したいぐらいである。

ま、これを「愛と承認欲求」他の観点から見ると、また違った風景が開けてくるのであるが。

それは、②で。

2017年4月20日 (木)

「赤道直下の情熱」を引き継ぎます〜区割り案発表で1万6417人の皆様があらたに東京4区に

昨日、衆議院小選挙区の区割り改定案が発表され、東京4区は
①東調布第三小学校
②千鳥小学校
が投票所とされている
南久が原1丁目、2丁目 鵜の木1丁目
千鳥1丁目〜3丁目全域
が新たに選挙区として広がり、1万6417人(2017年3月現在)の有権者の皆様が4区に。
「まつばら仁」から「井戸まさえ」へ。
赤道直下の情熱を引き継いで行きたいと思っています。

2017年4月18日 (火)

政治家にとっての「本籍」とは

https://headlines.yahoo.co.jp/article…

都民ファーストの会の都議会議員選挙予定候補者のスキャンダルが報道されている。

業界内ではある意味有名な話だったので、いつ出るのかな〜と思ったら、このタイミングなのか。

「彼は“板橋は自民の枠が一杯だから、下村さんが小池さんに頼んで『都民ファースト』から出馬することになった”と説明し、“自分は自民党ですから”」(記事引用)

元ボスの指示で党を移る、とか、そのまま鵜呑みにすれば美談だけど、基本ないっすから(笑)
でも、本人からそう言われたら、周りは信じるんだろうなー。
そしてそんな時は必ず「ここだけの話」とか「表にはできない話だけど」という言葉が前ふりされるのだ。

さて、こうしたシチュエーションで候補者や政治家が党を移動した場合、
「現住所はファーストでも本籍は自民党」(←あくまで例)とか言い出す人がいるのだが、
「現住所」と「本籍」についての使い方を間違ってはならない。
「本籍」はいくらだって変えることができるんですよ〜、超簡単に。居住実態等問われないから、皇居だろうが、富士山だろうが、どこにしようと日本国内なら自由。
なので、「本籍は自民党」などと言えば、忠誠誓っているように聞こえるけど、全然そんなことはない。「本籍は」と言い出したら、その政治家の誠実性が逆に問うたほうが良い(笑)

でも、なんとなーく「本籍」というと、その場所に自分のルーツがあるような気がして、そこはかとない郷愁があるのでは。
が、その夢を壊して申し訳ないが、実は、戸籍制度が確立される明治の時代もいろいろ考える人がいて、
本籍地を「長州・山口県」等にして「長州出身」とすると優遇されたので、わざわざ本籍を移して「長州出身者」となる人が結構な数、いたんだと。

なんだか、今とセコさは共通するような(笑)

と、話が脱線したが、
重ねて言うが、自分の保身のための言い訳としては不格好だよね。

ちなみに、政党等選ぶ側からしても、候補者の身体検査は本当に難しい。
常識的には考えられないことを行なっている(もしくは行なっていない)場合、専攻者の想像を越えているからこそ、チェックができないのだ。

小池さんも顎はずれの事実が、他にもありそうな、なさそうな。

ご苦労を察するが、いずれにせよ、政治家としての資質に関わるところについては、どの党、どのグループでも、これまでの反省も含めてしっかり見極めて行かなければならない。

2017年4月17日 (月)

な、名を名乗れっ! 赤胴鈴之助とイマドキの学生

「チョコザイな小僧め、名を名乗れ!」

「赤胴鈴之助だあ!」

子どもの頃見ていたアニメ「赤胴鈴之助」のお決まりの台詞である。

誰かを知らず闘っていた相手は、赤胴をつけた生意気な小僧が、見た目とは違い意外にも強敵でることを知り、「名を名乗る」という行為を促すのである。

「名を名乗った」瞬間に相手はびくつき、鈴之助はさらに勢いづく。


「だったら先に名乗れよ、鈴之助」とか、「名を名乗る」「名乗らん」によって、結果が変わるぐらいに人にプレッシャーを与えられたり、もしくは自分のモチベーションが上がったりするんだーと、毎回同じことを思っていた。


さて、そんな「ちょこざいな小僧・赤胴鈴之助」のことを昨日、40年ぶりぐらいで思い出した。

思わず「な、名を名乗れ」と口にしてしまったからである。独り言だけど(笑)


なにげにパソコンを開くと、メールボックスに見知らぬ宛先から一本のメール。

大学でゼミ発表の準備をしているが、研究テーマに関してどうしてもうまい解決法が見いだせない。ネットで調べて行くうちにワタクシが書いたものに行き着いた。

疑問点は以下で、それに対して答えてほしいとの内容だった。

が。そこには氏名、所属、連絡先他、一切なく。

名乗るよね、普通。

名乗ろうよ、教えてもらうという姿勢があるなら。

ってことで、「答えるのは良いが、そちらが誰なのかを知らずに返信することに躊躇があるので、まずは名を名乗ってくれ」という内容で返すと、氏名、大学名他自分のプロフィールを明らかにした上で、

「もし質問をさせて頂いて答えて頂く際にお金等が発生したりするのであれば、答えて頂かなくていいです」という一文が添えてあった。

「答えていただかなくていいです。」
・・・・ここにも、カチン。

お人好しのワタクシは質問に対する答えを返したが、
ホントは厳しく接した方が彼らのためになるのかな、と思いつつ、相手は見ず知らずの大学生。逆恨みされて悪役となるのも嫌だな、と悩む。

学生だけでなく、我々の業界でも基本の「キ」が欠落した、「?」の行動をとる人々に驚くことしきり。そしてそれを指摘すると、まるで被害者のような、逆にこちらが搾取しようとしているかのように受けとめて、曲解したまま、関係者に流布される、なんてことが続いたりもして慎重になるワタクシ。

さて、これは「マナー」の話なのか、社会的な状況を背景にした構造的な問題なのか、考えさせられる。

そんなこんなをFACEBOOKで書いたら、

やはり 下手に注意をすると逆恨みされて、むしろ被害者のようにTwitter等で拡散されるかもしれないからやめておいた方が無難とか、ネット時代で生きる若者はそもそも「名乗る」という行為をしないのが当たり前になっているとか、予想以上に多くの方から経験に裏打ちされた様々なご意見が。

費用の話については「コストがかかることが想像できるだけでも彼らは良いほう」との意見もあった。

インターネットの時代になると、知らないことはとりあえずググれば輪郭だけは掴めたりする。

会いに行ったり、本を買って読んだりするよりもずっとお手軽に分かった気にはなれる。

名乗らずとも、無料でいろんなことがゲットできる時代である。それはそれで済んでしまう。

でも。匿名では得られない、「名を名乗ること」がもたらす自分への責任と誠実というものがあるのではないかと思う。

自分への自分たるプライド。

鈴之助を思い出しつつ、たぶん今後、人生で出会うことがないであろう学生さんたちの発表がうまくいきますように、彼らの今後の人生で良き人々に出会えますようにと祈る。

2017年4月16日 (日)

「天然キャラ」を支える「実家力」

昨日の「桜を見る会」の安倍昭恵夫人のはしゃぐ写真を見て、「唖然」という人は多いであろう。ワタクシもである。(ま、「騒動」がなければ、籠池夫妻も招待され、意気揚々と参加していたであろう)

たぶん昭恵氏は(晋三氏も)
今後も含めての人生で、たとえなにがあっても、家族も含めて「明日から仕事を失ったり」「生活に困窮したり」「一文無し」どころか「借金苦に悩んだり」などということは「ない」と確信を持っているのだろうな、と思う。
万が一のことがあって「プリズンに入って」も復活でききるしね、と。

その自信の源は「実家の力」にある。
どんなに悪くても夫の、自分の「実家」が助けてくれる。
「実家」、つまりはどんな家に生まれるかは自分では選べない。
いや、違う。彼らは、生まれた段階で「選ばれた」「神さまに愛された存在」だと自分を肯定評価しているのだろう。
50年以上も、大なり小なりの「根拠なき権力」を振るい、「忖度してくれる」周りに支えられつつ「天然キャラ」を否定されずに生きて来られたのは、この家に生まれ落ちることを「神さまがお望み」だったからである。

なるほどな。
そういう人にとっては「家」なるものがなによりが大事。
自分の努力では補えないものこそが「自分の価値」なのだから。

教育勅語や、憲法24条の問題もこうした発想から出ているのであろうと思うと「格差の解消」「子供の貧困対策」などという言葉がいかに白々しく、空しいものかがわかる。

2017年4月14日 (金)

ビラ取りが格段によくなる「ネタ」

朝の街頭演説を終えたあと、ともに活動をしていた吉田事務所長から、衝撃?の報告。

「(あの「ネタ」だと)ビラ取りが変わるんですよ」

演説している方は、目の前を通る人の層を見ながら、微妙に内容を変えつつも、基本的にはその場のノリで話すのだが、ワタクシ的には「語りたいけど、聞く方はつまんないだろうな」と思い遠慮がちに言っていた「ネタ」が最もビラ取りに貢献しているとは、驚きだった。

その「ネタ」とは・・

「教育勅語」!!

ま、街頭演説で、当時の時代背景や登場人物を事細かに解説する人は日本広しと言えどもワタクシだけかとは思うが(笑)

いやはや「教育勅語」に関心が心高いと言うのは、興味深い傾向だよね。

実は政治家は街頭演説しながら、自分内論点整理の一貫としても活用しているのだが、

そうこうしているうちに「定番フレーズ」が生まれ、演説の定型が確立してきて、その人なりの「十八番(オハコ)演説」(持ち歌)が生まれる。

田中角栄とか、小泉純一郎とか、天性の感覚に加えて、なにをどう、どのタイミングで言ったら人の心に響くかを、無数の街頭演説の経験を重ねながら、自分のスタイルを確立してきたんだろうと思う。

そして、その「十八番」を聞きたい人がどれほどいるかというところが勝負の分かれ目なんだと思う。

誰かの文言をコピーしているうちは、どんなによどみなく話せてもダメなんだよね。
ま、いい内容でもそれが頒布、周知されなければ、それこそ意味ないんだけど。

オリジナル曲を作って、歌って、どさ回り・・・。

演歌歌手であろうが、政治家であろうが、営業マンであろうが、やることは一緒。

そして現場で得られる肌感覚こそがその時代を読んだ「今語るべき言葉」を政治家に注入するのだ。

そう思うと、街頭演説の「教育勅語」に反応する、というのは、国民のそこはかとない不安感を反映したものだとも言えるのかも。

2017年4月11日 (火)

「真に・・」「真の・・」を考える

「真に国家と国民を愛し〜っ」

今となっては、誰も信じてくれないけど(笑)
何を隠そうワタクシは松下政経塾の出身・・。
うら若き?20代前半、寝ぼけ眼の猛者たちと「塾是 塾訓 五誓」なるものを唱えていた。

その最初の一文が、冒頭の言葉。

当時ワタクシは毎朝同じことを思っていた。
「腑に落ちない・・・」
塾是の冒頭の「真に」に、である。

単に「国家・国民を愛する」のではない。
「真に」とは、どういうことなのか。
これ、言葉的にはなかなかのくせ者なんじゃね?と。

なんらかの事象の前に「真に」をつければ、なんとなくだが、偉そうに見える。
それがひとりよがりの間違った解釈だったとしても、
そこはかとなくオーソライズされた感じになって、自分がホンモノになった気になれる、まさに「魔法の言葉」なのである。

もちろん幸之助氏には幸之助氏の思いがあっての「真に」である。
だが、血気盛ん、だからこそ上滑りがちな青年たちにとって、ちと裏腹効果があるなと見ていた。

密かに誓ったのは、今後の人生でなるべく「真の」を使わないで生きようということ。20代に、一生分以上、毎日「真に」を唱えた結果、それは、自分の薄っぺらさを、小ささを隠す「マイ・上げ底・ワード」として、以後基本使用不可、封印されたのである。

で、昨日の長島さんの離党時の会見。
「真の保守」がキーワードだった。

政治家の出処進退や離合集散に関しては、それぞれの判断があることであろうと思う。
また、個人的には元外務大臣・松本剛明氏や外務副大臣・山口壮氏の離党の方が衝撃だった。
なので、そのことに対しては別の機会に書くとして(ワタクシは「ファースト」も含め、日本新党誕生以来の流れに決着がついていないのだと思っている)
「真の」の部分だけについて、言及しようと思う。

「私は、真の保守とは国際社会でも通用するような歴史観と人権感覚を持ち得なければならないと考えています」(by長島氏)

むむむ。
この「真の保守」の定義部分だが、
特に「真」を入れなくても、もしくは「保守」を「リベラル」と言い換えても、通用しちゃうという皮肉。

(ワタクシが記者さんだったら、そこんとこ、突っ込むがな)

まあ、コトホドサヨウに、それが「今」という時代なのだ。

蛇足だが。
ワタクシは「戸籍」や「国籍」を専門にするが、
同胞の問題に対して目を向けることをしないのは「保守」ではないと思っている。
「日本人」を守ることは当たり前こと。「真の保守」だったら、真っ先にやるはず。
・・・・えっ??となると、あらま、もしかしたらワタクシこそ「真の保守」??
ってぐらいに、カテゴライズは不毛だし、「真に」は意味を持たないんだよね(笑)

2017年4月10日 (月)

「布教」としての森永エンゼル

先日、盟友とご飯を食べていたら、彼女が急に歌いだした。

♪ だあれもいないと思っていても
どこかでどこかで エンゼルは いつでもいつでも ながめてる
ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんとちゃちゃーんとながめてる ♫

「ねえ、懐かしいでしょ?森永エンゼルの歌。なんの疑問も持たずに歌っていたけど、この歌詞怖い。だって、エンゼルは私たちの全てを見ているのよ。ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんと・・・」(byN子)

彼女の指摘に、思わず「なるほど!」と唸ってしまった。

ワタクシが森永製菓の創始者森永太一郎のことを意識したのはごく最近のことである。
ちなみにアッキー絡みではない。

婦人運動家・社会思想家だった山田わかの生涯を描いた「あめゆきさんの歌―山田わかの数奇なる生涯」 (山崎 朋子 著文春文庫 1981/10)で、明治時代アメリカに渡り、その後帰国し成功したごく少数の日本人として、熱心なキリスト者ぶりもふくめて紹介されていたと記憶している。

なるほど、森永製菓の作る西洋菓子は普通の菓子ではない。
「布教」の一貫としてのメッセージを伝える役割を担っていたのである。

「どこかでどこかでエンゼルは・・」
キャラメルをほうばる子どもたちは、
最後のひとつを友だちに隠れて、自分だけ食べたこと、宿題はないと親に言い切ったけれども、ランドセルの中にはプリントがあること・・・
ああ、エンゼルは全てをお見通しなのね。
それでも、罪深いワタクシたちを許してくれるのであろうか。

世間はそう甘くはないことを、大人になったワタクシたちは実感している。
ええ、たぶん?アッキーも??

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