2016年9月28日 (水)

「政局」ではなく  根本から 「国籍法」改正を議論しよう

https://www.taro.org/2008/11/post_465.php
来月発売の雑誌で、「重国籍」の問題を戦後の「国籍法」改正の推移を含めて書きました。
詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが、
2008年の「国籍法」改正時には「我が国における重国籍のあり方について検討すること」との付帯決議が付されています。
同年、自民党は法務部門「国籍法PT』にて、河野太郎衆議院議員の「座長私案」として、添付のような国籍法改正案で重国籍容認を示しています。皇族、また国会議員等一定の公職に就いた者については禁止規定も入っています。民主党(当時)も「民主党政策INDEX2009」にて、明確に重国籍を認めるとしています。
しかしながら、その後議論は立ち切れ、今日に至っています。
日本維新の会は国会議員の重国籍禁止を入れた「公職選挙法」改正案を提出するとのことですが、「国籍」の枠組みは主権者たる国民を決める、国家としての最重要事項です。
「政局」に矮小化されるべき事柄ではなく、根本である「国籍法」でしっかりと議論すべきです。
「国籍法」の運用については「戸籍」との連関もあり、複雑かつ大きなバグが幾つも開いています。
そうしたことまでしっかり対応ができる改正をしなければ、今後も形を変えて、国家の、個人の生きる基盤を揺さぶり続けることになります。


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自民党「国籍法PT」
 重国籍に関する座長私案(2008年11月)

 日本国籍を持つ者が他の国籍をあわせて保持することを認める。
 日本国籍以外の国籍を持つ者は、本籍地でその旨の申告をしなければならない。これを怠った者は、罰金刑および日本国籍を失うこともある。
 父母の国籍が違うことにより、二重国籍となる者は両方の国籍を保持することができる。
 日本国籍を持つ者は、生地主義で得た国籍も保持することができる。
 日本国籍を持つ者が、重国籍を認める他の国の国籍を取得した場合、日本国籍を保持し続けることができる。ただし、日本が承認している国に限る。
 重国籍を認める国の国籍を持つ者は、要件を満たせば日本国籍を取得することができる。この場合、元の国籍を失わない。ただし、日本が承認している国に限る。但し、日本国籍の取得に関しては、毎年の国別の割当数を設ける。
 皇族、国会議員、大臣、外交官、自衛隊の士官、判事は日本以外の国籍を保持することはできない。
 日本国籍を持つ者が、外国の王族の一員になったとき、または、大統領、国会議員、閣僚、外交官、軍隊の士官、判事の職に就いたときは、日本国籍を喪失する。
 日本国外で生まれ、血統により得た日本国籍を含む複数の国籍を持つ者が、二十二歳になるまでに通算して一年間(365日)、日本国内に居住していない場合は、日本国籍を喪失する。
 ある国が日本を侵略することを企てることにより日本と交戦状態になった場合、日本の国家および地方公務員は、その国の国籍を保持することはできない。
 日本国籍を含む複数の国籍を持つ者が、志願して他国の軍隊に入隊した場合、日本国籍を失う。
 日本国籍を持たない母親の子供を認知する場合、DNA鑑定を必要とする。

2016年9月27日 (火)

大人過ぎるサヨナラ は ふたりの日々の「到達点」

伊達公子さんとクルム氏が離婚を発表した。

理想のカップルだった。
別れ方も含めて、成熟を感じる。
大人過ぎるサヨナラは、一種の「到達点」にさえ感じる。

伊達さんたちはわからないが、
10数年、離婚にまつわる相談を受けて来た経験上、こういう場合は、どちらかに、あるいは両方に新しい別のパートナーの存在がある。

それもまた良し。

今後の二人の、公私ともの活躍に期待する。

ええ、そうよ。
狭量なワタクシは、基本、縁切り系ですがね(笑)

2016年9月21日 (水)

ヤヤコシイ  戸籍のお話  ① 転籍他後の「戸籍の記載事項」について

もう、本当にヤヤコシイ。

なにがって、「戸籍の記載」が、である。

772条関連でいえば、
審判や判決で「父じゃない」とされた前夫の戸籍に実は一旦は入籍する。
が、「直ちに除籍する場合、出生事項、縁組み、婚姻事項を省略しても差し支えない」ということで、前夫の戸籍には一切痕跡は残らない。
一方で子どもの側には身分記載事項に「裁判(審判)確定により」という一文が入る。
「判例」を作った我が子にとっては、その一文は「勲章」だと思っていたら、転籍もしていないのにキレイサッパリなくなっていた。
平成16年の「戸籍のコンピュータ化」によってである。

戸籍謄本(全部事項証明書)や抄本(個人事項証明書)を取ったとき、「当然載っていると思ったこと」が載っていなかったり、「これ、いつまでついてくるねん」と思うような記載は消えていなかったりするのは「戸籍法施行規則」というものがあり、それで決まっているからである。

話題となった「国籍」の問題にしても、
「国籍取得事項」(国籍取得・帰化)については、管外転籍の場合、又は新戸籍を編成され、若しくは他の戸籍に入る場合は「移項に要しない」とされている。
が、一方で「国籍選択宣言」については「戸籍法施行規則37条および同規則39条1項7号」により移記事項となる。(S59.11.1 民二5500号通達第3の5(1))

この取り扱いの差はどこから来るのだろうか?

「国籍を得た」ことよりも、「選択したこと」の方が大事だと言うことだろうか。

日本社会で生きていく中で、「戸籍の提出を求められる」場面はそう多くはない。
その中で、「外国籍を持っていた」もしくは「無国籍であった」という事実を継続的に伝え続けなければならない状況というのはどんな時なのであろうか。
その情報が必要であれば理由を付して、記載がされた戸籍を提出する事も可能なわけだから、そこに積極的な理由があるとも思えない。

ちなみに、移記に関する施行規則は以下。
養子縁組や名の変更も義務づけられている。

戸籍法施行規則第39条【重要な身分事項の移記】

 新戸籍を編製され、又は他の戸籍に入る者については、次の各号に掲げる事項で従前の戸籍に記載したものは、新戸籍又は他の戸籍にこれを記載しなければならない。
1. 出生に関する事項
2. 嫡出でない子について、認知に関する事項
3. 養子について、現に養親子関係の継続するその養子縁組に関する事項
4. 夫婦について、現に婚姻関係の継続するその婚姻に関する事項及び配偶者の国籍に関する事項
5. 現に無能力者である者についての親権、後見又は保佐に関する事項
6. 推定相続人の廃除に関する事項でその取消しのないもの
7. 日本の国籍の選択の宣言又は外国の国籍の喪失に関する事項
8. 名の変更に関する事項

が。
こうした規則は意外にあっさりと、通達等で変わっていたりもするので、今現在がどうなっているのかを、常にチェックをしていかなければならない。

「戸籍」とは、コトホドサヨウにヤヤコシイのだ。

2016年9月20日 (火)

井戸まさえと行く爆笑バスツアー お申し込み開始!!

都知事選&都議選で延期になっていたバス旅行のご案内です。

何を隠そう旅行業主任者の資格ホルダーのワタクシ。
心ゆくまで笑って食べての銚子の旅☆
ぜひ、ご一緒に!!
10月19日(水)です☆
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2016年9月17日 (土)

「落選して戻れない人たち」のひとりとして

「青天の霹靂だった。固くお断りした。首相経験者が幹事長を務める前例はない。イメージできなかったことが最大の理由だ」

「多くの落選して戻れない人たちのためにも、自分の政治人生の落とし前をつけるつもりで、火中のクリを拾う決断をさせていただいた」

昨日行なわれた両院議員総会での、民進党野田新幹事長の幹事長就任にあたっての挨拶だ。

「青天の霹靂」「火中の栗」って・・人によっては、こういう時に使うものなのか?
「自分の政治人生の落とし前」って…。


言葉にこだわるわけではないが、「落選して戻れない人たち」のひとりとして感じた違和感は、

今度お会いした時に直にお伝えしよう。

前例がないことには、それなりの意味があるのだと思う、とも。

悔しくて眠れない、というのは、自分の初めての選挙で落選した時以来だ。

それほど、今回の代表選の意味は大きいと思っていた。

個人的な思いよりも、日本の政治にとってだ。

頼むからたった一日で、支えた側が「騙された」なんて言わないでほしい。

そこに、今後の私たちが越えなければならない、最も深刻な問題点を見る。

2016年9月15日 (木)

ライター・記者を代弁し、蓮舫氏「雑誌、新聞の編集権は私にはありません」発言に反論する

ここ数回の蓮舫さんの会見やインタビュー記事の中で気になる点があり、もやもやしている。

「雑誌、新聞の編集権は私にはありません」

意訳をすれば、取材を受けた中で、自分の発言や意図したこととは別なことや、経歴で誤ったことが書かれていても、自分にはどうしようもなかった、ということだと思う。

著述業のはしくれ、そして雑誌で芸能人インタビュー記事他を書いてきた経験を持つ身として、
多くの善良で優秀な記者さん、ライターさんを代弁して、ここは反論をしたい。

新聞他政治記事等とは違って、少なくとも、雑誌のインタビュー形式の記事、聞き書きをまとめた記事、または取材対象者のプロフィール部分については、相手先に内容を確認せずに載せることはまずない。
逆に言えば、先方に校正原稿を入れずに、そのまま載せるなどという危ない橋は渡りたくとも渡れない。
出稿後に相手先からクレームが入り、訂正となったら面倒だからだ。

多くの記事はフリーのライターさんたちが受けている。
ライター業は華やかに見えても、実際には過酷で、
たとえば経歴の部分で確認を怠る「初歩的ミス」をおかせば、それだけで「物書き失格」、その後の仕事はもらえなくなる可能性が出る。

出版業界にいる人々も、みんな命がけで仕事をしている。
そうした仕事を否定するような、もしくは誤解を招くような言い回しについては、すみやかに訂正していただきたいと思う。

ご本人がチェックをしていなくとも、マネージャーさんや事務所は絶対に確認しているはずだ。
まずは身内の心当たりに、本当に校正をしなかったのかを確認してみるべきだ。

この発言が世間にそのまま放置されると言うことは、理不尽にも「正確でない原稿を書いた」と不名誉をきせられる記者さんやライターさんを出してしまう、ということにつながる。

発する側にとっては些細なこと、なのかもしれない。
でも、小さな「冤罪」も生んではならない、と思うのだ。

というわけで・・・また党内某所よりお叱りが来るかと思うと恐る恐るではあるが、同業者無念を思うと、黙ってはいられなかった。

2016年9月13日 (火)

残念なこと

http://mainichi.jp/articles/20160913/ddg/001/010/002000c
残念でならない。
蓮舫氏が「二重国籍」だったことではない。(私は重国籍賛成派である)

せっかく「多様なバックグラウンド」を持つ「女性」が、もっと言えば、2015年1月の代表選挙の時には推薦人が集まらず撤退したところから、多くの人々を巻き込み立候補に至ったという経緯も含めて、再チャレンジを立派に成し遂げた蓮舫氏の「王道を行く戦い」が、別の形で注目を浴びたこと、そして、ある意味で最も肝心なところでの迂闊さが、問題を大きく拡げたという点である。

政治家は批判されるのが仕事のようなところがある。
それが理不尽で受け入れ難いものであっても、自分の「叩かれやすい部分」を自覚することは、「どこでつつかれるか」も想定もできるということだから、事前に対処をしておかなければならない。念には念を入れて、である。
本来の仕事を妨げることがないよう、そうした憂いをつぶしていく作業を疎かにしてはいけないのだ。

残念なことのもうひとつは、
党内ではこのことに関して言及する政治家が少ないことだ。
語ってはならぬ的な雰囲気があるようにも感じる。
そこには危機感も感じる。

外向きに発信している場合でも、問題の本質を「差別」や「多様性」他の言葉で覆い、他のことには触れない、というのはどうなのだろうか。
今回はあくまで「公人」のコンプライアンスの問題が発端なのだから、そこから逃げてはいけないのだと思う。
党としても、党に所属する議員・政治活動者としても、だ。

しかし、あまりに軽く「差別」や「多様性」が用いられるのはつらいなあ。
そう思っているなら・・・。
アクティビストとしては、ついつい、愚痴も出る。

2016年9月10日 (土)

重国籍の日本人③ 重婚も可能な「戸籍のバグ」と「届出制の限界」

「戸籍」には様々な「バグ」があり、国民の把握や身分事項の記載に正確性を欠くという不具合が起きている。

そのバグが起きる原因のひとつは、当事者もしくは関係者のみの「届出」に寄っている、ということである。
これは「無戸籍問題」の時にも、折に触れて繰り返し指摘してきたことである。

重国籍の問題も基本は同じところから派生する。(繰り返すが、私は重国籍を是としている立場だが、あくまで現行法での建て付けの中で以下論じる)
日本法では複数の国籍を持つ日本人は22歳までに国籍選択をしなければならないが、日本国籍を持ったままその後も国籍離脱をせずに重国籍でいることは可能、というのも、国は基本的には本人の「届出」によることでしか、誰が重国籍かを把握する術を持っていないからだ。

また重国籍者でなくても、外国人と外国法で婚姻した日本人は、日本の関係役所に「届出」をしない限りはその身分事項は戸籍には反映されないから、外国法によって婚姻していても、日本法によって別の人と婚姻することも容易である。

「届出」制を取るが故に、実際には何年も前に死亡しているにも関わらず、120歳、150歳になっても除籍されていないケースが存在する。

つまり、「戸籍」には制度設計上に問題があり、「完璧」を求めるには限界があるのだ。

その極めつけとしてこの数年で急速に可視化されて来たのがまさに「無戸籍の日本人」の存在であり、この度クローズアップされた「重国籍の日本人」である。

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「戸籍人員を詳らかにしてみだりならざらしむるは政務の最も先んじ重する所なり。夫れ全国人民の保護は太政の本務なること素より云ふを待たす。然るに其保護すべき人民を詳にせず、何を以て其保護すべきことを施すを得んや。是れ政府戸籍を詳にせざるべからず儀なり。又人民の各安康を得て其生を遂る所以のものは政府保護の庇蔭によらざるはなし。去れば其籍を逃れて其数に漏るるものは其保護を受けざる理にて自ら国民の外たるに近し。此れ人民戸籍を納めざるを得ざるの儀なり。」
 1871年(明治閏4年)4月4日、民部省によって起草、公布された全国統一の戸籍法についての太政官布告第170号前文である。ここに、いわゆる「壬申戸籍」が誕生する。

 注目すべきは、この前文には「戸籍」を編成することの政治的意味と同時に、「戸籍」への登載が漏れた者、つまりは「無戸籍者」に関しての言及があることである。

「国民の外」。

届出をせず、無戸籍ともなれば「政府保護には寄らず」であると、そのデメリットをことさら強調する内容である。

なぜ、そこに力点を置いたのか?

150年前の日本では、自らが行政の窓口に行き「届出」をする、ということが、日本国民に馴染んでいなかった。
「医療保険制度」も、「年金制度」も、ましてや「介護制度」もない時代だ。
 租税関連で数年に一度、公から調べることはあっても徹底されていたとも思えず、ましてや国民の側から婚姻、出産、死亡を積極的に届け出る必然性もなかったであろうことは容易に想像がつく。
 例えば婚姻成立の日付についても役所に届出を出した日なのか、それとも祝言をあげた日なのかで論争もあったほどだ。実際、法学者の間からは法改正をして「祝言をあげた日」を婚姻日にするべき、との声も上がっていたぐらいだ。

「国民の外」という取り扱いについては、このように、官に届出をするという制度も習慣もなく、「実態」で生きて来た当時の日本人に対して、マインドセットを変え、制度定着を促す効果的方法だったのだろう。

明治時代に「戸籍制度」が導入、確率されてから145年あまりが経つ。
幾たびかの戦争や大災害での混乱を経て、また新憲法のもとにおいても「戸籍」は生き残り、日本における登録制度として定着をし、機能してきた。

しかしその一方で、この「国民の外」という概念は独自に歩みをはじめ「戸籍」に別の意味を持たせてきた。
つまりは「戸籍」が「単なる登録制度」としてではなく、日本が近代国家として進んで行く上で、国民に対して「あるべき国民の精神性や道徳性の規範を植え付けるもの」として価値付けされていくのである。
また、植民地政策としても「同化」を求める術もしくは「排除」「差別」を具現化し見せつける道具としての性格を併せ持つようになったのだ。
「戸籍と国籍の近現代史」(明石書店)で遠藤正敬氏は「戸籍」と「国家」の関係をこう解析する。
「戸籍は古代国家による人民動員と治安維持の為の身分登録制度として発祥したものであり、元来は倫理的規範と無関係な存在であった。だが、近代国家は国民に対して、社会資本の整備や生活手段の充足と言った物質的分野のみならず、倫理・教育・宗教・風俗といった精神的分野への介入を当然とするに至った。(中略)
近代日本社会では戸籍法が『国民』や『家族』をめぐるある種の道徳というべきものを生み出してきた。その積年の効果として『日本人』であるならば必ず戸籍をもっているとか、どこの『籍』にも入っていないのは普通ではないというような、戸籍をめぐる集合意識ができあがっている。(中略)
 「戸籍に管理されることが『日本人』としての地位を保障し、ひいては日本社会の秩序であるという意識が根付いていることは否定できないであろう。」

「国民の外」の延長上に、「国外」の者と婚姻関係を結んだ者や、「国外」で生まれた子に対しての、余りの配慮のない扱いがあるのだ。

「戸籍」があることは「国民の内」という、自らの存在価値を保障するものであり、脈々と続く祖先とのつながりをたどる貴重な資料でもあり、自らの存在の「正統性」を示すもの———。
戸籍制度に抱く信仰にすら近い過度とも言える信頼性は、実は脆弱な基盤の上に成り立っていることを、今回の騒動は露にした。

その脆弱さは、この国の国境線を、好むと好まざると行き来せざるを得ない人々の暮らしや人生そのものを大きく左右する。

今、私は沖縄、そして樺太における「戸籍」の歩みを検証している。

1945年6月沖縄戦で、八重山諸島他一部を除いて、ほぼ全ての戸籍が消滅した沖縄。
彼らの「戸籍」が復活するまで、彼らは皆「無戸籍」だった。
「まさか・・」
戦渦を生き抜いた人々が持つ再製された戸籍を見て、言葉を失う。
重籍、重国籍、重婚・・・ひとつの戸籍に沢山のバッテン(死亡)とともに、困惑するほど歴史に翻弄された家族の姿がある。

ちなみに沖縄では戦後、日本が新憲法・新民法を採用しても、旧明治民法(大正4年戸籍)のまま再製が行なわれ、ようやく1965年(昭和40年)『戸籍法第百二十二条第一項の戸籍の改製に関する規則』で、やっと琉球政府は三代戸籍の追放に乗り出す。
戦後20年を減るに至るまで、沖縄だけは明治時代の家制度のもとでなければ登録することができなかったのだ。

私たちは、私たち自身の問題として「戸籍」を「国籍」を今一度問わなければならない。

近いうちに、よりわかりやすい形にして世に問いたいと思っている。

2016年9月 9日 (金)

重国籍の日本人②〜問題の所在を考える上での参考図書

ワタクシの枕元にいつもある本。
『原稿戸籍制度五0年の歩みと展望』(戸籍制度五0周年記念論文集編纂委員会編・日本加除出版)『戸籍と国籍の近現代史』『近代日本の植民地統合における国籍と戸籍ー満洲・朝鮮・台湾』(両著とも遠藤正敬著 明石書店)
ともかく「戸籍」についてのありとあらゆる疑問は、この3冊で解けると言ってもいいぐらい、すごい。感動する。
ちなみに15000円、3000円、6800円(😭
なぜそんなに高いかと言うと、戸籍や国籍について普段から考えている人が少ないと言うこと。
でも、これらの著作を読むと、自分の「日本人」としての登録が、さまざまな歴史的経緯や思惑の中で作られて来たものであることを意識せざるを得なくなる。
「国籍」に関して関心が高まる中、流れる様々な情報の中でどれが正しいものか、その取捨選択をするためにも、「本物」の知識を得ておくことは大事である。
『戸籍と身分登録制度』(アジア家族法会議・編 日本加除出版)にはアジア諸国が植民地時代を経て、それぞれの身分登録制度を確立し、どのように運用しているかの論文がまとまっている。
台湾に関しては、コンピューター化や個人番号制による大きな変革の波がやって来た。
いずれにせよ、国をまたいだ人の移動や国際結婚が増えたことで、2つ以上の国で登録される子どもたち、人々の数も当然ながら増える。
一方で、日本は戦前、日本の国策に利用しうる人的支援として日中二重国籍=「台湾籍民」の地位を便宜的に保障して来た歴史がある(『戸籍と国籍の近現代史』第4章・P286参照)。
その日本が現在、重国籍をめぐって「神経過敏なまでに重国籍に対して防止策を講じる日本」が「国籍選択制度に固執しているのは皮肉なことである」と遠藤氏は指摘している。

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重国籍の日本人①

今日、戸籍実務の専門家の皆さんとの懇談があった。
その折りに、「重国籍」についての話になった。
日本は台湾を国として認めていないので、台湾籍を持っている人が帰化もしくは国籍取得をした場合、中華人民共和国の法律を準用する。中華人民共和国では他の国の国籍を取得した時点で、中華人民共和国の国籍を自動的に失う規定になっているから、そもそも「重国籍の日本人」にはなり得ない・・はず、という見解もあるが?

「いや、中国の方で日本に帰化しても二重国籍は多いですよ。中国の場合、国籍を失うと資産が没収になったりするので、そのまま残しておく人が多いです」
なるほど、「自動的に失う」と言っても、当該国がそれを把握できない場合、そのまま双方の国籍を持つことでそれぞれの利点を享受しつづけることが可能だと言うのだ。
皆が法律を遵守していたら、こういう問題は確かに「ない」が、そうでないから「ある」のだ。
「『黒転白』って知ってます?」(by専門家さん)
「くろてんしろ?」(byワタクシ)
「エスニックメディアにはいろんな情報が載っているんです」(by専門家さん)
・・むむ、それは別の機会にぜひじっくり教えてもらいたいぞ。

話を元に戻すと、戸籍実務をしている方は皆さんご存知かと思うが、日本の戸籍を見ただけではその人が「重国籍」かどうかはわからない。
「国籍」だけではない。例えば「国際結婚」でアメリカ法に則り婚姻届を出しても、その後離婚をしても、日本の行政機関や大使館他への届出も出さなければ、戸籍には反映されない。ということは、日本の戸籍には婚姻したことも離婚したことも記載されないのだ。こうしたケースは以前、ある芸能人の離婚時に話題になったので覚えている方も多いかもしれない。
「国籍」も、その他の「身分事項」も関係国の間で通知等は行なわれないから、本人たちが手続きをして申告しない限り、正確な所はわからないのだ。
「重国籍」の問題が「法的には存在しない」にもかかわらず、少なからずの数が存在する、ということはというのはこういう背景がある。

さて、今回の蓮舫さんの問題。
ワタクシはこれは国会議員、そして政党の代表という職務を務める政治家の法令遵守が問われた問題だと思っている。
蓮舫さんが気になさっている点もそこである。
だからこそ、台湾法でもコンプライアンスができていたかどうかを確認するというアクションを起こし、それが時間がかかるということなので、念のため再度書類を提出した、ということだ。
「重国籍」の是非や、「差別」を今回の話とつなげて語る人も多いが、問題を混同してはならないと思う。
それは今回の件とは別に、しっかりと国民的議論に拡げていかなければならないと思っている。それほど重いものだ。

日本の戸籍だと本籍地のあるところに行き、亡くなったお父さんの「除籍謄本」他を取れば、子どもの除籍の年月日もすぐにわかることだろうが、台湾の場合は事情が違うのだろう。
先週、無戸籍関連で「除籍謄本」をとったばかりなので、このシステムの違いのテクニカルなところに、ものすごく興味がある。

ちなみに。
ワタクシは「重国籍」にも「外国人地方参政権」にも賛成の立場を取る。

本当に残念だったのは、2009年〜2012年の民主党政権の時代に、このことを主張してもごく少数者を除いてほぼ反応薄であった、ということだ。

ただ、その中でも、石川ともひろ元衆議院議員をはじめとする幾人かは請願の紹介議員となり長年に渡り地道に活動をしていた。
例えば、2012年9月の第180国会における
第57号国籍選択制度の廃止に関する請願
第58号成人の重国籍容認に関する請願 等々。

国会議員中、誰がそうした活動を推進していたかは検索すればある程度把握ができる。

この機にそうしたことも見ていただければと思う。

«「学ぶ日々 取り戻す」 朝日新聞に掲載されています