2017年3月27日 (月)

「かぎりなく黒」の危機管理

まあ、基本中の基本の話として。

安倍昭恵氏が「私人」で「政治のシロウト」だったら、陳情が来た段階で政治家の夫に相談し、夫の秘書が対応するというのが一般的な流れだろう。
たとえ、夫が総理となって「内閣総理大臣夫人付」という秘書役がいたとしても、「私人」は陳情は受けないし、さばかない。
ましてや、自分が取り次ぎ等をしていない陳情の報告を受けるなんてあり得ないわけだから、今回のもろもろの流れをみたら、さすがに「関与していない」というには無理がある。
なにしろ「名誉校長」も引き受けていたんだし。

「無理がある」のは昭恵氏だけでなく、慌てて土地取引の交渉過程を記した文書を破棄した財務省や、認可相当とした大阪府も、だ。

逆に何もなくてこの問題が起ったのであったなら、その方が不自然で不可解。
こんなに分かりやすい政・官・業の癒着的構図はそうそうないのだが、
実は国民は「かぎりなく黒」を前提に、それぞれの「危機管理能力」を見極めようとしているのではないかな、とも思う。

多くの国民はなにも清廉潔白な政治家を求めている訳ではなくて、
こういう問題が出た時に、
たとえ事実と違うことをいうにしても、
すぐに反証されるウソを言っていないか
大事な物証を隠すような愚かなマネはしていないか
記憶にないと逃げていないか
論理破綻をしていないか 
(証人喚問等の)飛び道具の使い方と出すタイミングを間違えていないか
(今回は)少なくとも籠池前理事長より正々堂々と見えるか  等々・・
自分のことではなくて火の粉をかぶった事案だったとしても、
どうディフェンスするかはその人の能力や人としての格が一番出るところでもあるから、その対処を見ながらそれぞれの力量を推し量っているのだと思う。

特にトップが絡んでいるから見逃せない。

まあ、少なくとも政治家についてはこんなときでなくて、選挙時に分かれば良いのだろうけど。
国会議員717人、都道府県議会議員定数2,675人市区町村議会議員定数30,490人(いずれも定数)・・約3万4000人の政治家の諸々を知ることは実際に難しいよな。

2017年3月26日 (日)

「黙る人 語る人」 ①

人は都合が悪くなると「黙る」。

もしくは’必要以上’に「語る」のどちらかであるということを、
森友問題を眺めながらつくづく思う。

特にこの前まで安倍昭恵氏との交遊をFB等で「誇らしげ」に発信していた人々の「沈黙」は薄気味悪い。
多かれ少なかれ安倍昭恵氏存在を後ろ盾に「そんたく」で依怙贔屓されることを望んでいた人たちは一定数いるということが読み取れてしまう。

安倍昭恵氏に限らず、著名になったり、なんらかのことで良い評判が立つと、自己肯定の道具に使おうという人が必ず出てくる。
以前にも指摘したように、最近は井手英策慶大教授、ちょっと遡れば坂本龍馬(笑)というふうに。
会ったこともないのに、そして著作も読んでいないと思うけど(笑)なんらかの接点を強調することによって、名前を挙げた人が長年培って来た信頼や人脈を自分のもとに引き寄せ、時に具体的な「実」を取ろうとさえする。

著名になる、ということは、親戚縁者や知り合いが増えるということともいうが、その中には単に無邪気な「ファン」的な人もいれば、上記のように何らか別の目的を持った邪悪な人もいる。

野生の王国、弱肉強食のサバンナで生きざるを得ない政治家であれば、その辺のさばきはまあ慣れている。腐った肉や泥水を飲んで多少でも痛い目を見た経験値に裏打ちされた「野生の勘」が働くのだ。

が、安倍昭恵氏はそうではなかった。
この間、某元総理とも話したが、具体的な邪悪をダイレクトに見る機会が多い政治家と政治家の妻とはその辺は全く違う。裏切りの現場の醜悪さ等々はプレイヤーとしての政治家は間近で見るが、妻他は基本伝聞。だからその辺の感覚や危機管理は政治家よりは当然薄くなると、妻と政治家との両方を経験してつくづく思う。

ま、それでも安倍昭恵氏が「普通の主婦」を強調するのはどうかなと思うが、
そうしたスクリーニングができない自分を見つめて、ということなのかもしれない。
だが、それなりに年月過ごして来ればセミプロなんだから、もうちょっとはわかるだろうよ、とは思う。
いや、別の意味での「野生の勘」・・・危険地帯に突っ込んで行ってしまう、と言うのはあったのかも。天性の。
だからこその5人体制。
その辺は総理含め、十分理解した上だったのだろうが、逆にさらに行動範囲は広がり、回りは大変、ということになったのかもしれない。

話を「黙る」に戻すと、さんざん利用しようとした対象が批判の的となった場合、どうするか。

過去の行動や、それをアピールするために書いたものは消せないから(いや、消している人もいるかもだが)、とりあえずフリーズ。動かない。
危険を察知したカメレオンのようにその場の環境に同化して、目立たないようにするのである。

ただ、見る人がみればわかるよね。
特に利用された側はしっかり見ていると思う。

あ、そうじゃないから・・この問題が起っているのか!

「語る」ほうについては、時間切れ。
これはのちほど。

今日も雨だけど、がんばるぜぃ!

2017年3月23日 (木)

完璧だったはずの「幕間対策」が崩れるまで

http://blog.fujitv.co.jp/goody/E20170323002.html
普段、テレビをほとんど見ないワタクシであるが、
今日はクギヅケだった。籠池氏、証人喚問にである。
参議院から衆議院に移る間、フジテレビのグッディを見た。
コメンテーターは時事通信の田崎史郎氏とフリージャーナリストの山口敬之氏。言わずと知れた「総理のお友だち」で、お二方ともこの証人喚問は籠池氏が完敗、というふうに持って行こうという意図がアリアリだった。
しかし・・普通はこのふたり、呼ばないよね?
カウンターが安藤優子さんと生稲晃子さん。あきらかにバランス悪い。
そんな中で、「 口利き依頼の返事で昭恵夫人側のFAXをグッディ!いち早く入手!」と、谷査恵子氏が発信したFAXを出して来た。1枚目だけ(笑)

で、
山口「昭恵さんの名前を使う場合は問い合わせをするんですけど、なぜかというと谷さんはずっとベタ付きしてますので、昭恵さんの後援の人だとかいうことは知ってるわけですね。こういう問い合わせをしてほしい、とか口利きをしてほしいっていうのは大量に来るので、どう処理するかっていうと、問い合わせは一般論的な問い合わせをした上で“最終的にこういう風に返しますけどいいですか?”って言った時に昭恵さんにこれでいいですか?というファックスを送り返す前に見せたそうです」

安藤「どういう感じなんですか?田﨑さん」

田﨑「官僚の書かれた文章だから非常に丁寧なんですよ。相手を気遣いながら断るべきとこは断ってるっていう文章ですよ。あと大事なのは籠池さんが昭恵夫人に連絡したのにその回答するものは秘書官にやってらっしゃる。だから昭恵さんは直接さわってないわけですよ。それがポイントなんです」

と、コメント。
2枚目FAXの予算措置のところを見ていたら、さすがにこうは言えない。
となると、昭恵氏、並びに谷氏は、自分の都合のよいところだけ官邸や山口氏に報告していたということなのだろうか?

さらに、山口氏は籠池氏は昭恵氏のごく最近まで携帯電話を知らないはず。留守番電話も固定電話に固定電話にかけたものではないか、と言っていたが、
証人喚問をうけての昭恵氏のコメントを見る限り、ここには反論していない。

グッディでは特ダネ!的な見出しだったが、逆にこれが残っていることで、ちと、間が抜けた感じ。
取材力が問われる結果となった。

さて、今日の証人喚問に挑むにあたっては、
自民党サイドは、質問者の西田参議院議員他、昭恵さんとも十分に打ち合わせをし、証拠も含めてしっかり固め理論武装。「幕間対策(ワイドショー)」も怠らず闘いを挑んだつもりだったが・・籠池氏がFAXの2枚目を読み上げた以降は「おいおい、たのむぜ、正直に言ってもらわないと!」と、総理サイド関係者はてんやわんやなのではないかと思う。

維新に至っては・・お気の毒感も。
下地衆議院議員、正直過ぎ(笑)

いずれにせよ、この緊迫する場面で、どのタマが飛んで来ても、それなりに短期間で打ち返す籠池氏の言葉の運動神経の発達ぶりと、その後、外国人記者クラブでの会見まで語りまくる体力には恐れ入る。

「事実は小説より奇なり」ですなあ。

2017年3月19日 (日)

万博と愛国〜 森友問題の縦軸と横軸を考える

二日連続で万博公園。
今日は西宮で名神高速に乗るはずが、話に夢中で見過ごし、「梅田新道」から「千里ニュータウンン」経由で。
昨日も書いたが、ワタクシは今回の森友問題は「縦軸」「横軸」があって、その視点で見ると、問題の所在がさらに際立ってみえると思っている。

「縦軸」は「歴史」だ。特に大阪、豊中という地の。

昨日も書いたが、伊丹空港も含む敗戦後のこの地のありようは、今、ワタクシたちが直面する問題の源泉として知っておかなければならないことだと思う。

たとえば「千里ニュータウン」。
この「千里」とはまさに「難波宮」からみて400キロ、ということだ。
その地にニュータウンを建設することの意味は、大阪のみならず日本全土にとって非常に大きかった。

この開発の主体は大阪府の企業局。大阪万博のために道路整備や建設が進み、そこには当然ながら用地買収等さまざま利権に近い所での取引がさまざまにあっただろうこと。
(企業庁関連で言えばワタクシが2000年代、兵庫県議時代に扱った芦屋浜が最後だろうが、当時、大阪企業局は時代的役割を終えて廃止へと。バブル崩壊後、全国的にも官が主導で開発をすることの限界が見えてたとも言える)

また「大阪万博」というのも、実に象徴的なキーワード。
つまり、こうした土地開発を含むさまざまな公共事業や規制は「大阪万博」をアリバイに行なわれて行ったということである。
関係ないものも含めて(笑)

たとえば大阪の大動脈・御堂筋。なんと6車線あるのに。
大阪のキタとミナミを結ぶ幹線道路堺筋、四つ橋筋、松屋町筋というはそれぞれ一方通行となっている。この理由は6400万人が集中した「大阪万博」だ。
終わってもこの一方通行は変わらず、今も続いている。ちなみにこの一方通行は姫路まで続いている(笑)

たぶん、万博も、行政が進めた開発事業も、その目的自体はよし。初期段階では利権・談合というわけでもなかったのだろうと思う。

ただ、そこでめざとくそこに寄生して益を得ようとするヨコシマな人々と政治家が道理を引っ込め、無理を通して行く。
その成功体験の積み重ね・・「大物政治家を知っている」「頼めばなんとかしてくれる」・・ちょっとずるをしても見逃され、逃げ果せたと言う成功体験が根拠のない万能感は、形を変えて今も残っているのだと思う。ほんの一部だと信じたいが。

こうした構造を支えてきたのは、政治家や行政が情報を独り占めにし、管理、コントロールできる環境があったからだ。
この数年で状況はがらりと変わって来ている。
ことが起れば、直接関わりがない人でも「調査」に参加でき、「記憶にない」過去や、門外不出とされた資料を探し出してくる。
当の本人より詳細に、すばやく。

話を「横軸」に移す。

「横軸」は登場する人物をつなげる共通の「インタレスト」である。
今回の場合は「思想的思惑」だろう。
今までだったら、それは「金」だったろうが、今回の場合はそうではなかった。
その右系につらなった「絆」は世間が思っていたほど強固ではなかった(笑)
あくまで「イメージ」なので恐縮だが、教育勅語を毎日唱和したり、ぼろぼろになるまで読んでいる方は、
同じ理想のため愛国に誠を捧げる人に何か問題が起ったら、真っ先に駆けつけ、影に日向に支えるはず。
が、保身に始終し「記憶にない」ととぼけたり、他言無用を言われたのにあっさり公表しちゃったりって、一体。

そうかー。
ここで気がつくのである。

実はこの「インタレスト」、そもそも「愛国」でつながったものでもなかったのかも。
つまりはある人は「保身」、ある人は「補助金」「許認可」(学校経営要件)、ある人は「票」、ある人は「金」・・・。

「愛国」印がつくと、ないときよりずっと強固なコネができたり、感謝状がきたり、実感できる具体的なメリットがたくさんあったと思う。表向きはそれでいっちゃいまひょ、というのが真相かも、とも。

最初から、バラバラだったんだよね、ホントは。

・・マジ、これでも一冊書けますな(笑)

森友学園 振込のワケ

森友学園についてのアゴラの池田信夫氏の論評を読む。

http://agora-web.jp/archives/2025031.html?utm_content=buffer88018&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer
「自作自演」の可能性はないわけではないだろうが、
この指摘は的を外しているかな、と思う。

政治家が名前を出してほしくない寄付金を振り込むわけないよね(笑)

たとえば、相手が政治家か一般人かに限らず、政治家はパーティ券や寄付のお金を現金で受けとることがある。(パーティでの当日払い等)
その際はその全額を自らの政治団体等の銀行口座に入金し、あとから鉛筆他で誰からの入金かを明記する、ということをやる。
まさにこの記事に書かれた「自らの口座に自ら入金」せざるを得ない状況はままあるのだ。

こうした「足跡」を残しておくことは、献金他をして下さった方への礼儀でもあり、また後々お金と合わなくなったり面倒を避けるための自己防衛でもあるんだけど、。
入金した後は、領収証を発行して送付。(パーティの場合はその場で、受けとった金額を書いた領収書を書いて渡す。そうそう・・空欄領収書ってのもありましたねー)
そして政治献金の場合は最後、毎年1月〜2月、確定申告時に合わせて寄付金控除の書類を郵送して手続きコンプリート、という形だ。

むしろ、ワタクシが疑問に思っていることのひとつはなぜ郵便振込?である。
森友学園は銀行口座を持っていなかったのか?という素朴な疑問はさておいて、
寄付金については基本、ゆうちょ銀行の口座で管理するよう統一していたということなんだろう。
だからこそ、この振込票にこだわった。
そもそも、名前を出せない10万円以上の寄付金など、そうそう多くなかったからこそ、手続きに慣れておらず、修正テープの登場となった。

自分の口座に振り込むのだったら、銀行振込で振込名義人の名前を変えて入金した方が楽チンだよん、とお教えしたい気持ちを抑えつつ、
そう、こうして「わざわざ振り込んだ」という行為をもっても、この9月7日の振込は森友学園にとっても「特別」なことだった、ということではないかな、と思う。

2017年3月18日 (土)

瑞穂の国の磁場

万博公園に用事があり、帰り道にある「瑞穂の国記念小学院」に寄った。

驚いた。
隣の公園との価格差もさることながら、大阪音楽大学との距離にも!想像していたよりずっと近い。
なるほど、このスケール感の中で、様々な思惑が交差していたのか。

ゴーーー ゴーーー
数分に一度、大きな唸り声が空から振って来る。
見上げれば飛行機が小学院のほんの上を飛んで行く。

さて、米軍伊丹基地が返還されて伊丹空港になったのは何年のことだったのだろうかと思いながら、渋滞する高速道路に入るまでの道を行く。

日本初の高速道路名神道、大型飲食店、パチンコ屋、合間合間にラブホテル。
吹田と隣接する千里ニュータウンもある。
この日本最初の大規模ニュータウン開発は、新しい住宅政策を進めるために作られた法律を初めて運用していくという全国に先駆けての試みだった。土地買収等も先導したのは大阪府の企業局だ。(地方議員経験者は企業局・企業庁というとあるアンテナが立つはず!)

さて、このタイミングでなぜこの地が注目を浴びるか。

戦後日本が進んで行く中で、時に理不尽だと思っても切り捨てて来たこと、
もしくはコネや口利きでうまいこと成り上がってきた人々、その蓄積で下駄を履いたまま生きて来た人々がの魑魅魍魎が渦巻いて強力な「磁場」を作り上げているとも思えてくる。

2017年3月17日 (金)

「領収書はいらない」のワケ

日替わりで、濃いキャラクターが次々登場。攻守、敵味方が入り乱れて、下手なドラマよりも人間模様から国有地の売買の手順をはじめ政治の仕組みまで解説してくれるわけだから、興味を引かないわけがない。

さて、安倍首相が夫人を通じて「寄付」をしたという100万円。この件に関しての「真実」はわからないが、
ひとつ思うのは、もしワタクシが籠池さんだったら・・そのお金が入っていたご祝儀袋(もしくは茶封筒?銀行の封筒)は大事に取っておくよね。
だって尊敬する方からいただいたんだもん。もしかすると、帯も取っておくかも。
それこそ一度は神棚にあげているのでは?
もしそれが出てきたら・・・と考えたら、本当に出していたなら結構ビクビクもの。
だだ、選挙区外での寄付行為になると一般的な議員の場合は違反に問われない。
党の代表が行なった場合は、また別なのかもしれないけれども。

また、講演料として用意されたものを辞退して、それを寄付に、という形になるならば、

少なくとも講演料の領収書を書いていなければ、寄付は成立しないから、その場合もセーフ。ご祝儀袋も帯等の物証ももちろんない。

さて、一般論としてだが、
政治の世界では後援者に対するこうした行為は「ある得ること」「ないことではない」というのが、さまざま見聞きする中での想像だ。
ワタクシはやったことはないので、あくまで「推定」である。(コンプライアンス担当の税理士が事務所に毎日来るのは、全国広しといえどもうちだけか?笑)

さて「領収書がいらない」というのは、当然ながらそれが表に出るとまずいからである。
人間関係を人に知られたくないとか、
同じようなことでお金を出しているが、人によって金額が違えていることを知られたくないとか(笑)さまざまな理由があるだろうが、ま、そもそもはそのお金の出所のところから「領収書はいらない」のかも。
なので、そうしたお金がグルグルと回って行くことになる。
いろいろ遡って行くと、思わぬ鉱脈にあたることも考えられる。

蛇足だが。
選挙の際の「陣中見舞い」は慶事等の儀礼の範囲ではないので、候補者本人と政治資金管理団体が受けとったらこれは「政治献金」として計上せねばならなく、まただからこそ寄付控除の対象となるのだが、政治家本人が「領収書はいらない」とか、秘書や夫人が代理としてやってきて「これ、代議士からです。領収書はいりません」と言う場合がある。
そんなとき・・さあ、どうするか。
まさに受けとる側のコンプライアンスも問われるのだが、
まっとうな人は
①領収書を出して受けとるか
②断るか
のどっちかだが、
実は
③受けとって、計上しない つまりは「ごっつぁんです」
という人も結構いる・・ような。
そして、もうひとつ
④領収書は出さないが、お金は受け取り、受けとった側が寄付として計上
パターンがある。
寄付者の名前をごまかしたりなんてこともあるのかもしれない。
まあ、寄付金控除を受けようとする人については税務署も今年からはマイナンバーで追うことができるのだが、政治団体や政党はそもそも非課税だから税務署も関係ないし、今回の件もそうだけど、表に出ないお金からとなったらそもそも最初から迷宮内。

ただ・・・関わった人たちが裏切りや濡れ衣を着せられることを嫌って、真実を話しだしたら・・一気にいろいろ動く可能性もある。
リクルートもロッキードも・・と考えると、こうしたことが「意外な展開」となって、現実の政治と政治史を変えて行くかもしれない。

2017年3月15日 (水)

「匿名」コメントの意味

かつて森友学園の代理人として裁判所に出廷したこと等に関する稲田氏関連の報道をみながら、気になったのは朝日新聞記事中の法曹関係者のコメント欄だった。中身ではない。

なぜ、匿名?なのかというところ。
コメントする側の何かを守らなければならない必然性があるとも思えないが。
裁判官の場合はそれもアリだろうが、現職にこだわる意味はよーわからん。

取材を受けたり、その仲立ちをすることも多いが、
個人が特定されたりすることを避けたい場合でも、テレビ・新聞に出る時は原則「顔出し」「声そのまま」が求められる。断っても相当粘られる。
書き手のが分からするとそれはわからない話ではない。
記事が恣意的に作られたものではないことへの担保と言う意味でも大事なことでもある。
プライバシーやその後の影響も考えた上で判断をしていくことになるが、今回の記事のような場面での匿名には「もやもや」が残る。

まあ、「書面の内容を全く知らないことはよくある」などを名前出して言ったら、クライアントからの信頼なくすだろうことは必至だろうから「名前は勘弁」で、その基準に他のコメントの表記も「匿名」に統一したのだろうが。

加えて言えば、「よくある」「ありうる」というコメントを載せる場合、

当然だが「この裁判で」という裏取りをして記事にしているんだろうと考えるが・・・ん?もし、それをしていなかったら、いくら相手が言った言葉でも記事にしてはダメだよね。

「匿名」を、形式的に「両論併記」をするための苦肉の策にしてしまってはいけない思う。

モノを書く者としての自戒を込めて。

そして・・

今回の稲田氏の件は、もはや一般論で語る域ではないことは明らかだと思う。

以下、記事一部引用
 ■出廷しても「記憶ない」 弁護士ら「ありうるが…」
大阪のある弁護士は「準備書面に名前が記載されていても、メインの弁護士でなければ、書面の内容を全く知らないことはよくある」と話す。民事裁判においては、複数の弁護士が連名で受任することが珍しくないからだ。出廷についても、民事訴訟ではあらかじめ提出した訴状について一言述べるだけのケースも多く、ある民事裁判官は記憶に残らないことは「ありうる」と話す。
 ただ、日弁連の役員経験がある弁護士は「出廷したのであれば、真摯(しんし)に記憶を呼び起こすべきだ。『関係を断っている』というのは、相手と距離を置きたくて答えたように思える」と指摘した。

2017年3月12日 (日)

2017年民進党定期大会 

https://www.youtube.com/watch?v=fE0jOpOA9IU
2017年民進党定期大会が行なわれた。
来賓のご挨拶は心に響くものだった。

特に慶應大学の井手英策先生のスピーチは「叫び」でもあった。会場の誰もが「打たれた」と思う。

井手先生の今日の言葉を最も必要としていたのは、
選挙を目前に控えて種々の甘い誘惑や、落選の恐怖にも負けずに、党に留まり、党の政策を掲げて果敢に挑む都議候補予定者だったのではないかと思う。
もしくは、さまざまな事情で離党をしていった仲間たちなのではないかとも思う。

彼ら、彼女たちと、このスピーチを一緒に聞けたら、どんなに良かっただろうか。

せめて、このYouTubeを見てもらえれば。

がんばろう。

薄っぺらな政治家なんて、誰も求めていないんだから。

2017年3月10日 (金)

「言ってはいけない」が求められるワケ

作家の橘玲さんとお会いした。
橘さんは言わずもがな、経済小説を手がけ近著「言ってはいけない 残酷すぎる真実」は30万部を超える大ヒット。「新書大賞2017」を受賞したベストセラー作家だ。

著作を拝読するに、ミステリアスな雰囲気もあり、もしかしたら藤子不二雄のように複合体かも?とか、実は女子だったり?等々、待ち合わせの喫茶店でドキドキしっぱなしだったのだが、登場されたご本人はとても穏やかで素敵なジェントルマン。終始うっとり。

初対面なのに語りまくり。
気がついたら日は暮れ、外に出て時計をみたら出会いの瞬間からノンストップで3時間20分語り倒していた・・。
ええ「言ってはいけない」ことばかりを、翌朝、咽が痛くて目覚めるほどに(笑)

浅学非才なワタクシとはどうみても接点はなさそうだが・・実は「日本」や「日本人」はじめ、様々なところで問題意識を共有していることを確認!
蓮舫氏の二重国籍問題に対する模範解答等も秀逸。
重婚や国籍問題を扱った小説「ダブルマリッジ」で「銀河鉄道の夜」を引用した理由も聞けて、読者&ファンとしても、本当に濃い時間だった。

しかし、なぜ「言ってはいけない 残酷すぎる真実」はこれだけ多くの日本人に求められたのだろうか?

「残酷な真実」ではない。「残酷すぎる真実」だ。

多くの人は、その事実に既に気がついている。

が、政治も社会もそれをコーティングして、薄っぺらなキレイゴトとしてお茶を濁そうとしている。

どんな立ち位置に居ようと、生きて行くためには徹底的な自己保身に走らざるを得ないからこそ、うんざりするダブルスタンダードがまかり通る。

「ハダカの王様」の統治秩序のなかにいることはわかっている。

ただ、今この瞬間無難に生きて行くためには受け入れざるを得ない。でも、未来永劫この虚構がそのまま続くとは思っていない。

「王様はハダカだ!」と叫びたい欲求を誰もが持っているとも言える。

こうした危うく脆い社会を下支えするファンタジーをファンタジーたるものに留めることのひとつが「戸籍」である。ということを橘さんは「ダブルマリッジ」であぶり出すことに成功している。

つまり「戸籍制度」を守るためには「重婚」も認めちゃいましょうよ、というような倒錯が堂々と行なわれている。

今後、どう展開して行くかも含めて、様々な示唆をいただいた。

「言ってはいけない」を「いい続ける」。

一番大事なことだ。

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