2017年7月14日 (金)

先祖崇拝と「戸籍ファンタジー」

今回の一連の「戸籍公開」に関する反応を見てみると、
ワタクシの周りには戸籍が部落差別の元となってきた歴史的な見地で発言する人が多かった。

多分、「戸籍」と言って、一般の人も含めてこれだけ多くの人が発信したのは、最近では珍しいことだと思う。

現に、1980年代後半以降、戸籍関連のめぼしい論文や著作は「ぱたり」と、それこそ音が聞こえる程の勢いで止まる。
それには「ワケ」があるのだ。

ひとつは1970年以降の約30年に渡る戸籍行政の変化とコンピュータ化である。
まず同年、「華族」「士族」「平民」「新平民」など差別的身分事項が記載されていた「壬申戸籍」の公開を禁止し、76年には除籍現戸籍の閲覧も禁止。翌年には同和対策除籍等適正化事業として、除籍現戸籍の抹差別的内容を抹消するに至る。
94年からは「戸籍」の電算化が始まり、と同時に「バツイチ」等の語源ともなった離婚をしたら手書きでバッテンを付けると言った記載から、そうしたことも戸籍をとっても、原戸籍を取らないとわからないといった形に変わる。
うちの子どもはさんざん苦労して、裁判の末に出生届を提出するに至ったので、戸籍に裁判記録が書かれているのはある意味名誉であると思っていたのに、あっさりなくなっていて驚いた。

もうひとつは「バブル」である。
「お嬢様ブーム」が起ったのは1986年前後である。それまでは「女子大生ブーム」が深化した形で起る。つまり、単なる「女子大生」ではなく、そこに「良家の子女」という付加価値がつく。このブームにはダイアナ妃の来日や浩宮のお妃選び等も影響した。
「三高」なる言葉も生まれ、自分が上位階層であることを強調することが、良い結婚、引いては安定した生活を得られる第一の条件として捉えられるようになる。
が、当然だが、そんな人ばかりではない(笑)
そこで登場するのが、出自にまつわるファンタジーである。
「昔は駅まで全部我が家の敷地」と言う人の、なんと多いことか(笑)
戸籍を開示することもなくなったので、なんとでも言える。
3、4代前までくくれば、大抵ひとりぐらいは立派な人もいるはずだ。
そこによって生きる方が、楽と言えば楽でもある。
あるタレントの経歴に「実家は14代続く、由緒正しき農家」とあって、
自分や自分の信じる人の価値をあげるために、親や祖父母の威光があるであろう二世、三世の政治家は否定するが「前川前文部科学省事務次官の祖父は和敬塾創始者→だから前川さんも立派な人」的な記事はバンバンシェアする、という自己矛盾を抱える言動となって現れてくるのだが。

こうした、「戸籍ファンタジー」を下支えする「ホントは名家」という自己演出ツールは、自分を鼓舞したり、肯定し、がんばるモチベーションをあげるためには良い面もある。
実際に物理的は出自で得をしている人もいるのだから、多少デフォルメされていたとしても問題とはならないだろう。
どこの地域に、どの時代に、誰を親として生まれるか、などというのは、自分の意志や努力でどうしようもない。
どんなにキレイゴトを言っても、「運」とか「巡り合わせ」という、実際には越えられない不平等の枠を崩すためには大事なことでもあると思う。
「運」や「巡り合わせ」といった時に理不尽な要因を吹き飛ばすためには思い込みも必要な場合もあるだろう。

しかし、一方で、それが持つ危険性を「戸籍」と向き合う中では痛感もしている。
つまりは「戸籍」によって、人の価値や優越を判断することに対して是とする人々と同じ土俵に陥る危うさがそこにあるのである。

かくいうワタクシも、「戸籍ファンタジー」の中で育てられて来た。
「長町まで仙台駅もぜーんぶうちだった。不在地主で取られて、ああ、あのままだったら今頃・・。記録見たらわかるから。ああ、残念、戦争で全部焼けてて・・」(by母)

いやいや、お母さん、そりゃ、大げさではないのか。
記録は、もちろんない(笑)
そのまま信じることは史学科卒業のワタクシとしてはできんわ。
知性が許さない(笑)

先祖を敬うことと「戸籍ファンタジー」に頼って生きることは全く違うことである。

いずれにせよ、1990年以降、その危うさに対しての警鐘が止んだことと、近年の右傾化は無縁のものではないと思う。

2017年7月13日 (木)

「明治的支配」と「戸籍」

次の著書、チラ見せ

第6章 「戸籍」がなくなる日
1 「明治的支配」と「戸籍」

(前略)

 明治政府は「戸籍」については単なる登録制度だけではない働きを期待した。
 つまりは日本が近代国家として進んで行く上で、国民に対して精神性や道徳性の規範を植え付けるものとして価値付けされているのである。帝国主義を広げて行く手段としても使われ、「戸籍」は植民地政策としても「同化」を求める術もしくは「排除」「差別」を具現化し見せつける道具としての性格を併せ持つようになった。

 「戸籍と国籍の近現代史」(明石書店)で遠藤正敬氏は「戸籍」と「国家」の関係を捉えつつ、こう述べている。

 「戸籍は古代国家による人民動員と治安維持の為の身分登録制度として発祥したものであり、元来は倫理的規範と無関係な存在であった。だが、近代国家は国民に対して、社会資本の整備や生活手段の充足と言った物質的分野のみならず、倫理・教育・宗教・風俗といった精神的分野への介入を当然とするに至った。(中略)
 近代日本社会では戸籍法が『国民』や『家族』をめぐるある種の道徳というべきものを生み出してきた。その積年の効果として『日本人』であるならば必ず戸籍をもっているとか、どこの『籍』にも入っていないのは普通ではないというような、戸籍をめぐる集合意識ができあがっている。」
 「戸籍に管理されることが『日本人』としての地位を保障し、ひいては日本社会の秩序であるという意識が根付いていることは否定できないであろう。」

 「戸籍」があることは自らの存在価値を保障するものであり、脈々と続く祖先とのつながりをたどる貴重な資料でもあり、自らの存在の「正統性」を示すもの———。「戸籍」に抱く信仰にすら近い過度とも言える信頼性は、それがもたらす安心感と無縁ではない。

 「戸籍」という制度が「明治的価値観」の植え付けであったことを、「育児の百科」(岩浪書店)の著者松田道雄も指摘をしている。
 育児書を書く医師が「戸籍」の役割やあり方、つまりはそこに「人として」の基本的人権等、民主主義の原点を見ながらであることを鑑みると、戦前、戦後を生き抜いて来た者たちにとって「子育て」という行為が、いかに国家的哲学を享有し、また親も子も、また社会にとって以下に重要であると捉えていたかということもわかる。
 松田道雄は「育児」や「教育」にかかわる多くの著作を残したが、一方でロシア革命や明治維新に関する著作も多く、特に明治維新、その後の明治政府の成り立ちや社会制度の構築関して優れた論説を残している。明治政府については井上毅がその中心だった旨を丁寧に示している。「教育勅語」という型を作り、それに人々をはめ「道徳の自主性」を阻むことこそが、富国強兵の基礎作りであり、明治政府にとって最も大事なことだったと言うことを指摘をしている。
 「道徳の強要」は、国が自国民を排除するという「無戸籍」への考え方ともつながって来る。「国民の外」という概念は、単なる登録制度としての「戸籍」に別の意味を持たせてきたことを端的に表しているのである。
「戸籍」は厳格性と正確性を以てひとりこぼさずその存在を把握してこそこそ、国民を治め、国家の維持装置としての役割を果たせるはず。しかし、そうした前提よりも、逆に「はじかれる存在」を作ることによって、さらに「戸籍意識」を滲透させる効用を持っていることを、皮肉にも、はじかれた側である無戸籍当事者や外国籍者、その家族の「戸籍」へのこだわりを見るにことができる。
 そして、その先にあるのはナショナリズムであることを松田氏は指摘するのだ。

・・ってことで、松田道雄先生の足跡を辿り、編集者さんたちとサンクトペテルブルグに来ています😭

いろいろトラブル続きなのだが・・がんばるぞう!!

2017年7月12日 (水)

蓮舫代表の戸籍提示と「戸籍意識」

 民進党の蓮舫代表が、自身の二重国籍問題の説明不足を補足するために、近々戸籍を提示して説明をするとの報道があった。

 丁度、秋に出版予定の戸籍に関する新著の執筆中でもあり、蓮舫氏の決断に対しての各所からの反応を興味深くみている。

 「自分が誰か」をどう証明するか。日本では「個人記録管理」の意識が低いため、例えば国籍と言った個人のアイデンティに関わる問題でも、その手続きについて個人で記録を残しておく人はごく少数であろう。(『個人が行う記録管理 : 東日本大震災からの教訓』 2016年 小形美樹)


 蓮舫氏もそうであった。だからこそ「記憶」に頼らざるを得なくなる。二転三転する説明は、個人ばかりか、代表をつとめる民進党への信頼度・支持とも関連し、選挙の結果や今後の政局とも絡んでくると見られている。個人所有の記録や記憶だけではその説明や疑念の払拭にまで至らなかったからこそ、指摘されるような「戸籍提示への圧力」もさることながら、真摯に対応しようと思えば公的書類・戸籍に頼らざるを得なくなったというのが実際のところなのだろうと思う。

 「戸籍を開示すべき」という人々の中には、「戸籍こそが日本人としての正統性の証」「戸籍がなければ日本人にはあらず」と思っている人もいるだろうが、実際にはそうとも言えない。
 戸籍のバグに関して言えば、近年では「幽霊老人」や「無戸籍問題」等、戸籍の杜撰な管理が社会問題化もしている。グローバル化他にも対応できておらず、この二重国籍問題や、重婚が可能であることも含めて、「戸籍制度」はかなりの問題を抱えているのだ。

 戸籍はコンピュータ化されたこと、また公開範囲が限定的になったこともあり、表面に出てくる情報は以前に比べて拍子抜けするぐらい少なくなっている。

 「全ての日本人は事実に基づき戸籍に登録され、厳格に管理されている」と信じて疑わない人々は、ぜひこの機会に「戸籍制度」の歴史と、現在の運用実態について見ていただけたらと思う。


 「蓮舫氏は戸籍を開示すべきでない」と主張する人々が背景として語る「差別意識」に関しては、その「恐れ」を持つについては必要なことと認めながらも、「過剰」になることによって逆に戸籍に実力以上の権威を与えてしまっているのではないか、との危惧もある。戸籍を開示すべきでないという人々の中にもいわゆる「戸籍意識」=「戸籍ファンタジー」に捕われている現実を見て、若干の驚きを持ったのも正直なところだ。


 以前にも書いたが、この問題は差別というよりは、コンプライアンスに関しての説明が曖昧で、証拠も不十分だったことによって生じ、拡大した問題であると思う。(台湾との戸籍問題についてや差別についての問題提起とその解決こそ、蓮舫代表に期待したところでもあるのだが)

  冒頭の論文でも取りあげられているが、「記録すること」の目的のひとつは「説明責任」を果たすこと、である。
 蓮舫代表がどのような説明をするのか、またその際、「記憶」の補助資料としての公的書類である戸籍がどの程度の役割を果たすのか、もしくは戸籍を提示することにより別の効果が生じるのか否かも含めて、注目したい。

  なお、各種選挙の候補者となる時には戸籍謄本もしくは抄本の提出が求められる。過去の資料がどう保管されているのかはわからないが、少なくとも立候補時においては第三者の目が入っているということも、つけ加えておく。

2017年7月 6日 (木)

歴史は繰り返す〜新進党結成と解党にみる都民ファースト

なるほど「歴史は繰り返す」と新進党結成時のメンバーを見ながら思う。

小沢一郎氏以外、公明党、小池百合子氏・・現民進党の中で名前が取り沙汰される人々(旧日本新党系)や自民党の石破茂氏、松沢成文氏まで(笑)ほぼ相似形・・って、ある意味納得である。


この時に合流しなかった(はじかれた面も多分にアリ、か)社会党や新党さきがけ系の人々は、今回もこの動きには乗っていない。


新進党の歴史を振り返ってみると、
1994年12月に結党、翌年の参議院選挙では40議席を獲得するものの、議員や親族の不祥事が続く。党運営をめぐって小沢一郎氏と対立した新井将敬氏、船田元氏、石破茂氏等離党者も出る中で行なわれた初の小選挙区での衆議院選挙は、新進党、民主党と野党票が割れたことによって現有議席を割り込み、結果的に自民党に勝利するとができなかった。
結党3年目となる1997年の東京都議選挙では11人の公認候補全員が落選し、年末には解党ということになる。

さて、再び政局のプレイヤーとなった人々はこの20年の間に蓄積したさまざまな経験や思いを、どう発露していくのであろうか。

ファーストペンギン小池百合子氏のあとをすぐさま追う者、ちょっと様子見の者、群れから外れながらも次のチャンスを淡々と狙う者等、距離を置いて淡々と自分の足腰を鍛える者・・。

有権者は選挙期間よりずっとわかりやすい政治家の姿をそこに見ることができるはずだ。

2017年7月 5日 (水)

落選中の「大学教授」

議員というのは「大学教授」の肩書きが好きである。
それが「特任」であろうが「客員」であろうが、なんでも構わない。
落選したらなおのこと。
国会議員の厳つい「肩書き」がなくなり「タダの人」となることが極端に怖い。
だからこそ、落選で全面否定された政治家には、ちょっと賢く見える効果もある「大学教授」はおあつらえ向きの代替肩書き、なのだ。

実は、落選国会議員を受け入れ、大した授業をしなくても「教授」にしてくれる大学は他にも存在する、と言われる。

まあ、大学だけでなく、落選した元議員の面倒を見てくれる企業は他にもあるのはご承知の通りだ。
企業は与野党関係なく、受け入れる太っ腹ぶり。
2009年、民進党の政権交代時に下野した自民党の落選者の行き先を見ればあれれ?と思うはずだ。

話を大学に戻す。
ワタクシも落選後に大学の非常勤講師を2つしているが、ひとつは国立大学だったので、非常勤講師ですら経歴書の内容等々、何度か書き直しを・・😭
「元衆議院議員」なんてアカデミックな世界ではマイナスのレッテルを貼られることはあっても、プラスはないことを実感。

まあ、本人が専門分野を持っていて、十分な知見もあり、もっと言えば学位も取っている人は別だ。
そうではなくて、ただ単に落選中が大変だろうから、と、見合った働きがないのに定期的な給与保障となると、それは広義の意味での便宜供与・形を変えた献金と見られても仕方ないのではないか。

彼らが、どんな授業をしていたのか、見てみたい。聴いてみたいぞ。

2017年7月 4日 (火)

窮鼠が噛んだ東西猫

「4匹の鼠」というお題で夫が東京都議選と兵庫県知事選について書いていた。
ま、ワタクシだったら「窮鼠が噛んだ東西猫」とかするかな(笑)
都知事選挙で小池さんを公認しなかった時点で、見えていたとも言えるのだ。

以下、引用。

 東京都議選と兵庫県知事選が終わったので、感想を少々。

 まずお断りしておくが、当方は大阪維新とかと同様、「都民ファースト」のような急増集団になど、ほんの1ミリの期待も抱いていない。

 自民党支持者でもないが、森喜朗さんが「遺書」に書かれていたように、本当にそんな人たちで五輪は成功するのかなあ?、と・・・正直そっちの方を大変心配している。

 だが、さはさりとて。

ファーストが圧勝できた理由にはそれなりのものがある。

 総論から言えば、それが人々の怒りや不満の唯一の受け皿に「見えた」ということだろう。

 小池さんの手法は小泉さんの劇場政治+橋下維新。

 一斉に同一方向になびいてしまうA型国民の習性や、勝ちそうな方になびく謀反議員の姿など、まさにどこかで何度も見たような光景が今回も繰り返された。

 各論的には、そもそもここに至った最大の原因は、小池さんの「居場所」をなくした自民党都連内の問題。

 さらに選挙的に大きかったのは、自民との訣別を決断「せざるを得なくなった」公明党都議連の判断だろう。

 そうした個人や組織の事情、また特定の宗教団体が民主主義に多大過ぎる影響を与えている現状には全く感心しないが・・・事態をもたらした要素としては、彼らが連携を果たしてしまったという点が恐らく最大のものになる。

 で、これを(やった方から)言い換えれば、まさに「窮鼠猫を噛む」の世界。

 事の発端がそういった不徳・不義理ものである限り、いずれにせよ自民党都連幹部の責任問題は避けられない。

 さて、そんなことを思いつつ、傍観してたら・・・事態を決定づけるべく、そこに3匹目の鼠が現れた。

 言うまでもなく選挙最終日、籠池氏の秋葉原出現である。

 誰のアイデアかは知らないが、全てを奪われ、「ほんとに百万円持っている」ことも証明せざるを得ない立場にあった(笑)籠池氏は・・・わざわざ大阪から駆けつけそれに乗った。

 結局、本来はバラバラに我慢・消滅する運命にあった彼らが偶然「3本の矢」となり、自民党に噛みつく展開。

 大詰めでの総理の対応、籠池氏への若者たちの呼応、そしてそれを排除する官憲・・・(深層心理的には)共謀罪の発動のようなことを想起させる映像が(ネット含めて)新たな「劇場」を構成し、(どちらに入れたくないかという)投票行動を大きく左右する、ダメ押し打となった。

 一方、兵庫では5選!目指す現職知事に勝谷さん、共産と元加西市長が挑んだ。

 勝谷さんが選挙を闘っている姿は一度も見かけることはなく、ポスター(知事選ともなると組織がない候補には超大変!)とかもなかなか貼り切れなかった感じもあって。

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(選挙二日目のご近所の掲示板)

 正直、この人ふざけてるのかなぁ?

 これじゃ惨敗だろ?

 メディアもない兵庫で青島やノックの真似されてもなぁ・・・と、少なくとも自分は思っていた。

 が、蓋を開けてみると。

 ・・・当方がよく知る神戸市東灘区では1200票差。灘区では1750票差。中央区(ここまでがいわゆる衆議院兵庫1区)にいたってはたったの250票差。お隣の芦屋市でも1150票差で、(勝谷氏の出身地である)尼崎に至っては現職を上回る得票を得るなど、歴代の対立候補にはない特大善戦となった。

 勝谷さんごめん・・・(もちろん自分は「そこまで言って委員会」もサンテレビも時々見ているが)あんたそんなに有名人だったとは!

 結局、現職:勝谷氏+共産+元・加西市長=94万票:90万票。

 現職は神戸や阪神間で僅差もしくは批判票(の合計)の方が上回る中、勝谷ていったい誰?って人ばっかりの(?)、あるいは勝谷氏がポスターすら貼れなかった(?)田舎で差をつけただけで、まさに薄氷を踏む勝利となった。

 投票率40%。

 勝谷氏が県民の不満やモヤモヤに対し、都民ファーストのようなある意味とても「わかりやすい」受け皿になれたかどうかはだいぶ怪しい。

 が・・・今回の結果を見て、「こんなだったら自分も選挙行っとけばよかった!」と思っている「浮動票の持ち主」はたくさんいるに違いない。

 勝谷氏に評論家やタレントとしてどういう未来があったかは知らず、ある意味、彼も東の人たちとは違った意味で「窮鼠」だったのかも知れないが・・・もし週末にもう1回選挙があったら(あるいは少なくとも選挙地域を考え直すだけのことで)勝てる可能性は大いにある。

 例えば氏は多分、次の神戸市長選などへの手ごたえをがっちり掴んでいるに違いない。

 初めからそういう作戦だったなら、なかなか天晴れである。

一人区なるもの

都議選におけて「勝利をする」ということは、一人区を軒並み取る、ということとほぼ同義語だ。
今回、島嶼部を除いて、自民党が全て議席を失った、
が。都民ファーストがなぜ一人区を独占したかと言えば、それは言わずもがな、公明党の基礎票があったからに他ならない。
つまりは小選挙区において公明抜きの自民党の足腰がいかに弱いかと言うのを可視化したとも言える。
国政選挙はいつあるかわからない。公明党と組んだ都民ファーストが国民ファースト的な政党となり選挙にできてたらそれは強いであろう。
が。ことはそう単純化されない・・であろうところが、
学問でも、ビジネスでもない、ラグビーボール的政治の世界の摩訶不思議というところでもあるのだ。

2017年6月15日 (木)

共謀罪こそ国民の信を問うべき!

「共謀罪」に賛成をした議員は、
よもや自分が対象になることがあるとは、考えも及ばないのだろう。
未来永劫、今の権力の延長上で生きていけると思っている。もしくは違う勢力が権力を握った時には、
そんな暴挙を起こさないと、反対運動を見て逆に安心してしているのかもしれない。

共謀罪こそ国民の信を問うべき!

この間成立した悪法は全て廃案。

選挙しかないね。
早期の解散・総選挙を心から望む。

2017年6月14日 (水)

正倉院にみる日本の伝統文書管理術

「奈良は漢文、京都は古文の世界なんですよね」
友人の名言を思い出しながら、「正倉院文書の世界」を捲る。
朱印も鮮やかに701年の戸籍が残っているって・・す、すごい。
当時は30年保管だったと言うが、紙は貴重品で、廃棄分に関しては裏を再利用して別の文書を記載。
往来軸でしっかりカテゴライズ。いやはや、文書管理術って、その頃から変わっていないんだね伝統ですわな。



・・まあ、これを見ても、文科省の文書が残っていないはずないわな(笑)
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2017年6月 5日 (月)

「行列のできる法律相談所」 当事者が放送後に決断したこと

昨日「行列のできる法律相談所」で無戸籍問題が取り上げられ、
支援してきた男性(38歳)がインタビューに応じてくれました。
番組を見ていた知り合いから「もしかして?」と連絡が来て、
彼は自分の過去を皆に伝えて行くことを決意をします。
この言葉が届くことを祈りながら、シェアします。

***********

カミングアウト。

おれの闇。
おれの苦悩。


皆とおなじように就職したり、免許証とって車かったり、結婚したり、普通の人生を歩んでいきたかった。


保険証からなにから身分証となるものは一つもなし。
銀行口座や携帯、ビデオ屋のカード、ありとあらゆるものがつくれない。
病院費ももちろん100パーセント実費。


そんなの大した問題じゃない、とかいってくれた世間知らずもいたり、対人関係でもなかなか理解されずこれのせいで鬱にもなった…


今から第2の人生、失われた時はもどらないけど、やり残して来た事を少しづつ、今からチャレンジしていこうと思う。

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