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2014年3月

2014年3月20日 (木)

『かもしれない』という目線

「一度も顔を見たことのない相手に子どもを預けるなんて信じられない。親の責任だ。事件は起こるべくして起こった」
ベビーシッター事件に関連して、こうした意見も多い。
(待機児童の問題とも絡ませての問題提起も多いのだが、そこはあまりリンクしないと思っている)
しかしいずれにせよ気になるのは「発言主の目線」なのである。
前提には「自分(や妻・夫他家族)はそうはしない」というのがある。自信満々なのだ。
だが、だ。
ワタクシはそういう発言をしている方々のパートナーさんたちも百貨店の乳幼児一時預かりやホテルのベビールームを利用していることを知っている。
意識しているかしていないか,気がついているか、否かはわからないが、意外に多くの人が今日会ったばかりの「顔も見たこともない相手に人に子どもを預けるなんて信じられない」ことをしているのである。
人を責めることは簡単だ。
しかし「自分もその当事者足りうる『かもしれない』という目線」があるなしで「ことの本質」の見え方は違ってくる。
政治家に資質があるとするならば、それなんだろうな、と、仲間たちの書き込みを読みながらつくづくと思う。

追記
子どもたちが小さい頃、保育園の土日預かり、休日保育をよく利用させてもらった。土曜日はそこそこ利用者がいたが、日曜日はいつもうちだけだった。
「なんかうちだけのために先生方に休日出勤してもらうのは申し訳なくて」と言ったら園長先生からたしなめられた。
「申し訳ないなんて言わないで!私たちはどんな働き方をしている人にも保育を提供出来る制度を作りたい。休日が休日でない人のための保育が必要なんです。遠慮して利用しなければ需要がないと思われる。まさえさんの家が利用することが、次につながるんです!自信を持って来て下さい!!」
そして先生方からはいつもこう言われていた。
「本当に困ったら言ってね。夜もお泊まりで預かるわよ。その制度はないけれどもプライベートでね。預かるというよりも、今日でも家に連れて帰りたいぐらい。かわいくて、ずっと一緒にいたいもの」
夜のお泊まりをお願いすることはなかったけれども「いざ」というときに「ここがある」ということがどれだけ心の支えになったか。
実家も遠い、家族の協力も得られない親たちを支える力になりたいと思い活動を続けているのは、この経験と感謝があるからだ。
「自分は恵まれていた」で終わらせてはならないと思っている。
本当も紙一重で、つらい立場になっていたかもしれないし、実際思わぬところで地獄のどん底に突き落とされた経験に基づけば、全てのことは「誰にでもあり得る『かもしれない』」のであるから。

2014年3月18日 (火)

地縁血縁金縁のない親子を救うために

悲しい事件が起こった。
人ごとではない。
「ベビーシッター仲介業」なのに「無料」というところが気にかかる。どうやって会社は売り上げを得ていたのだろうか?
ワタクシとて仕事や会合にでるために、子どもと一緒に車で仕事場の近くまで来て、雑居ビルの中のベビーホテルに数時間預ける、なんてこともよくやった。
何食わぬ顔で集会や仕事をこなし、内心はハラハラだった。
でも、そうでもしないと「だから子持ちオンナはダメだ」と言われる。誰もいない家に置いてくるより安全だからこそそうしたまでだ。
(ちなみに我が業界はなんとかやりくりして夜の会合に出れば出たで「子育てはしていないんじゃない?両立出来ていないじゃない。だから候補者として不向き」な〜んて、平然と全く真逆なことを言われる超セクハラ世界だったりするんだけどね、いまだに(笑)・・・あ、愚痴でした)
親の働き方が多様化する中ではそれに対応する保育サービスを提供している中にはとんでもない無認可・無資格業者もあり、それを「紹介」「あっせん」している仲介業についての実態はぜひ調査し、中身を知らせていただきたい。
一方でこうした事件は悪質業者を叩くだけでは防ぐことはできないと思う。
お金を出せばそりゃ、それなりに使い勝手の良いサービスは受けられますよ。でもね、切羽詰まっている人の多くははお金も実家力も夫力も友だち力も・・つまり地縁血縁金縁、全てがないから、リスクを知りしつつもそこに預ける選択をする人は変わらずに存在し続け、結局はより「闇」に入ってしまう。
この負のスパイラルから、なんとかして子どもたち、そして切羽詰まりつつも子育ての責任を果たそうとする親たちを救いたいと、経験者として心から思う。

そしてこの事件が抱えるもうひとつの問題点・・20代男性がこの仕事をこの形態で行っていた、ということについては後日記したいと思う。

2014年3月17日 (月)

小保方さん問題に思う〜ムーミンも割烹着も演出だった??

怖いな〜と思うのは。
小保方さん関連で「ムーミンも割烹着も全ては周到に準備された演出だと言う『可能性がある』」という記述の記事をあちこちでみかけることだ。
誰かが指摘し、それが急速に広まったのだろう。
しかしそれを書いた人は見たんかい?
小保方さんや笹井さんに直接聞いたんかい??
「可能性がある」というのはとても便利な言葉だけど、一方では書き手にとっては「逃げ」にも使える言葉であるので、少なくとも人を非難する時に使う言葉ではないと思っている。非難する時はそれこそ誰かの書いたもの、言ったことの「コピペ」ではなく、根拠ある事実を示すべきである。でなければ、それこそその非難の対象である小保方さんと同じになるではないか。
ワタクシは仕事で笹井さんには何度か会っている。
「日本じゃ若い研究者は育ちにくい」等々の話しをした。
小保方さん関連についてはもう少し客観的なことが明らかにならないと論ずることは難しい。
一方でその過程で指摘されている博士論文や学位審査についてはかなり問題があることは今までも言われていたけれども、さらに明らかになったような気がする。
その点こそ今回の小保方さん問題で、彼女たちが我が国の教育界、研究分野に対し最も貢献したこと、とも言えるであろう。

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