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2014年11月

2014年11月23日 (日)

Facebook応援ページができました

「井戸まさえ 宮城4区」Facebook応援ページが出来ました。
「いいね」をよろしくお願いいたします♡

https://www.facebook.com/idomasae.miyagi?notif_t=page_invite_accepted

2014年11月21日 (金)

「転区は復興支援のため」 後援者の言葉に涙

本日衆議院が解散されます。

私は12年間政治活動の場として来た兵庫を離れ、ふるさと宮城で闘うことになりました。
神戸で支えてくださった皆様には感謝と同時に、今回選択肢のひとつとなれず申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。
「そんなことはないよ。被災地神戸から宮城に今出来る、一番効果的な復興支援は、井戸まさえを送り込むことなんだから。そのために県会議員として、国会議員として鍛えられてきたんだと思うよ。しっかり闘って、ふるさとに貢献して。それが日本のためになるんだから、がんばれ!!」
突然のことに驚きながらも、そう言って送り出してくれた後援者の言葉に東北新幹線で幾度も涙を拭いました。
託された思いをしっかりと伝え、成果をあげられるようにがんばります。

同級生をはじめ、待っていてくださった仲間の皆さん。
そして、これから出会うであろう宮城の方々へ。
「お帰り」と迎えてくれてありがとう!
一緒に笑って、喧嘩して、走って、語ったこの地に戻ってきました。

私は「政治の役割」とは「いとちいさきもの」を守ること、
つまりは自分の努力ではいかんともしがたい環境で苦しむ人々を励ましともにがんばること、
そして「豊かさ」を作ることだと思っています。
「豊かさ」とは「選べる」ことです。
人生に「たくさんの選択肢」があることです。
それは自分とは違う考え方や生き方を選択する人も認め、尊重し、尊敬し合うことだと思っています。
「人権」というと大層大仰だけど、実はこれこそが暮らしを支える福祉の現場でも、経済でも外交でも「全ての基本」であると思っています。

震災とその後の復興の取り組みの中でも、この「政治本来の役割」が十分に果たされていません。
また国の根幹である一次産業に対する政策でも人に寄り添っているとは到底思えない状況です。

だからこそ、私はこの地で闘いたいと思います。
闘うべき責任があると思っています。
なぜならば私はこの宮城県で「最良の公教育」を受けて来たのだから。
それぞれの立場で、出来うる限りのことをする。
震災を経て、その思いは強くなったと思います。
ここに育ったものの「使命」を果たしたい。心からそう思っています。

「闘いたい」と思っていても、政治の世界で生きることは、特に女性にとっては幾多の壁があり、そのステージにすら立てない人々がたくさんいます。
婦人参政権のために闘い、傷つき、それでも諦めなかった先人たちがいなければ、投票することも、挑戦すらできなかったことを思うと、被選挙権の行使というのは、何か大事な宝物を託されている気がして、緊張してしまいます。

こうした先人たちに思いを馳せると、
私はひとりで闘うわけではないということを改めて感じています。
そう。
同級生や友人、宮城県連、兵庫県連はじめ日本全国でがんばる民主党の先輩そして仲間たち。

(特に夫には感謝です)

短い間だけど、精一杯心を込めて訴えて行きたいと思います。

2014年11月15日 (土)

「チルドレン」も「ガールズ」も生まれない選挙

「チルドレン」「ガールズ」etc・・。
解散が噂される次回の衆議院選挙ではここ数回の選挙のように経験のない新人たちが突然立候補し、集団としてネーミングをつけられ、あれとあれよと言う間に「当選」という形にはならないだろう。
ある意味それは選挙区が空いていたから出来る「戦術」だからである。
自民党・公明党はほぼ選挙区を埋めていて「新たな顔」を入れる余地はない。
野党は連携を取ることを選択した段階で重複した候補者を転区させるか、比例で優遇させてということになるのであろうが、
どの政党の候補者であれ、自民党ほどの確固とした基盤があるわけでもなく、コスタリカにしても候補者同士が現職で、実力も拮抗していないとあまり意味を持たない。今回で言えば辻元さんの選挙区ぐらいであろう。
ただ選挙後のことを考えると、政党自体がどうなるかがわからないまま比例に移ることに応じることの不安定さもあるから、その調整も難しいであろう。
では「マドンナ」=女性活躍という視点での戦略は立てられるであろうか。
例えば比例区を女男女男と交互にするとか、女性ばかりにする、等々。
それが出来る可能性があるのは自民党だけだ。
小選挙区で圧倒的に勝つという予測が出ているから、比例区で訴えたい政策を重視した候補者擁立が出来る。
比例区がある意味やそこで選ばれる議員の役割は本来はそうしたことだと思うのだが、その機能が十分に使えない。
小選挙区で闘うからこそ比例票が出る、ということもあって、
小選挙区の候補者たちは比例復活のオプションがなければやってられない、というのも分かるのだが。
定数削減も含めて、選挙制度の抜本的見直しが今回の国会でも出来なかったことは、本当に残念でならない。
ただ。
「チルドレン」も「ガールズ」も生まれない選挙で、ワタクシはいいと思っている。
候補者も成熟して、自立型の選挙が出来なければ、良い政治家にはなれないからである。

2014年11月13日 (木)

文書通信交通滞在費は「キュウヨ」である

先日、県議会議員・国会議員をしていた当時の歳費・報酬の振込について確認しようと思い、過去の通帳を捲り、改めて違和感を感じた。

文書通信交通滞在費については「キュウヨ」という名目で振り込まれているのだ。
月100万円は2回に分け50万円ずつ振り込まれる。うち一回は通常の歳費と合計額で振り込まれる。
文書通信交通費は「キュウヨ」ではない・・よね?
にもかかわらず、わざわざ「キュウヨ」と記載する意味がわからない。
「ブンショツウシンコウツウヒ」と記載しないと、本当に「キュウヨ」と思ってしまう議員もいるのではないだろうか。
国会議員を経験して思ったのは、ともかく事務所の維持には経費がかかる。
議員は任期があり、退職金も年金もない不安定な職であるので、それなりの配慮を持って人を雇おうとなると、その人件費は保険等も含めてかなりの負担となる。
たぶん多くの事務所は私設秘書の給与や事務所運営費等に回していると思われるが、それも含めて説明をしていく必要があるのではないだろうか。

無戸籍者に対する差別的対応

行政側からの無戸籍者に対する差別的対応が止まない。

先般9月に神戸家裁で母の亡くなった前夫への親子関係不存在の訴え(被告は検察官)が認められ、晴れて母の子として出生届が受理されるはずの32歳の女性はいまだ戸籍が出来ていない。
そのまま出生届を提出すると
①死んだ全く関係のない前夫の戸籍を復活して、その「籍」に入る。
「籍」=「氏」だから、「子の氏の変更」という手続きをしないと、
全く姻戚関係もない、しかも母や家族に対してDVをしていた人の氏を名乗ることを強制させられる。
それを避けるため「子の氏の変更」の手続きを裁判所で行わなくてはならない
②母の分娩の事実が、産んだ産院がなくなっているため証明できない
=法務局から「妊娠中にどれだけお腹の中で動いたか」などという、意味をなさない陳述書の提出を求められる。

また、彼らは何度も役所や裁判所に通っているのである。

しかし。
父の「認知届」は全くそんなことを求めていないにも関わらず。
法律には「母の認知」の項目もある。だのに、なぜ「母」だけにこのことを負わせ、結果的に出生届受理までにこれだけの月日をかけるのか。
つまりは、無戸籍者に「人権」はないのである。
存在していても、「人」としては見なされていないのである。

2014年11月10日 (月)

「ねつ造」を未然に防ぐのは「小さなひっかかり」をおろそかにしないこと

先般、あるフリーライターと称する人から取材の依頼が来た。
来春、書籍を出版したいので無戸籍者を紹介してほしいという。
「◎◎新聞にいました」
この段階で第一の「ひっかかり」があった。
私もフリーライターをしていたが、名乗る段階で前職を言うというのは基本あり得ない。「看板」で仕事をしてきた人なんだな、と思った。
第二の「ひっかかり」は通常だったら「取材」が先で「出版」は後だろう、ということだ。なんら手持ちの材料がないのに出版日だけが決まっている、というのは、結局この人の「飯の種」なんだろうなと正直言って思った。
で、丁重にお断りをした。
経験則上こうした「小さなひっかかり」をおろそかにして、いい加減に取材に応じるとその後がやっかいだから、である。
こちらの意図しないことを書かれたり、スクープを得ようと必要以上に誇張して書いたりということがあり得ると、ワタクシの中の「警報」がウーウーと鳴ったからである。
案の定。他の方へのアプローチがあって
「そのことなら井戸さんや『家族の会』が一番詳しいので、そこに聞いてみてください。そういう活動をしている方々のことはご存知ですよね?」と聞いたら・・「知らない」と言ったそう。
おい、おーーーい。電話でもメールでもやりとししたでしょう!!
嘘はいかん。絶対にいかん。
「ねつ造」はこうして「小さなごまかし」から始まるのだと思う。
取材を受ける側としても、その可能性は「芽」のうちにきっちり摘んで置かないと、とてつもないことにつながる。
ましてや、いまだ戸籍のない人々にとってはこうした報道が、取得の有無にも影響がないとも言えない。
そうしたことも含めて、私たちがどれだけ慎重にやっているかを理解しようとしない、いや、そういう発想すらない人が書くにはこれは重すぎる話である。
ある一定の訓練を受けた人に取っては、他の人々が書いた過去の記事などをカットアンドペーストして、まるで自分が見て来たかのように書くのはさほど難しいことではないが「それをやってはおしまい」というまさに書き手の良心がない人がいるということは、取材される側としても、また書き手の側としても心しておかなければならないと思う。
しかし・・情けないなあ。

2014年11月 7日 (金)

平塚らいてふはなぜ『青鞜』を作ったか

先日、「安倍政権の女性政策」や「女性政治家がなぜ増えないのか」について取材があり、普段から思ってることを話させてもらった。
政治とは「言葉の芸術」でもあるので、政治家としての資質のひとつには言語能力がある。
「思い」は「独りよがり」ではいけない。
難しいことでも分かりやすく説明する能力、時に人を「鼓舞」して、「行動」へと移させるだけの説得力も求められる。
「語り」ながら、「書き」ながら、思いを伝搬して行くのが政治家の仕事でもあるのだが、一般的に見てみると、そして女性政治家で見ると圧倒的に「語る」が重視されているような気がする。(というか「書く」を重視している人をほとんど見ない)
いや、そうではない。ネット時代となってブログ、ツイッターやFacebookでご本人が書いているものに直接アクセスできるようになって、「書く」ことでの発信比重が重くなっているとの反論はあるだろう。
確かに「祭りに行きました」「街頭演説しています」という写真付きのメッセージは頻繁だ。
だが、政治課題について「読ませる文章」を書いている女性政治家は本当に少ない。
昨日も書いたが「主義主張」はどちらでも良い。その裏付けとなるデータや、現状を冷静に分析し、自らの主張とは異なる「ある種の思い込みを持った人々」に対しても十分な論陣を張れるか、というとそうではない。(自らの力不足も認識しつつも)
政治業界に進出する男子が出来ているかと言ったらそうでもないのであるが、そこに至るまでの間で女子の場合は「言語化」する訓練の機会が圧倒的に少なかった、と自らを省みても思う。
最近、平塚らいてふはなぜ『青鞜』という手段を以て、つまりは社会変革活動をしようと思った時に、なぜそれが「論壇誌」だったのか、ということを考えている。
青鞜は、1911年(明治44年)9月から 1916年(大正5年)2月まで52冊を発行した女性による月刊誌である。それまで「書く」という作業をしていても発表の機会がなかった女性の「書き手」に場を提供し、また人材の発掘の場ともなった。
らいてふは女性たちが「書き手」となることで問題を客観的に見ること、また常に「読み手」がいるということはそこに「賛美」もあるが「批判」もある。もちろん「書き手」は「読み手」にもなるから、知識の蓄積も含めて能力の底上げが出来る。そう考えたのではないかと思う。
「語る」ではなく「書く」は地道な作業であるが、それでなければ鍛えられない一種の筋力があるのだと思う。『青鞜』は女性たちを鍛える修行の場でもあったのだ。
今、『青鞜』のような場はない。
もしかすると「まっとうな女性政治家」を育成できてことなかったことの遠因はそうしたところにあるのかもしれない。
『青鞜』はらいてふの母がどーんと出資したらしいが、もし今ワタクシに資金があったら・・というか、なくても(笑)時間的やりくりで住むのであれば、「最もやりたいこと」の一つである。
今、取り組んでいる問題に目処がついたら、がんばってみたい。
先人たちに対して敬意と感謝を、そして次に続く女子たちへの希望を込めて。

2014年11月 6日 (木)

お気の毒すぎる国会質問

http://blogos.com/outline/98135/

「本来日本は、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国だった」
「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」
「女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名の基、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。(中略)・・その結果、ドメスティックバイオレンスが蔓延し、離婚が増加。少子化や子どもの貧困の原因となっています」・・・
次世代の党・杉田衆議院議員の衆議院本会議質問である。
主義主張については、それぞれの考え方があるので、存分に展開されれば良いと思う。しかし、問題は「どういう論拠を持って質問をしているのか」なのである。
「女性が大切にされ、世界で一番輝いていた」のは一体、何時代のことなのか。
女性には選挙権も、被選挙権もなかった頃か。
平安時代の通い婚時代?
そもそも、その国際比較はどのようにしてなされたのか・・等々つっこみどころ満載の、まさに見識が問われる内容だ。
ご自身のその大ざっぱすぎるものの捉え方こそが、一般では「妄想」と言うことに気づいていないのだろうか。
いや、普通であれば「恥をかかしてはならず」と、周りが止めるか、フォローの赤入れをする。
それがない状況を心からお気の毒に思う。
しかし、なにせこれは国会質問だ。
居酒屋で、あるいはブログであれこれ言ったり、書いたりするのとはわけが違う。
所属の政党内で女性議員として「「大切にされて」いることのアウトプットがこのお粗末な質問だとするならば、自らの能力開発、成長の機会を奪われているということに気がつかなければならない。国民に選ばれた国会議員なのだから。
実は、社会でもこのようなパターンは多いような気がする。
結局は「いいように使われて」しまっているのだ。
そのならないためにも、新渡戸稲造先生がおっしゃったように、女子こそが一生をかけて「仕事(ミッション)と思索」をせねばならないと思う。

2014年11月 2日 (日)

危惧される「日本分断」

最近、ワタクシが危惧しているのは「日本分断」である。
韓国や中国などとの関係や「家族観」、それこそ間違った翻訳をインプットされたままの「ジェンダーフリー」等も含めた「性役割」について、意見が違うであろうことを理由に、反中・嫌韓を越えた憎しみ合いのようなものが、日本国内で起こっている気がする。
ヒダリ巻きと言われる人たちのウヨク攻撃は、本当に醜くてやになる。ヘイトスピーチに反対しているのに自分もニアリーヘイトを繰り返していることに気がつかないのかな?
じゃ、在特会をはじめとするウヨクの人々の言動は許されるのかと言ったらそうじゃない。
と、言って争っているうちに国力低下は免れない状況になっているのだ。

「無戸籍」の問題をやっているとウヨクの方々からは「我が国伝統の戸籍制度、家族制度を壊す」と言われるのだが、
いや、実はこの問題はウヨクの人こそが取り組んでいい問題だと思う。
というのも・・我が国の「戸籍」はバグが多い。
それを補完する民法も、なにせ明治憲法下でフランスから輸入したまま、そのままにしているから。本家はどんどん改良しているのに。
なのに、みなさま、
「戸籍」は完璧、厳格なものだと大変な誤解をされれているのだ。
ちなみに、血縁を中心とした「同一戸籍同一氏」の原則を守ろうと「選択的夫婦別姓」を許さないという姿勢の方々は、
実は戸籍制度が全く血縁のない赤の他人が同一戸籍に載っちゃうようなシステムだということをご存知なのだろうか?
まさに「保守」であるならば、まずはこのバグを矯正することこそ、大事な仕事だと思うんだがな。
この間の法務省の無戸籍者279人という調査も、自治体の1割しか回答していないから・・いやはや、この国のインテリジェンスは大丈夫かと心から心配になる、ということは以前にも書いたが、
これひとつとっても、もはや右とか左とか言っている場合ではない。

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