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2015年1月

2015年1月20日 (火)

民主党代表選 最大の功労者は長妻さん

https://www.youtube.com/watch?v=q1i5qHs-0sA#t=1304
私は今回の民主党代表選での最大の功労者は長妻さんだと思っている。

決選投票の際の最終演説で岡田さんは、たぶん、長妻陣営からの支援の条件であっただろう、「外交安全保障」について漏らさぬようにメモを見ながら語っている。

①歴史認識について 侵略・植民地支配等過去の過ちはみとめるべき
②憲法改正について 慎重であるべき
③安全保障基本法について 現在の案には反対

慎重に言葉を選びつつも、いずれも踏み込んでいるのだ。

もし長妻さんが出ていなければ、’党代表’のこの「言質」は取れなかったかもしれない。

党内にはいろんな意見があるとは思うが、民主党が自民党に対して「もう一つ別の選択肢」「受け皿」となれるか否かはここにかかっていると思う。

伯仲した選挙の中で、長妻さんが立候補することで果たした役割は、本当に大きいのだ。

(リンクをはったYOUTUBEは臨時党大会のノーカット版です。本演説はひとり10分、最終演説はひとり5分。その部分だけでも聞いてみてください)

2015年1月19日 (月)

「リカバリーショット力」

昨日の民主党代表選挙で面白かったのは、 候補者の方々が「ちょっとした言い間違い」をしたあとの「リカバリーショット」の行方であった。
長妻さんはご自身のご家庭の様子を「子ども4人」と言った後、「いや、3人。間違えちゃいけないところを間違っちゃった」と、会場を笑いで包んで「ナイスオン!」と言った感じだった。
岡田さんも「原理主義者と言われているけれども・・」というところで、あれれ自爆?をしっかり軌道修正。余裕を見せた。
実はリーダーの必須能力とは「リカバリーショット」をどう打てるか、なのかもしれないと彼等をみていて思った。
望んでいないにも関わらず誰もが「間違える」。
その際の「切り返し」はそれまでの人生のすべてが出る。
つまりは「経験」「知見」「心の余裕」を見て取れるのだ。
しかし、昨日は本当に面白かったなあ。
肝心のところで中継がなかったのはつくづく残念だ。

岡田新体制で民主党が掲げるべき政策 ①「女性の’可処分所得’倍増政策」

岡田新体制となった民主党に求められているのは、まずは「格差」の拡大を押さえ、縮める政策を強力に進めて行くことだと思う。

先般も書いたが、この国では世代間格差、性別間格差他はもとより、子どもが育つ家庭の収入によっての教育格差他、様々なところで「格差」が広がっている。

「チルドレンファースト」の民主党が行うべき政策の順番は何にも増して「子ども」である。

で、その「子ども」を救う為には女性たちの所得、特にシングルマザーの収入を上げなければならない。

現在、日本の働く女性の4割は年収200万円以下だ。

その中でシングルマザーが稼ぐお金は年間平均181万円。
働いているにもかかわらず、日本の母子家庭は貧しい。母子世帯のうち、収入が125万円に満たない「貧困層」の割合は、およそ半数の48・2%。先進国で最悪のレベルで、生活保護を受けるのは約1割にとどまる。

日本で離婚する世帯で、8割は母親側が子どもを引き取る。
日本の母子家庭の収入に占める養育費の割合はわずかに3%。(アメリカでは10%)
つまりは母子家庭の貧困の裏側には、離婚後に養育費を払わない父親たちの姿があり、私はこここそがシングルマザーとその子どもたちが貧困に陥る、そして得られるべき機会を失って来た主原因ともなっていると主張し、改善活動を実践して来た。
スウェーデンには養育費を政府が立て替え払いする制度もあるが、全ての英知を結集して、働いても収入があがらない現状を改善するべきなのである。

平均収入を200万円をすぐに400万円にするのは難しいことだが、こうした養育費の徹底的な徴収システムを作るなど、さまざまな制度を使って今の可処分所得を倍にすることは可能だと思う。
彼女たちの子どもたちは既に就学費援助で給食費等は免除になっていると思うが、さらに日々の生活の上での支援の仕組みを作るべし、である。
 (数値は毎日新聞記事を参照)

「死んでも死に切れない」〜「原理主義者」が語った「重い言葉」

民主党代表選が終わった。

民主党は岡田克也新代表のもとで一致結束、新たなスタートを切る。

さて、今回の選挙で興味深かったのは「党員サポーター票」の開票結果であった。


民主党の「党員・サポーター」は毎年春に募集が開始され、5月末に締め切られる。(実際は年中募集されているものの、こうした代表選挙の投票権等は5月末に登録されていないとない)
この「党員サポーター集め」は所属の県連ごとに各級議員・総支部長の獲得目標値が設定されている場合が多い。


例えばあるところでは現職国会議員は1000(最低500)、総支部長500(最低300)、県会・政令市議会議員50というように目標と最低ラインを定めているのだが、地方議員にはノルマをおかないところもあって、つまりは国会議員・総支部長が集める数と地方議員の集める数では当然ながら差が出る。

「基礎票」となる有権者は国会議員・総支部長の影響を最も受けるということなのだ。


地方議員の投票では細野さんが岡田さんを上回っていても、党員サポーター票では逆であったと言うのはそうした理由からであると思う。


また長妻さんの党員サポーター票を見てみると、東北・四国・北陸では0か1となっている。
関西から東北に行ってびっくりしたのは一部の連合傘下の組合さんが共産・社民支持だったということなのだが、そういう視点で見るとこの地域差にも民主党の支持基盤の地域的な特徴が現れていると思う。
(ちなみに私と私が集めた党員サポーターは昨年の登録場所・兵庫県でカウントされています)


郵送と言う簡易な方法であったが投票率が46.21というのはどう見たら良いのだろうか。

過去の代表選と比較する数字を持ち合わせていないので十分な考察ができないが、投票する側も迷っているうちに締め切り日が来てしまった選挙なのかもしれない。


なぜ迷うかというと
3人とも「格差」を最重要点課題としている点や「改革」の旗をしっかり掲げることなど、現状認識も含め政策的には「違いがほとんどなかった」からだ。
そして、最もわかりやすい違いとして争点化されるべきだった「野党連携」については若干のヒートアップもあったものの、3陣営とも「あえて」なのかそれ以上には踏み込まなかった。
例えば「菅V小沢」の時のような路線の対立が明確ではなかったので、
「誰になってもいいよね」と思ってしまったのではないか。
逆に言うとそれはある意味「3候補ともへの信頼感」でもあったのでは、と、帰り道々で先輩・同僚と話した。

いや、「この人だけはダメ」というのがなかったというべきか(笑)


岡田体制については「新味がない」等々の批判もあるが、
決選投票の最終演説を聞いていて、やはり一枚上手なのだと感じた。
そして’あの岡田さん’が「死んでも死に切れない」という言葉を使ったことに心底驚いた。
最も岡田さんに似合わない言葉だ。

「死」を「軽々しく」言葉にすることに抵抗も感じたが、

「原理主義者」が口にする、ということは「重いこと」なのかもしれない。
これが「ラストチャンス」。党にも個人にも。本当に「必死」だったのだ。


私たちもその思いで、「300日プラン」もさることながら、
明日選挙があっても良いように準備を進めなければいけないと気を引き締めなければならない。


2015年1月17日 (土)

歴代総理の「阪神淡路大震災追悼式典」への欠席に思う

阪神淡路大震災から20年の今日、安倍総理は中東歴訪の為に記念式典を欠席する。

私は震災10年目に兵庫県会議員となり、以来、15年目は国会議員としても式典に参列をしてきたが、私の在任中は自民党政権下で総理がこの式典に参加したことはなく、いつも「代読」だった。
その度に何か軽んじられている感じがして、違和感を持った。
15年目は民主党政権下であり総理が出席している。
その折には皇太子ご夫妻もご参列され、子どもを亡くした遺族の方の思いに、雅子様が涙を拭われていたことが印象的でもあった。
以前にも書いたが、多くの国民が心を寄せる日は、少なくとも政治関係者は行事や予定をぶつけてはならないと思う。
「どうしてもこの日」でなければならないのだろうか。
「それ以上に大切なこと」なのだろうか。
「20年」という月日を考える。
例えば私は終戦から20年目に生まれた。戦争を感じさせるものはほぼなかった。
「20年」は街の傷つきの記憶を忘れるに十分な時間かもしれない。
だからこそ、なのだ。
国のリーダーは大切なこの日、犠牲となった多くの方々、そして阪神淡路大震災だけでなく、この国で災害にあい、苦しい思いをしている人々と心をかわすことが必要なのだと思う。
そして、「幸せ運べるように」と支え合って来た人々に心からの敬意を示すべきなのだ。

2015年1月10日 (土)

無戸籍41歳男性 戸籍作成へ 〜 実父への認知を認める審判がおりました

皆様からお励ましをいただいていた大阪府在住41歳男性について、実父に対する認知を認める審判がおりました。

当事者本人よりのメッセージは以下です。
「まさか、こんなに早く戸籍が出来るとは、思っていませんでした
感謝しかありません」

審判結果を聞いた時の様子を聞いて胸が熱くなりました。
自らの問題は解決しますが、引き続き無戸籍者がひとりもいなくなるまで、ともに活動をしてくれるとの決意も聞かせていただきました。
本当にうれしく、心強く思います。
良くがんばられた当事者とパートナーのおふたりに、心から、心から、お祝いを申し上げます。おめでとう!!
そして、この難しい調停を当事者に寄り添いながら支えてくださった南和行弁護士・吉田昌史弁護士に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

今回のケースはそもそもは「離婚後懐胎」である可能性が大きいとされる事案で、
現在では法務省民事局長通達により「医師の証明書」の添付でなんなく出生届が受理さています。

彼の出生当時はそうした運用もなく、杓子定規に「300日」を適用したため、また運用が変わってからも、出生時の病院が閉院していてカルテ等も残っていないため、戸籍を得るまでに実に「41年」と言う月日がかかりました。

同じ状況なのに「たまたま生まれた時」で、戸籍の有る無しが決まってしまうというのは、あまりに理不尽です。

年末年始にもたくさんの相談が来ています。
全面解決に向け、今年こそがんばって行きたいと思っています。
引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。

「民法772条による無戸籍児家族の会」代表 井戸まさえ

「民主党代表選挙」の楽しみ方②

民主党のHPに行くと、立候補に当たっての「政見」が公開されている。

その中でいくつかの項目について、比較をしてみたい。
まずは男女共同参画、特に国際的に見ても比率が低い女性議員の育成等について。
長妻昭候補
<男女共同参画政党となるために、党役員や候補者のクオータ制の導入に取り組む>
細野豪志候補
<クオータ制の導入など、女性が政界に進出しやすい環境を作る>
岡田克也候補
<女性議員の積極的な役員登用を進めるとともに、クォータ制など女性議員大幅増のための具体的措置を講じる>
ん?皆「クォータ制」に賛成??
直近の衆議院選挙で民主党はそれを導入していないが。
この大物たちが全員賛成なのに、なぜ実現しなかった?
・・というわけで、
「政見」に書くにあたっては本来であれば、そこをもう一歩踏み込んで、 前回の選挙の時に「自分はこう動いた」というのを示すべきなのだろうと思う。
でなければ、有権者にはその「本気度」が伝わらない。
討論会等で「政策」は一緒でも、今までの取り組み方、アプローチの違いこそを明らかにしてくれると分かりやすい。
(「野党連携」他「政見」になくとも、討論会や共同会見の中で補完としての「突っ込み」が行われ、言葉にすると「ちょっとの差」でも実は「大きな差」であることも露になっている。「討論会」の役目は大きいとも実感する)
さて、「クォータ制」他に戻ると。 ここで3人が同じ方向で「公約」したのは大きい。
少なくともそれぞれの候補の推薦人になった方々は、「政見」の内容を是認したということなわけだから。
次なる選挙に向けて、この「言質」はどうなるのか。
内容云々もさることながら「言ったことを守れるかどうか」を判断する上で、「クォータ制」は非常にわかりやすいメルクマールとなる。
候補者の3人だけでなく、「民主党」のね(笑)

2015年1月 8日 (木)

阪神淡路大震災から20年 1月17日になぜ行事

http://www.ed-net.co.jp/yoko-j/nittei-j.html
阪神淡路大震災から20年目を迎える本年1月17日。
関西地区では私立中学の入試集中日となっている。
各小学校では犠牲になられた方々への追悼や防災への備え等も含めた教育を行っているものの、受験前は欠席する児童も多い。
今年は全国一斉のセンター入試も17日、18日であるが、せめて関西地区では何かしらの配慮があってもよかったのではないかと思う。
ちなみに私たちの時代は関西の中学入試は3月1日、2日に行われていたそう。
関東では2月1日が集中日だということも考えれば、日程的に「絶対ここ」というのはないのだろうから。

実は2015年民主党大会も1月17日に予定されていた。(毎年1月第3週土曜日を軸に行われている)
代表選がなければそのまま行われていたはずだ。
党大会の日程は各ブロックの代表も出る常任幹事会での承認事項だと思うのだが、異論はでなかったのであろうか。
3月11日に党大会をやったらどれだけの顰蹙を買うだろうかと思うと、1.17、しかも20年の節目の年に対して、思いが至らなかったのだろうかと思うと残念だ。
総選挙が行われた結果、海江田代表が辞任し、定期大会は延期、臨時党大会は1月18日(日)となったのだが、
新代表にはこうしたことにも考慮できる方になっていただきたいと切に願うのである。
(折しも、今国会では自民党の東北地方選出国会議員らを中心に3月11日を「東日本大震災の日」と定める法案が提出される見込みである)

2015年1月 7日 (水)

「民主党代表選挙」の楽しみ方

「民主党代表選挙」が本日告示、一般党員・サポーター(226,148人)、地方自治体議員(1,629人)、国政選挙の公認候補予定者有権者(1人)、国会議員(132人)を有権者に、18日の臨時党大会での投開票をめがけた選挙戦が始まる。

それに先立ち、立候補を表明している細野豪志衆議院議員が代表戦での「公約」を発表した。

https://www.goshi.org/archives/5573.html
内容を読んで・・驚いた。
衆議院選挙のマニフェストのようだったからだ。
代表戦の「争点」は「そこ」なのであろうか?

当然だが、今回の選挙は「沈んだ民主党をどう再生するのか」というところに重点が置かれなければならない。
公約の中でも「政党運営(ガバナンス)」について言及があるが
(1)対案路線
(2)党運営の民主化
(3)地方重視
(4)若手・女性政治家の育成
・・ん?あれれ、それで終わり??
党員・サポーターも含め、立候補者に対して最も知りたいところは、「野党連携」や「政界再編」に対する対応である。
そこに全く言及がないのはこれ、いかに?

ちなみに、知人がその点についてご本人聞いたら「4月までは動かない。統一地方選挙後に対応して行く」とのことだったそうだが、今時点でそう考えてるのなら、そこはきっちり書いていただきたいと、有権者のひとりとして切に思う。

ちなみに、他候補との「違い」が出そうなところは
☆「代表就任した際、私自身は比例重複立候補を行わず、総理経験者にも同様の対応を求める」
・・ここは争点ですな(笑)
☆「党幹部と各級議員の非公式なコミュニケーションの場を積極的に設定」
・・「非公式なコミュニケーションの場」を明文化とは(笑)

他の候補者の方々の「公約」が出そろったところで、改めて比較検討をしてみたいが、

「公約」での言葉の使い方ひとつとっても候補者の個性や「語らない(語れない)思い」が透けて見えたりする。

そういう視点で見ると「盛り上がらない」と言われるこの代表選挙も意外に楽しめるのである。

2015年1月 6日 (火)

紅白・『ピースとハイライト』論争について

http://www.asahi.com/articles/ASH155SJLH15UTIL02G.html

昨年大晦日の紅白でのサザンオールスターズ「『ピースとハイライト』論争」について、朝日新聞でコメントが掲載されています。
桑田さんが過去に語った思いも紹介されています。
ぜひお読みください。

2015年1月 4日 (日)

「政治と箱根駅伝〜⑤富士山信仰と東京一極集中(番外編)」

「箱根駅伝」が日本人の心を捉えて離さない理由のひとつに「富士山信仰」がある、と指摘するのは夫である。

「逆ルートだっていいわけだろ?
箱根を出発して、都心を周り、最後のゴールを山で迎えるでもいいんだよ。
でも、そうなっていない。
『都心』から『富士山』をめがけて走りまた『都心』に戻ってくる。
つまりは『よみがえり』の思想とも重なるんだよ」

なるほど。

加えて、
「正月に帰省している多くの日本人の行動とも一致する。『東京一極集中』の象徴でもあるね」と。

田舎から出て来て、東京で勉学して、就職して、結婚して、家族を持つ。
そこそこ成功しているように見えても、「田舎もん」は「田舎もん」である。
そのこととは分かっている。
正月ぐらいは帰省して、「かっこ悪かった」ころの恥ずかしい自分を知っている(もしくは今からは想像ができないぐらい「輝いていたころ」を知っている)同級生と会いながら、正月が明けたらまた別の仮面をかぶって東京で「闘う」。

「箱根駅伝」はそんな人々を支えられ、同時に、応援しているのである。

深い、なあ。

そして・・ここからはワタクシオリジナルだが。

「箱根駅伝」を考えた金栗さんはそこまで考えていたかどうかはわからないが(笑)

偶然にもいろんなことが重なって「信仰」となっていく。

その中で「権威」も生まれて行く。だからこそ「襷」を繋ぐプレッシャーは重く、

もしかするとこれは「世代」を繋ぐという伝統的家族形態への憧憬もあるのかもしれない。

失われつつあるからこそ、人はそこに幾ばくかの執着を見るのである。

家族そろった正月だからこそ、普段は無意識な部分が可視化されているとも言えるのではないか。

「政治と箱根駅伝④「逆転のドラマ」と「にわかファン」」〜背景としての「Mの社会」

なぜ、箱根駅伝は人の心を捉え、政治は捉え損なっているのか。
その要因を総括してみる。

①「にわかファン」になれる
小難しいルールも、「微妙な判定」もない競技、それが駅伝(笑)
加えて、実況を2時間程度、「今昔物語」を三回ぐらい見れば誰でも今回出場チームや選手の「’裏’事情」(競技に関係ない情報=家族や友人のこと等)まで知れ、いっぱしの「専門家」になれる、ということである。
つまりは箱根歴50年で、毎日そのことばかりを考え、DVDを見まくっている夫も、多分今回初めて「箱根」を考察したライター新田さんも(笑)そこそこ同じレベルでの「解説」ができるのだ。
「にわかファン」と「ブーム」は違う。「ブーム」は金と時間をつかって自らがコミットメントして初めて起こる。「にわかファン」はその時の高揚感で終わり。
「箱根駅伝」が稀有なのは、毎年一回この「にわかファン」を沿道に集め、テレビの前に座らせる。そこには②があるからである。
逆に言えば「選挙」という同じように単純なルールの上に成り立つ政治がそこまで至らないのは②がないから、なのだろうか。

②`誰か`に感情移入できる
「母校」「出身地」という「甲子園モデル」に加えて、それ以外でも’誰か’に感情移入が出来る装置が「箱根」にはある。
それは中継中「無駄な時間が多い」ということなんだけど(笑)
つまり野球やサッカーと違って、試合の展開は緩慢だ。しかし実況し続けなければならない。
アナウンサーは選手についての「まめ情報」を繰り返し語ることとなる。天理教ではないが、人は同じことを9回ぐらい聞くと知識が「定着」する。「定着」は「愛着」となる(笑)ついつい、その選手を応援したくなるのはこのマジックがあるからだと思う。
また「箱根駅伝」と「学歴社会」はリンクしていると思う。昔はエリート校が圧倒的に強かった。もしくは体育専門学校。が、今や世に言われるエリート校でもダメはダメ。会社でも同じだ。
少々の学歴コンプレックスを抱えながら社会で生きる人にとっては小気味良い部分もあるのではないだろうか。

③「逆転」(=ドラマが生まれる)が可能な設定
なぜわざわざ「箱根の山」を登るのか(笑)「競走」だけだったら、平地で良いのである。しかも5区6区のみでなく、どのコースにも必ず「坂」を入れている。20キロ前後というのも微妙で、5人はイケても、10人揃えろ、といわれたら「ハイ、どうぞ」というわけにもいかない数なのだ。
このコース設定はつまりはブレーキ、転倒、山の神等「ドラマが生まれやすい」設定にしているのだ。「逆転」も可能な設定にしているのだ。

④「Mの社会」

快走を続けるトップを賞賛しつつも、みなどこかで「ブレーキ」を期待していたりする。
そして出来たら「苦しみ」「逆境」を乗り越えて栄光をつかんでほしいと思う。
この国のどこかにある「M体質」。苦しいほどいい、という。価値がある、という。
これは社会全体でも感じる。なぜ苦しくなるのにそこを選ぶか。(例えば農業の戸別所得補償制度を切られても自民党を選ぶ不思議だ。いや、実は基本「Mの社会」であると思うと、妙に納得が行く。「箱根」はそれを見て感動する「Mの社会」にある「S体質」部分をもあぶり出す。
この微妙な役割分担と入れ替わり。

これこそが「一強多弱」を産む背景のような気もする。

「政治と箱根駅伝③区割りとシード権」

「さあ、箱根駅伝まであと365日だな」
毎年、ゴールテープを切った後に夫がつぶやく言葉である。
そしておもむろにオーダーを考え始める。
「来年は行けるで。上位校は4年生がごっそり抜けるからな」
「皮算用」も抜かりない。「我が家に正月が来た」と実感する瞬間でもある(笑)
(今年に限っては「(来年も)何をしても絶対無理」だったが・・笑)
政治と箱根駅伝との「共通点」を整理してみよう
①優勝した(当選した)日から、次の闘いへのカウントダウンが始まる
栄光は終身続く訳ではなく、逆に言うと日々「脱落」「失業」への強迫観念を抱えながら生きて行くこととなる。
もちろん「任期付教員」とか他のスポーツでもそうだが、「箱根選手」の悲壮感も相当なものである。(*次回別途言及)
②ピーキングの難しさ
実績等は参考にしながらも、実際には「その日」(箱根・投票日)の一発勝負。ゆえにこの日に「ピーキングしなければならない」という過酷さについてのプレッシャーは他の競技よりも強いような気がする。気候他の「読み切れない風」があることもそれをより難しくしている。ま、箱根の山とか、わざわざその「変数」を高く設定しているんだけどね(笑)
③個人の闘いと団体戦のミックス
「区割」がある(笑)
他校(党)から誰が出てくるかで順位やパフォーマンスが変わる(笑)
小選挙区制になってからは選挙においても「順列組み合わせ」が個人の能力を超えて作用することも多くなったが、箱根においても「他校から誰が来るか」は重要である。
各校ではこの「オーダー」を巡って緻密な駆け引きが行われるわけだが、
政界での「候補者選び」と「公認」について「戦略」を持って行ったのは直前のエントリー変更(小池百合子の兵庫6区→東京10区笑)や新人抜擢など小泉元総理ぐらいかな?
選手の引き抜きも含めて、選挙下手な政党は箱根に諸々学ぶべき手法があると思う。
個人が区間でどうパフォーマンスするかも大切だが、団体戦で勝たないと「勝利」とは呼ばれないところも共通だ。
④「シード権」というのも、ある種「二世有利」的発想。
「前任者」の遺産を引き継げる。(一回限りなので政界よりはずっとフェアであろうが)
さて、政治業界でポストを得る為には「落ちない政治家」というのは大事である。つまりは毎回「シード権」争いしているようでは権力を振るう「大物議員」にはなれない。「落ちない」というといろんな意味で人の扱い、情報の集まり方も変わるので、自然と「大物」となって行く。
「永年シード権」を持つ二世とは、走る距離もしくはハードルの数がそもそも違うんだろうなあ。
子どもと義父母の体調不良でよもやの2日連続休日救急診療所通い。
分析が粗粗すぎるな〜と自分でも思いつつ・・。
ブラッシュアップも含め、総括は次回!

2015年1月 3日 (土)

政治と箱根駅伝②早稲田大学がなかなか勝てない理由。

早稲田大学競走部がなかなか勝てない理由。

簡単だ。
<大学入試におけるスポーツ推薦枠が極端に少なく(数)・狭い(条件がきつい)>
つまり早稲田の場合はスポーツ推薦は全競技で80名。
うち、競走部長距離で確保できる枠は2〜4名程度。
他の大学は10人〜15人程度、である。まず圧倒的に数が違う、ということを理解していただけるであろう。
早稲田大学の大学入試において推薦条件は「高校時代全国大会で入賞」。
(ちなみにこの基準で選んだ結果、2015年の入学者はラグビー2人、野球4人となっている)
駅伝を志す場合、この条件をクリアするのは本当に大変。
なにせ 今、全国大会で上位6人は大抵ケニア人留学生だ。
となると、「国体」で入賞するしかなく、
それはすなわち「高校一年の時に’中3・高1括り’の3000Mで上位をとるしかない」ことを意味する。
`高2・高3’ではレベルが高くなってことと、入試に間に合わないため、 高1での成績がものを言うのだ。
ちなみに今回出ている選手10人中6人はこの基準でスポーツ推薦入学をしている。
この結果、「早熟」系の選手は取れるが、その後の伸びと言う点では他の大学の方に人材が集まりやすい。
もちろん一般入試で入ってくる選手(含浪人)もいるのだが、基準記録をクリアしないと競走部には入れないので、そちらはもっと「狭き門」かもしれない。
もちろん、新興大学に人材が集まるのは、学費等(「栄養費」名目での小遣いもくれるらしい)の免除も含めた財政的支援が充実していることも理由ではあるのだが。
そして。
前回も書いたが小選挙区と同じで、箱根駅伝には「定員」がある。
なにしろ全部で200人しか出ることが出来ない。(除・学連選抜)
早稲田に行きたい選手はたくさんいる。(「たくさんはいないよ・・笑」(by夫)
が、推薦のハードルが高い。
となると、学生たちは指導者との相性も含めて「自分が出場できるところ」を考える。
つまりは、どう考えても考え方は自民党に違いが、枠は埋まっているから民主党。
民主党も埋まっているから、維新、みたいな(笑)
そう言う意味では「絶対、ここで走りたい」という次世代の皆さんをワタクシは密かに評価しているわけなんだけど(笑)
ある意味「出やすいところ」を求めて所属先を決める、というのは政界も陸上界も一緒かもしれない。

政治と箱根駅伝①青学はなぜ強くなったのか

正月恒例の箱根駅伝。

東京ー箱根間往復で行われる駅伝競走には表に裏にさまざまなドラマが詰まっている。
夫が早稲田大学競走部で駅伝をやっていたこともあり、その「裏事情」を多少也とも見聞きするうちに、駅伝業界と政界には思わぬ共通点があることに気づいた。
3回(程度)に渡って記したいと思う。
第1回目は「青学ははぜ強くなったか」(予算の「選択と集中」とリクルーティング)について。(第2回目は「Mの世界」を予定・・笑)
「青学はなぜ強くなったのか」
生きているうちに青学の優勝を見れる日が来るとは、卒業生はおろか選手も含め誰も思っていなかったのではないか。
この命題について事情通の?夫と話す。
「(中国電力)坂口の教え子だからな〜」
夫の解説によると、原晋監督は早稲田出身の坂口さん(夫2つ後輩)の世羅高校の後輩で中京大学に行った。つまりは箱根の選手ではない。
が、インカレ優勝等の実績があり、中国電力へ進む。
実業団で3〜4年やって、引退し、その後は営業マンとして頭角をあらわす。
「オール電化売り上げ一番」?とかだったらしい(笑)
青学が駅伝強化を打ち出し、監督を募集していた時に、原さんは営業マンで培った能力を生かし、プレゼンテーションをして採用となった。
坂口さん曰く「賭け」だったらしいが、みごとに「勝った」わけである。
・・ 「詳しくは今月号の『月刊陸上』で」(by夫)
しかし。
政界もそうだけど、陸上界もある種「人脈」の世界なのだ。
「人脈」とは「拠点」とも言う。
それがないと、選手として見いだされることも、その後長くこの世界に居続けることもなかなか難しい。
つまりは「世羅高校」の拠点がなかったら「青山学院原監督」は生まれなかった。
ちなみに昨日の山の神・神野くんも夫の早稲田大学一年先輩の小田さんの教え子。
「青学」にクロスしている「早稲田」や「中京大」拠点人脈があってこそと思われる。
結局、こうした中で「青田刈り」も行われる。
学校の強化費や推薦枠の振り分けもあって明治・青学が台頭した結果、日大・法政・神奈川が没落。
大学側は予算の中で計画的に強化費を振り分ける。青学は駅伝に力を入れた結果、他のスポーツで切られているものもあるはずだ。 ちなみに早稲田の今回の推薦枠は女子サッカー10人(笑) 野球や男子サッカーが3人程度しか入れず。
陸上は例年並みで、まさに大学の思いが集約していると言える。
「まあな、駅伝強化は単純に『受験生確保』という明確な目標があるからな」(by夫)
つまりは他の強化ではここまでの広告は打てない(笑)
青学の躍進は「選択と集中」の結果でもある。
そして通常は「母校愛」ゆえ「卒業生」から監督・コーチ陣を選ぶが、陸上界においては新興勢力である青学はそうしたOBを持たない。だからこそ、能力があり、トップ営業マンとしても優秀な原監督を選び取ることができた。
スポーツ推薦で入学した学生は、スポーツ推薦入学へのある種の偏見や実際の練習と学業との両立の困難から担当教授は受けるのを嫌がる。
そこを説得するのも大変な労力だが、
原監督は教授会や卒業交流会(業種別にも色々あるらしい)での挨拶回りや寄付のお願い等、相当な努力を払い、その姿には「本当に頭が下がる」との評価があったそう。
優秀な選手を確保する素地を作ったのである。
政界を見ると、小さな政党は軒並みこの部分に失敗している。
青学の躍進に学ぶべきである。
さて、再び、箱根駅伝の中継に目をやる。 全10区で走れる選手は学連選抜も入れれば210人。 まるで小選挙区のようだ。 こ
こに至れた、走ることが出きた選手たちと、サポートする部員たち。
一年に一度の楽しみとして沿道で応援する人々。 どんな「大人の事情」があっても、ここで走る若者たちはまっさらである。 「駅伝の神様」と「平和」に守られながら、それぞれの「ベスト」を尽くし切れますようにと心から祈る。

2015年1月 2日 (金)

ハイレベルな政治漫談

https://www.youtube.com/watch?v=o-k5vGmCwzg

桑田佳祐、さすが、嘉門達夫の師匠である(笑)
政治漫談としてもハイレベル(笑)
共産党まで取り上げているところが秀逸。
おっと、我が党は? 批判されてなんぼ、という気もする・・淋しいよね(笑)

「続・『都合のいい大義名分(かいしゃく)』」サザンオールスターズ「紅白・ピー&ハイ論争」に思う

*前回の『都合のいい大義名分(かいしゃく)』の後半部分に加筆しようと思ったら、すでにBLOGOSにはアップされていたので「続」として書く。

ミュージシャンや文学者他芸術家が、自らの作品を通して自分の政治信条を明らかにして時の政権を賛美もしくは批判することは、古今東西行われて来たことだ。


アメリカでは俳優や歌手が支持政党の党大会でパフォーマンスすることや、資金集めパーティへの協力をすることも日常になっている。

日本でははっきり態度を示す有名人となると、創価学会系か、松山千春氏ぐらいか(笑)

今回の少々「過剰な反応」を見ながら、ミュージシャン自身やその作品と政治のコミットメントについていは国民の側も「慣れていない」ということなのだと思った。
(ちなみに、桑田さんは紅白の中継前に『紫綬褒章』をもらった自分への言い訳と自己批判?も行っている。オークション他、そちらの方が過激であったと思う)


さて、前回も書いたが『ピースとハイライト』は政権批判と言うよりも、『都合のいい大義名分(かいしゃく)』に対する警鐘である。

相変わらず繰り返されている「ピー&ハイ論争」と平行して流れてくる「天皇陛下の新年にあたっての言葉」を引いての記載にも「同じ違和感」を覚えながらその「警鐘」は今回紅白でのパフォーマンスを「安倍政権批判」だと、印籠のごとく掲げている人々も含めて、全ての国民に対し向いており、大きな示唆を含んでいると思う。

政権を批判するも、後押しするも自由である。
しかし「桑田さん」や「天皇陛下」の名前を出し、その言葉のごく一部をつまみ上げて、自分の主張に合うように加工し、正当性を主張しようとする「狡猾(セコさ)」。
彼等の名前を出すことで自らの「格」があがったように錯覚してはならないのである。

「人の言葉」でしか勝負できないなら、所詮そこまで。
なかなかシニカルで、厳しいメッセージなのである。

2015年1月 1日 (木)

「都合のいい大義名分(かいしゃく)」

大晦日、友人とともにサザンオールスターズの年越しライブを見ていた。
途中、紅白の中継が入り『ピースとハイライト』を熱唱する桑田圭祐氏。
これを鬼の首をとったように「安倍政権への批判」と主張する人々が多いのだが、そうであろうか。

純粋に歌詞のみを読んでみると、我々は「都合の良い大義名分(かいしゃく)」を慎まなければならない、と痛感する。

それがまさに桑田氏の指摘する「争いの仕掛け」であるからだ。

桑田氏は詞の冒頭で
『今までどんなに対話(はな)しても それぞれの主張は変わらない』ことにいらだち、
『教科書は現代史をやる前に時間切れそこが一番知りたいのに なんでそうなっちゃうの』と不満を持つ。

『歴史に照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない 硬い拳を振り上げても 心開かない』と「現状を認識」した上で、シンプルな「具体的解決案」を示している。

が、争いは止まない。

その「争い」には「仕掛け」がある。それが「都合のいい大義名分(かいしゃく)」だ。
『20世紀で懲りたはずでしょう?』
悲しい過去も、愚かな行為も、『人は何故に忘れてしまう?』
それぞれが「都合のいい大義名分(かいしゃく)」をし、対話をしても一歩も引かないことに起因しているとしているのだ。

『いろんな事情があるけどさ
知ろうよ お互いのイイところ!』

『希望の苗を植えて行こうよ』
『地上に愛を育てようよ』

希望の苗は「対話」の中で生まれる。
お互いのイイところを「知る」と、そこに「愛」(理解)が育つ。

『愛することを躊躇(ためら)わないで』

つまりはこの詞は一方的な大義名分を主張した意見広告ではないと思う。

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