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2015年3月

2015年3月30日 (月)

日本司法書士会主催「無戸籍者問題を考える〜私を証明出来ない私たち」

2月28日、日本司法書士会主催「無戸籍者問題を考える〜私を証明出来ない私たち」に当事者たちと一緒にゲストスピーカーとして参加した。

今までいろいろなシンポジウムに出て来たが、会場がこんなに泣いたのを見たのは初めてだ。
本山敦立命館大学教授のお話は、
家族法の根幹の部分を徹底的に議論することが、逆にそれが結果的に何も生まないのではないかという危惧もあり、学者の皆さんも含めて結局小手先で対応して来たこと。そしてそのツケを、何の瑕疵もない子どもたちが背負わされるという理不尽をつくづくと考える内容だった。
無戸籍当事者のふたり。
過酷な日々の暗闇から絞り出すように話す言葉の重みは、会場の誰もが感じたと思う。
そして、南和行弁護士。
泣けた。講演もパネルディスカッションも本当に素晴らしいのひと言だった。
当事者、そして当事者の家族の苦悩を誰よりも理解した上で、
法廷にて正義を実現するために闘って来た経験を、会場の全ての人が共有出来るよう言語化してくれた。その能力には感服だ。
午後1時から5時半、4時間半に渡るシンポジウムを企画し、実現してくれたのは司法書士の森田みさ先生、小澤吉徳先生、そして鮮やかな仕切りをしてくださった伊見真希先生をはじめ、志ある司法書士さんたちだ。
これだけ長時間のシンポジウムも初めてで、会場の皆さんが寝てしまったらどうしようと思っていたけれども、本当に実りのある時間を過ごさせていただいた。
日本司法書士会の皆様には、心から感謝いたします。

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フジテレビFNNスピーク

おはようございます。
本日、お昼11:30〜
フジテレビFNNスピークにて「無戸籍問題」が特集されます。
ぜひご覧下さい。
http://www.fujitv.co.jp/fnnspeak/index.html

2015年3月22日 (日)

「セクハラ・パワハラは許さない!」大衡村から日本の政治文化を変えよう!!

大衡村だけの闘いではありません。
「セクハラ・パワハラは許さない!!」
日本の政治文化を変えるための闘いを宮城4区から始めます!
「作並ゆきの」
誰よりも地元のことを知っている凛々しい女性。
長妻昭代表代行にもご激励いただきました。
(連写です☆)

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2015年3月17日 (火)

あり得ない・・まさかのセクハラ解散!!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl
報道等でご存知のように、本日セクハラ訴訟を起こされている大衡村跡部長が議会を解散いたしました。
被災地は8月、10月に選挙がずれているのですが、急遽4月26日投票の日程で選挙が行われることとなりました。
民主党宮城県第4区総支部も
「パワハラ、セクハラのない「質の高い議会」を目指して、ふさわしい人材を議会に送れるよう総力をあげてがんばります!!

2015年3月13日 (金)

「曾野綾子化する林真理子」

「曾野綾子化する林真理子」
「週刊文春」夜ふけのなわとびを読んで

川崎の中1男子殺害事件の詳細が明らかになるにつれて、私が今取り組んでいる無戸籍問題で当事者たちが抱える問題点とも重なり、胸がつぶれる思いだ。
そんな折、林真理子さんのエッセイを読んだ。
驚いた。
林真理子さんが「曾野綾子化」している。
実はこの「週刊文春」のエッセイでは、数年前に無戸籍児を持つ母親に対する無理解ともとれる文章があり、「週刊文春」に抗議文を送ったことがある。
その折も一方的に母親を責めたてる内容だった。
エッセーの前半は「子どもの貧困」について言及している。
「何年か前から、子どもをめぐる貧困はとても深刻なことになっているらしい」
林さんの周りには「子どもの貧困」を実感出来るようなことはないのだと思う。「子どもの貧困」はあくまで人ごとであり、「ご飯をちゃんと食べさせてもらえない子ども、汚れた服を来たままの子が大きな問題になっている」ことについて「いったいどこの国の話?」と「最初はなかなか信じられなかった」そうである。
林さんの考える「子どもの貧困」対策は、実にシンプルである。
「お母さんにちゃんとしてもらわなければ」
その「お母さんたち」のイメージは「手に職がない女性は、パートや夜の仕事でうんと低給与で働かなくてはならない」人々であり、「だからといって、離婚をするな、我慢しろ、などと言っているわけではない」そうで、離婚の前提条件としては「十分な準備をし、祖父母の協力を取りつけてほしいとお願いするのだ」としている。
 そして「お母さんにちゃんとしてもらう」ためには、
「『母でいるよりも女でいたい』などという考えも、二の次に置いてほしい。」とする。
ただ、次のように例外は認めている。
 「いつまでも女でいたい、などというのは、恵まれた生活をしている人妻の余裕の言葉である。もし離婚をしたとしたら、子どもが中学を卒業するぐらいまでは、女であることを置いといて欲しい」
金持ちの人妻は女でいてもオッケー。離婚をしたら中学まで恋愛禁止だ。
そして、こうも言う。
「セックスとかそういうことで、現実逃避しないで欲しい。お願いしますよ」
どうして「現実逃避」ときめつけるのであろうか?
そりゃ、偏見でしょうよ。
また、再婚相手の暴力も、母が「女を優先したこと」が原因であるとしている。再婚は別に「女を優先した」ということとは限らない。男の人は「男を優先した」となるのであろうか?
 林さんの「曾野綾子化」はラストに向かって加速する。
 「などということを書いて、私は次第に空しくなってきた。そういうことをするお母さんが、この「週刊文春」を読んでいるとは到底思えないからである。
 そう、雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちということを私は実感しているのだ」
 『週刊文春』は親教育の教科書か?
 思わず、突っ込んでしまう。
 「本ももちろん読まない。雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちているのではなかろうか」
 いやいや、本をたくさんお読みのはずの林さんこそが、想像力がないどころか、現実も見えていないですよ。
 「行政はもちろんであるが、近所の私みたいなおせっかいなおばちゃんたち、どうか気の毒なお母さんたちに手を貸してあげてほしいのである」
 「お気の毒なお母さんんたち」・・・どこまで上から目線なのだろうか。
林さんが「お気の毒」と思っているお母さんたちは、林さんのような「おせっかいおばちゃんたち」を最も苦手とする。
 なぜならば、その「親切」は、自分のためにやっているとわかるからだ。
 曾野綾子さんは「偽善も善」と言ったが、「偽の善」は時として本当に助けを求めている人々を傷つける。
 こうした無邪気な「おせっかい」ほどやっかいなものはない。
 そもそも、このお母さんに対する言動については「週刊文春によれば」である。
 自分で確かめることができない第三者からの伝聞情報で特定個人をこれだけ断罪し、否定し、また「自分とは違うのだ」とあからさまに排除して行こうという偏狭さこそ、こうした犯罪が起こる土壌を作る遠因になっていると私は思う。
 まあ、普通、この原稿来たら編集部は「ちょっと・・」と言いますわな。それもできないようになっているとするなら、やはり林真理子の「曾野綾子化」は相当進んでいると見ていいと思う。

2015年3月 4日 (水)

「衆議院予算委員会 民主党『女性デー』に思う」

民主党は2日に行われた衆議院予算委員会の質疑を、質問者5人全員を女性とした。
(どうせなら、総理が出席しテレビ入りのある3月3日(ひな祭り)にすべきでしょうよ、というのはおいておいて)
アーカイブでその映像を見ながら、初当選同期の山尾しおり代議士が堂々と、ヤジにも臆することなく質問した姿を見て嬉しくも思ったし、西村、阿部、金子さん、それぞれのキャリアに裏打ちされた質問にも、鈴木貴子さんの初々しさにも好感を持った。
しかし。
残念なのはこの場に本来いてしかるべき櫛渕万里さんや江端貴子、永江孝子といった実力のある2009年当選同期組がいないことである。
彼女たちがいたら、もっともっと波状攻撃をかけられたはずなのだ。
(その末端にワタクシも加わりたかった・・との思いも入れつつ)
2009年に民主党では26名の女性議員が誕生した。
そのうち、国会に戻って来れたのは、なんと山尾さんの1名のみ!
選挙はもちろんそれぞれの「努力」の成果であるということは大前提なのだが、それにしても、26分の1という数字は、党としては猛省しなかればならないのではないかと思う。
離党したり、さまざまな理由で公認候補になれなかったり、なれたとしても公に私において十分に闘う準備が出来なかった人も多い。
個人的に言えば、12月の選挙の後、永江孝子さんが政界を引退、離党というニュースは衝撃だった。
でも、どこか「わかる」気もする。
「女性活躍」「多様性」を謳うならば、まず、この25人がなぜ国政の現場から遠ざかってしまったか、もしくは戻って来れなかったという理由をきっちりと分析し、党として貴重な人材を育てて行くのに必要な手だてを考えなければならないと思う。
いずれにせよ、この「女性デー」で民主党の女性議員は決して「お飾り」ではなく、性差に関係なくしっかりと仕事をするということをアピールできたことは良かったことだと思っている。

「企業団体献金を受け取る政党には政党交付金不交付とすべし」

「政治とカネ」の問題で国民の政治不信が極まった1994年、小選挙区比例代表並立制、政党助成金の導入を柱とする政治改革四法が成立した。
一人当たり250円を負担し、一定の要件を満たす政党に交付するという「政党助成法」は、「企業団体献金の廃止」が前提であった。
つまり、国民は250円払えばもう金輪際「企業と政治家の癒着・口利き・汚職」とはオサラバできる、はずだったのだ。
これに全面的に賛成はできない人でも、「まあ、年間250円なら、特定の企業を儲けさせるためにどうでもいい事業に税金をバンバン無駄遣いされるよりはいいか」というのが、当時の感覚であったと思う。
以来、20年あまりが経つ。
状況は変わったのか?
効果が全くなかったとは言えない。
お金のない若い政治家が政治に参画出来るようになったのは、この政党助成法が導いたものだとも思う。
が。20年経ってもその前提である「企業団体献金の全面禁止」がなし得ていないというのは、どう考えてもおかしいのである。
事実、立法に関わった多くの政党・政治家でさえその両方を得て平気でいるわけで、これは国民を騙していると言われても仕方ないと思う。
残念なのはもっと早くに民主党がこの問題に決着を付けるべく、動けなかったことである。
マニフェストに入れるのであれば、公認候補の要件として「企業団体献金を受け取らない」ことの誓約を求めるべきなのである。
国会議員の現職であった時には、党の政治改革関連の会議で度々同様の発言をさせてもらったりもした。
が、党幹部からは「現行法では違法ではないので、今受け取っている人を規制することもできない」との残念な答えであった。
当時は与党になって企業団体とのつながりが出たことや、労働組合関連の献金等の扱いも含めて、難しいところでもあったのかもしれない。
ある意味、国民の支持が急速に引いて行ったのは、与党になって「大人の対応」つまりは「本音と建前」を使い分けるようになってしまったことが見透かされた結果であるとも言えるのではないか。
しかし、である。
今回の予算委員会での質疑を見ていると、民主党自体がその呪縛を解かれ、国民の前に「あるべき政治」の姿を示す機会が来ているのだと実感する。
枝野さんや山尾しおり議員の質疑はとても良かった。
予算委員会の「女性デー」をテレビ入りにしなかったのは痛恨なのではないか。
政党の支持率向上のために言っているのではない。
「政治とカネ」の問題は個別の議員の資質の問題に収斂される話ではなく、今の政治の「カラクリ」が如実にわかる、つまりは「ど真ん中」の話だからである。
施行から20年も経っているだから、この間に各政党も企業・団体献金に頼らない財政基盤を打ち立てなければならなかったのだ。時間は十分あったのにできなかったというのは、やっぱりなあなあにしている方が「おいしいから」である。
ではどうすべきか。簡単である。
「企業団体献金を受け取る政党には政党交付金不交付とすべし」である。
その政党の支部についても、企業団体献金を受け取ったところには政党からの振込も一切ダメ、とする。
当たり前だ。
政党助成金の申請をしない、ということも可能なのだから(共産党や民主党も震災後はそうした対応を行った・・国民は知らんと思うけど涙)
「本気」を見せるために、各政党がどんな対応を行うのか、国民は注視するべきである。
(こういうことを言うと人気取りの「ポピュリズム」という人がいるんだけど、全然違うと思う。これは単に「筋」の問題だ)

2015年3月 3日 (火)

J-WAVE JAM THE WORLDに登場します☆

J-WAVE JAM THE WORLD。
CUTTING EDGEのコーナーに登場しま〜す☆
(午後8:20〜予定)
ナビゲーターは津田大介さん。
お題は「政治とカネ」です・・。
インサイドネタも含め??わかりやすーく解説しまーす・
http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/

2015年3月 1日 (日)

民主党大会と「ファイナルカウントダウン」

民主党大会と「ファイナルカウントダウン」 予期せぬ代表選挙となった臨時党大会から1ヶ月半、本日民主党2015年度定期大会が行われた。

最後は参加者全員で来るべき統一地方選挙に向け、気合いを入れて大いに盛り上がるはず・・が、皆顔を見合わせてしまった。
そして同じことを思ったのだ。
「ここで『ファイナルカウントダウン』はないよね」と。
この曲は「ヨーロッパ」の代表曲ではあるが、だからこそ使い古された感と、曲の中身を見たらおいおい・・となるはずだ。
We're leaving together
But still it's farewell
And maybe we'll come back
To earth, who can tell?
僕たちは一緒にここを旅立つ
それでもやっぱりサヨナラなんだ
この地球に帰って来られるもしれない
でもそんなことはわからない (中略)
It's the final countdown
The final countdown
最後の秒読みが始まる
これが最後の秒読みなんだ
もちろんサッカーやラグビーの決勝戦でよく流される曲である、ということを差し引いても、
途中の引退する永年勤続の地方議員さんたちの表彰時に流れた「炎のランナー」もしかり、
全く「演出」というものが感じられない選曲だった。
最後の自治体議員選挙に出る女性候補予定者の「決意表明」については
、「あがった」というのはあったとしても、とても残念なものだった。
それは彼女が、というのではなくて、周りの「励まし方」が、である。
「男だったらどんだけ叩かれたかわかんないよな」と隣で某総支部長が言っていたが、それは本当にそうだ。
つまりはこの「ちょっと(大分だったが)間違った方が愛嬌、愛嬌)等と言うのは「同等」と見ていないからのこその、上から目線の「優しさ」だということ。
実はこれが女性候補を見ている同業者をはじめ、世間の現実なのかもしれない。
民主党は今、女性や地方と言う視点を基軸において、組織や政策の立て直しを行おうとしているのだが、
少なくとも党内でのこの「ズレ感」をなんとかしないといけないという猛烈なる危機感が湧いてくる。
「格差」という言葉も、言っても言ってもどこか響いてこないのは、
民主党に集う人々が、個別にはいろいろあるかもしれないが、なんだかんだ言って恵まれた中で勉強をし、就職をし、そして候補者となり議員になった人々であり、
「格差」だと声高に言っても、まだ恵まれている人たちの中で活動しているからこそ、問題の本質にきっちりと切り込んで行けてはいないのではないだろうか。
「最後は身体を張って守ってくれる感」が感じられない、と。
「そうだよな、公明党や共産党、もしかしたら自民党の方が、リアルに現実に向き合っているのではないか」 終了後、皆で集まってそんな話になった。
では、どうするべきなのだろうか。
「政権与党を経験したことで、なぜか官僚的、守りの政党になっているんだよな」 その指摘は当たっていると思う。
ここは新しい発想で、責めの姿勢を貫かなければならない。
まずはこの活気のない党大会を、アメリカの党大会のように「お金を払ってでも参加したい」と思わせるような、ワクワクしたものに変えられないだろうか。
表彰は引退する「永年勤続議員」の先生方だけでなく、
党員サポーターを最も集めた人とか、
先駆的な政策実現を行った議員とか、
いろんな角度からがんばっている人を励まし、
それを周知することで他の議員への刺激にもなるはずだ。
オバマが注目を浴びたように、地方議員が時間を決めてローテーションで演説をするのでもいいと思う。
そして、少なくとも外部の人が来て「楽しめる内容」でなければならないと思う。
来賓の大使館の方々等々、つまらなかっただろうな(笑)内部の人でもこんだけ盛り上がらないんだから。
結局、民主党に欠けているのはこの「サービス精神」「お・も・て・な・しの心」なのだ。
「いや、来ているのはどうせ身内だし」という甘えは通用しない。
こうした場は情報発信の絶好のチャンスなのだ。
ネット中継しているんだし。
結局これは「選挙」にも通じるものなんだと思う。
もう一歩工夫を凝らすことで人を楽しませよう、勇気づけようとか、
もしくは徹底的に議論をしてアウトプットを出そうとか、そのどちらでもないシャンシャン大会のために、地方から出てくる代議員の皆様も本当にご苦労様である。
毎年、どうかな?と思う質疑応答の時間ではあるが、それもなかった今回の党大会は2時間の予定が1時間ちょっとで終わってしまったのだった。
開かれた政党、発進力のある政党、再び政権交代への期待を担う政党になるためには、この辺、本気でなんとかしないといけないのだと思う。
病室で見ていたであろう岡田代表は、どんな感想を持ったのであろうか。

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