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2015年6月

2015年6月29日 (月)

さらりと書かれている「子どもを産ませていた」に感じる違和感

日本に帰国してワタクシがまず買ったのは週刊文春と新潮。林真理子さんのエッセイと佐藤優先生×西原理恵子さんの合作コラム連載を毎回楽しみにしているからだ。
ぶひゃー。
週刊文春にさらりと書かれていた一文に思わず、吹き出した。

「(どこぞの市議が)愛人がいるどころか、その女性に子どもを産ませていたというからすごい」(「夜ふけのなわとび」週刊文春より)
基本的にワタクシは真理子ファンである。熱烈ともいってよい。だからこそ「週刊文春」を律儀に毎週買っているわけだけど。
「子どもを産ませる」(とかよくある「孕ませる」等々)明らかに男女の力関係の上下を固定した表現が、普通にこうして使われているということにあらためて衝撃を受ける。
実際にこの愛人が「子どもを産ませ」られていたのかどうかはわかないが、この件でなくとも愛人のみならず「子どもを産ませ」られている女性というのはどのぐらいいるのであろうか。
どうも、現実はこの表現とは違っているように思えてならないのだが。
なので、ワタクシはこの表現に違和感を持ったのだが、こればすんなり受け入れられているならば、まさに「女性が輝く社会」でないことの証明でもある気がする。

2015年6月26日 (金)

議員視察にLGBT政策を盛り込むことを求めよう!

性的少数者(LGBT)支援に向け、兵庫県内初の基本方針策定を目指す宝塚市の市議会定例会一般質問で、自民党議員団の大河内茂太議員が「(支援条例が制定され)宝塚がHIV感染の中心になったらどうするのか」と発言。北野さとこ議員から「不適切」と取り消しを求め、議事が一時中断した。

大河内議員は元民主党で、その後自民党へ移った。

民主党時代にはともに力を合わせて衆議院選挙を闘ったこともあるが、この業界には珍しく極めて温厚で勉強家であるとの印象を持っている。
が。今回の発言に関してはたとえ「差別する意図がない」としても、不見識としか言いようがない。ましてや議員として議会で発言しているという状況は、どんな言い訳も通用しない。
さて、今回のニュースをワタクシは海外で聞いている。
2年前、米国国務省のIVLP研修で3週間、人権、特にLGBT政策を中心にした視察を行った。
以来の、海外であるのだが、ヨーロッパでも北米でも、この2年あまりの間でもLGBTに関しての環境が大きく変化していることを実感する。
ロンドンから電車で2時間あまりのヨークで古い建物の壁に紫の「Q」が見えた時、
カナダ・ビクトリアのフィッシャーマンズワーフのクジラツアーにはためくカナダ国旗がレインボーに縁取られているのを見た時、ぐっと来て涙が出そうになった。
どんな小さな村でも、観光客が集まる場所でも
誰もが自分のセクシュアリティに正直に生きる事が出来る社会の扉が開かれて来ているのだ。
それはLGBTQに留まらず、全ての偏見に晒され、機会を奪われて来た人々の未来を作ることにもつながる。
それは全ての人々の「生きる基盤」を強くすることでもあるという自覚となによりその先に「良き世界」があるのだという実感がそこに見える。「

意図するしないにかかわらず、その偏見や差別によって「誰かを踏み台にする」ことでこそ今の社会秩序が維持出来るはずと思って来た人々は、そこにある「良き世界」に気づかず、またイメージもできないのだろうと思う。
その現実を見ることすらを拒絶したまま、マイナスの思いに憑かれ、取り残され、閉じこもってしまうであろうことも容易に想像出来る。
私たちはそれをも避けなければならないと思う。
特に普段最も生活の場に近い自治体には、十分な知識と見識がある議員が必要だ。
私は地方議員の「視察」に人権研修、特にLGBT関連を取り入れることを提案したい。
観光旅行の域を出ない「視察」が多いことは指摘の通りである。だからこそ、特に海外視察において人権関連の視察を行うことを市民が求めて行ってもいいのではないかと思う。
それは市民の福利厚生、益に直結するから。
たぶん、大河内議員も、また彼に賛同する議員や市民の方々も
なぜこの発言が問題視されたのかがわからないのではないだろうか。
だからこそ、是非、学び、理解してほしいと思う。
いずれにせよ、問題発言があったら、その都度その議員をバッシングしているだけではことは解決しない。
(これを機に議員の質を上げような行動を有権者が求めて行かなければならない。
本来はそうした人が選ばれてはならないのだが、選挙とはそういうものなのだ。
ならば、当選後でも質の向上を求めるべきだと思う)

2015年6月20日 (土)

「無戸籍者ゼロタスクフォース」②

「無戸籍者ゼロタスクフォース」、ワタクシにやらせてくれたらなと思う(笑)
ってか、本気で「ゼロ」にしようと思ったら、声がかからなかったらおかしいよね。
誰より事例にあたり、解決へのノウハウを持ち、加えて1000件解決の実績を持っているんだから☆
企業だったらヘッドハンティングされてよかろうよ(笑)
で、ご指名とあれば、瞬時に「適材」集めて、ドリームチーム作りますよ〜。
弁護士さん、市役所の戸籍係さん・・・仕事の枠をはみだしても「この人の人生をなんとかしなければならない」という熱い思いを持ち、今までの「前例」「判例」を越えられる柔軟な発想力を持った人材・・ああ、スカウトしたい(笑)
まあ、いつものパターンからすると、全くこの問題に関わったこともない面々を集め、また当事者たちがイチから説明しないと…というのが容易に想像出来るだけに、「ゼロ」を謳った今回の行動のお手並み拝見なのだが、ワタクシとしては相談者たちからあがってくる報告をしっかりと聞きながら、当事者たちがさらに追い込まれることのないよう、チェックをしていかなければならないかな、と思っている。
ちなみに、発表された数字だが、
回答率18%で626人ということは、この法務省のおおざっぱ過ぎる調査ですら、単純計算で3500人の無戸籍者はいるということ。やはり我が国の無戸籍者数は1万人以上、ですな。
ここまで多いと、これは個人の人生はもちろんであるが、国の根幹に関わる問題である。

2015年6月19日 (金)

「無戸籍者ゼロタスクフォース」について

本日、法務大臣が「無戸籍者ゼロタスクフォース」を立ち上げることを発表した!!
7年ぶりの対策だ。
2007年の一連の改革は①離婚後懐胎については「推定の及ばない子」として、医師の証明書の添付で通常の出生届と同様の手続きを認める
②家裁前夫を絡ませずにで事実上の父と「認知調停」が出来ること
を中心としたものであったが、無戸籍児・者は減ることはなかった。
今回のタスクフォースの立ち上げについては多いに評価をしたいが、危惧がないわけもない。


対策のひとつの柱である「市町村長窓口と法務局が連携し、積極的に実態についての聞き取りをする」ことについては、実は、実際に今週、聞き取りを受けた当事者もいある。
調停等が非常に難しい事案であるのだが、その際のどのように対応すべきかについては、
「前夫を父とした出生届を出して、同時に子の氏の変更を行えば、前夫の戸籍にその子が載る事がないから、そうしたら?」ということ。
無戸籍者が望むのは、真実の父を父とした戸籍である。
戸籍が出来ればなんでもいい、わけではない。
こうした根本的なことに対して、正面から対策を打つ「タスクフォース」であることを心から望む。


また、実はある地方では、法務局が市町村の戸籍担当者との集まりの中で「無戸籍者が来ても母が罪に問われる可能性があるので法務局にはあげないでほしいと暗にほのめかされたので、相談者が来てもカウントしていない」とはっきりと言う窓口担当者もいる。
確かに実態調査の数をみると、人口比等に比べて明らかに少ない地域があり、以前から不思議だと思っていたが、その実情を聞いて「なるほど」と思った。

全国でかなり差がある対応が改善されると良いが、
無戸籍状態で生きる理不尽が根本的に解消されるためには法改正が不可欠だ。

2007年の反省も踏まえ、さらにしっかりと活動していきたい。

・・ってことで、今から機上の人。帰国は27日です。
次のアクセスは・・・10時間後かな?

2015年6月13日 (土)

「うぐいす嬢」のセクハラ被害と参政権行使

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000104-san-pol

「『うぐいす嬢』らのセクハラ深刻、レイプ被害も…」というショッキングな見出し。
『加害者である候補者の「良いところ」をうぐいす嬢として一日中宣伝し続ける苦痛を「自分の魂を裏切り、自分の宣伝を聞く町の人もだましている気がした」と訴えた』とある。

まず、レイプとか…犯罪だから。
実際にそんなことがあったら、論外。即、訴えよう!
報復等も含めて怖いと思っている人がいるのであれば、全力で支えるシステムを作らなければならない。

ただ・・現場を知っていると、なんとなく違和感もあるニュースでもある。
「うぐいす嬢」は他の常勤の仕事と違って、選挙期間は決まっているし、単発のアルバイトに近い。候補者のところに入る入らないという選択権やシフトは「うぐいす嬢」側にもあり、それは他の仕事よりずっと出来やすい思うのだがな。

ワタクシは「うぐいす嬢」は使わない。
基本、自分で語る。訴えたいことがあるから。
人の選挙で「うぐいす嬢」をすることはあるが、金はもらわん。
仕事じゃないから。
それはワタクシの「参政権行使の一貫」だから。

選挙活動の中で一日の報酬等が決まった職種ではあるのだが、
「うぐいす嬢」の方も、候補者の名前を変えるだけでほぼ同じ内容をあちこちで言っているに過ぎない場合も少なくない。
「仕事」だから、個人の「参政権行使の一貫」として捉えられない場合も出てくるだろう。

一方で「言葉」で生きる政治家にとって、自らの政策や人格に対して共鳴しない人を「うぐいす嬢」とすることはなかなか出来ない・・はずなのだが・・。
しかし、実際には、そこまで考えている人はいないかも。
多くの候補者にとっては名前が浸透すればそれでいいからである。

こういう問題が出てくる背景には、時代遅れな選挙スタイルがある。
古いやり方をブレイクスルーする活動の仕方を考えなければなと、いつもながら最後はそこに行き着く。

「記者の劣化」と「リベラル勢力」の深刻

民主・共産・社民の野党3党と無所属の参議院議員が、共同で民法改正案を提出した。
これは基本的には今まで提出して来た案の踏襲だが、この法案の中には完全に女性差別である「再婚禁止100日短縮法案」が含まれている。
(この内容が「女性差別」であることの論拠は、『世界』7月号(岩波書店)に書かせていただいているのでお読みいただきたいが、もし「差別でない」という方がいらしたら、ぜひその理由をお聞かせ願いたい)
これらの法律を巡る背景は2007年以前と以後は全く違う。
まさに「紀元前・紀元後」ぐらい状況が変わっているのだ。
記者もそこを突っ込まずしてどうする?
というか・・わかっていないんだろうな、きっと。勉強不足。
「違憲」がポイントとなっているわけだから、提出された法案が「違憲」にならないのかを検証してほしい。
しかし・・あらゆる差別と闘っているはずの野党が、なぜこうした法案を提出してしまうのだろうか。
また「これは良いけど、ここの部分はおかしい」との声があがらないのであろうか。
リベラル勢力といわれる政党や議員、また市民も、自分が取り組んでいる課題以外についての差別に対して鈍感となっている、もしくは知らず知らずのうちのその差別を容認してしまっている。
つまりは「劣化」しているのだ。
それでは差別をなくすことはできない。
事態は相当に深刻だ。
・・ってとこをつくのが記者の役割じゃね?
以降は、『世界』に寄稿した一部である。(全文はご購読ください)
これがワタクシの闘い続ける理由だ。
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 私は13年間にわたり1000組以上の無戸籍で苦しむ子どもたちとその家族を支援して来た。またLGBT・性的マイノリティをはじめ多様な生き方を選択することを法律により阻まれて来た人々の暮らしを見てきた。 
 その中でつくづく感じるのは、誰もが生まれ育つ家庭環境、多かれ少なかれ、良きにつけ悪しきにつけ親の因果から逃れることはできないということだ。
 それぞれが生まれたときに配られる「カード」には明らかな「違い」がある。負荷を背負わなければならない環境に生まれる場合もある。
  だからこそ。
 人間の叡智の結実であるべき「法律」は、この生まれながらにしての差を補い、埋めるためにこそがあるべきなのだ、と思う。
 逆に、その「法律」があることで、人生の選択肢が狭まったり、ましてや、この「再婚禁止期間」のように、「子どものために」との美名のもとで、起こってもいない将来の「不貞の抑止」や「離婚の懲罰」として使われている、しかも一方の性のみが対象という差別規定は即刻廃止しなければならないのである。

『絶歌』に思う

神戸連続児童殺傷事件加害者の手記『絶歌』(元少年A著 大田出版)が出版され、「読む」「読まない」「(内容が)良かった」「悪かった」と多くの人がSNS等で話題にしている。
専門家も含めて「母子関係が影響している」とのことに対しての、元少年Aからの反論である、と読解する人もいる。
そうなのかもしれない。
ただ、私はこの本を読むつもりはない。
私がこれを読んだとて、今後の犯罪の抑止には繋がらないと思うからである。
また被害者の家族がさらに傷ついていることを思うと、ページは捲れない。
子どもを持つ一人の母親として、この事件を素通りは出来ないし、報道される度に動悸がし、動揺してしまう。
どこかで自分の子育てもこのような事件に繋がってしまうのではないかと言う不安を多くの親同様感じているからこそ、この本を読んでもあまり意味がないのではないかと思う。
事件から時間が経った中で振り絞る元少年Aの言葉は、少なくともその当時のものではない。
また『「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記』 (元少年Aの父母著・文春文庫) が既に出ている。
今回の出版については出版社の「いやらしさ」を感じる。
「売れればいい」
自己正当化できるだけの言い訳を用意しながら、社会との接点やコミュニケーションの経験値を積む機会が少なかったであろう元少年Aを利用していると取られても仕方がないと思う。
そうした批判に対してもとことん鈍感な社会が、この事件ばかりかその後のさまざまな事件を産む背景にあることを改めて認識する。

2015年6月 8日 (月)

『世界』(岩波書店)7月号に寄稿しています(本日発売)

明日発売の『世界』(岩波書店)で、「再婚禁止期間「100日短縮案」は差別を固定化する」という小論を書かせていただいています。
先般、朝日新聞の「私の視点」で字数オーバーでカットされたところ(笑)を重点的に書いています。実はそここそが、ワタクシが訴えたい点でもありました。
「法律は『2項』にこそ問題点が潜む」とはワタクシの持論なのですが、民法733条はその典型でもあります!
そもそも「再婚禁止期間」に例外があるなんて、知らん人多いよね?(最高裁の憲法判断は残念ながら1項のみなんすけど〜)
優秀な編集者さまのおかげで、4400字の割にぎっしり中身が詰まっています。

この小論の最後の部分は政治の世界で30年、無戸籍問題と対峙して13年の実感から思うことを書きました。

ぜひ読んでくださいね!!


36

無戸籍・無国籍女性の婚姻届受理

先週、無戸籍女性(33)が今年2月に提出した婚姻届がようやく受理される事になった旨、連絡がありました。

我が国で4例目です。
彼女の場合は通常の772条の場合のように父子関係が確定しないのではなく。
そもそも彼女の出生と、母子関係も証明する者もない・・つまりは無戸籍に加えて無国籍状態ということです。
そういう意味でも今回の婚姻届受理はとても意味のあるものだと思っています。
夫とともに作った新戸籍の記載がどのようになるのか、ちょっと楽しみです。
(ちなみに婚姻届の証人はワタクシです♥️おめでとう!!)

2015年6月 7日 (日)

『火花』と政治

「申請、出さなかったらしいよ」
6月1日、民主党が次期衆院選の1次公認候補内定者53人を発表した。
あれ?
当然、いるはずの人の名前がない。
政治家としての能力もあり、選挙も弱くない。
「選挙は構図」というここ数回の国政選挙の傾向の中で、残念ながら議席を得ることができなかった人々だ。
彼らのうちの少なからずが政治活動から引退、もしくは一時休止をする決断をしたという。

そんな折、遅ればせながら『火花』(又吉直樹著・文藝春秋)を読んだ。
漫才の世界では一握りだけが生き残り絶対善とされる。
その他は淘汰され、その汗と涙は霧となり、世間からは忘れ曝れれる運命にある。

そんな不条理な世界の中で生きる主人公・徳永と「師匠」・神谷の姿は、政治の世界とほぼ相似形である。
「淘汰される人々」の存在こそが、業界の質の下支えとなっている、ところも含めて。

人気の波は満ちては去るの繰り返しだ。
一時勝っても、次の波に乗り切れぬまま、人生の岐路を迎える場合は多い。
徳永も相方が引退をすることとなり、漫才業界を去る決断をする。
一方で、負け続けても、どうにかこうにか生き延びて行く神谷。

続けられるのは「勝ったことがない」からかもしれない。
しかしそんな中での「延命」は時にある感覚を失わせてしまうことにもなりかねない。

打ち上げられる花火を見ながら、そこにある、あまりに露骨な企業と個人との資金力の差を目の当たりにして、徳永は思わず笑ってしまう。
「馬鹿にした訳ではない。支払った代価に『想い』が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。」
しかし。
次にそこで起こったことは・・・。
「これが、人間やで」
神谷のつぶやきこそが、「淘汰される人々」をも支える「一縷の望み」なのである。

話を政治に戻す。
浪人中の生活は過酷だ。
地方選の場合と違って、地道な努力よりその瞬間の政治情勢がより大きく影響をする国政の場合はさらに事情は複雑となる。
20代、30代だったら、それでも突っ込んだろうな、と思うし、実際そうしてきた。
「政治家になりたい」とそれがある種自己目的化してのなら、今も出来るかもしれない。
しかしやっかいなのは45歳ぐらい前後以降の「やりたいことがある」場合の、自分との折り合いの付け方だったりする。

45歳過ぎぐらいからは誰だって、職業人としてベストパフォーマンスができるであろう残り時間を計算する。
こんなことをしている場合か?生活だって成り立たないぜ!
そんな声が日々内から沸き上がる。

家族がいる場合はもっと切迫する。進学を控えた子どもたちがいたら、尚のこと、そのプレッシャーは増大する。
政治資金パーティをして急場をしのいだりする日々に未来はあるのだろうか。
結局はあれだけ嫌がっていた「選挙ゴロ」に成り下がって行くのではないか、という恐怖に近い焦りが出てくる。

「やりたいこと」がある人にとっては、浪人中の数年間、街頭演説をしているだけではもったいない。後援会を拡げる活動ももちろん大事だが、一方で自らの課題に対して、別のアプローチからでも着手して行かないと、本当に時間がなくなってしまう。

こう思うのは至極真っ当だ。
逆に言えば、だからこそ、他の業界から引く手が現れる。他のアプローチの示唆もある。
こうして、ひとり減り、ふたり減り、業界から去って行く。

なんとも淋しいことだ。その顔ぶれを思う時に、この価値付けされていないものの、非常に大きな人材プールが枯渇して行くことは日本の政治の衰退にも直結するような気がして、今後大丈夫かな、などとも思う。
まあ、確かにこま猫先生曰くの「長期的には、われわれはみんな死んでいる」(byケインズ)で、そんなに心配することではないのかもしれないけど。

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