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2015年7月

2015年7月27日 (月)

北海道新聞 社説で 「無戸籍の子ども 放置は将来の芽を摘む」

北海道新聞さんが本日付け社説で取り上げてくださっています。「無戸籍の子ども 放置は将来の芽を摘む」
ありがとうございます!!


http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0027806.html

2015年7月26日 (日)

開高健賞、届かず・・

本日、選考が行われた『第13回開高健ノンフィクション大賞』(2015年2月末日締切)にて、私の書いた『戸籍のない日本人』が最終選考作となりましたが、残念ながら受賞には至りませんでした。
受賞作は朝日新聞記者、三浦英之さんの『五色の虹~満州建国大学卒業生たちの戦後~』です。
三浦さん、おめでとうございます!
選考の過程や、選考委員の先生方の講評は後日当該雑誌にて掲載されるそうです。
この半年間、なんだかんだと言って気持ちはこの日に向かっていたので、ようやく一区切り、です。
ちょっとした開放感もあったりして☆
 
「伝わるように、伝えたい」
私の作品の主人公のひとりでもある「なつお」が33年間、無戸籍で生きてきた末にたどりついた「言葉」を、今、深く噛み締めます。
いずれの時にか、皆さんのもとに、彼らの本当の思いを「伝わるように伝えられる」機会が来ますように。
渾身の「はじめに」は全ての日本人に読んでもらいたいなあ。
なお一層の陰徳積まねば、ですかね(笑)
又吉さんにならって?「受賞結果の報をホテルオークラのBARで待つ」という人生初体験をした後、残念会。
開高健さんが通ったというBARに連れて行ってもらいました。
開高さんが座ったという椅子の後ろには写真がかけられていて、まるでそこに開高さんがいるかのようでした。
「悠々として急げ」
「明日世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」
励まされるなあ。
もしかすると、この半年は開高さんに出会うための日々だったのかなあ。
そんな気もしてくるから不思議。
さあ、私も「やや急ぎ」で、リンゴの木を植えよう!
いつも変わらず、どんな状況でも駆けつけて支えてくれる友情に支えられながら。
本当にありがとうございました!!(って、ここから、ですよね☆)
今後ともよろしくお願いいたしま〜す!
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2015年7月24日 (金)

この国に存在する、あらゆる「差別法」と闘います!!〜司法クラブにて

本日、霞ヶ関の司法記者クラブで8月2日に行うシンポジウムの記者レクをさせていただいきました。

本当にたくさんの記者さんたちに来ていただき、この問題への関心の高さを改めて感じさせていただきました。ありがたいです。
そしてその際にもお伝えしたように、
9月にも民法733条1項、ならびに2項(今回の最高裁憲法判断とは別の部分で争います)についての訴訟を起こすことになりました。
引き続き、この国に存在する、あらゆる「差別法」と闘って行きたいと思っています!

『首相官邸の前で』(小熊英二初監督作品)試写会へ

http://www.uplink.co.jp/kanteimae/
昨日は社会学者・小熊英二さんの初監督映画『首相官邸の前で』の試写会へ。
最近「デモとは何か」を考えさせられる機会が多いのだが、
この映画ではほとんどマスメディアで伝えられることがなかった3.11以降の反原発デモのリアルを、Youtube他に投稿された映像を繋ぐことで見せつける。
当時「首相官邸前」はワタクシにとっても生活圏で、毎日歩いていたにも関わらず、この熱さを感じることは出来なかった。
毎週金曜日の午後6時〜8時は、国会議員たちの多くは地元か、地元への移動時間だったからだ。
この映画はデモの様子とともに、「首相官邸前」に集うこととなった、福島原発のことがなければ縁もゆかりもなかったであろう6人のインタビューで構成されている。
「デモ」に参加することにより、彼らは「彼らの言葉」を獲得して行く。その言葉の奥には、ピンポイントの「今」だけでなく、彼らの生きて来た道筋も見えてくる。
未曾有の災害に見舞われ、有無を言わさず人生の転換を余儀なくされた彼ら、そして私たち。
涙ながらの訴えをする人がいる一方で、鳴りモノを鳴らしながら、時に笑顔で叫ぶ人々の姿もそのまま映し出される。彼らには当時も今も「不謹慎」と思うワタクシもいるのだが、その発露の後ろには3.11で崩される前から続く閉塞やため息の行く先でもあったのだということに気づかされる。
この日は小熊さん本人が来られて、質問にも答えられた。
「学者としての使命として記録した」という109分。
観るべき作品だ。

2015年7月23日 (木)

もしもワタクシが特命人事部長だったら(笑)①比例区の活用

http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20150722/k10010162491000.html
2014年に行われた衆議院選を巡る1票の格差について最高裁が大法廷で審理することとなった。
先般、参議院選挙の「10増10減案」について書いた時にも言及したが、ワタクシは一票の格差については限りなく一人一票に近づけるべきである、と思っている。
最高裁がどのような判断をするか注目したい。
しかし、同時に、「一人一票」で国民が示した意思を反映出来る選挙制度でなければならない、とも思っている。
所謂「死に票」をなるべく避けるためにも、人々の意思を救い上げられる工夫が選挙制度には求められるのである。
(なので、今回の参議院で一人区が増えることについては反対である)

民意の汲み上げという点では、選挙制度の工夫もさることながら、一方では政党の側の努力も必要だと思っている。
衆議院の「比例区」はもっと活用されるべきだ。
たとえばワタクシがもし、某党の「特命人事部長」だったら、「あくまでひとつの例」(←強調しておきます)だが、九州比例ブロックの一位は沖縄で活動する候補者にする。
「我が国にとって沖縄は最重要地域である」というのが党の見解であれば、それを可視化し、実際、国会の最前線で闘う議員を作り、ともに闘うという「本気」を見せなければならないと思うからだ。
かといって、状況を鑑みると小選挙区で勝つのが難しい場合もあるだろう。だからこそ現行の制度である比例区を活用し、必ず当選させる。簡単なことだ。
・・いや、実はこれが簡単ではないのだが(笑)
こうした場合、当然なのだが、比例重複で立候補する候補者たちからは反対の声があがる。当事者たちにとっては1議席たりとも自分たち以外に割り当てられたら「死活問題」となるからだ。
しかし、彼らが「やせ我慢」の出来る真の「反骨のエキスパート」であるならば、「よっしゃ、オッケー!」と爽やかに譲れるはずなのである。
一票の格差の問題は数字だけで計れる単純な問題でもない。
いかに民意を吸い上げ、そこにある問題を解決して行けるか。
重ねて言うが、選挙制度の抜本改革とともに、候補者擁立を行う政党の側の知恵や工夫も問われていることを忘れてはならないと思う。

②に続く(いつかわからんが笑)

2015年7月22日 (水)

デモはウヨクに学べ?

昨日、「デモ」の効用についての話になった。
以前も書いたが、今の国会の議席数から行くと、デモでのアピールが即政策変更へとつながる話にはなりにくい。
ただデモによる反対派の「可視化」は大事で、それは政策の決定権を握る与党の支持層の基盤を崩す一滴になっていく可能性があるからである・・というようなことを話しながら、
頭の中を「どんぐりころころ」が流れていることに気づいて驚く。
そうなのだ!国会前の「デモ」は原発事故以降に行われたものだけでなく、それ以前、民主党政権時には毎日、朝に夕に恒常的に「デモ」が行われていた。
四六時中、大音量で、かわいい童謡のメロディーに乗せて、小沢、鳩山、菅、野田他、民主党政権での総理を攻撃した替え歌を流しながら。「デモ」はリベラルの専売特許ではないのである。

「デモ隊」は民主党大会にも登場した。
開会までのちょっと時間があって、同僚たちと喫茶店に入ると、
さっきまで「デモ隊」で叫んでいた人たちが入って来た。
シフト交代時間らしかった。
きっちりと組織だって動く彼ら。それこそ「金が出ている」という、今のデモに対して言われているような噂も出ていたが、いやいや、なかなかこの執念は侮れないな、と思った。
『ネット右翼の終わり』(古谷経衡著・晶文社)によれば、安倍政権に変わって以降、ウヨクの勢力は縮小していると言う。
「ネット右翼」と「保守」の違いは「本を読んでいるかいないか」らしい(笑)
しかし、インターネットというツールを手に入れ、動画サイトを駆使しての主張の拡散他を見たとき、この10年だけを見てもリベラル勢力は同じような努力をしていたのかな、という思いに至る。
安倍政権がうまれたことも含めて、そういう積み重ねの上にあることについて、認識することが必要なのではないか。
民主党政権下で行われていたあの「デモ」は大小はあるにせよ何らかのダメージを与え、それは今も民主党で活動する人々にとってはどこかでトラウマになっているような気がする。
彼らは目的を果たしたのである。

とてもではないが、同じような手法はとれないにせよ、

政治活動や抗議行動については、主張が違うグループが行うことも、観察・検証・考察してみる必要があるような気がする。

「湘南で無戸籍の支援をする会」結成!!

「湘南で無戸籍の支援をする会」が立ち上がりました!!
先般の「無戸籍問題を考える若手弁護士の会」に続いて、地域にも具体的支援の場ができます。
「湘南で無戸籍の支援をする会」は海老名健太朗前茅ヶ崎市議を中心に、湘南地区の地方議員さんたちが協力して無戸籍者たちへの住民サービスに関する周知や、就労支援等を行ってくれます。
海老名君はワタクシの松下政経塾の後輩でもあり、その昔、ワタクシが初陣の折には事務局を、そして当時産まれたばかりの無戸籍児であった我が息子の面倒も見てくれました。
あれから13年。さらにパワーアップして、活動の支援をしてくれる海老名くん。
本当にありがとう!!

詳しくは海老名健太朗氏のHPを♡

http://ameblo.jp/chigasaki-ebiken/

2015年7月21日 (火)

「政治はブスがやるもの」イメージからの脱却 〜「SEALDs」女子の貢献

誤解を恐れず言えば。

女性の政治参加が進まない一因に「政治はブスがやるもの」イメージの浸透、というのがあると思う。
もしくは「自己顕示欲の強いミスコンorタレント崩れの、中途半端に自力で『美人オーラ』を放つオンナ」・・みたいな(笑)
(もちろん実際にはかわいくて素直で能力の高い議員も沢山いますが、あくまで一般的なイメージとして、です)
まあ、リア充してたら、「社会に不満を持つきっかけ」や「政治に関心を持つ機会」も少ないという傾向はあるのだろうし、
「こっちの世界に入っちゃったら、二度と戻れない」みたいな迫力を、おしゃもじおばさんたちが発するのを見て、ちょっと行けないな、と思う若者たちがいても不思議とは思わない。
つまりは・・・政治活動をすると「圧倒的にモテなさそう」なので、それとつるむと自分も「モテなくなりそう」。
たぶん多くの「恋愛もしたいし、結婚もしたい」と思っている若い女の子たちには敷居が高い分野だったのだと思う。
ところが。
「SEALDs」女子の登場は、そこを良い意味で裏切ってくれた。
以前にも書いたけど、リア充な若者は政治について不満を持つことはない。
が、安保法制はそれを越えた、彼らの生活に大きな不安をもたらている、というのが大きいのだろう。
彼女たちは美人であろうが、かわいかろうが、その活動は別に自己顕示欲でやっているわけでないところも受け入れられるんだと思う。
つまり、ちょっと可愛い女子が政治業界に登場すると。どこかに「自己顕示欲」の悪臭…香水つけ過ぎ、プンプン・・一緒に3分もいられない!というのがあって、特に同性はそういうことを敏感に感じるので、輪が広がらない。
が、「SEALDs」の彼女たちが醸し出すオーラはそれとは違い、「もっと一緒にいたい」と思わせるもので、「彼女たちと友だち」というのはステイタスになる。
そういう意味では安保法制という実に残念な形ではあるものの、
「女性の政治参加」などとお題目を唱えなくとも、こうして新たな人材の芽が伸びて来てくれていることには希望を感じるのである。
ただでも、まさにここから、なんだと思う。
まっすぐ育ってほしいと思うけど、狡猾な大人たちに利用されたり、
下手に「アイドル」的祭り上げられ方して舞い上がったり。
内部分裂(たいていは恋愛のこじれから笑)して互いを批判し合ったり・・そんなことにならないようにと願っております☆
彼女たちの年齢見ると、意外には幅広なんだね。10代から20代後半まで。
26歳の子の演説聞きながら、自分のその頃考えたら、結婚して子ども産んでたな〜と思うと、
年齢的な縛りで人生の選択をしなくてよくなっていることは、行動の幅や機会も拡げているんだろうな、と率直な感想として思う。

「アベ政治を許さない」という言い回しについて

「アベ政治を許さない」という言い回しについて、
なぜ「安倍」でなく「アベ」なんだろうか?とか「許さない」というぐらいでいいのかな?なんて、イチイチ疑問に思う自分を、なんだかちっちゃい人間だなと思っていたら、
とびきり優秀な政治学徒赤杉康伸氏ががワタクシが感じた違和感を明確に書いていてくれて、ああ、そういうことなんだなと納得。

『「安倍政権批判」「安倍内閣打倒」ならば分かるけど、「アベ政治を許さない」という言い回しは、個人的に嫌な感じを受ける。政権・政策批判というよりは、安倍晋三氏個人への悪意が感じられる点で。安倍氏の滑舌の悪さを揶揄したり小馬鹿にする人達から受ける印象と、同種の嫌な感じ』(赤杉氏のFBより引用)

つまりは「アベ政治を許さない」という言葉に政権・政策批判より、安倍晋三氏個人や、岸信介氏以来の血族の支配に対する嫌悪の方が上回っているような印象を受けてしまうのだ。
たぶんそれは本意ではないのだとわかっているのだが。
そして何事も「広め」に取るべきだとも思うのだが。
アベ政治を「許す」とか「許さない」ではないところにまで行き着いてしまっているような気がするので、なぜかこれを見るたび焦ってしまうのだった。(この「許さない」が「前に進めることを許さない」の意味であっても)

でも、わかりやすいのかな。これだけ広がっている、ということは。
(ワタクシがこのキャンペーンに賛同しているには言うまでもない)

2015年7月18日 (土)

若者たちの演説とスマホ

http://www.zassi.net/detail.cgi?gouno=46740
『学生団体「SEALDs」に感じる「危うさ」と「嫉妬」』 -(古谷経衡)を興味深く読んだ。
思えば30年前、ワタクシは彼らと同じようにマイクを握って訴えてる「若者」だった(笑)
しかし、当時、政治参加する若者はあくまで「一兵卒」的扱いで、マスコミに注目されることも、ムーブメントを起こすことも難しかった。
当時の政治課題は「汚職」等の「政治腐敗」、そして「売上税」(≒「消費税」 当時はそういう呼び名だった)
生活・暮らしに直結するとしても、社会の主な稼ぎ手ではまだない学生たちの訴えは空回りする部分も多かったのかもしれない。

60年安保以来55年が過ぎた今、若者と政治の距離が近づいているのが、何より今の政治課題が問うのが「戦争と平和」であるからだろう。迫力が違う。

さて、ワタクシが「SEALDs」に集う若者たちを見ながら、最も関心を持つのは「演説スタイル」である。
若者たちの演説は本当にうまい。関心する。
ただ、時折ドキドキしてしまうのは、彼らがスマホの画面を確認しながら演説をすることである。
政治業界の中で、アンチョコを見ながら演説する、というのは、禁じ手で、メモを見て話した瞬間から「大したことねーな」と言われてしまうので、ヘッタッピと言われても、やせ我慢しつつ、何も見ずに演説をするよう自分に課して来た。
これはワタクシだけでなく、たいていの「演説家」(講師他も)は同じなのではないだろうか。

一応のシナリオを頭に浮かべつつも、当日集まった人の顔ぶれや反応を見ながら、内容を変える。
もちろん、あがってしまって言いたい事を言い忘れたり、失敗など無数にある。でも、ある時には原稿がないからこそのいい演説というものが出来たりもする。

もはや、そういう感覚こそ「古い」のだと自覚もする。
先般出席した、結婚式の新郎新婦の挨拶も同様にスマホを見ながらであった。
今の若者世代の、公の場での挨拶は、一旦原稿に起こして、入力し、読む練習をし、暗記もしつつも、忘れたらちゃんと「バックアップ」が取れる体制にしているのであろう。
だからこそ、彼らの演説のあの安定感なのだな、とも思う。

ただ、経験を重ねるうちに、いずれ彼らはスマホを見ずに演説する日が来るだろう。
補助輪を取って、言葉のバランスを取りながら、人の心に訴えかける日、その時こそが彼らが訴える先に取っては、本当の脅威なのだと思う。

予定調和から外れたところに興奮と言うのは起き、それが一瞬にして手のつけれないムーブメントに変わることを、手練手管の大人たち(≒おっさん政治家)は知っているのだから。

2015年7月17日 (金)

紋切型社会と背骨

『そういえば新聞記者をしていたとき、私と同世代か下の世代のなかに、自分の言葉を持っている記者がまったくといっていいほど見当たらず、それが不思議だった。

言葉とは背骨から出てくるものである。
どんなに独りよがりであっても、言葉は背骨がないと出てこない。
みんな記者としては私より優秀だったが、背骨のある者はいなかったわけだ。
紋切型のフレーズが安直に使われているとするなら、それは日本人から背骨が無くなっていることの証である。
本書に対する唯一の懸念は、みんな背骨がなくなってぐにゃぐにゃだから、案外、この本で斬られても、ぐにゃぐにゃっとして何も感じないかもしれないということだ。』
探検家であり、ノンフィクション作家の角幡唯介さんのブログ。
武田砂鉄さんの『紋切型社会』(朝日出版社)を読んでの感想の一部なのだが、「言葉は背骨がないと出てこない」とは「なるほど」である。
ここで氏が同世代もしくは下の世代に感じている「背骨」のなさは政治業界にいてしばしば感じる事である。
どんな政治課題に関しても、また地元活動やプライベートな場面ですら「紋切型」でしか語れない政治家がいかに多いことか。
「つまんねー」
まあ、かといって、大したことでないことをデフォルメして書いたり、
人の書いたもんをカットアンドペースとして、ちょっと加工して、さも自分が考えたようなものとしてしらっと発表するのもどうかと思うけどね。
それはそれで背骨が曲がっとるぜ。
以前も書いたけど。
『青鞜』じゃないけれども、それぞれが真剣勝負で書いて、批評し合う「論壇」が今こそ必要なのだと思う。
右も左も関係なく。 そ
ういう作業を「面倒臭い」「時間がない」と言って避けているうちに「言葉」を鍛錬する機会がなくなり、いつしか「ワンフレーズ・劇場型」のセールストーク、もしくは一歩間違うと人心を惑わすペテン政治が生まれる土壌ともなっていくような。
どちらも感度が低くなっているからこそ、社会が「紋切型」となっているからこそ、それは成立するにかもしれない。
思わず、背中に手を伸ばして自分の背骨を確認しながら、そんなことを思う。
(ってことで、台風の一日、『紋切型社会』でも読んで過ごそうかな)

2015年7月16日 (木)

隣の「安倍政権」

実は日々を送る中で「まるで安倍政権」かと思う場面と対峙することって結構ある、ということを友人と話す。

「人の話を聞いたようなふりして『強行採決』っすわ〜」
わかるーーー。確かになあ。
もちろん、今回の安保法制の舵切りの重みは日常の比ではないのだが、そうしたことの積み重ねの先に今があるような気もする。

2015年7月15日 (水)

アベーロード@国会議事堂前

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プラカードは「解散」に!〜安全保障関連法案 委員会可決見込みを受けて

本日午前、安全保障関連法案が衆議院特別委員会で可決される見込みだ。
憲法さえもいとも簡単に飛び越える総理、そして政治家としての使命と分をはき違えこの法案に賛成をする国会議員に対して、心底怒りを感じる。
昨年末の衆議院解散の際、安倍総理は消費税率10%の引き上げを17年まで1年半先送りを表明した上で、「国民経済にとって重い決断をする以上、速やかに国民に信を問うべきだ」として解散・総選挙を行った。
今回は、それ以上に大きな、そして重い決断であろう。当然ながら衆議院を解散し、国民に信を問うべきだ。
国会前ではデモが続く。大勢の人々が「安保法案反対」を叫び集う。
しかし、安倍総理にも自民党にもその声は届かないであろう。
「また、騒いでいるな」ぐらいの軽さでしか受け止められないのである。
なぜならば彼らにとって「有権者」とは自分の支援者のことを差し、デモに来ている人々は「共産党か、社民党か、民主党支持者。そもそも自民党にも公明党にも票は入れない人々」、つまりは自分たちにとっての「有権者」ではないので、その声を聞いたところで票は入らない。無視していい存在なのである。
これが議席数が拮抗していて、例えばこのデモによってある政党の議員たちの議決が変わって成立に関わるとなったら状況は違う。
いかんせん、今の与党多数の中では、デモが直接彼らに脅威を与えるまでには至らない。
しかし、である。
その様子が報道等により、いわゆる無党派層ばかりでなく、自民党の支持者の心まで動かし、「次の選挙が危ない」となったら、それなりの危機感を抱くようになるだろう。
本当に残念なことに任期は3年以上残っている現状は、彼らはその恐れすら感じることもないだろう。
だからこそ、野党はこの状況下においても「選挙」に至らしめる努力をするべきなのである。自らの選挙の準備が出来ていないなどと言っていないで、内閣不信任案を提出し、その意思をしっかり示すべきである。
それは国民が「反対」に加えて「衆議院解散」を求めるプラカードを掲げることにつながり、大きなうねりを起こして行く原動力になりうるのではないか、と思う。
「デモ」の意義は政治勢力が拮抗している時は政策決定過程に影響があるが、それ以外の時は「可視化」につきる。
つまりはどれほどの反対派がいるか、そしてその人々が与党の支持基盤を支える人がいるかどうか、という。
本日、この法案は衆議院を通過し、参議院に送られる見込みだが、反対派が次にすべきことは与党支持層への働きかけと恊働であると思う。
と同時に、重ねて書くが「解散」という言葉を折に触れて出して行く事だと思う。
政治家の悲しい性だが、その言葉には「翻意」をさせる可能性を生む力があるのだから。

2015年7月13日 (月)

「まがいモノ」と「便乗商法」

最近、気になったニュース。

人気ブランドのデザインを盗用し販売した通販会社経営者らが逮捕された。
実際比べてみても、ほとんどわからない。
功名かつ狡猾、悪質である。
さて、これだけでなく、最近友人たちのFBには「まがいモノ」をつかまされた、とか「便乗商法」に騙された、という記載が目に付く。
あるところにコメントしたことを、断りも、引用もなく別の人がさもインタビューしたかのように使用していたケースもある。
かく言うワタクシも最近そんなこんなに巻き込まれて、ちょっとぐったり。
「まがいモノ」は「ホンモノ」そっくりにつくっているようだけど、もちろん本物ではないし、つかまされた人々の苦情は「ホンモノ」にやってくるので、どこでどう悪事を働いているかは「ホンモノ」手に取るようにわかる。
しかし、冒頭の通販会社で逮捕された商品企画リーダーは「まねしていない」と容疑を否認しているという。
こういう輩だからこそ、平然と「カット&ペースト」ができるんだよね。
あまりに「堂々としている」ため、よもや「まがいモノ」とは判断しかねるのだろうが、特に情報伝達を行う立場のマスコミの方や、オピニオンリーダーの方はようよう気をつけてほしい。
はい、利用されないように。
しかーし。わかんない人にはわからないんだよね〜。
あとで赤っ恥をかかないためにも、よくよく調べてくださいね〜!!!

3重行政? 「財産区」と地方政治

先般、政務活動費の使い方について問題が指摘された議員の支持基盤を考えたとき、ふと頭によぎるのが「財産区」という制度だ。

財産区とは
地方自治法(294条~297条)に規定された行政組織であり、市町村合併の際にもとの市町村が所有や管理していた土地や財産を新市町村に引き継がずに旧市町村の地域で管理、処分するために設置された特別地方公共団体を差す。
財産区のではその財産の管理運用に当たる「議会」も設置でき、「財産区議会議員」は公職選挙法の規定が準用されるというものの、実際には地方議員の選挙以上に激しい選挙戦が繰り広げられるところもあると聞く。
もしかするとこうした政治風土を産む遠因にもなり得るのかもしれないという声もある中で、この春には日本経済新聞で「財産区」の特集が組まれていたことを知る。
以下、日経新聞より。
『豊富な財源、格差を助長 歴史の遺物「財産区」(1)
日本経済新聞(2015年3月3日)
「財産区」という名前を聞いたことがあるだろうか。山林、ため池、墓地など、主にかつて共有地だった不動産を維持・管理する特別地方公共団体だ。総務省の関心は乏しく、不祥事でもなければ動向が報道されることはない。それでも全国には今なお約4000の財産区があり、保有する土地の面積は1万8800平方キロメートルと四国を上回る。とりわけ大阪府と兵庫県に多く、近畿2府4県で1500超と4割近くを占める。
 財産区の多くは明治と昭和の2度の市町村大合併で誕生した。
1889年(明治22年)の市制・町村制施行に先立ち、国は江戸時代以来の入会地を次々と国有地や公有地として召し上げた。これに住民が反発。市町村合併が進まなかったため、財産区制度を設けて自主管理の道を開いた。
 戦後は合併を促す「アメ」として使われた。旧町村の公有地を合併時の協議で財産区に移すことを認めたのだ。財産区の数が159と全国で岡山市に次いで多い神戸市の魚崎財産区はこの代表。1950年に神戸市と合併した魚崎町(現東灘区)の保有資産を引き継ぎ、圧倒的な経済力を誇る。』 (以上引用)
そして
『240人で金融資産31億円 歴史の遺物「財産区」(2)』
『
 外湯めぐりで共存共栄 歴史の遺物「財産区」(3) 』
『小学生がつなぐ山の財産 歴史の遺物「財産区」(4)』
『入会地との線引き難しく 歴史の遺物「財産区」(5) 』と連載は続く。
この記者はなかなか鋭いところに目を付けたなと関心する。
さて、問題を指摘された議員の地盤は「住吉地区」というところである。
「財産区」とこの地区の違いについては、神戸深江生活文化史料館研究員道谷卓さんが興味深い研究を発表している。
『東灘を例に取りますと、 旧村ごとにほぼ財産区は存在しています。
本庄ですと、 深江、 青木、 西青木、 一つずつ財産区を持っておりますし、 本山も、 森、 中野、 小路、 北畑、 田辺、 田中、 岡本、 野寄が全部財産区を持っております。
魚崎の場合は、 全国でもめずらしい議会を持つ財産区です。
御影も財産区があります。
しかし、 住吉だけは、 財産区ではないのです。
住吉学園-村の共有財産を管理する財団法人 
住吉村は、 合併の時に、 非常に賢い選択をします。
繰り返しますが、 財産区とは地方公共団体です。
お金を使う時には市長の決済が要るのです。
住吉村の人達は、 住吉村自身でお金を使うことにこだわったのです。
ですから、 住吉村は財産区にはせずに、 住吉学園という財団法人をつくり、 そこに旧住吉村の財産を全部集めました。 
このあと、 だんじり(地車)のお話があると思いますが、 だんじりの祭りをする時には、 財産区からはお金が出せません。 政教分離の原則があるからです。 一種の宗教行事である祭りには、 公共団体である財産区はお金を出せません。
ところが、 住吉学園は財団法人ですから、 祭りにお金を使うことができるのです。 村固有の財産を自由に使うことができるという意味で、 住吉村は正しい選択をしたと思われます。』
http://www.gakugei-pub.jp/kobe/nada/index.htm#Mnada009
こうしたことについての指摘を、過去においては共産党が議会でも取り上げていたが、その後しりつぼみとなり、今、指摘をする人はいない。
選挙で不利になると考えているのであろうか。
日経新聞の記者が今年になってなぜこのことを取り上げたのか、その動機を知りたいところでもある。

「1人区」が増えると起こること〜参議院「2合区10増10減」案に思う

当然ながら、一票の格差は是正すべきだと思う。

しかしながら今回の自民党が出す参議院「2合区10増10減」案についてはこれで良いのだろうかという思いがある。

というのも、合区以外の「減」をみると宮城、新潟、長野。 改選議席が2議席のところが1議席となる、ということである。 これらのところは過去たいてい「自民・民主」と与野党がひとつずつわけあって来たところで、党内での候補者争いに勝てば当選がほぼ確実。
実際そこで勝てば、以降は自動更新的に議席を得られるいわゆる「指定席=おいしい選挙区」と言われたところでもある。
「定数」というのは選挙においては言うまでもなく当落に直結する大事な要素である。
「3」となると、敵は党外にも党内にも出来る可能性があるわけだが「2」の場合、それはない。無風安定なのである。
しかし、民主党が政権を取った2010年の参議院選挙で小沢幹事長は定数「2」の場合でも、複数候補を立てて競わした。「政権与党なら当たり前」と言ったものの、結局この時の選挙は惨敗、党内、県連内での「しこり」は相当なものとなった。
その反省も含め2013年の選挙では再び一人を立てて「自・民」を狙ったものの一部維新や共産党に「指定席」を奪われる結果となったのは記憶に新しい。
いずれにせよ、定数「2」の一方が野党であればある意味問題ない。
が、「2」が「1」に減るというのは、「3」が「2」に減るとか「4が3」になるとは全く違うインパクトがあるということを指摘しておかねばならないと思う。
つまりは、今までバランスをとってきた「もう一方の1の声」がかき消されることになりかねないのだ。
また、常識的に考えれば当選は難しくなるから、野党側で立候補をしようとする人が二の足を踏む場合もあるだろう。
もしも落選したとするならばその後はその知名度等を生かして衆議院に鞍替えすることは自然なながれであろうが、その場合、参議院選挙の位置づけが政党や県連内で難しくなる場合もあり、公認候補の決定等も直前まで決まらず、結果十分な闘いができなくなるということも容易に想像出来る。
今回の案は、与党多数の中では可決されることは間違いないのだろうが、 今回の改正案の国民にメリットとデメリットをしっかり示した上で、議論をするべきであると思う。
ただただ、「定数が削減されればよい」とか「一票の格差が是正されればよい」という単純な話ではなく、結果的に一人区が増えるということは(地方議会、例えば兵庫県議会の例を引くまでもなく)政治的停滞やゆるみを産む可能性があることも指摘していかねばならない。
本来であるならば、合区をしたとしても複数区とする等の案や現行の比例代表部分の改善他、
一票の価値並びに定数是正とともに、抜本的な制度改革をするべきだったのではないかと思う。

明日14日は『あさチャン』&『TBSニュースバード』

先般の文科省が発表した無戸籍児童についての結果を受けて、7月9日には全国で67件もの新聞記事が掲載されました。ほぼ全紙で報道されたということだと思います。
また、共同通信社さん配信で、以下の記事も出ています。(これは岩手日日新聞)
明日7月14日には『あさチャン』に録画コメント、『TBSニュースバード』生出演で、この問題について語らせていただきます。
ホントは政治評論の方が、10倍?得意だと思っているんだがね(笑)
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2015年7月10日 (金)

間もなくです TBSラジオ荻上チキSession22 15年07月10日(金)「無戸籍の実態と対策」

はーい
まもなくですよ〜
TBSラジオ荻上チキSession22
015年07月10日(金)「無戸籍の実態と対策」
国内に少なくとも1万人?
無戸籍の人の実態を知り、対策を考える!
■スタジオゲスト
民法772条による無戸籍児家族の会代表の
井戸 正枝 さん
■電話出演
30年以上にわたって戸籍がなかった
あき (仮名)さん
早稲田大学法学部教授の
棚村 政行 さん
■募集するメッセージ
・無戸籍問題に関する疑問、質問
・現在、無戸籍の方、また、過去に無戸籍だった方、相談やその経験をお聞かせください!
■メッセージの宛先です
・メールアドレス ss954@tbs.co.jp
・ファクシミリ 03‐5562‐9540
・twitterのハッシュタグは #ss954 です
 Facebookも活用中!
番組への感想など、お葉書の宛先は...
〒107‐8066 TBSラジオ「荻上チキ・Session‐22」まで

本日夜、TBSラジオに出演します

本日夜10:45〜11:45、TBSラジオの荻上チキさんの番組に生出演します。
電話で棚村政行早稲田大学教授、未就学だった無戸籍当事者も。
文科省の発表を受けて、無戸籍者の現状と今後についてお話しします☆

2015年7月 9日 (木)

母乳のネット販売  

母乳のネット販売・・・常識的には衛生や栄養面での信頼に足りうるものとは思えないが、その背景には「母乳神話」に追いつめられる母親たちの状況がある。

実はワタクシは知らない赤ちゃんに搾乳した母乳をあげた事がある。
うちの子どもたちは皆早産で、うち男子たちは全員保育器。その中で幾人かは私と一緒に退院出来ず、毎日母乳を絞って冷凍、それを夫が病院に届けるという作業をした。
さて、今日が退院という日。看護師さんから相談された。
「未熟児の赤ちゃんがいて、お母さんが母乳を分けてもらえたらと言っているの。このまま初乳を捨ててしまうのももったいなくて、もし差し支えなかったら、お願いしたいのだけど」と。
当時、ボスニア・ヘルツェゴビナが戦乱となっていて、戦地で「母乳ボランティア」が集まり、搾乳している場面のニュース映像が頭をかすめ、「お役に立つならもちろんどうぞ」と答えたものの、果たして自分の母乳が赤ちゃんを救えるものかどうか自信もなく、戸惑ったのも確かだ。
自分の子であれば責任の範疇だが、他人の子となるとその責任の重さは何十倍にもなる。
母乳って血液型は関係ないよね?とか、しばらく頭の中をグルグルと疑問が回ったりもした。

かく言うワタクシも「母乳信仰」に取り憑かれ、一人目、二人目は生まれてから断乳まで、一日たりともミルクを飲んでいない。
三人目は保育園に一日3〜4回通ってまでも母乳命!だった。
が・・その保育園で、どうしても間に合わない時にミルクを足してもらうのだが、子どもはどうして、ミルクも美味そうに飲むではないか!!!!
で、目が覚めた。
いいんだよね、どっちでも(笑)
「母乳信仰」から抜け出して、人生、相当楽になった。
たぶん、子どもも。

しかし・・50ml1200円・・あり得ないですわ。

「無戸籍 今も救い待つ」  文科省未就学児童他調査を受けて各紙に取り上げていただいています

「無戸籍 今も救い待つ」 
朝日新聞の見出しです。
まさにこのひと言。
赤ちゃんから成人無戸籍児まで、このひとときも救いを求めている人々が沢山います。
「登録される」という簡単で単純なことなのに、なぜここまでこじれるのか。
こじれた先で待つ過酷さを文科省が詳細に調査してくれています。
そして何より無戸籍未就学児童の数は「氷山の一角にすぎない」と。
一刻も早い全面解決に向けて、さらにがんばって行こうと思っています。
(朝日新聞には「家族の会」の連絡先も書いてあります。無戸籍で悩んでいる当事者、そして家族のみなさん、いつでも待っています!)
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2015年7月 8日 (水)

無戸籍の子、経済難深刻、未就学は7人―文科省調査をうけて

「無戸籍の子、経済難深刻。未就学は7人」―文科省が無戸籍児に関する調査結果を公表した。

明日の朝刊にてコメントを出しているが、

まずは、未就学のまま30歳を越えた無戸籍当事者の生の声を聞き、「こんなことがあってはならない」と声を震えさせて、即対策に当たってくださった文部科学省の担当者の皆さんにお礼を申し上げたい。

その上で、 無戸籍児の未就学問題については

①把握し切れていない子どもが少なからずいるはず。彼らにいかにアクセスするか知恵を絞ってほしい

②未就学である、もしくはあった無戸籍児・無戸籍者全てに聞き取りを行い、なぜ就学出来なかったのか、もしくは何があれば就学出来たのかを検証してもらいたい

③未就学であった無戸籍者については、年齢を問わず全員の学力等の調査を行い、夜間中学への就学を希望する者には小学校卒業資格がなくても通学出来るようにすること。また中学卒業程度の学力のある者で夜間中学等での就学を希望しない者については、卒業資格相当のものを出し、高等学校卒程度認定試験に挑戦出来る道を拓いてほしい

④過去に無戸籍の子どもたちを指導した教員等への聞き取りを行い、指導上での注意点や指導体制等各学校で工夫した点等を、他校でもいつでも共有出来るようにすること

⑤経済的困難にさらされる無戸籍児は高校進学を諦めている場合が多い。返還不要の奨学金等について検討をしてほしい

⑥戸籍取得支援については現状では各法務局ではなく、法務省内のタスクフォースに情報集約を行い、弁護士会、民間団体と協力しながら知見の積み重ねを行うほうが効果的。 法務局で行う場合には専門家の養成等が必要。その場合それなりの予算措置を。

⑥については就学関係以外ではあるが、結局は無戸籍を解消しない限り、子どもたちの人生における過酷さ、成長のために必要である学びの機会opportunity を奪われていくという実情は解消されない。

一刻も早く全ての子が登録され、安心して日々を過ごすことができる日が来るのを願ってやまない。

2015年7月 5日 (日)

「求む!反骨のエクスパート」 民主党公募と『ビリギャル』

「求む 反骨のエキスパート」
民主党の新人候補発掘キャンペーンのキャッチコピー。
なに?「反骨」には「エキスパート」と「素人」がいるんだ?
と思って原文にあたったら、どうやら各分野のエキスパートで、かつ反骨精神を持つ人、らしい。
ちなみに「反骨精神」とはいわずもがなだが「世の中の不正や、因習などに、果敢に立ち向かって行こうとする気概や心持」のこと。
こうした「公募」で最も難しいのは、求めている人材像であろう「現場を持っている、その道のエキスパート」はすでに募集文に書かれている「覚悟」はクリアしていて、いや国会議員よりもっと過酷な
「休みはなく 批判にさらされ からだもきつく 収入もおぼつかないどころか持ち出す一方」という環境で活動していており、そこから政治の現場に出ることが難しいということだ。

一方で、問題意識を持っていても、今から収入や休み等を投げ出す、という人々の中で逸材を見つけるのは難しい。募集の文章の中でも「政治家になりたいという人はいらない」と言っているが、えてしてそうである傾向となるのではないか。
そう考えると、「反骨」には「エキスパート」と思い先攻型の「素人」って、確かにいるのかもしれないな、とも思う。
公募もさることながら「欲しい人材を説得して取りに行く」、つまりはスカウト部門を作った方がヒット率は高いような気もする。
昨日夫の書棚からはみ出していて、たまたま手に取って読んだ『魔法をかける〜アオガク「箱根駅伝」制覇までの4000日」(原晋著・講談社)には人材確保の難しさとについても書かれている。
負けっぱなしの指導者がつかんだチャンスは「ほんの数秒差」で得たものである。
しかし、この数秒差は「奇跡なんかじゃない!勝つべくして買ったんだ。」(帯より)につながっていく。それは「人材発掘と育成」の成果なのだ。
続けて今朝遅ればせながら読んだ、100万部突破のミリオンセラー、映画の観客動員数200万人突破の通称「ビリギャル」=『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴著、KADOKAWA刊)も、ある種同様に「人材発掘と育成」の話とも言える。いろんな声があるものの、
これだけの多くの人がこの本を読み、映画を観たというのは「無理」といわれたことでもできる!という実例を見たい、自分の可能性を広げてくれる人に出会いたい、未来に対して希望を持ちたいという思いを誰もが持っているという証明でもあると思う。

こうしたドラマを民主党は作れるのか。候補者調整や数合わせではなく、有権者の心を動かせるストーリーを持った候補者を擁立出来るのか。
政党としての正念場は既に前回の選考過程にあったような気もするが(笑)棚に置かれている感の元職軍団の利活用も含めて、正念場を越えた土壇場でどう展開して行くか。
候補者選考だけでなく、それは国民をどうエンカレッジできるかということにもつながる・・・ということを有権者は見ているのだろうな、と思う。

・・ビリギャルさやかちゃん、もしくは坪田氏が公募に応じてくれるぐらいだったら、いいけどね(笑)

2015年7月 3日 (金)

8月2日(日)  無戸籍問題と嫡出推定、再婚禁止期間を考えるシンポジウムを行います

8月2日(日)13:00〜早稲田大学にて、若手弁護士の皆さんと家族の会主催で
「無戸籍・嫡出推定・再婚禁止期間を考える」シンポジウムを行います。
基調講演には棚村政行早稲田大学教授。
シンポジウムでは棚村教授、弁護士さん、無戸籍当事者とともに、ワタクシも登壇します。
我が国の無戸籍問題についての最新・最深の実情と情報、また多くの人が知らない再婚禁止規定が孕む問題点等、子ども・成人無戸籍者たちが対峙している壁と、越えなければならない課題について、国の内外に向けてしっかりと発信していきたいと思います。
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2015年7月 2日 (木)

東大阪・神戸 2つの市議会自民党会派の政務活動費に見る「伝統的因習」

昨日は関西の2つの市議会(東大阪市・神戸市)の自民党会派の政務活動費を巡って、使途が不正・不明ではないかとのニュースが流れた。
東大阪市の市議会見を見たが、活動報告は確かに印刷・配布されていたが、具体的な証拠は一切示せず・・って、政治家は基本的にこうした広報物は今後の参考のためにも保管しているし、会派で作ったなら尚のこと、会派で保管していないというのは「あり得ない」と思う。
ってことは「やっぱり、そもそも?」・・と疑われても仕方がない。
こういう状況で彼らの弁護をしている弁護士さん、かなりお気の毒な感じが。
まあ、仕事だからこの市議団の立場を守ることが主眼とされるのだろうけれども、本来は市民への説明責任を果たことが市議団に求められていることなので、弁護士さんにもその観点からもしっかりと材料を集め、集められないとするならばその事情をしっかりと市民に説明するよう市議団を説得するということもしていただきたいと思う。
が。
刑事告発ということは、多分、当事者たちからよりも、捜査によって出て来た事実に酔って東大阪市民への説明責任が果たされるということになることは極めて残念である。

神戸市の方は市議会の会派「自民党神戸」は収支報告書によると、去年までの3年間、市政のアンケート調査などを委託したとして、政務活動費を人材派遣会社に支出していたが、調査を依頼したとされる神戸の人材派遣会社は、関西テレビの取材に対し「友人に名前をかしただけで調査はしていない」と話し、不明な支出ではないかと指摘されているののだ。
こちらも、そりゃ、今のままでは到底納得の行く説明ではない。

しかし・・さまざまなことが指摘されているにも関わらず、「会派」でこれっていったいどういうことなんだろうか。
長いことの「伝統文化」として定着してきたこの種の政治的因習を変えるのは並大抵ではないと改めて思う。

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