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2015年9月

2015年9月30日 (水)

「多様な」家族の絆を守れる制度に

「子どもが5人いる」と言うと、必ず返ってくるのが「表彰したい」という言葉である。
もちろん、表彰されたことも、優遇されたこともない(笑)

実際に多子を育てた実感としては、この国の少子化対策なるものは長らく「一人っ子以下政策」であったということだ。
ひとりを育てるだけでもやっと・・、という状態。
5人も産んだら、時に懲罰かと思うほど疲弊する。
子どもの数が増えれば、テマ・ヒマ・カネがスーパーのまとめ買いのように2割引、3割引と安くなるかと言ったら、残念ながらそうではない。

先日「自民党家族の絆を守る特命委員会」が取りまとめた「家族の絆を強くする税制についての提言」案では「夫婦控除」と「遺言控除」の導入が柱となっているが、いやいや、ズレているよね。
少々の経済的アドバンテージがあるだけでは人は結婚しないし、子どもも産まない。
単に子どもの数を増やしたいだけなら「ひとり産むごとに1000万円無利子で貸し出す。4人目産んだら全額返済しないでよし」としたら、爆発的に子どもは増えるだろう・・・って、これは「ナチスの手口」である。
それで親も子も幸せになるとはとても思えない。

婚姻の状況で経済的な縛りが出たり、親の婚姻の状況で、子どもにとってまで経済的有利不利まで決まるというのではたまったものではない。
子育てに「金がかからない」ことは大事だが、それは子どもが生長する段階で、学費や医療費が無料ということで担保されるべきなのだ。

作るべきは「『多様な』家族の絆を守る」制度なのである。
だからこそ、ワタクシは「家族制度」にこだわりながら市民活動・政治活動をしている身として、ここはしっかり言っていかねば、と思っている。

2015年9月27日 (日)

川島なお美さんとその時代

「私が乗り越えた病気は 5年生存率50%という厳しいものです でも もっと生存率の厳しい芸能界で35年生存してきたので これからも大丈夫!と自分を信じたいです」

川島なお美さんが亡くなった。54歳。早すぎる。
特別なファンというわけでなくとも、多くの人々が川島さんの最期に思いを寄せたのは、彼女が生きた時代「バブル→失われた20年→平成不安時代」そのものだったからなのだと思う。

冒頭にあげたのは川島さんの言葉である。

「女優」という肩書きに比して、彼女に対する評価は作家との関係を取り沙汰されて仕事を取ったのではないかとか、タレントのしての立ち位置もわからないがなんとなくいる的な…つまりは「実力以上の立ち位置にいる」という、誤解も含めて彼女にとっては決して満足出来るものではなかったのではないか。
しかし、それだからこそ、人は川島なお美という存在が気になったのではないか。
オールナイトフジが始ったのは1983年。「女子大生ブーム」が起こり、1985年のプラザ合意はバブルをうむ。土地の高騰、株式ブームという狂乱の中で、ブランドもの、海外旅行、三高との結婚…。誰もが自分の実力以上のものを手にしたり、手にしようとした。しかしそこにあったのは「このままでいられるのであろうか」という不安だったのだと思う。つまりは実体経済がついていっていないことも、それに乗っかって就職、結婚した自分たちもまた「実力以上の立ち位置」であることを多くの人は自覚していたのである。
川島なお美、そして石田純一といった俳優たちは本業に加えて、バラエティでキャラ立ちをすることでご本人がおっしゃっている通り「生存」してきた。
なぜ、彼らがテレビに出てくるのか、積極的な理由はわからないなと思うこともあったが、川島なお美さんの死に対して受けたダメージの大きさは、彼女が果たしてきた役割の大きさを表している。
『「女子」の誕生』(勁草書房)などの著作がある甲南女子大の米澤泉准教授は「あのまま還暦まで突き進んでほしかった」と追悼の思いを述べてらっしゃるのを読み、まさに同じ思いを持つとともに、彼女が果たした役割の大きさを改めて思い知るのだ。
テレビに映る彼女の姿は、時代に甘やかされて生きてきた同世代にとって、状況が厳しくなっても、「これからも大丈夫!」なんとか生存出来るのだという自信や励ましそのものだったのである。
時は流れ、留まらない。
国会前に集まる女子大生たちはバブル期に生きた多くの「川島なお美」たちの子どもたちだ。
形を変えてもこの国に生まれ出でた女性たちは同じ一途さ、懸命さでいまだ破られないこの国の閉塞に立ち向かっているような気がする。

川島さんもまた時代の最前線で戦った勇敢な女性だったのである。

ご冥福を心からお祈りいたします。

2015年9月22日 (火)

『GHQと戦った女 沢田美喜』を読んで

昨日、有馬温泉の湯船の中で『GHQと戦った女 沢田美喜』(青木富貴子著 新潮社)の残りを読む。(なので、今やページは波打っる・・)Fullsizerender_5
隣で湯につかる大学生ぐらいの女の子たちが、安保法制や、武藤衆議院議員の文春の報道について(「本当はゲイ差別バリバリを道交法違犯とかで薄めているよね〜」他)熱く語っていることにも耳ダンボになりつつ。

『GHQ...』を読み進めて行くと「なんでこの表題にしたのかな」とか「帯も違うよね」と思う。
それほど沢田美喜の人生は複雑で波乱万丈なのだ。
特にGHQとの関係や、下山事件につながる部分は「闇」であり、こうした中で戦後沢田美喜が果たした役割は、単に戦争の落とし子の混血孤児たちを引き取って育てたということだけではないだろう。

「証拠は見いだせない。(中略)それより、澤田夫妻はポール・ラッシュを通じて、戦後日本の方向性を決める政治の世界にある種の影響力を行使したのかもしれない。」(P172)に同感である。

戦争で富を得た岩崎家に生まれたことは沢田美喜の人生にとって決定的なことであった。
自分が手にしている富の多くは、戦火の中で奪われる誰かの命の犠牲の上で成り立っている。
祖父母や親から引き継いだ地位や財産で、実力以上の役回りに置かれる人々(つまりは日本の中枢を担う人々)はそのことに無頓着すぎる。
一方で、外交官の妻として世界を回りながら感じたこと…自由や平等を謳う国々でも、「黒い肌と白い心」「白い肌と黒い心」…人種差別があり、「さらなる豊かさ」を求めて戦争へと突き進むという現実…に向き合う中で、彼女は彼女にしかできない「貢献」を考え、実行したはずなのだ。
沢田美喜も語っていない、つまりはもはや永遠に解けない謎となってしまったであろうそれを知りたいな、と思う。
吉田茂を始め、GHQの大物とのやり取りが垣間見える度に切れた糸をたぐり寄せられないことが口惜しい。
戦後70年。
我が国は本来検証すべきことを逃してしまったのではないだろうか。
この本で問われる、もうひとつのテーマだと思う。

2015年9月19日 (土)

鴻池祥肇氏が畏れるもの

強行採決の場面が何度も繰り返し再生される。
その度になんとも言えない気持ちになる。
議員が入り乱れた場面ではない。
衛視や議員に取り囲まれ、恐る恐る前に進む鴻池祥肇委員長の怯えた表情に、だ。
兵庫県で政治活動をしていた私にとって、たまの会合ですれ違う鴻池氏は全くの別人だ。
豪放磊落。議員パス使用での愛人同伴旅行スキャンダルも「市中引き回し」他の失言も、全ては鴻池祥肇という政治家のキャラクター。
『お天道さんは見てござる』(幻冬舎ルネッサンス)
思わず吹き出してしまうような著作タイトルまで「らしさ」全開である。
しかし、今回の鴻池氏の表情は今まで何度も見て来た姿とは全く違う。
こんな真剣な表情を見たことはない。何かに怯えているようにも見える。
鴻池氏の中にある「政治的良心」が、政治家としての集大成としてはからずも巡って来てしまった「大仕事」の中に見え隠れする。
そして、長年の経験からこの後起こるであろうことを予感しているのかもしれない。
彼は畏れているのだ。
「お天道さんは見てござる」ことを。

「参政権」をまるごと、とことん行使しよう!

さて。
ここからが「民主主義」の本番である。
「参政権の行使」である。
参政権の代表は「選挙権」と「被選挙権」である。
「選挙権」とは選挙に行って、自分の思う個人や政党に投票をするという行為に留まらない、とワタクシは思っている。
 自分の一票に加えて、違う誰かの一票、そしてまた一票と積み重ねていこうとする行為もまた「選挙権」である。
 実はそここそは、この国の「参政権」の中でないがしろにされてきた部分でもある。
 選挙にかかわる人々は特殊な人だと思われがちだ。利権、地域のしばり、もしくは金銭でつながった人々が「欲」という共通目的のために寄って騒ぐ、というような、どこか排他的なイメージもついて回る。
 しかしワタクシはそうであると思わない。「選挙」は、そしてそれにつながる「政治活動」こそが「民主主義の学校」だと思う。(地方自治が「民主主義の学校」というのがイマイチピンとこなかったりする)

そこで、皆さんに呼びかけたい。
どの政治家でもいい。ほんの数日でもいい、どこかの事務所で何かを手伝ってみてほしい。保守だろうがリベラルだろうが、そこには次への活動のヒントが詰まっているはずだ。
むしろ、主義主張が違う政党や候補者の方が勉強になるかもしれない。私自身も自民党さんでお世話になった時代の経験が、本当に血肉になっていると思っている。

ワタクシの事務所ももちろんウエルカムだ。
本格的に活動を始動するにあたり、ボランティア大募集。
ただ…かなりキツいと思います(笑)

でも、全て見せます。
ワタクシが30年間培ってきたモノを。
政治という業界そのものを。
本当はそれこそ「シェア」すべきものだったんだよね。

ご興味ある方はメッセージ他でお知らせください。
場所は東京4区。大田区の蒲田・大森地区になります!

「参政権」を丸ごと、とことん行使しよう!!

安保法制可決とそのプロセスを見て

2012年、そして2014年と選挙に負けて、
「民主党」はその存在も希薄になり、内部からすら「解党」「出直し」を求める声があがった。
今回の安保法制を巡る一連の動きも「そもそもシナリオのあるプロレスだ」と揶揄する人も「個人の選挙向けパフォーマンスだ」と鼻で笑う人もいた。
しかし、どの分野であろうが、体力と知力の限界まで闘った人たちはわかるはずだ。
彼らが本会議場で声を限りに振り絞り出した言葉は、昨日今日の付け焼き刃で発することはできない。
幾度も幾度も、繰り返し思って来たこと、言葉に出してきたことは、彼らの「誠」であることを。

もし、福山さんが、蓮舫さんが、大塚さんが、枝野さん…がいなかったら、この国会はどんなふうになっていたであろうか。
「政権」を経験した、というのは、こういうことなのである。

国会前に集う人々がいて、議員も奮起をする。その姿とまったく危機感のない与党議員との対比を見て、家庭や職場や学校…それぞれの持ち場持ち場ででき得ること=声をあげるという「具体的行動」をし始めた。確実に政治は変わっているのである。

私は演説する彼らの姿を見て、民主党員で本当に良かったと思った。久しぶりにだけど(笑)
それは国民も同じだったのではないだろうか。
また、彼らの姿を見たい。演説を聴きたい。
政治家は国民にそう思われなければならない。

勝負は次の選挙だ。
「安倍政権を許さない」思いを一にした野党の候補予定者は全員そういう存在にならねばならない。

スピーカーズコーナーではないが、民主主義の原点は路上にある。そしてイギリスのコーヒーショップも、もともとは誰でも参加できる政治論争の場であったことを考えると(ウヨクとサヨクは最初は一緒にやっていたが、途中でウヨクは負けて陣地を取られて行く…のだが、一方だけの議論になると、結局は勝った方も廃れて行ってしまうのだった)今までとは違った政治的うねりがこの国で芽生え始めていることを実感する。

安保法制がこのような形で可決させた安倍総理の歴史的役割は、法案そのものよりも、自覚する機会もなかった「国民ひとり一人が考え、行動する真の民主主義」が根付いていたことを70年の時を経て確認させたということなのかもしれない。

2015年9月18日 (金)

明日発売の『AERA』〜憲法をめぐる100人特集で書いてます☆

http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000046.000004702.html
明日発売の『AERA』〜憲法をめぐる100人で、うち5人のルポを書いています。
うーん。尺が足らん!と悩みつつ。

昔は字数制限にバッチリ合わせるのが楽しかったのになあ〜(笑)
それでも、13条、24条に対する思いは伝わるかと。
打越先生、榊原先生、坂本さん、小国さん、尾野先生、ご協力ありがとうございました!!

安保法制だけではない はからずも露呈した「後進国」的側面

この安保法制の採決に至るまでの仮定は、
はからずもこの国の政策決定過程を可視化することになった。
実はこの法律だけでない。
一部の人たちの思惑で、時に正当な手続きさえも経ずして、もしくはゆがめて、不合理な法律が作られたり、改正されず放置されている。
そうした意味では「日本は『後進国』『途上国』である」(昨日出た勉強会)という見解に、頷くしかないのである。

2015年9月17日 (木)

「画像の力」

「号泣議員」が問題となった時、「(地方議会という)秘境に初めてカメラが入った」ということを『世界』(岩波書店)で書かせてもらった。
「カメラ」が入っただけではない。
そのさまはワイドショーなどのテレビだけでなく、youtubeなどで繰り返し流され、世界中へ発信されていった。

今日の、いかにもおそまつな強行採決。
安倍総理以下与党は可決さえすればみんな忘れると思っているだろう。
しかしその見通しは甘い。これからこの画像は繰り返し流され、時を区切らず流れて行くだろう。
選挙の前にも、もちろんである。
そしてしっかり、与党と賛成した野党の面々には、この「愚行」を思い起こしてもらわねばならない。

「画像の力」を侮ってはならないと思う。

スミス都に行く

福山氏も大塚氏も、たぶん寝不足。連日の混乱で疲れているとも思う。
しかし語る。語り続ける。原稿なしで。
頭の中が一瞬飽和し、白くなったりしているのがわかる。

「スミス、都に行く」を思い出す。

がんばれ!
これは今、議席を持っている参議院議員しかできないことだから。
頼む!!

2015年9月16日 (水)

「最小者(いとちいさきもの)」のために〜ご報告と決意

 本日、民主党常任幹事会において、私の東京4区(大田区)での次期衆議院選挙の公認内定がされました。
 前回挑戦した宮城4区は選挙後に発表された区割り案等でほぼ確実に合区が見込まれることから、関係者の皆様からのご助言をもとに熟考した結果、宮城県連から東京都連へ移り、東京4区で闘いの準備を進めることとなりました。

 ご存知の方々も多いと思いますが、蒲田、大森、羽田…東京4区は20代前半の私が実質的に政治活動を始めた思い出の場所であり、今もともに闘ってくれているかけがえのない仲間たちを得た大事な地でもあります。

 プライベートをみれば、夫と5人の子どもたち、そして認知症と目耳が不自由な義父母の介護を抱えています。無戸籍問題などの社会活動でもてんてこ舞いです。さらに今、私の中には作品として仕上げていきたいと思うテーマもいっぱいで、移動時間のほとんどはパソコンに向かっています。
 もともと過酷な条件の中で、さらに自らハードルの高さをあげながら進んでいるようなものかもしれません。
 しかし、こうした厳しい状況の中だからこそ「できない」のではなく、そんな私でも「被選挙権を行使できる」「評価してくれる政党がある」と発信していくことには意味があり、今と未来に向けて私ができる最高の社会貢献であると信じています。
 正直言えば、どの政党も女性候補者が集まらず、苦心している現状がある一方で、一定規模以上の政党で女性が「挑戦権を得る」ことだけでも相当難儀なことであることも事実です。
 女性議員が政治以外のことで話題になるたびに、「風」や「選挙区事情」に翻弄され、「選挙の象徴」に都合良く使われたり、逆に「風よけ」のように矢面に立たされたりといった結果であると感じることもあります。
 だからこそ、私は全く違ったやり方で、質の高い政治を実現する方法を模索したいと思っています。 
 政治は「世の所謂最小者(いとちいさきもの)」のために。
 新渡戸稲造先生の教えを心に刻みながら、私の全生涯を通じて「犠牲と奉仕の精神の実践の場」とすることを改めて誓い、ご報告とさせていただきます。

2015年9月15日 (火)

奥田公述人と言論の府の言論不在

参議院の特別委員会の中央公聴会の傍聴に行って来た。
単に議論の内容だけを見たければ、ネット中継を見た方が楽だ。
でもワタクシは「ライブ」で見たかった。
空気感を知りたかったのだ。
予想通り、傍聴に来ているほとんどは安保法正反対である。
前議員は国会の傍聴にも特権があって、IDとバッヂがあれば議員傍聴席に入れる。
あいにく、というか、議員の時すらバッヂをつける習慣がないワタクシはもちろん不携帯。
IDのみでは通常傍聴として受付してくれということで(衆議院は入れるのだがね)、傍聴に入るまで300名の傍聴の人々とともに特大モニターを見ながら待ち時間を共有したのだが、委員会室以上にこれがとても勉強になった。
濱田邦夫元最高裁判事や小林節慶応大学名誉教授の時にも喝采は起きたが、やなりみんなの目的は奥田君だった。
さすがの奥田君も緊張し、咽がカラカラなのか時折噛み、言葉が出るのがワンテンポ遅れる度に、「がんばれ〜」との声があがる。そして後半に近づいた山場ではハンカチを目に当てるもの、声を押し殺せなくなり肩をふるわせて泣く者、その背中をさする者…彼のちょっと生意気そうな、でも真面目で、まっすぐな青い言葉は、孫、子ども、従兄弟、兄、弟、甥…自分の家族の中にもいそうな存在なのだ。
彼は何も特別なことを言っている訳ではない。ただただ「自分の言葉で語って」いるだけだ。
だからみんな感情移入ができる。
彼の言葉は昨日の、今日の、私たちが口にした言葉そのものだからである。
なるほど、だから「うねり」が起こるのだ。
一方で、言論の府のはずの国会に踊る言葉は、使い古され、誰かに遠慮し、オブラードに包まれていて味も素っ気もない。
そして、驚いたが…このワタクシにして(政界カルトQで優勝出来るかもと思っているぐらいの事情通?)全く名前の知らない若い参議院議員が多数いる。
少なくともテーマを持って国会で活動をしていれば、必ず名前は通ってくるはずだ。だが、この小粒な感じはなんなのだろうか。
奥田君が語ったとき、一瞬だがみんなは恋に落ちる。そんな錯覚を持つ。
田中角栄も、小泉純一郎も、国民とはそんな瞬間があったのだと思う。
たとえその人とは政策的に違っても「次何を話すか、ワクワクする」という期待感。
もちろんそれはいいこととは限らない。
しかし、今や政治家でそんな瞬間を作り出させる人はいるのだろうか。

デモは安倍政権の説明が不十分だからこそ大きくなり、奥田君たちへの期待は国会議員がダメな分だけ増して行く。
皮肉である。
しかし、ため息をついているばかりでなく、行動しなければならない。
ワタクシにもひとつの転機が訪れている。

2015年9月10日 (木)

「貧困ジャーナリズム賞」を受賞しました

「貧困ジャーナリズム大賞2015」で、「貧困ジャーナリズム賞」を受賞しました!!

『クローズアップ現代』’戸籍のない子どもたち’など無戸籍者に関する一連の報道をご評価いただいき、NHK上田記者、福田ディレクター、天川プロデューサーと連名の受賞です。
宇都宮健児弁護士より、賞状他をいただきました☆
土砂降りで授賞式に間に合わないかと思った福田さんが奇跡的に到着!
この瞬間を共有出来て本当によかった。
取材においての「共感力」「想像力」こそが、番組や原稿の先にいる読者や視聴者の心に届き、物事を動かして行くのだとつくづく思います。
しかし、こういう賞は本当に励みになりますね。
関係者の皆様、ありがとうございました!
今後もがんばります☆
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2015年9月 9日 (水)

自民党総裁選で可視化されたもの

可視化されたね。
自民党総裁選。
「実力以上のポジションにいる人」と、「自分の実力で、自分の足で歩いている人」。
「人に寄りかかって生きている女子」と、「やせ我慢でも闘う女子」。
前者の面々を見ていて、誰ひとり友だちになりたいと思うタイプはいなかった。信頼できないもん。
人としても、政治家としても。
野田聖子さん、すごい!
404人いても誰ひとりできなかったことをやったんだから。
それが、野田聖子ひとり分。
重ねて言う。
可視化されたね。

2015年9月 5日 (土)

ありがたきかな〜「第13回開高健ノンフィクション賞 選評」

11992448_723734167738677_447527455_ が発表となった。

(詳しくは本日発売『kotoba』 集英社をご覧下さい)
 最終選考作として、各選考委員の方から講評をいただいている。
私はよもや自分が、原稿用紙300枚の作品を書けると思っていなかった。
ひとつは能力と素養の面で。もうひとつは物理的な理由で。
特に応募作を書いた頃は時間的余裕がなかった。掛け値なく、全く(笑)
何しろ締切直前に、突然衆議院が解散されたのだ!
祭は終わり、残務処理や生活の立て直し等を行う中でもパソコンに向かう時間はなかなか取れなかった。
年があらたまり、義父母を引き取り同居を始め、としているうちにあっという間に2月になった。  
締切まであと一週間、6日、5日とカウントダウンが始って、ようやくだが私の中の何かが動き始めた。
そこから最後まで一目散に書いた。資料の確認もほとんどしなかった。する必要がなかった。
「記憶」は「記録」だった。活動をしてきた13年の日々の重さとはそういうことなのだ。書きながら自分でも驚いた。
当初、私は自分の政治活動の部分はなるべく触れずに書いていた。「なぜこの問題が進まないか」の理由については、政治家とのやりとりとの中に最も真実に近い答えが出てくる。空しく終わった他党議員との「対峙」も、逆に党を越えて応援してくれた政治家たちの話も書いていなかった。  
なぜか。  
本作が単に一政治家の「プロパガンダ」と思われることが嫌だったからだ。  
政治家と言う職業を選んだ宿命でもあるのだが、何をやっても「票のため」と思われることに、私はいいかげんうんざりしていた。  
実際には、ちょっとばかりテレビに出ようが、本を書こうがそれだけで当選出来るほど選挙は甘くはない。むしろその時間は地元行事に出ていた方が票は稼げる。(悲しいことにだからこそ政治家は縮小して行くのだが)  
私が何より避けたかったのは、開高健の名を冠した賞を「選挙に利用しようとしている」と思われることだった。そんなさもしい、卑しい人間だと微塵でも思われることがつらい。つらすぎる。  
経歴を書く時ですら最も嫌われそうな「松下政経塾出身」を書かないでおこうか、とすら悩んだ。  
選考委員の顔を浮かべながら逡巡する。
「ちょ、ちょっと待って!」  その瞬間、自分で自分にツッコミを入れていた。  それこそ「さもしいこと」なのではないか。  
私は知っているのに。  
k本作のテーマである「無戸籍問題」が進んだのは、そしてそこで私が果たした役割があったのは、政経塾、県会議員、国会議員…それは私自身の経歴や、幾多の議員への政治的アプローチとは無縁どころか、それが場面展開のきっかけとなったからだ。  
人を救うためにある政治の現場が昔のよしみとか、つながりとか、ごく一部の人たちの機嫌や気分で国民の暮らしが翻弄されるなんてあってはならない。くだらない、とんでもない…本当に鼻につく。でも現実はそれで動いて、実際に少なからずの人を救う原動力になった。  一方で抜本改革ができないのも同じ理由からだった。  
幸か不幸か私が長いことそこに身をおいていたからこそ見える部分があった。
その「リアル」、まさに私自身ですら感じている「鼻持ちならなさ」こそを語らなくてどうするんだ!
「こんなことで、自分たちの『父』は決まり、戸籍がある、なしが左右される」という事実を。  
それこそ多くの人に知ってもらいたいことなのに。  
これは「無戸籍問題」に限らない。  
今、この国の理不尽を変えようと思ったならば多かれ少なかれ政治や政治家の持つ「鼻持ちならなさ」と付き合わなければ突破できない。  
うんざりしてもらっていいのではないか。むしろうんざりしてもらわないといけないのではないか。  
変えるために!  
私は思い直して、構成を組み直した。
自分の経歴や政治活動について書き始めた。  
その時こそ、この作品が「ノンフィクション」になった瞬間だと私は自負している。  
賞という意味では、マイナスになったかもしれない。  
でも私は後悔はしていない。  
私は私自身の中の「タブー」を越えた。それでいい。  
出す前に「絶対に政治家は選ばれないから、待つ時間がもったいないよ」と忠告もされていた。どの文学賞でも「未発表作品」が応募条件である場合は、賞決定までの間類似テーマでの著述に慎重にならなければならない。それは確かにかなりつらかった。  
それでも応募してよかったとつくづく思う。  
選挙で評価されることには慣れているが、純粋に書いたものだけでジャッジされることは清々しい。自分自身以外の要因(所属政党のイメージや、誰かの失言など)がない分だけ、キツいけど気が楽。  
そして、この目標がなかったら、私は相変わらず「いつか書く」と言いながら書いていなかったのではないかと思う。  
私はこの賞に背中を押し、お尻を叩いてもらったのだ。  
賞が発表になってから、知ったことがある。  
本作の中に出てくるある無戸籍者が働いているところは、生前の開高健がほぼ毎日立ち寄った場所だと言う。もちろんその無戸籍者も私も全く気がついていなかった。  
何と言う偶然なのだろう。日本全国、さまざまなところに同じような場所はある。にもかかわらず、なぜ、そこ?  
なるほど、開高さんだ。  
粋な仕掛けをしてくれたな、と思う。  
60年代のベトナムだろうが、2015年の日本だろうが「ギリギリの命」を生きる人々がいる。  
遠くで銃声が聞こえる中で、疲労は限界を越える。もはや足も動かない。そもそも腰が立たない。でも、耳を澄ましてしまう。伝える何かを探してしまう人がいる。  
なぜなのだろうか。  
行き交う弾の流れやその振動を感じながら、絶望の中にも奇妙な「楽観」を見てしまう。この「楽観」がなければ、その先にある「思いもがけない展開」に立ち合うことはできない。  
「ノンフィクション」を書く人々とは、開高健とはそんな人だったのかもしれない。  
初めて書いた作品で最終候補作に選んでいただいたこと。  
また、選考委員の方々には本当に丹念に読んでいただき、この問題の本質を見抜いていただいたとともに過分な評価もいただいた。どれだけ励まされることか。心から感謝したい。  
法律の狭間に落ち苦しんでいる人々に光を当てることに引き続き取り組んでいきたいと思う一方で、次回は全く違うテーマで書いてみたい。  
そう思うようになった。  
そして、いずれの時にか「開高健ノンフィクション賞」が取れるよう(笑)精進していきたいと思う。  
関係者の皆様、ありがとうございました。

2015年9月 2日 (水)

本日より、湘南地区一般市各市議会で無戸籍問題を一斉質問!!

本日より、湘南地区にある一般市各市議会で、一斉に無戸籍問題に関する質問が行われます。

9月2日午後茅ヶ崎市議会で小磯妙子市議会議員

同 鎌倉市議会上畠寛弘市議会議員 9月9日午前に、平塚市議会で江口友子市議会議員
他にも沢山の市議会議員さんたちが、この動きに連動してくれています。
質問日程が決まり次第またお知らせします。
これは
「湘南で無戸籍の支援をする会」代表の海老名健太朗元茅ヶ崎市議会議員

副代表の早川ひとみさん茅ヶ崎市議会議員のご尽力の賜物です。

日々、真面目な議会活動で培ったネットワークがあったからこそ、であることは
ワタクシも地方議員の経験者なのでよくわかります!!
ご協力をいただいている皆さんに心から御礼を!!
9月、10月、11月と雑誌、新聞各紙、書籍等で「無戸籍」の話題が続々、取り上げられます。
無戸籍問題に潜む課題は、日本の社会が長年「気づきながらも」見て見ぬふりをしてきた差別の問題等にも繋がります。
全面解決に向けて、皆様のご理解とご協力をお願いいたします!

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