「経歴問題」〜「盛り」と「削り」を考える
人はなぜ「経歴」を「盛る」のであろうか?
「盛り」は自己顕示欲や自己愛の「わかりやすい」発露だ。また一方で仕事や恋愛等で一定の威力を発揮するツールでもある。
くだんの方は「ハーバードビジネススクールでMBA」と「盛った」瞬間に周りの扱いが変わり、実際に仕事が来るという実利を経験したのだろう。
最初は「出来心」だったかもしれないが、ひとつの成功体験は次なるウソを生み出す。
なんだ、世間を騙すなんて意外に簡単だ。
どんどん仕事は来て、お金は入って来る。
今日まで見つからなかったんだから、明日も大丈夫。
そんな万能感は、彼の中で「ウソ」を「ホント」に変える魔力を持っていたのかもしれない。
さて、以前にもちらっと書いたが、天の邪鬼のワタクシは人の経歴を見る時に「盛り」より「削り」を見る。
「経歴」はその人が「いかに優秀か」という正の部分しか載せないという建前があるからこそ「盛る」のだろうが、本当に必要なのは「いったいどんな人間なのか?」というトータルの情報なのだ。
「削る」ということはそこに本人が思う何らかの「負」があるから。
例えば「政治家」や「政治評論家」で「国会議員公設秘書」と書いていても、どの事務所に勤務していたかを書いていない人は要注意。
政治業界の周辺にいる人の中には、特段何かがあるとは思えないのだが学歴を全く書いていない人もいる。が、経験則上そういう人は警戒したほうがいいと思っている。やたら攻撃的な傾向があるのはなぜなのだろうか。
「経歴」を見るのは、その人を直接知らないから。
もしくは、初めて会う前に、心構えをするために必要な最低情報。
逆から言えば、直接知らない人に「見せたい自分」最大値アピールのためのツール(笑)
ただ最近ではFB他SNSでその人の交友関係もある程度わかるようになってきて、判断材料は「経歴」のみではなくなって来ているような。
50歳を過ぎた人に付いては経歴よりもその人の「毎日」こそが、「経歴」より雄弁に生きて来た日々を示す。
あ、でもそこでも「盛り」「削り」はあるけどね。
たとえば「同級生」他、「同年代」の「同性」の友人が登場していない人も「何かある」なと思う。
「盛り」「削り」もプライベートですんでいるうちはまだ可愛い。それがマスメディアや公職となると、話は変わる。
健康診断の進歩と同じ感じで、昔は見つからなかったものも、容易に特定されるようになってきている。
・・というのを、自分の経歴の中で匿名の誰かが書き込んだ「旧姓×2」を見るたびに実感する日々である(笑)
あ、「理学部出身」は違いますよ〜!
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