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2016年4月

2016年4月21日 (木)

国会図書館の全議員著作棚

国立国会図書館には過去、国会議員を務めたことのある人物の生涯全ての著作物が、氏名の「あいうえお順」にならんでいる。 年代順ではない。 なので、「井戸まさえ」の隣は「伊藤博文」という感じとなる(笑)

例えば「な」行を見ていたら長妻昭さんの本発見♡
おっと、その下には中野重治。
中江兆民(!)の下に中川智子現宝塚市長の『びっくり』があったりで、びっくり(笑)
新渡戸稲造先生も貴族院議員を務められたのでその著作が収められている。
しかし、この並べ方、「酷」すぎる・・・。(写真のアップは自粛します)
浅い、深い、狭い、広い・・・。
思考のアウトプットである書籍は何よりも雄弁にその人を語る。
政治家になる前、引退後の物も収められるから、 政治家をやめたとしてもここには半永久的に足跡が残るのである。
国会議員関係者は、自分の著作がどのように収められているか、チェックをしに行くべし!
ワタクシは明治や大正期の政治家の10000分の1も努力していないということを、改めて猛省させられると同時に、情けなくて足が震える。
後世の評価に耐えうるものを書きたいと改めて、心から思う。

2016年4月10日 (日)

「キレイゴトを越えて〜女性議員を増やすために必要なこと」

1946年4月10日。 戦後初の総選挙が行われ、三十九人の女性議員が誕生した。

婦人参政権が初めて認められ、投票することと同時に立候補することが可能となったのだ。
それから70年。女性衆議院議員比率は一割に満たない状況だ。
投票数では人口比で多い女性の方が上回る状態であったり、投票率では拮抗した状態が続くにもかかわらず、被選挙権の行使と議席と言う意味では大きな差が埋められずいるにはどういった理由があるのだろうか。
昨日、神奈川県茅ケ崎市の松下政経塾では入塾式が行なわれた。
6名の新入塾生のうち女性は4名。女性の数が過半数を満たすことはおろか、男性のみという年も多い中で、3分の2、約67%が女性というのは37年の歴史の中でも初めてのことで、4人の同期女性塾生を迎えるのはワタクシたちの9期生(17名中4人)10期生(14人中4人)以来で、実に27年ぶりである。
20代前半の彼女たちを見ながら、過去28年の活動を振り返る。
政治の周辺に女性がいなかったわけではない。 むしろ常に女性はいる。
選挙で活躍するのは「政治家の妻」や「母」だったり、 候補者にしても、古くは「マドンナブーム」だったり、「小沢ガールズ」のように女性が集団で、もしくは象徴で選挙の主役になったり、いないわけではないのである。
しかし、こと政治家となると一部の人々を除いて「定着しない」。なぜなのか。
政治家としての仕事と、女性としての幸せとの両立が難しかったり、経済的な問題や・・・まさに少子化対策と同じで、もはや、どんなに「キレイゴト」のスローガンを並べても、女性議員は増えない負の連鎖に入っているような気がする。
結局、そこに「予算と時間と手間をかける」覚悟があるか、ということなんだろうと思う。
政経塾は微妙な空気感の中で、そこに舵を切った。
「4年間の生活保障と研究や選挙に関して経験を積む機会の提供」
もしこれが、政経塾以外でも・・本来は各政党で展開して行けたら、女性の政治活動者や議員は確実に増えると思う。
それこそ公募で合格したならば、1年目はどこかの事務所で秘書業務を経験し、2年目は立法作業も手伝い、3年目は・・等々のキャリアを積めればば当事者にとってもいいだろうし、政党もその人材が本当に政治に向いているのか、適正も含めて判断出来る。
「人材を作るにはそれなりの時間がかかる」by松下幸之助。
選挙の直前に、その時々で人気のある人を候補に擁立等々、安易に走っても国民の付託に応えられる女性議員を生み出すことは難しい。
一日限りの政治スクールではない「本気の養成機関の設置」こそが、遠回りのようで、実は一番近道のような気がする。

2016年4月 7日 (木)

謎解きと検証〜本格的ネット選挙時代の到来

2013年4月に公職選挙法が改正され、同年7月21日執行の第23回参議院議員通常選挙からインターネットを利用した選挙活動が可能となった。

当時は「ネット選挙」なるもの」がそもそもどういうもので、選挙結果にどんな影響があるかがわからず、「プロ」と称する人々に少なくないお金をかけて対応を頼んだり、自前だとしてもHPやTwitterでの発信、メーリングリストの構築にそれなりのコストをかけたが、実際にアクセスしてくるのは選挙区外の人だったり(笑)「大山鳴動して鼠一匹」というのが実感だった。

そこから衆議院選挙、統一地方選挙を経て、今、想定していた形とは少し違った形で「ネット選挙」のうねりが来ていることを自覚せざるを得ない状況になっている。

週刊誌がひとつの見出しを上げると、頼まなくても多くの人々が調べてそれを報告する。その報告には思い込みや邪推も含めて眉唾情報も入っているが、中には「なるほど」という説得力を持つ新事実もある。
この状況はなにも政治案件だけでなく、小保方氏やベッキー氏、乙武氏をめぐる一連の問題等も同様で、関連情報はあっという間に集積するから、そこからはまるで謎解き。ことの推移を知ると同時に「疑似探偵体験」ができるような状況だ。
「謎解きに必要な情報があって」「仮説が立てやすく」「検証までできる」とあっては、人々の関心を呼ばないはずがない。

一方で、注目を浴びる当事者として渦の中に入ったら、なすすべもない。
多くのマスメディアに取り上げられることは、政治家にとっては「名を売る」意味では「+」である。
しかし、そこから先、ネットの世界にはどのベクトルへ拡散されて行くかはわからない。
ネットメディアは基本的には「+」の情報はそのまま維持されない。
「+」の情報を出せば、かならず「−」の情報を書かれる。それが正確であろうがなかろうが問題ではない。
かならずそこにカウンター情報がかかれる。それがネットの特性なのである。
一瞬、礼賛、賞賛の嵐となって「マンセー」状態で留まることがあっても、それは逆にキケンで、ある時に、一気に逆目にでるだろう。

政治家は「己の善を語る(語りまくる)仕事」でもある。
「人の悪を言う仕事」でもある。

政治家本人や陣営が紙媒体や街頭演説で伝えるのは、もっぱらそれだけだ。
ある意味、どこか気楽。

だが、ネットメディアでも同じように発信していると、思わぬ落とし穴が待っている。
自分の言いたい情報だけを伝える、という手法は、もはや通用しないのだ。

つまり、今までは「攻め」だけに集中でもなんとかやっていけたが、「守り」が肝要のフォーメーションを敷かないといけないのかもしれない。

逆に言えば「発信しないこと」=「目立たぬこと」こそが、最大の「ネット選挙」対策かもしれない。

が、それではすまないことは政治関係者はわかっている。
難しい時代に入ったな、と思う。

本当の意味での「双方向」はどうやったら獲得することができるのであろうか。

・・・・などということを考える朝である。

2016年4月 2日 (土)

果てなき冒険

最近、自分が「史学科」であったことに気づかされる場面が多くある。
いつも書いていることだが、基本的にブログやFBを書く時に、読む人を意識することはない。
単に自分の記録用メモ的側面が大きいのだが、
何かの話題について書く時にはその当事者=「個人」にはほとんど興味がなく、「なぜこの事象が今起こっているのか」という、「時間軸」に興味が集中してしまうのだ。

過去の事実と将来起こりうるべき事象の狭間の中で、
なぜこのとき、この人々が登場し、何を壊し、何を作り、何を残して行くのかということを「見届けたい」という欲のみ(笑)

なので、ワタクシが書く文章が、誰かの個人批判を目的にしたものになろうはずもないのだが、読み手がどうとるかは、その人の人生の経験値や今の心持ちの結果である。
書き手としてはそこには手が及ばず、関与することもできないと思うので、
「そうは書いていない」と言うリアクションも必要ないと思っている。

時空の中で、パズルをはめるがごときにそれぞれの位置を探ることは、知だけはなく体力も使う「果てなき冒険」である。

政治のインサイドにいながらも、ありがちな「予定調和な言説」に違和感を持ち続けながら、
ワタクシはワタクシの言葉で語る旅を「し続けること」が、今のワタクシのささやかな望みでもある。

続・ガソリン代考

管官房長官も「年間のガソリン代が200万円越え」という話題が出ている。
収支報告書を見ると、基本的には2カ所のガソリンスタンドで(たぶん契約をして)給油をしていることがわかる。

政治家が車を使うのは、基本、選挙区内なので、
通常はその中に2、3カ所のガソリンスタンドと契約を結び、
月に一回請求書を出してもらい支払う、というのが一般的だ。
給油をしたときには納品書には車の社番等を記載して、契約者の関係者以外が不正にしようしないようにしてあるから、
ガソリンスタンドに行って納品書を見せてもらえば、そのガソリン代がどの車に入り、使用者が誰なのかを特定することは比較的に容易である。

前回も書いたが、山尾氏もガソリンプリペイドカードも菅氏のガソリン代も、政治活動に使われていたことが証明出来るのであればいくら使おうがなんら問題はない。

ただその金額が尋常でないから取り上げられているのだ。
納得行く説明があれば、いいだけの話なのだ。

ワタクシのようにうっかりものは、車を走らせている途中でイエローランプの点滅が、ということが度々。
結果、契約ガソリンスタンドまでたどり着けずにあちこちのスタンドで給油、ニコニコ現金払いということが良くある。
それで毎年収支報告書の時期には、税理士の先生方に相当な手間をかけてしまうのだが、
基本的には国会議員や総支部長といった候補予定者がガソリンを入れるケースは少ない。
つまりは薄給で働いてくれている地元秘書さんたちが給油することがほとんどで、その際は立て替え払いとなることを避ける意味合いもあり、契約ガソリンスタンドに必ず行く。
秘書さんやその他の人が、給油したガソリンを政治活動以外の目的もしくは使用していたら、それはアウト。

あくまで一般論だが。

いずれにせよ、この件に関する白黒は、調べれば、容易にわかる話である。

2016年4月 1日 (金)

政治資金収支報告書のガソリン代・プリペイドカード問題について

「週刊新潮」今週号が民進党・山尾政調会長の政治資金収支報告書についていくつかの疑念を指摘している。
普段、他の政党の議員の話が出た時だけ書いて、自分の党内の議員だと言及なし、というのもなんだかフェアでない気がするので、書いておきたい。
まず、政治家本人の政治団体への寄付金額が法定上限を超えている部分についてである。
ほとんどの政治関係者は事務所は政党からの交付金や献金だけでは回らず、
最後は当該政治家が自らの政治団体への「寄付」か「貸し付け」で処理するのが通常だ。どちらの扱いにするかはその時々の判断になるが、「貸し付け」ても戻って来ることはほぼないし、「寄付」としても確定申告時に還付の請求はしていないだろう。この辺の処理についてはいつも難しいなと思う。
24年は選挙の年でもあったので、入りも出も通常の年より多くなり、経理を担当したものも山尾氏も上限については意識が至らなかったのではないか。
この辺は当事者が出しているお金の云々なんで、「疑惑」というには至らないと思う。
今回の指摘の中で、山尾氏がしっかり説明しなければならないのは
この年だけ突出した230万円のガソリン代(紙面では触れられていなかったが、実際にはプリペードカード代)の部分だと思う。
政治活動者の場合はプリペードカードというよりも、ガソリンスタンドと契約している場合が多く、その際にプリベードカードで支払い、というのも確かにあるにはある。
ただ、収支報告書を見ると、必ず2万円、日付については同日や翌日等、近い場合もあるので、例えば秘書以外の人が、通常の政治活動とは違った意図があってプリペードカードを購入していたのかと言われる可能性はあるので、その辺をしっかり説明しなければならないだろう。
繰り返すが、選挙があったのは24年の暮れである。
この年はよもや選挙があるとは思われなかった年。
解散がささやかれはじめてかてから購入量が増えた訳でもないし、翌年からは大幅に活動が縮小したとは思えないのにプリカ代のケタが変わることについても説明をしてほしいと言われるに違いない。
通常、政治家の事務所では、
日当が発生しないボランティアさんが車を運転をし、何らかの活動の手助けをしてくれた場合、
ガソリン代や車代は経費扱いすると思う。
逆に言えば、しっかりと「政治活動」をしていたと説明出来れば、上記の疑念は晴れるであろう。
厄介なのは、プリカを選挙区内の誰かや、選挙区外であっても支援をしてくれる人や団体に渡していて、その人々が山尾氏の政治活動に全くもしくはほとんど関与していないケースだ。
「買収」に当たる、となると、話はややこしくなる。
いずれにせよ、民主党(当時)の政治活動者にとっては、230万円の支出は少ない額ではないから、事務所の経営者たる政治家本人の決済なく支出していたとは考え難いから、内容を精査した上で、早めに対処し、今までの政治家の「違い」を見せてほしい。
「上げて下げて」の波は次々来る。
波をつまかえても、飲み込まれても、
息つぎをして、泳ぎ切らなければならない。

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