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2016年6月

2016年6月25日 (土)

「合理的でないこと」を選択する理由

昨夜は久しぶりに年下イケメン君との逢瀬@川崎モナリザン♡
いろいろ話せて面白かった。
話のメインテーマは、世界的に起こる「エリート支配の崩壊」である。
いつの時代も、その世界にも支配層がいる。
彼らは社会のさまざまなルールを決め、「富の再分配」を行ない、それが機能することより社会の安定は保たれる。
エリート層は「富の再分配」をする場合はもちろん自分たちの取り分は減らさない、もしくは十分に確保した上で「再分配」を行なう。
国民の側はそしてそれをわかりつつも、「社会的コスト」と受けとめて、それが許容の範囲であれば受け入れて行く。
社会が痛んできたことの現れは、この層が劣化し、
また、急速な情報化の中で、今までは隠されていた欺瞞や小狡さが白日の下に晒され、瞬時にして共有されていく中で、彼らが行なっているのは「再分配」ではなく「搾取」であると改めて気づいてしまったからである。
だからこそ、エリートの声は響かない。「合理性」をどんなに説いても、そこに「信頼」がない限りむしろその言葉は言えば言うほど空しく響く。
そして「合理的でないこと」を選択する層は拡大していく。
自分たちも不利益を被ることは分かっていても、「まだまし」なのである。
突拍子もない政策や、とんでもない発言が格段の疑問を持たれないまま、受け入れられていくのも、同様の背景があるのではないか。
ヒラリーが嫌われたり、イギリスのEU離脱派の勝利も、
それぞれの事情はありながらも、エリート層へのうんざり感がその背景に存在する。
日本の場合、その対象が民主党政権時の残像と重なっていて、むしろ自民党の方が非エリートに見えるという皮肉があるのだが。
EU離脱について、共感した記事を貼っておく。

2016年6月20日 (月)

妻の「嫡出否認権」を巡る訴訟 争うべきは同性内の取り扱いの違い

http://digital.asahi.com/articles/ASJ6K45VYJ6KUTIL01B.html…
子の父親が夫もしくは前夫ではないという父子関係を否認する「嫡出否認の訴え」が夫側だけではなく妻側にも起こせるようにすべし、というのは賛成である。
なぜなら、法の平等性について担保されていないからである。

男女の差ではない。女性同士の間で、である。

私の見解はそう言う意味ではこの訴訟とは別の見方からで、意見を異にしている。

我が国では「嫡出」でなく「非嫡出子」の場合、出生届を空欄で提出することができる。実質「父子関係否認権」が母親側には認められているのである。

婚姻している場合はこれは認められない。推定されるべき「父」がいるからである。
「嫡出否認権」が認められようがみとめまいが、裁判で前夫もしくは夫の関わりなしに手続きを進められないかぎりは「無戸籍」状態の回避は難しい。
問題は「嫡出否認権」のあるなし、ではなく、「裁判手続きの中でもっぱら前夫の関与が求められるか否か」なのである。

訴状を見ていないのでなんとも言えないが、これを「男女の差」で攻めて行き、例え「違憲判断」がでようが、「無戸籍問題」は解決されない。

解決するためには、婚姻中に出産した子でも、父親欄を「空欄」として届けが出せるようにするしかない。

それは「嫡出否認権」で裁判できるようになることとは違う。

報道する側は、少なくともこれぐらいのことは理解した上で報道しないと、大きな誤解を生むことにつながりかねないよね(泣)

2016年6月19日 (日)

「流れ」が変わるとき

「野球には’流れ’が変わるときがあるだろ。他の競技にもあるけれども、野球が一番はっきりしているかもね」
B4の試合結果を話していて、夫が言う。
確かに、どんなに豪腕ピッチャーが調子良く投げていても、
ある時に、突然にストライクが入らなくなったりする。ひとつのフォアボールから、思わぬヒットやホームランで勝てて当然の試合を落としたり、逆に奇跡の大逆転などというのもある。
それは「運」とも違う。確かに「流れ」なのである。
「追い風」や「向かい風」とも違う。
ふとマウンドから空を見上げた瞬間に風を感じる。その瞬間、魔法の杖が降られたように、押し引きの向きが変わる。
この、言葉では説明が出来ない摩訶不思議の「流れ」があるからこそ、勝負は「予定調和」では終わらない・・・ことがままある。
だからこそ、野球は人の心をとらえるのであろうか。
チームプレイというのも「強いものが勝って当たり前」の常識を揺らす変数である。
そして必ず「相手チーム」がいて、同じように予定調和ではいかない不安定さを内在しているのだ。
陸上をやってきたワタクシにとっては、野球の勝敗の確率は記録を追う競技よりずっと低いような気がする。ヒットとて3割打てれば強打者だ。逆に言えば7割は凡退、つまりは失敗している、ということだ。
グラウンドを駆ける少年たちは、「勝つ」ことより「負ける」ことを絶対値として多く経験している、ということなのだ。
なんだか、それだけで泣けてくる。
それでも白球を追う君たちは、本当にすばらしい。

さて、選挙をスポーツに例えたら、どの競技が一番似ているのだろう?
ある一定の区域を、戦略的に考えられた人々が負かされて、個人の記録とチームの勝利を求めて闘う・・と言う意味では駅伝なのかな?通常駅伝では強い選手と弱い選手はあたらない。大抵は同じぐらいの実力を持つ選手同士がしのぎを削る。
勝敗には自分の実力もさることながら、相手選手との相性に左右される。しかもライバルは複数である。
あと・・どんなに強いチームに入っても、走る機会がなければ意味がない。補欠になるより、別のチームで選手として試合に出ることの方が大事・・というところも似ているかも(笑)
となると・・古豪?復活のために、「流れ」を変えるためにやることは他の競技よりずっと明確かもしれない。
推薦枠や部の予算も決まっている中で、良い選手を集め、
練習メニューや栄養管理も徹底する。
選手の自主性ややる気を引き出す中で、思わぬスター選手が生まれて来る・・・。
なるほどね(笑)
「『STORY』見ました!!!!!」
2年生なのに初めて会うチームメイトのお母さんたちに興奮気味に声を掛けられつつ、グラウンドを見つめながら、違うことを考える・・・業ですかな?性ですかな??(笑)

国政選挙でも 「選挙手順に地域差」の不思議

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選挙、ことに国政選挙は全国一律、どこの場所でも同じ手順で行なわれている、と誰もが思っていると思う。
が。選挙管理委員会から出るポスター掲示場所の地図だけでも、選挙区によってこれだけ違うと言うことを知って驚く。
添付の地図の前が東京都大田区、後が神戸市東灘区である。
大田区は掲示箇所が大雑把にポイントされた全域の地図が一枚渡されるだけ。神戸市の場合はそれに加えて住宅地図にマーキングされたものが付く。
「まさか、これだけ?そんなはずないよ、絶対詳細地図が付いているはず」思わず何度も確認した。

このままだったら、詳細地図を自前で作らねばならなくなる。それは勘弁だ。

しかし、届いているのはこの地図だけだという。「いつもこれだけだと思うんですが」と秘書・いっこぽん。
それでも納得のいかないワタクシは、元締めである選管にも電話をした。

「これだけです」
「じゃ、掲示箇所一覧表をメールで送ってください。こちらでGoogleマップと連動させるので」
「メールでですね。ちょっとお待ちください。・・上司と相談の結果、お出しするのは紙ベースだけということで」
いやいやいや。
ってか、そのくらいのこと、あっと言う間に出来るはず。
だって、我が事務所のモッチーもすぐにやってくれたもの。だが、当然だがそれなりの時間は割かなければならない。
本当はそれを行政側がやってくれ、全ての陣営で共有できれば選挙前の慌ただしい中で、どんだけ助かるか。本来の活動に集中することができるか。
ちなみに全国では地図や設置箇所をホームページに載せている自治体もある。
メトロポリタン東京。「おもてなし」をあれだけ強調したのに、この不親切ぶりはどうであろうか?
選管のゆるゆる度の違いについても、先般指摘した通りだが、
突然、電話がかかって来た。
「職員総出でチェックをしているのですが、4月11日付けで添付の領収書の日付が見難くて。もう一度送ってもらってもよいですか?」
・・すごい。舛添ショックゆえか?
いずれにせよ、ホント、こういうどうでもいい作業に翻弄されるのはかなわん。
そもそも掲示板にそれぞれが貼るって作業もどうよ?
公示日に選管に集合して時間内に貼って、それを掲示する方法に変えてもいいよね。
「名入れたすき」が使える、使えないも含めて、政治活動、選挙活動のジャッジには、ことほどさように「地域差」がある。
普通は選挙区を変わることがないので疑問を持つ余地もないのだが、判断が180度違うこともままあることに、改めて驚くのである。

2016年6月16日 (木)

「古典に学ぶ民主主義の処方箋」石井登志郎著・游学社)

「『候補者になった者だけに見える景色』があります」
(「古典に学ぶ民主主義の処方箋」石井登志郎著・游学社)

どんなに著名な書き手によるものでも政治評論がつまらないのは、絶望やため息、誘惑や甘美・・まるで天国と地獄の入り口が蜃気楼のように入れ替わり消えては現れるこの景色の「実相」を掴むことができないからだと思う。

石井登志郎はワタクシと隣の選挙区で数年間に渡り苦楽をともにした、2009年衆議院初当選同期である。

石井一という個性の強い政治家の息子ときたら、本来ならもっと灰汁が強いか、もっとお気楽か、であろうところが、意外に「地道」なのである。

彼は基本的に誰かと群れることはなく、よく「(この業界で)友だちは井戸さんだけ」(笑)と言っていたが、なるほど、この本を読んでよくわかった。(おっと、この業界でももう3、4人はいるらしい・・本人談)

話が合う友だちはいないよね、少なくとも「今」の「日本の」政治家には。
登志郎の友だちは、チャーチルであり、斎藤隆夫であり、ジャンバルジャン、なのである。
トクヴィル、リップマン、福沢諭吉なのである。

たぶん、過去に書いたものと書き足したもの、そして、彼の世の東西を問わずの「お友だち」が(必要に応じて)次々登場、混在する構成となっているのが若干読み難いのだが、それでも十分に読むべき価値がある本だ。ある意味、国家的価値すらあるとも思う。
読後には「なぜこういう政治家が選挙で当選しないか」という問いかけを誰もが受け、その答えを持つことができないだろうからである。

巻頭の内田樹先生の石井登志郎評も必読。

Fullsizerender

2016年6月15日 (水)

辞職か解散か

辞職か解散か。
解散の場合、不信任案が「全会一致」だから大義がないというが、
舛添さんは今回のことをもって「自前の候補」を立てることで争点を作ることはできる。(現実的には親舛添候補が出るとは思えないが、理論上は)

それが「選挙」なのだ。

「石原さんは問われず、なぜ今?」「他の人もこんなにやっている」とか。
それと、参議院選挙への影響を考えれば、自分を担いだ自民公明への最大の嫌みになるよね。
辞めなくていいし。
さて、本日、どんな結論を出すのか。

辞めなくても辞めても、いずれ「舛添爆弾」は攻め手の側にも飛んできそうだ。

2016年6月14日 (火)

またも「補選」・・・

舛添知事が辞任もしくは議会を解散すると、
我が選挙区はまたもや「補選」である。
つくづく「ついていない」のか、いや「ついている」のか。

思えば
兵庫1区では 東灘区選出
神戸市議が保険金詐欺で有罪確定 辞職
神戸市議が衆議院選挙出馬 自動失職 で欠員2→ 市議補選

宮城4区では
大衡村村長が「セクハラ疑惑」のために議会を解散
その後自身も辞職 → 村議選&村長選

そして東京4区でも
都知事が辞職?議会解散?
大田区選出
都議が衆議院選挙の候補予定者 辞職 で欠員1→ 都議補選

通常「補選」はなかなか自分の選挙区では起きない。
のだが、自分自身の選挙(2005年)も含めて、
行く先々がこれだけ「補選」となる、というのは政治キャリアとしては稀なことかもしれない。

ということで、参議院選挙が終わっても、多分、また選挙。

業、ですかな(泣)


と、いうか・・・
保険金詐欺するなーーー!!
セクハラするなーーーーーー!!
政治資金でセコい真似するなーーー!!


心からの叫びです。

政治家とプロフィール

いよいよ追い込まれる舛添氏。
政治家を見る上で、ひとつのポイントでもある「公式ページのプロフィール」を見てみる。

******************

1948年11月29日 福岡県北九州市で生まれる。
舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系
http://www.masuzoe.gr.jp/profile

******************

案の定だ。
「◎◎家」とか「〜から続く☆☆家系」。

これ系の記述をしている人は要チェックなのだ。
選挙公報等には入っていない情報である。
たとえば細川さんのような場合を除くと、本当はどうだったか証明が難しいから、フィクションを作ることはいくらでもできる。
実際そうであっても、そもそも「◎◎家」とわざわざ入れてくるところに、本人は気がついていないのだろうが根底にあるコンプレックスが見え隠れする。
ご先祖様の力を借りないと、威厳を保てないって、ほんとうにセコイ。

しかし。
都知事選があると大田区は都議会議員の補欠選挙である。
思いもがけない巡り合わせの中で、政治も、政治家も動いて行く。

2016年6月 9日 (木)

舛添知事 会見に同席させるべきは会計責任者と監査人

舛添都知事の問題。
たぶんどんだけ調べて事実を積み重ねたとしても、結論は一緒。
そこにエネルギーを割かなければならない都議会関係者もさぞかし「うんざり」だろうと思う。国民はもっとだけど。

通常、政治資金関連での疑惑は利益を共有する「相手」がいる。
裏金や寄付金控除などなど。
しかし、今回はそうではない。「私欲のみ」である。
たまたまだが、政党の解党がらみの棚ぼたもアリ。
「残高をどう消化するか」と命題をクリアさえすれば、それも自分の懐に入る。
ともかくそれらしい領収書を集めて、本来は個人の支出だったものを政治団体の支出しなければ。
その領収書の基準があまりに常識外だったのだが、「別荘を売却する」と言った段階で、やっぱりこの方はわかっていないのだ、これからもわからないだろうと確信した。
多分、辞職するまでこの話題は続いて行くだろう。
あとはタイミングだけ。
だが。

第三者の元検事よりも、そもそもあの収支報告書を作った会計責任者と監査人を会見に同席させるべきである。

それが出来ない段階で、舛添氏は負けているのである。

2016年6月 7日 (火)

13年後の「負け犬の遠吠え」

「50歳、夫なし、子なし、無職…
しかし、私は今、希望でいっぱいである」

アフロ姐さん(稲垣えみ子さん)の新刊の帯を見ながら、接続語は「しかし」でなく、「だから」なのではないかと思ったりする(笑)

これを同い年のワタクシに当てはめてみよう。


「50歳、(病持ちの)夫あり、(学費がめちゃかかる5人の)子あり、無職…」


どっちが悲惨かと言うと、明らかに後者だよね(😭


我が国はそういう制度設計に我が国はなっているのだ。
それこそ「分断」を越えて、どんな生き方を選択しても「しかし」ではなく「だから」と言えるようにせねばならない。それが制度設計を担当する政治家の役割だとつくづく思う。

で、ちょっと気になったのが「無職」という言葉だ。

そもそも「無職」とは何ぞや。
特定の仕事を持っていない状況で、求職していなかったら「無職」で、求職していたら「失業」というのだろうが、経済状況はどっちも一緒だ。
まあ、一般的にはこの二つの言葉はほぼ同義語で、「無職」と聞くとなんとなくだが「求職して3か月ぐらい仕事が見つからない状態」を想像してしまう。
 なので、何らかの収入を得ている場合は「無職」というより「フリーランス」なんだろうなと思う。それは職業ではなく働き方、なんだけどね。まあ、「自由業」とは良く言ったもので、これ以上便利な言葉もないような気がする。

と、ここまで書いて、このコピーは「30代以上・未婚・子ナシ」・・「負け犬の遠吠え」(酒井順子著・講談社)とパラレルであることに気がつく。
なるほどね。「負け犬・・」は2003年の発刊である。
30代の女性たちは50歳前後となり、ここ15年の日々も含めて考察する巡りの時期を迎えているのかもしれない。

楽しみだ☆

2016年6月 6日 (月)

講談社ノンフィクション賞の最終選考作品に選ばれました

本日、第38回講談社ノンフィクション賞の最終選考作品5作が発表になり、拙著「無戸籍の日本人」がノミネートされました。

受賞作は7月20日に決定されます。
http://www.kodansha.co.jp/…/fi…/pdf/20160606nonfictionhp.pdf

過去の受賞作・最終選考作を見れば、ワタクシが愛して止まない、名だたる作家の皆さんがずらりと並んでいます。
歴史と権威ある賞の一端に加えていただいたことを大変嬉しく思うと同時に、この機会を通じてより多くの方々に「無戸籍問題」とは何かを知っていただけたら幸いに存じます。

選考に関わってくださった関係者の方々、またこの本の執筆・出版にご尽力いただいた全ての皆様に、改めて心から感謝いたします。

そして、いつもどこかで自信が持てない私にとっては「書き続けてもいいのだ」という許しのような気もして、大変励みになります。

今後も頑張ります。

大盛況!「佐藤優講演会」〜ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!!

作家の佐藤優氏をお招きしての講演会、

たくさんの方々にご参加をいただき、盛況のうちに終了することができました。
ありがとうございました!!
その後、佐藤氏と蒲田名物「歓迎」にて遅い昼食を☆
斜め向かいにある事務所で、
「風と共に去りぬ」の話から「フードバンク」まで幅広い話題でお話もいただきました。
佐藤先生からは「また、こうした会を継続してやりましょう!」とありがたいご提案も。
また、企画しますので、今回お越しになれなかった方も次回はぜひ!!
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