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2016年9月10日 (土)

重国籍の日本人③ 重婚も可能な「戸籍のバグ」と「届出制の限界」

「戸籍」には様々な「バグ」があり、国民の把握や身分事項の記載に正確性を欠くという不具合が起きている。

そのバグが起きる原因のひとつは、当事者もしくは関係者のみの「届出」に寄っている、ということである。
これは「無戸籍問題」の時にも、折に触れて繰り返し指摘してきたことである。

重国籍の問題も基本は同じところから派生する。(繰り返すが、私は重国籍を是としている立場だが、あくまで現行法での建て付けの中で以下論じる)
日本法では複数の国籍を持つ日本人は22歳までに国籍選択をしなければならないが、日本国籍を持ったままその後も国籍離脱をせずに重国籍でいることは可能、というのも、国は基本的には本人の「届出」によることでしか、誰が重国籍かを把握する術を持っていないからだ。

また重国籍者でなくても、外国人と外国法で婚姻した日本人は、日本の関係役所に「届出」をしない限りはその身分事項は戸籍には反映されないから、外国法によって婚姻していても、日本法によって別の人と婚姻することも容易である。

「届出」制を取るが故に、実際には何年も前に死亡しているにも関わらず、120歳、150歳になっても除籍されていないケースが存在する。

つまり、「戸籍」には制度設計上に問題があり、「完璧」を求めるには限界があるのだ。

その極めつけとしてこの数年で急速に可視化されて来たのがまさに「無戸籍の日本人」の存在であり、この度クローズアップされた「重国籍の日本人」である。

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「戸籍人員を詳らかにしてみだりならざらしむるは政務の最も先んじ重する所なり。夫れ全国人民の保護は太政の本務なること素より云ふを待たす。然るに其保護すべき人民を詳にせず、何を以て其保護すべきことを施すを得んや。是れ政府戸籍を詳にせざるべからず儀なり。又人民の各安康を得て其生を遂る所以のものは政府保護の庇蔭によらざるはなし。去れば其籍を逃れて其数に漏るるものは其保護を受けざる理にて自ら国民の外たるに近し。此れ人民戸籍を納めざるを得ざるの儀なり。」
 1871年(明治閏4年)4月4日、民部省によって起草、公布された全国統一の戸籍法についての太政官布告第170号前文である。ここに、いわゆる「壬申戸籍」が誕生する。

 注目すべきは、この前文には「戸籍」を編成することの政治的意味と同時に、「戸籍」への登載が漏れた者、つまりは「無戸籍者」に関しての言及があることである。

「国民の外」。

届出をせず、無戸籍ともなれば「政府保護には寄らず」であると、そのデメリットをことさら強調する内容である。

なぜ、そこに力点を置いたのか?

150年前の日本では、自らが行政の窓口に行き「届出」をする、ということが、日本国民に馴染んでいなかった。
「医療保険制度」も、「年金制度」も、ましてや「介護制度」もない時代だ。
 租税関連で数年に一度、公から調べることはあっても徹底されていたとも思えず、ましてや国民の側から婚姻、出産、死亡を積極的に届け出る必然性もなかったであろうことは容易に想像がつく。
 例えば婚姻成立の日付についても役所に届出を出した日なのか、それとも祝言をあげた日なのかで論争もあったほどだ。実際、法学者の間からは法改正をして「祝言をあげた日」を婚姻日にするべき、との声も上がっていたぐらいだ。

「国民の外」という取り扱いについては、このように、官に届出をするという制度も習慣もなく、「実態」で生きて来た当時の日本人に対して、マインドセットを変え、制度定着を促す効果的方法だったのだろう。

明治時代に「戸籍制度」が導入、確率されてから145年あまりが経つ。
幾たびかの戦争や大災害での混乱を経て、また新憲法のもとにおいても「戸籍」は生き残り、日本における登録制度として定着をし、機能してきた。

しかしその一方で、この「国民の外」という概念は独自に歩みをはじめ「戸籍」に別の意味を持たせてきた。
つまりは「戸籍」が「単なる登録制度」としてではなく、日本が近代国家として進んで行く上で、国民に対して「あるべき国民の精神性や道徳性の規範を植え付けるもの」として価値付けされていくのである。
また、植民地政策としても「同化」を求める術もしくは「排除」「差別」を具現化し見せつける道具としての性格を併せ持つようになったのだ。
「戸籍と国籍の近現代史」(明石書店)で遠藤正敬氏は「戸籍」と「国家」の関係をこう解析する。
「戸籍は古代国家による人民動員と治安維持の為の身分登録制度として発祥したものであり、元来は倫理的規範と無関係な存在であった。だが、近代国家は国民に対して、社会資本の整備や生活手段の充足と言った物質的分野のみならず、倫理・教育・宗教・風俗といった精神的分野への介入を当然とするに至った。(中略)
近代日本社会では戸籍法が『国民』や『家族』をめぐるある種の道徳というべきものを生み出してきた。その積年の効果として『日本人』であるならば必ず戸籍をもっているとか、どこの『籍』にも入っていないのは普通ではないというような、戸籍をめぐる集合意識ができあがっている。(中略)
 「戸籍に管理されることが『日本人』としての地位を保障し、ひいては日本社会の秩序であるという意識が根付いていることは否定できないであろう。」

「国民の外」の延長上に、「国外」の者と婚姻関係を結んだ者や、「国外」で生まれた子に対しての、余りの配慮のない扱いがあるのだ。

「戸籍」があることは「国民の内」という、自らの存在価値を保障するものであり、脈々と続く祖先とのつながりをたどる貴重な資料でもあり、自らの存在の「正統性」を示すもの———。
戸籍制度に抱く信仰にすら近い過度とも言える信頼性は、実は脆弱な基盤の上に成り立っていることを、今回の騒動は露にした。

その脆弱さは、この国の国境線を、好むと好まざると行き来せざるを得ない人々の暮らしや人生そのものを大きく左右する。

今、私は沖縄、そして樺太における「戸籍」の歩みを検証している。

1945年6月沖縄戦で、八重山諸島他一部を除いて、ほぼ全ての戸籍が消滅した沖縄。
彼らの「戸籍」が復活するまで、彼らは皆「無戸籍」だった。
「まさか・・」
戦渦を生き抜いた人々が持つ再製された戸籍を見て、言葉を失う。
重籍、重国籍、重婚・・・ひとつの戸籍に沢山のバッテン(死亡)とともに、困惑するほど歴史に翻弄された家族の姿がある。

ちなみに沖縄では戦後、日本が新憲法・新民法を採用しても、旧明治民法(大正4年戸籍)のまま再製が行なわれ、ようやく1965年(昭和40年)『戸籍法第百二十二条第一項の戸籍の改製に関する規則』で、やっと琉球政府は三代戸籍の追放に乗り出す。
戦後20年を減るに至るまで、沖縄だけは明治時代の家制度のもとでなければ登録することができなかったのだ。

私たちは、私たち自身の問題として「戸籍」を「国籍」を今一度問わなければならない。

近いうちに、よりわかりやすい形にして世に問いたいと思っている。

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