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2016年9月13日 (火)

残念なこと

http://mainichi.jp/articles/20160913/ddg/001/010/002000c
残念でならない。
蓮舫氏が「二重国籍」だったことではない。(私は重国籍賛成派である)

せっかく「多様なバックグラウンド」を持つ「女性」が、もっと言えば、2015年1月の代表選挙の時には推薦人が集まらず撤退したところから、多くの人々を巻き込み立候補に至ったという経緯も含めて、再チャレンジを立派に成し遂げた蓮舫氏の「王道を行く戦い」が、別の形で注目を浴びたこと、そして、ある意味で最も肝心なところでの迂闊さが、問題を大きく拡げたという点である。

政治家は批判されるのが仕事のようなところがある。
それが理不尽で受け入れ難いものであっても、自分の「叩かれやすい部分」を自覚することは、「どこでつつかれるか」も想定もできるということだから、事前に対処をしておかなければならない。念には念を入れて、である。
本来の仕事を妨げることがないよう、そうした憂いをつぶしていく作業を疎かにしてはいけないのだ。

残念なことのもうひとつは、
党内ではこのことに関して言及する政治家が少ないことだ。
語ってはならぬ的な雰囲気があるようにも感じる。
そこには危機感も感じる。

外向きに発信している場合でも、問題の本質を「差別」や「多様性」他の言葉で覆い、他のことには触れない、というのはどうなのだろうか。
今回はあくまで「公人」のコンプライアンスの問題が発端なのだから、そこから逃げてはいけないのだと思う。
党としても、党に所属する議員・政治活動者としても、だ。

しかし、あまりに軽く「差別」や「多様性」が用いられるのはつらいなあ。
そう思っているなら・・・。
アクティビストとしては、ついつい、愚痴も出る。

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