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2017年3月26日 (日)

「黙る人 語る人」 ①

人は都合が悪くなると「黙る」。

もしくは’必要以上’に「語る」のどちらかであるということを、
森友問題を眺めながらつくづく思う。

特にこの前まで安倍昭恵氏との交遊をFB等で「誇らしげ」に発信していた人々の「沈黙」は薄気味悪い。
多かれ少なかれ安倍昭恵氏存在を後ろ盾に「そんたく」で依怙贔屓されることを望んでいた人たちは一定数いるということが読み取れてしまう。

安倍昭恵氏に限らず、著名になったり、なんらかのことで良い評判が立つと、自己肯定の道具に使おうという人が必ず出てくる。
以前にも指摘したように、最近は井手英策慶大教授、ちょっと遡れば坂本龍馬(笑)というふうに。
会ったこともないのに、そして著作も読んでいないと思うけど(笑)なんらかの接点を強調することによって、名前を挙げた人が長年培って来た信頼や人脈を自分のもとに引き寄せ、時に具体的な「実」を取ろうとさえする。

著名になる、ということは、親戚縁者や知り合いが増えるということともいうが、その中には単に無邪気な「ファン」的な人もいれば、上記のように何らか別の目的を持った邪悪な人もいる。

野生の王国、弱肉強食のサバンナで生きざるを得ない政治家であれば、その辺のさばきはまあ慣れている。腐った肉や泥水を飲んで多少でも痛い目を見た経験値に裏打ちされた「野生の勘」が働くのだ。

が、安倍昭恵氏はそうではなかった。
この間、某元総理とも話したが、具体的な邪悪をダイレクトに見る機会が多い政治家と政治家の妻とはその辺は全く違う。裏切りの現場の醜悪さ等々はプレイヤーとしての政治家は間近で見るが、妻他は基本伝聞。だからその辺の感覚や危機管理は政治家よりは当然薄くなると、妻と政治家との両方を経験してつくづく思う。

ま、それでも安倍昭恵氏が「普通の主婦」を強調するのはどうかなと思うが、
そうしたスクリーニングができない自分を見つめて、ということなのかもしれない。
だが、それなりに年月過ごして来ればセミプロなんだから、もうちょっとはわかるだろうよ、とは思う。
いや、別の意味での「野生の勘」・・・危険地帯に突っ込んで行ってしまう、と言うのはあったのかも。天性の。
だからこその5人体制。
その辺は総理含め、十分理解した上だったのだろうが、逆にさらに行動範囲は広がり、回りは大変、ということになったのかもしれない。

話を「黙る」に戻すと、さんざん利用しようとした対象が批判の的となった場合、どうするか。

過去の行動や、それをアピールするために書いたものは消せないから(いや、消している人もいるかもだが)、とりあえずフリーズ。動かない。
危険を察知したカメレオンのようにその場の環境に同化して、目立たないようにするのである。

ただ、見る人がみればわかるよね。
特に利用された側はしっかり見ていると思う。

あ、そうじゃないから・・この問題が起っているのか!

「語る」ほうについては、時間切れ。
これはのちほど。

今日も雨だけど、がんばるぜぃ!

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