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2017年3月15日 (水)

「匿名」コメントの意味

かつて森友学園の代理人として裁判所に出廷したこと等に関する稲田氏関連の報道をみながら、気になったのは朝日新聞記事中の法曹関係者のコメント欄だった。中身ではない。

なぜ、匿名?なのかというところ。
コメントする側の何かを守らなければならない必然性があるとも思えないが。
裁判官の場合はそれもアリだろうが、現職にこだわる意味はよーわからん。

取材を受けたり、その仲立ちをすることも多いが、
個人が特定されたりすることを避けたい場合でも、テレビ・新聞に出る時は原則「顔出し」「声そのまま」が求められる。断っても相当粘られる。
書き手のが分からするとそれはわからない話ではない。
記事が恣意的に作られたものではないことへの担保と言う意味でも大事なことでもある。
プライバシーやその後の影響も考えた上で判断をしていくことになるが、今回の記事のような場面での匿名には「もやもや」が残る。

まあ、「書面の内容を全く知らないことはよくある」などを名前出して言ったら、クライアントからの信頼なくすだろうことは必至だろうから「名前は勘弁」で、その基準に他のコメントの表記も「匿名」に統一したのだろうが。

加えて言えば、「よくある」「ありうる」というコメントを載せる場合、

当然だが「この裁判で」という裏取りをして記事にしているんだろうと考えるが・・・ん?もし、それをしていなかったら、いくら相手が言った言葉でも記事にしてはダメだよね。

「匿名」を、形式的に「両論併記」をするための苦肉の策にしてしまってはいけない思う。

モノを書く者としての自戒を込めて。

そして・・

今回の稲田氏の件は、もはや一般論で語る域ではないことは明らかだと思う。

以下、記事一部引用
 ■出廷しても「記憶ない」 弁護士ら「ありうるが…」
大阪のある弁護士は「準備書面に名前が記載されていても、メインの弁護士でなければ、書面の内容を全く知らないことはよくある」と話す。民事裁判においては、複数の弁護士が連名で受任することが珍しくないからだ。出廷についても、民事訴訟ではあらかじめ提出した訴状について一言述べるだけのケースも多く、ある民事裁判官は記憶に残らないことは「ありうる」と話す。
 ただ、日弁連の役員経験がある弁護士は「出廷したのであれば、真摯(しんし)に記憶を呼び起こすべきだ。『関係を断っている』というのは、相手と距離を置きたくて答えたように思える」と指摘した。

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