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2017年4月10日 (月)

「アッキーと『教育勅語』〜「夫婦相和シ」を巡る攻防」 ①「根拠なき権力」が生まれた背景

「権力などつかっていません」(byアッキー)
どうしてまた、この方はこの状況を説明するにこれ以上なくふさわしい言葉を使ってくれるのだろうか。

そう、「私人」であるはずの安倍昭恵氏が「内閣総理大臣夫人」という立場で使ったのは「権力」ではない。公的正当性がない「根拠なき権力」なのである。
それは「忖度」ともまた違う。が、にわとりとたまごの部分はあり、周りを巻き込んで「根拠なく使ってはならない」域に達する危険がアリアリなのだ。
(安倍夫妻はそもそも生まれた時からある意味「根拠なき権力」と「忖度」の中で生きてきたのだろうから、その辺の認識は薄い、もしくはない、のだと思う。その件については③で書く)

総理大臣に限らず、政治家、社長、院長他、ある種の権限、権力を持つ者の妻は「根拠なき権力」を持つ存在として、内に外にある種独特の存在感を示し、その言動によっては組織の足許を揺るがす原因にもなりかねない・・・という恐れを持つことは、実に今始まったことではない。
旧くは楊貴妃、大奥・・。

実は明治政府が行なった最重要政策のひとつは、江戸から維新を経て政治体制が変わりゆく中で、いかに女性を政治的権力の座から遠ざけるかであったことは意外に知られていないことである。
なぜ、女性を遠ざけなければならなかったのか。

江戸時代に読まれた中国の史書では「則天皇后」「楊貴妃」をはじめとし、女性の「皇帝」「公王」「傾国の美女」他、女性が政治権力の中心に関わると男性権力者が翻弄され「女禍」が起こる。結果国が滅びる。滅びないまでも権力の弱体化、人心掌握は弱まり、例えば将軍綱吉の治世は「玄宗」「楊貴妃」の比喩をされながら揶揄されてもいる。
実際、江戸中期以降、政治的実権は「大奥」=「女権」が握ることもあり、その弊害が多々出るようになった。(「大奥研究」は意図的にその辺がオミットされているとも言われている)
最後の将軍慶喜は「老中以上」となった「老女の権力」を嘆いてもいるのだ。

江戸幕府の終焉に至る過程の中で、本来権力を持つべき者が、周りの女性たちに翻弄され、政治権力構造自体にゆがみをもたらした例を間近で見ていた明治の政治家たちは、新たに建設しようとした国づくりで、再び同じ’過ち’を繰り返してはならないと、躍起になった。そして出て来た政策は、単純明快だった。

女性を政治的に排除すること。徹底的に。

それは「推論」の域ではないことは、年表を見れば一目瞭然だ。
明治23年。そう、「教育勅語」が発布された年だ。
この年は日本の近現代史にとって最も重要とも言える。
月、日・・・まさに一日一日がかなりの重みを持って、平成の今に至るまで影響し続けるのである。

明治23年
3月 文部大臣に対し「教育勅語案起草の勅令」
7月 「第一回衆議院議員総選挙」
(☆被選挙権 -皇族・華族を除く士族か平民 ☆選挙権 - 直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性 ☆有権者数約45万人=国民の約1.13%)
同月 「集会及政社法」交付 ☆女性の政治活動(政社加入・政談集会傍聴他)は全面禁止
10月 「教育勅語発布」
11月 大日本帝国憲法施行(明治22年2月1公布)

こうした中で、それまで政治的にコミットできて来た女性は排除されて行く。

「良妻賢母」教育が生まれ、戦後、婦人参政権が実現しても社会構造はそう早くは変わらない。
むしろ、高度経済成長期も含めて、今もって税制的に推奨・優遇されるのは夫の扶養者として生きること。
女性は仕事人として自立し、その能力を社会にも還元していくことより、家庭の中で妻として、母として生きることが最も幸せ。あくまで能力発揮は「根拠なき権力」の域内でね、というのはという価値観は明治23年からずっとずっと続いてきた「為政者のご都合(と、恐怖)」によるものなのである。

さて、安倍昭恵夫人。彼女が生まれたのは1962年(昭和37年)。
就職しよういう頃はまだ、女子学生については「自宅生以外はお断り」という企業が当たり前にあった時代である。
時代はバブルに突入しようというころ、古い価値観と新しい価値観が交差する中で、お見合い結婚で夫を支える選んだとしても、世の移り変わりの中で自らの存在を自他ともに認め、生きることの心地よさを謳歌できる喜びに目覚めを得たときに、目の前にあったのは「根拠なき権力」・・。そりゃ、使うわな。

つまりは構造的な問題として、妻の役割を「夫人」におしとどめ、政治的存在として排除しながらも、都合の良いところのみ使ってきたからこそ「根拠なき権力」は「権力」たりえていくのである。

このパラダイムシフトは、まさに「教育勅語」の文言決定過程にも実は現れていたりする。

愛国の皆様がありがたがる「夫婦相和シ」の部分である。
長くなるので、②につづく(あ、ここまでで十分長いかっ、笑)

愛国の皆様が胸を張る「夫婦相和シ」。
そもそも「五倫」は「相和シ」ではなく「有別」・「相和シ」は西洋からの輸入か、セットとして「姦淫セズ」がついていたんだよ〜ん、というお話。
その辺を「御一新とジェンダー」(関口すみ子 東京大学出版)では、明治23年3月〜10月までの「教育勅語」のこの文言「夫婦相和シ」をめぐって中村正直、井上毅、元田永孚が誠に意義深い攻防を繰り広げていることについて研究していて、興味深い。
よもや平成29年ともなって、「教育勅語」がこんなに脚光を浴びる日が来るなんて思わなかったけれども、
歴史を学ぶ重要性をますます感じるのである。
あ、「竜馬」でなく、明治中盤をね(笑)

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