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2017年4月10日 (月)

「布教」としての森永エンゼル

先日、盟友とご飯を食べていたら、彼女が急に歌いだした。

♪ だあれもいないと思っていても
どこかでどこかで エンゼルは いつでもいつでも ながめてる
ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんとちゃちゃーんとながめてる ♫

「ねえ、懐かしいでしょ?森永エンゼルの歌。なんの疑問も持たずに歌っていたけど、この歌詞怖い。だって、エンゼルは私たちの全てを見ているのよ。ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんと・・・」(byN子)

彼女の指摘に、思わず「なるほど!」と唸ってしまった。

ワタクシが森永製菓の創始者森永太一郎のことを意識したのはごく最近のことである。
ちなみにアッキー絡みではない。

婦人運動家・社会思想家だった山田わかの生涯を描いた「あめゆきさんの歌―山田わかの数奇なる生涯」 (山崎 朋子 著文春文庫 1981/10)で、明治時代アメリカに渡り、その後帰国し成功したごく少数の日本人として、熱心なキリスト者ぶりもふくめて紹介されていたと記憶している。

なるほど、森永製菓の作る西洋菓子は普通の菓子ではない。
「布教」の一貫としてのメッセージを伝える役割を担っていたのである。

「どこかでどこかでエンゼルは・・」
キャラメルをほうばる子どもたちは、
最後のひとつを友だちに隠れて、自分だけ食べたこと、宿題はないと親に言い切ったけれども、ランドセルの中にはプリントがあること・・・
ああ、エンゼルは全てをお見通しなのね。
それでも、罪深いワタクシたちを許してくれるのであろうか。

世間はそう甘くはないことを、大人になったワタクシたちは実感している。
ええ、たぶん?アッキーも??

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