« 「布教」としての森永エンゼル | トップページ | ビラ取りが格段によくなる「ネタ」 »

2017年4月11日 (火)

「真に・・」「真の・・」を考える

「真に国家と国民を愛し〜っ」

今となっては、誰も信じてくれないけど(笑)
何を隠そうワタクシは松下政経塾の出身・・。
うら若き?20代前半、寝ぼけ眼の猛者たちと「塾是 塾訓 五誓」なるものを唱えていた。

その最初の一文が、冒頭の言葉。

当時ワタクシは毎朝同じことを思っていた。
「腑に落ちない・・・」
塾是の冒頭の「真に」に、である。

単に「国家・国民を愛する」のではない。
「真に」とは、どういうことなのか。
これ、言葉的にはなかなかのくせ者なんじゃね?と。

なんらかの事象の前に「真に」をつければ、なんとなくだが、偉そうに見える。
それがひとりよがりの間違った解釈だったとしても、
そこはかとなくオーソライズされた感じになって、自分がホンモノになった気になれる、まさに「魔法の言葉」なのである。

もちろん幸之助氏には幸之助氏の思いがあっての「真に」である。
だが、血気盛ん、だからこそ上滑りがちな青年たちにとって、ちと裏腹効果があるなと見ていた。

密かに誓ったのは、今後の人生でなるべく「真の」を使わないで生きようということ。20代に、一生分以上、毎日「真に」を唱えた結果、それは、自分の薄っぺらさを、小ささを隠す「マイ・上げ底・ワード」として、以後基本使用不可、封印されたのである。

で、昨日の長島さんの離党時の会見。
「真の保守」がキーワードだった。

政治家の出処進退や離合集散に関しては、それぞれの判断があることであろうと思う。
また、個人的には元外務大臣・松本剛明氏や外務副大臣・山口壮氏の離党の方が衝撃だった。
なので、そのことに対しては別の機会に書くとして(ワタクシは「ファースト」も含め、日本新党誕生以来の流れに決着がついていないのだと思っている)
「真の」の部分だけについて、言及しようと思う。

「私は、真の保守とは国際社会でも通用するような歴史観と人権感覚を持ち得なければならないと考えています」(by長島氏)

むむむ。
この「真の保守」の定義部分だが、
特に「真」を入れなくても、もしくは「保守」を「リベラル」と言い換えても、通用しちゃうという皮肉。

(ワタクシが記者さんだったら、そこんとこ、突っ込むがな)

まあ、コトホドサヨウに、それが「今」という時代なのだ。

蛇足だが。
ワタクシは「戸籍」や「国籍」を専門にするが、
同胞の問題に対して目を向けることをしないのは「保守」ではないと思っている。
「日本人」を守ることは当たり前こと。「真の保守」だったら、真っ先にやるはず。
・・・・えっ??となると、あらま、もしかしたらワタクシこそ「真の保守」??
ってぐらいに、カテゴライズは不毛だし、「真に」は意味を持たないんだよね(笑)

« 「布教」としての森永エンゼル | トップページ | ビラ取りが格段によくなる「ネタ」 »