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2017年4月 2日 (日)

「プレイ」としての「教育勅語」②

穂積八束の兄、穂積陳重の伝記「明治一法学者の出発」(穂積重行著 岩浪書店)ほぼ、読了。
すごいね、明治期の法学者一家の生き様と、そこに隠された謎を解く作業は、さながらミステリー。
「穂積」姓を名乗るいきさつ、饒速日命&物部を使うというファンタジーを、穂積陳重の孫重行氏が、知性を持って冷静に記述している。

😭
八束がウルトラウヨクになるいきさつについても、たぶんその通りなのだろう。
ただ、長尾先生の書いたものとは別の分析ともなっていて、この辺は検証したいなあ。

さて、この本の中には
渋沢栄一が娘の夫・穂積陳重と「愛国心」について激論を交わしている場面がある。
「私は東洋風に精神・道徳が先であると主張したりしたが、彼(穂積陳重)は知識・学問が先立たねば盲目な愛国心におちいるとして譲らなかった。」
明治20年代に「盲目な愛国心」がこのふたりの間で話し合われていることが興味深い。
譲らなかったが、時代はどんどんと違う方向へと進む。
「教育勅語」の登場はそんな時代背景の中でだったのである。
プレイの中に国民を組み込まないと「盲目な愛国心」を培養することはできなかったのだ。

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