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2017年11月

2017年11月30日 (木)

働きたいけど「預けられない問題」と「預けたくない問題」

昨日のアップ「熊本市議会「子連れ出席」に関する補助線①「母子分離」」に対して、
思いもがけずたくさんの方々からメッセージをいただいた。

その中で、今、日本の子育て支援の課題の中に、「『働きたいけど預けられない問題』に加えて、『預けたくない問題』というのがある、というご指摘には唸るものがあった。

社会が多様化する中で、いろんな選択肢を確保して行くというのはこれまで言って来た通り、とても大事なことだと思う。
子育てだけでなく、社会参加しようと思う人々を阻害する全ての要因を取り除くべく、努力をしなければならない。

しかし、今回の騒動でどうにも違和感を持つのが、
当初は「預けたくない問題」ではなくて、「預けられない問題」としての発信だった、という点にある。マスコミも含めて、である。

だからこそ、急速にこの問題が広がったとも言える。

「母子分離」についても多数のご意見が寄せられた。

これについては、この件とは別に議論して行きたいと思っている。

2017年11月29日 (水)

熊本市議会「子連れ出席」に関する補助線①「母子分離」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171129-00000001-maiall-soci

熊本市議の本会議への子連れ出席を巡る議論が盛んになる中で、
この問題が問いかける問題には複数の論点があるが、混同してこんがらがっている感もあるので、交通整理が必要であるとも思っている。

交通整理の補助線の一本目は「母子分離」である。
今回については「待機児童対策」等よりも、「母子分離」回避の新たな選択肢を広げたいということのほうが強かったのだな、ということが、インタビューを読んで良くわかった。
つまり「預けられない問題」とはまた違った視点での問題提起なのだ。

前のブログでも指摘したが、熊本市の保育所を空き状況を確認してみると0歳児には空きがある。ベビーシッターを捜すのが大変、との事情があるのは理解するが、経験則上、こうした場合は、まず保育園入園、もしくは保育園の一時預かりを利用しよう思うだろう。(そこには言及がないのでわからないが、入園申し込み等はやっていないのだろうか?もしやっていて預かってもらえない状況があるなら問題だ)

それはそれで議論されるべき論点だと思う。
今回の議会開会の予定は15分程度というのであれば、まあ一緒に過ごせない訳ではないな、と考えたのも理解できなくもない。

ただ、通常、議員の仕事とて、15分では済まないものばかり。
責任を持って仕事を遂行するにあたっては、別な方法も考えなくてはならなくなる。

「私が目指すのはさまざまな子育てや働き方のスタイルを認め合うこと。その一つとして仕事によって母子が分離されない姿。一緒にいるのは赤ちゃんにも母親にも大切。赤ちゃんの発達にも必要で、大事な部分でもある。産休後は「預けなければいけない」ではなく、母子を分離しない働き方もできるようにしてほしい。」(緒方議員・毎日新聞)

「母子を分離しない働き方」

それを選ぶ人々がいることを私は尊重したいし、その要望をできる限りかなえ選択肢を広げることは、まさに政治の仕事であると思う。(この件については近々田澤百利さんと政策提言を行ないます)

ただ、一方で、子どもを誰かに預けることなく、仕事と子育ての両方を職場で、もしくは家庭で行なうことは女性にとっては過酷な二重労働になる可能性があることをよくよく考えなければならない。
過去の先人たちの苦い経験も含めて託児所や保育園はあるという側面を知っておいてはもらいたい。

「母子分離」というとおどろおどろしいが、それは決して悪い側面ばかりではない。
「働いている母親は、自分が一日中子どものそばについていられないことを、子どもに済まなく思うものだから、(保育園が)子どもに、家にいる母親がしている以上の「理想育児」を期待する。保育園の育児のほんのわずかの「不行届き」も、母親は非常に重大に考える。」(「育児の百科」松田道雄 岩波書店 P214)という傾向もあって、保育園に預けることに関しては、経験者以外からの「可哀想」等も含めて、誤解や偏見もあることも事実だ。

しかし、考えてみれば、この国で出生から子と母がつねに密着して育児を行なって来たのは戦後のことで、それ以前は祖父母や兄弟姉妹、ご近所等々、子育てには常に他者が介在してきていた、つまり、それが短時間にせよ、ある意味「母子分離育児」は日常であったともいえるのだ。

なので、ワタクシはあまり「母子分離」にこだわりをもたなくてもよいと思っている。
父親の育児参加が当たり前になって、父子密着の時間が増えたからといって「母子分離」とは言わないだろう。一方で「父子分離」はスルーで問題にもならないってのもね。

さて、今回の「子連れ出席」が父親だったら、世論はどう反応しただろうかなとも思う。意外に受け入れたかもしれないと思うのはワタクシだけだろうか。
逆に言うと、それだけ母親への一方的な育児プレッシャーも強いということなのだろう。

何度も繰り返すが、この問題で一番後にされるのが子ども、である。
子どもは当然ながら「ママがいい」。
・・と皆さん、思っているかもだが、実はワタクシは1年間、3時間おきに保育園に通って母乳育児をしながら、そこで鑑みた多くの子どもたちの表情や行動を追って、「そうでもないんだな」ということに気がついた(笑)
それなりに、みんなご機嫌でやっている。
なぜか。「ママが一番」じゃないのか。
いや、もちろんそれはそうなんだけど、そこで気がついたのは、
子どもには親だけでなく、それ以外の信頼できる大人も必要である、ということだ。
それが社会と出会う、という第一歩なのだ。
乳児とてそうであることを、ワタクシは「天使組」(ちとせ保育園0歳児)の部屋でつくづくと学んだのである。

ひとみしりの時期や、イヤイヤ時期。子どもの月例ごとの育ちに合わせた成長がある。
母子密着で職場にいるよりも、時としては分離して保育園にいた方が良い場合もあることを親は忘れてはならぬ。
その可能性を排除すると、結果的に子どもにとってできうる限りでの最適環境を与えることができなくなるからだ。
少なくとも、本会議場は母と一緒としても子育ての最適環境ではない。15分以上は。

緒方議員については、個人を存じ上げないので、報道ベースとなるが、妊娠時、出産後も体調が悪く、議会には出席しておらず、今回から復帰ということだったらしい。
産後体調が悪いというのはどれほどつらいことだろう。お見舞い申し上げたい。
今後の議会も採決には出る、と記事では書いているが、他に関してはは出席が叶わないかもしれないという残念な思いや焦りもあるだろう。責任感を持った議員ならば当然である。

体調が悪ければ、本当はお子さんの面倒をしっかりみてくれる、安心できる育児のパートナーを見つけられたら、ゆっくり休めて回復も早くなるだろうと思う。しかし、職業人として十分に職務が果たせていないと思うと、逆に子育てだけでもしっかりやらねばと思ってしまうというのはままあることだ。
特に母乳育児をしている場合はその思いも強くなる。
前述の松田道雄氏の言葉ではないが、子どもと常に一緒にいないと「母子分離」が起って、子どもの育ちに影響があるのではないかと不安に思うこともあろう。

そうした「母子分離」で悩んでいるお母さんたちには、ぜひ「こんなときお母さんはどうしたらよいか」(松田道雄著 暮しの手帖社)も読んでほしい。

今回の疑問に対して、丁寧に答えている。

次の補助線は「議員として」で引いてみよう。→つづく

2017年11月27日 (月)

「佐藤優×井戸まさえ 超早朝勉強会@蒲田」 明朝です

みなさーん リマインドでーす。 明朝でーす ええ、朝5時半〜でっす!! 「佐藤優×井戸まさえ 超早朝勉強会@蒲田」 今月も「知の巨人」とともにお待ちしております✨ <日時:11月28日(火) 午前5時半〜>  <場所:「井戸まさえ事務所」大田区蒲田5−46−11蒲燃ビル202>



2017年11月26日 (日)

毎日新聞「今月の本棚」

本日付け、毎日新聞さん「今月の本棚」で拙著「日本の無戸籍者」(岩波書店)が取り上げられています。 ぜひ、お読みを!    

0歳児△ 1〜5歳×  都市部と逆の保育需要もある

友人が熊本市の保育園の空き状況を検索してみた、といってURLを送ってくれた。

https://www.kumamoto-kekkon-kosodate.jp/searchFacility/pub/List.aspx?c_id=24&mst1=42%2C43%2C44%2C45%2C46&mst2=47&age=0%2C1&vf=1

2017年11月2日現在の空き状況が公表されている。

友人が指摘するように、明らかに都市部とは違う特徴が出ている。

0歳児、1園を除き、△(1〜2名)とはいえ空いている、のだ。
むしろ・・1歳〜5歳が「×」多し。

産休がきっちり取れて、1歳以降に就労する親が多い、ということなのだろうか?
もしくは0歳児の場合、保育園以外で養育の担い手があるのだろうか?
幼稚園の数他との連関等も気になるところだ。

待機児童となり、痛い目を見た経験者としては、
「△」をみただけで、即申し込まねば気が焦る。

ジブンゴトではないのにもかかわらず。それだけ、プレッシャーが大きかったんだなと、今更ながら自覚もする。

「子育て支援」「待機児童対策」には全国で共通な部分と、一方では地域差もある。

都市部の感覚だけで語ると、こうした逆の保育需要があることが見えてこない。

いずれにせよ、状況をしっかり把握し対応してこなかったことが、していないことが、子育てのしにくさにつながっているのだ。

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Kumamoto2

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2017年11月24日 (金)

育児中の議員こそ「テレワーク」を  課題解決に向けて具体的に語ろう!!

今回の熊本市議の子連れ出席の話をみながら、

日本の課題としてとらえるならば、保育所の整備に向けての努力とともに、

まず「すぐできること」としてテレワークの推進をおこなったらどうだろうかと思う。

議員には議会内に「控え室」がある。
会派で、の場合もあれば、無所属だと単独で、もしくは何人かの無所属議員と一緒に、実務を行なう空間が議会内に置かれている。
その「控え室」で、通常のテレワークと同様、ネット回線で議場と控え室を繋いで、議会が行なわれている時には中継を行い、議場に置かれたモニターに控え室側の議員も映しされる形式だ。
議長からチェックができる位置にモニターがあれば、起立採決等には対応ができる。もしかすると質疑も可能だ。記名投票の場合は、投票用紙を移動する手間は出るが、これも何らかの対応はできるだろう。もしくは投票するぐらいの時間は子どもも対応可能だろう。

これは別に熊本市議会に限らず、全国の地方議会でも、もちろん国会でもできる。
ただ、意図的に悪用されないような工夫は必要だから、
その辺は専門家でもあるテレワークの第一人者、田澤由利さん他に相談すると良いと思う。
(そこを端折ると、失敗するからご注意!!)

もしかしたら、議会のあり方をより良く帰るきっかけになるかもしれない。
会議の多い職についている人たちにも応用可能だ。

そう思うとワクワクする。

こういう話はイエス、ノー双方が、相手の考えを受けいられず、最後は個人攻撃で終わるケースが多い。

そんなことは誰も望んでいない。

だからこそ、具体的な話をしましょうよ!

女性の「嫡出否認権」は当たり前で歓迎だが、無戸籍問題の抜本的解決ではない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171124-00000004-mai-soci

11月29日に民法774条「嫡出否認権」をめぐる裁判が神戸地裁で行なわれる。

ワタクシは近著「日本の無戸籍者」(岩波書店)でも書いたように、現在夫にのみ認められている「嫡出否認権」が妻にも認められるべきだと思っているが、最近の論調で、「これが認められれば無戸籍問題解決への糸口になる」という見解については、現場を知らなすぎる空論だと思っている。

つまり男女平等という点では評価をするが、
そうした楽観論が広がることで、さらに無戸籍問題が固定化するのではないかという懸念を持つ。

女性が「嫡出否認権」を持ったとしても、対して調停・裁判の手続きの相手方、被告は前夫または夫になる。
出生届が出せないDV被害者等を受けた母親たちが最も怖れるのは、彼らとコンタクトを取ること自体なのである。
女性に嫡出否認権が認められても、そのハードルの高さは変わらない。
むしろ「嫡出否認権があるのに、なぜ手続きをしない?」という社会的プレッシャーが起ることを危惧する。

今回の裁判の結果によっては、
夫婦別姓等、当たり前にあっていいはずの女性の権利保障の拡大にもつながる可能性もあると思っているし、そう願っている。

しかし、残念ながら、裁判の結果が「違憲」となり、法改正が行なわれても、無戸籍問題の抜本的問題にはつながらない。たぶん、ほとんど影響がないだろう。

無戸籍問題の本丸はあくまで民法772条「嫡出推定規定」そのものなのだ。

報道関係者の方々にもその辺の理解を是非にお願いしたい。

あえて「現実」をお知らせしておく。

「佐藤優&井戸まさえ クリスマスクルーズ」

12月17日(日)午前11時半〜午後2時頃まで

「佐藤優&井戸まさえ クリスマスクルーズ」

やります💝 佐藤優氏と2時間じっくり+個別にお話できる絶好の機会です! どなたでも参加できま〜す 東京湾をクルーズしながら語り合いましょう!    Photo

議会への子連れ出産は是か否か②

ワタクシは地方議員と国会議員を経験している。

常日頃から、職住接近(ケースが多い)の地方議員は、政策面も含めて、子育て中の女性にとって最も適した職業の一つだと実感を込めて語ってきた。

議会があるのは年間100日程度。政治活動に関してはほぼ毎日、時間を選ばず、という側面はあるものの、時間と内容を「自己選択できる」という意味では、会社務めより有利である。


もちろん、ライバル議員があちこち顔を出していたら気にもなるが、焦る。が、大抵の選挙区は小選挙区ではなく中選挙区。つまり、自分のお客さんに向かって、事情を説明し、少ない機会でも真面目に活動していれば理解は得られる(次回も当選できる)可能性は多いにある、むしろ広がるからである。



「議員」と「議員の妻」を経験してみて、思うのは、実は保育園をより必要としているのは「議員の妻」だったなと実感する。
事務所を手伝っている「議員の妻」の場合、自分で時間をコントロールする裁量権の幅も狭い。
賃金は発生しないが、扱いはほぼ「フルタイムワーカー」の「被雇用者」だ。
「議員」の育児環境は全く違う。

ワタクシの場合、第一子は2歳まで、事務所で育てた。
当時は3歳児神話や母乳育児がまだ幅を利かせ、おむつも布おむつ利用era(笑)
狭い空間で、ちょろちょろする子どもを見ながら、電話を取り、来客を受ける。
たまに外には行くが、公園に長居することもできない。
子どもは常におんぶかベビーカー。
母親と密着するも、これで彼はしあわせなのだろうか。
ある日突然、ベビーカーの上で彼は熱性けいれんを起こした。
みるみる紫になって、呼吸が止まった子どもを、どうしたらよいのかわからず、おろおろしながら小児科に走った。
自分の呼吸も止まりそうだった。生きた心地がしなかった。

ワタクシはそこで学んだ。
子どもには、「育つための環境」が必要だ。
少なくとも、政治家の事務所では育てる側も、育つ側もストレスがかかる。
「大人の空間」と「子どもの空間」は交わる部分もあるが、大部分は違う。
子どもにはのびのびと、声を出して大丈夫、好奇心のままあちこち歩いて大丈夫な空間が必要なのだ。
そうして、保育園を探し始めた。

議会に保育園が併設されていたら、議員はとても便利だと思う。
そしてそれが市役所の職員や市民も利用できるものだったらとても良いと思う。
誤解を怖れず言えば、ある意味、義務を遂行するための最低限の時間が決まっている議員は、ファミリーサポートセンターやベビーシッター等で対応が効く。
「切羽詰まっている感」からいったら、優先順位は被雇用者として働いている人が議員より先であると思う。

政治家が政治家たる由縁は、自らの体験を社会化し、制度を変え、必要とあれば予算を付け、問題解決へと導くことだと思っている。

報道ベースなので真偽はわからないが、
子連れ登院の目的が、議会に託児施設を設置して、とか、ベビーシッター代の補助を、という要望に当局が応えなかったからということだったならば、違和感は拭えない。

子育てが終わると、介護が待っている。
今後、家にひとりでおくことができない認知症等の高齢者が施設に入れず、もしくはデイケアも満員。仕方なく議会に連れてくる、ということも、当然だが想定しなければならない時代がやってくるかもしれない。

介護離職と言われる人々はそうした環境の中で生まれる。

企業でもそうしたことを鑑みて、重要な会議も物理的、距離的困難を克服できるように「テレワーク」が広がって来ている。
ワタクシが今回のような状況だったら、控え室で子どもといながら参加ができるようにするように、また議会だけでなく市役所内でもそうしたトライアルをするとか、もろもろ提言しただろうなと思う。

こうしたことがある度、いつも思い出すのは、マザーテレサと「COCO」の話である。
カルカッタの「死を待つ家」に行った時に、段ボールに入った大量のココアを持った日本人と遭遇した。
「マザーを尊敬しているの。マザーはココアが大好きで、「COCO」と呼んで飲むのを楽しみしているのよ。マザーは「ここにいる全ての人が飲んでからでなければ、飲まない」とおっしゃるから、これぐらいを持ってこないとマザーのお口には届かないの」

マザーテレサ、政治家やのう。
もちろん、マザーにはなれないが、マザーの手法には学ぶことができると思う。

2017年11月23日 (木)

議会への子連れ出席は是か非か?

熊本市会議員が赤ちゃん連れで本会議への出席を試みたとのことに賛否が出て、「平成アグネス論争」との声も上がっている。

ワタクシは現職の議員であったとき、乳幼児を抱える身であったが、議会という「大人の場」に子どもを連れて行くのは、子どもにとってつらかろうと思い、議場はもちろん、保育園等が休みの日に行なわれる会議の際でも、必ずベビーシッターや保育ルームなどを利用し、職場に連れて行くことはしなかった。

一方で政治活動での「祭り」等には同伴、一緒に楽しむことはたびたびあったが、議会という「公務」と「それ以外の活動」は分けて考えるべきだとも思っていた。

今、尼崎市長をしている稲村和美さんも同じ時期に議会にいたが、産休後、たまにお子さんを議会に連れてくることはあったが、自分の控え室以外には出していなかったと記憶している。

基本、「寝てる」か「飲んでいるか」の乳幼児中盤までの場合は、本会議等の間でも比較的おとなしくしてくれているとは思うが、それ以降は動きも激しくなって、予想外の動きをすることもある。「泣き」を収めるためには、授乳だけで済まなくなるのだ。
そうなると、まわりの集中力を欠かせることもあるので、たとえ「公務」でなくとも、子連れで何かする時には、多方面に気遣いをしなくてはならない場面が増える。


もちろん、緩やかに「よか、よか〜」と言ってもらえればよいが、実際にはそうはいかない場面は多々あるし、少なからずの報酬を受け取る職業人としてはその辺の区切りを自分自身で見極める必要がある。


「寝ている議員もいるんだから、いいんじゃね?」という論理は、それを肯定するようでワタクシは賛成しかねる。寝ている議員は糾弾されねばならない。

一方的な質問と答弁が続く本会議であっても、とても勉強になり、ワタクシはその時間がとても大事だった。メモを取ったり、頭を働かせたり、それ相応に忙しい、はずだ。
子どもを抱っこしながら、で、それが貫徹できるかと言ったら、少なくとも私自身は自信がない。
冒頭にも書いたが、7ヶ月のお子さんがじっとしているのも大変だ。動きたかろうに・・と、ついつい子ども目線になってしまう。

どういう事情で、どういう目的で「子連れ出席」だったのか詳細はわからないので、軽々に発言することは控えるが、たとえば、ワタクシが想定している本会議は3時間コース、4時間コースとかだが、30分だけとか、採決だけの短いものだったらどうか?とか、まあ、その前提条件によっても違うであろう。

ちょっとお試しでやってみてもよいかも、とは思うケド。

繰り返すが、この場合、最も優先されなければならないことを見誤ってはならぬ。

最後は松田道雄口調で☆

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3218235.htm

蒲田警察署にて被害相談

蒲田警察署にて被害相談。

最近、ワタクシが「ある件」に関し言及すると、商業出版物、ブログ、SNS等媒体に関わらず、
誹謗中傷威嚇的脅迫ともとれる行為を受けることが相次いだ。

その多くが、某党の支持者と名乗り、職業にも共通の特徴がある。不思議。
しかし、ことがワタクシだけに留まらず、家族他にも及ぶに至り、
上記の対応を取らせていただくことにした。

思えば、神戸にいたときはほぼ毎週のように「捜査2課」にお邪魔していた。
怪文書、ポスター破損、いいがかり他・・。
10年経って舞台はネットの世界になったが、基本同じようなことが繰り返される。

以前にも書いたが、昔はそれが「明らかに敵陣営」だったのが、
今は必ずしもそうともいえなくなっている。
誹謗中傷の類はより巧妙、複雑化しているのだ。

エビデンスや、事実関係を押さえた一定のクオリティをクリアした上で、別の意見を持つ同士が議論して行くことは悪いことではない。むしろ歓迎されるべきことだと思う。

ただ、残念なのは、中には意図的に内容を曲解して、一方的に攻撃、また記載内容ではなく身に覚えのない個人攻撃を仕掛けてくる人もいる、ということだ。
こうした最低限のルールを理解せず、かつ礼節を持ち得ていない人とのやりとりは、物心両面で消耗するし、その意味も必然性も感じない。
単に「自分の意見を押し付け」「相手の言論を封じる」ことが目的化した反論や、個別のメッセージに含まれた「悪意」は看過できない。

というわけで、対象行為に関してはこれからも、今後も、同じような対応を取らせていただきます。

2017年11月21日 (火)

明日発売です!! 「徹底検証 教育勅語と日本社会 いま、歴史から考える」

「徹底検証 教育勅語と日本社会 いま、歴史から考える」(岩波書店)
明日(11月22日)発売です!!
戦後日本社会では否定されたはずの「教育勅語」がなぜ折々に甦るのか。
10名の研究者、ジャーナリストがそれぞれの視点から検証します。
いや、マジ、面白い。
歴史、背景、「今」とのつながり・・・この一冊で「教育勅語」の謎が解けます!思わず朝から熟読してしまいました
ワタクシは松田道雄氏の「育児の百科」と「教育勅語」の意外なつながりから、現在も確実に存在する「明治的支配」について考察しています。
松田道雄氏についてのロシア取材も含めたアウトプットは、来年、必ず。
そのイントロダクションとしてもお読みいただけたら幸いです。


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「誰も知らない」 是枝裕和監督と対談〜「家族」「戸籍」を語る

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2016年1月に発刊された「無戸籍の日本人」が来年1月に文庫化されます。
それにあたり、冒頭と最後に引用した映画「誰も知らない」(2004年公開)の是枝裕和監督との対談が文庫本オリジナル原稿として収録されます。
今日はその対談の日。
ドキドキしながら監督のオフィスにお邪魔すると・・あの印象的な「誰も知らない」のポスターとともに、一般には未公開の、幻のポスターを出してくださいました。(写真参照)
空に解けて行く飛行機。映画をご覧になった方なら、その意味はわかるはず。
この映画のもととなった巣鴨子ども置き去り事件は1988年に起ります。是枝監督は翌1989年にはシナリオを書き始め、15年の月日を重ねて丁寧に作品にしていきます。
「家族」とは「戸籍」とは、「大人になる」とは。
「無戸籍の日本人」に登場するひとりひとりについてへの思いや、
ノンフィクションとフィクションの役割、年を重ねるとともに起る「視点」の変化等々についても、じっくり語っています。
文庫本は2018年1月19日発売予定。乞うご期待ください!
是枝監督最新作「三度目の殺人」も非常に面白いです。
そして現在次回作を作成中だそう。完成が待ち遠しいです!

2017年11月18日 (土)

「◎◎の疑い」という診断書

大相撲のことは詳しくわからないが、どんな世界であろが、暴力があってはならない。決して。それは大原則である。

その上で、今回の日馬富士関の問題について「診断書」の取り扱いに関して担当医が反論しているとの記事を読んだ。

書かれているような「診断書」を巡って起るトラブルは実は日常にも起こり得ていて、
こと政治の世界や著名人ともなると、頻繁とは言わないまでもそこそこ起っていたりする。

「被害届」を出されたり、裁判で「訴えられる」というのは、結論が違っていたとしても決して人聞きがよいものではないので、皆言わないが、だからこそ密かに困っている人は多いのではないか。

ある日突然、裁判所から多額の損害賠償額が記された書面が送られてくる。
例えば、子どもが友人と喧嘩をしたとか、犬がうるさい、すれ違った時に転んだ等々…。

そうした中には正当な訴えも多いことだろう。
しかし一方では「難癖」や「嫌がらせ」的なものもあり、目的が別なこともある。
それがわかっていたとしても、「裁判」という形を取られると誰だってひるむ。
添付された「診断書」には「頭蓋骨骨折」「内臓破裂」等々の文字。それを見た瞬間、クラクラして、平常ではいられなくなる。

相手方の怪我等の状況は大丈夫なのだろうか。
日常に支障があったらどうしよう。何ができるのだろうか。謝罪は?コンタクトは直接とって良いものか。
そして、損害賠償請求の額を見て、驚き、慌てる。
診断書に書かれた内容を詳しく見る余裕はない。

「よく見て下さい。診断書に書かれているのは、あくまで『疑い』ですから。レントゲンなんかを取る時に理由がないと医療行為はできないし、保険点数が出ませんから『疑い』とするんです」

弁護士に促されて、よくよく見ると確かに「疑い」と書かれているではないか。

カルテの開示をしてみると「内臓破裂(の疑い)」の日に出している薬がアトピーの薬だったり(笑)日程を詰めて行くと「頭蓋骨骨折の疑い」の人が、その診断を受けた後にプールで泳いでいたことがわかる、などなど「疑い」の範疇の広さに、驚くことになる。

結果的に相手方からの損害賠償請求は取り下げ、というパターンで、訴えられた側は一体何のために時間と弁護士費用をかけたのか、わからないという結果に至る、こともままある。

「疑い」の前に書かれた文字。
これが強ければ強いほど、それが動かし難い事実のようにも思えてきて、一方で「疑い」の印象が薄まる。

冒頭でも書いたが、暴力は決してあってはならない。
しかし冤罪を作り上げることもまたあってはならない。

冷静に事実を積上げることこそが、今起っていることが何に起因することなのかを語るのだ。

2017年11月14日 (火)

「政治塾」のお誘いが来た!

「政治塾」がはやりである。
事務所のポストには、1年半後の区議会議員の候補者確保を目指す?
新たな「政治塾」の募集が名刺サイズの紙に印刷されたものが入っていた。
どんな人がやっているのかな?と思って、QRコードにアクセスすると・・・

なるほどー

しかし、「政治家になりたい方」ってのが、キャッチとして使われる時代がくるとは〜

「政治業に就職しませんか?倫理ある人の就職先です」

・・・いろいろな意味で考えさせられる。

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2017年11月13日 (月)

月曜 早朝 晴天 コインランドリーにて

父母の介護で心身ともにクタクタになった月曜日の早朝、洗濯物が間に合わず、コインランドリーに。
そこには先約がいた。
高齢者たちだ。
介護が必要な父母たちと、年齢も状況もそう変わらないと思われる人々。
晴天にもかかわらず、ここにいるということは、彼ら、彼女には家で洗濯できない、もしくはしない理由があるということだ。

ぐるぐると回る洗濯機の前に佇み、乾燥機が止まるのを待っている。
時間が来たらただ黙々とできあがった洗濯物を畳み、自転車に乗せて、あるいは足を引き摺って帰って行く。
その間に、作業服を洗濯していた若者が、その場で着替えて出勤する。

2017年、日本の風景だ。

「自分でできる」から日々遠のいて行く高齢者に必要なのは
清潔な衣服、少量で良いから美味しい食事、ここにいることを肯定させてくれる会話。
ただ「着れれば良い」「食べられれば良い」「話しかければよい」というのではなく、
人としての尊厳を守る、まさに「文化的生活」なのだとつくづく感じる。

ところが、それは現行の介護保険の枠内に収まりきれないものでもある。
一方で「家族の役割」と言ってしまえば、多くの高齢者は彷徨わなければならなくなる。

コインランドリー利用についての社会調査等があったら、見てみたい。
今の日本の問題を説く鍵が潜んでいるような気がする。

2017年11月12日 (日)

政党・議員のネット戦略と「親和性」

「ネット選挙」のエキスパートである髙橋茂さんの優れた論考を読みつつ、
民主党→民進党の広報戦略、特にネット戦略が遅れたひとつの理由に、意外にも幹部がスマホ使いでなかったという単純な理由をあげなければならない(笑)
たとえば、前原&枝野両氏にしてもスマホにしたのは世の中の動きよりずっと後で、ご承知のようにSNS へのコミットはつい最近の話である。

前原氏について言えば、蓮舫氏に敗れた前々回の代表選以降、周りに促されてようやく参入。ただし、その発信は初期においては時期と内容ともに不慣れな感じは否めず「ポエム」とも言われた「回想」とテレビ等の出演情報が中心で、新たな支援者や理解者を増やしていく「運動」としての広がりを持つものには至らなかった。
一方で枝野氏もSNS等とはたぶん「あえて」距離を置いていた。近いところにいたからこそ、クローズドになりがちな世界の、その面倒さも知っていたからだと思う。こちらも本格的に発信を始めたのは9月の代表選からである。

そこで示されたひとつの傾向がある。
Twitterのフォロアー数は枝野氏の方が圧勝だったのだ。
つまりSNSと枝野氏は親和性がある、ということが明らかになったのだ。
これをどう受けとめるか。
枝野氏は相当の手応えとともに、そこに自らのこれからについての可能性を感じたのだと思う。

ネット周りの、いわゆる「中の人」人材の確保、配置も含めて、たったひと月前の代表選挙で、ある意味完璧な「予行練習」ができていた。
立憲民主党も、もし枝野氏が代表選挙に立候補していなかったら生まれることはなかっただろうし、もしできたとしてもこの「躍進」(あえて「 」つき☆)にもつながらなかったと思う。

蓮舫氏の退陣の決断前のこと。
もしも臨時の代表選挙が行なわれるとしたらどうするか、誰が候補者として出てくるかを前原氏と話したことがある。
「枝野さんは負ける選挙はやらないと思う」
私がそう言うと、前原氏は意外なひと言を言った。
今思えば、こうなることを、どこかで予想していたのかもしれない。

髙橋茂氏の論考↓
http://president.jp/articles/-/23599(前編)
http://president.jp/articles/-/23602?display=b(後編)

2017年11月11日 (土)

「佐藤優×井戸まさえ超早朝勉強会@蒲田<第3回>」のお知らせ

大好評!

「佐藤優×井戸まさえ超早朝勉強会@蒲田<第3回>」のお知らせです 日時:11月28日(火)午前5時30分〜7時 場所:井戸まさえ事務所(東京都大田区蒲田5-46-11 蒲燃ビル202) 会費:300円(朝食代) お申し込みは info@idomasae.com 電話 03-6428-6840 FAX 03-6428-6841

2017年11月 9日 (木)

『戸籍と無戸籍--「日本人」の輪郭』(遠藤正敬著・人文書院)  サントリー学芸賞受賞!!!

遠藤正敬氏(早稲田大学台湾研究所非常勤次席研究員)
『戸籍と無戸籍--「日本人」の輪郭』(人文書院)
サントリー学芸賞受賞!!!
すばらしい!!!おめでとうございます。

我がことのように嬉しいです


質・量・格ともに受賞にふさわしい内容です。
さらなるたかみへ、今後のご活躍をお祈りいたしております。

(返す返す残念なのは・・・某問題が起った時に遠藤先生を政策顧問?にできていたらなあ〜)

2017年11月 8日 (水)

本間正人京都造形芸術大学副学長と読み解く「日本の無戸籍者」(岩波書店)クロストークのお知らせ

11月15日(水)午後6時30分〜
本間正人京都造形芸術大学副学長と読み解く「日本の無戸籍者」(岩波書店)クロストークを行ないます!!
もちろん著者の井戸まさえも登場!
本間副学長は教育学を超える「学習学」を提唱。
コーチングやファシリテーションの普及と学校の枠に収まらない広義の「学び」を促進しています。
入場無料!「日本の無戸籍者」をご持参いただくとより理解が深まります。また、ご希望者には販売もいたします(907円税込み)
ええ、もちろん、話が脱線すること必至(笑)
それも含めてお楽しみに〜♪

『本間正人京都造形芸術大学副学長と読み解く「日本の無戸籍者」(岩波書店)クロストーク」
日時 2017年11月15日(水)
   午後6時30分〜
場所 井戸まさえ事務所(大田区蒲田5−46−11 2F)
入場無料

2017年11月 7日 (火)

むきだしの好奇心の先に

http://www.kanaloco.jp/article/289405

神奈川新聞の山尾志桜里衆議院議員に関するインタビュー記事を巡って賛否の声が上がっている。
最初にこの記事を読んだ時に、ワタクシが違和感を覚えたのは「政策顧問」という役職である。
通常、政策面でアシストを受けるとしてもわざわざ事務所として役職名をつけて、就任を依頼する、なんてことはないからだ。
後援会の役職ならばままあることなのだが、政策に関して言えばわざわざそんな役職はつけない。むしろ、できることならばそうした存在は隠しておきたいと思うのが政治家の政治家たる由縁でもある。
つまりは、有権者の信任を受けた政治家が、そうではないある特定の人物の意向に左右されているのではと見られることは避けたいと思うし、たとえそれが身近な家族、妻や夫であったとしても、外に向けては一線は引いておかなければならない、と思うのが常であろう。
加えて、附加されている山尾氏の一人称で語る部分について、これは彼女自身が語ったものなのだろうかと少々の驚きを持ちながら読んだ。
というのも、一連の報道に対する見方も甘ければ、最後の一文ではあの強気の山尾氏が、もはや彼女ひとりでは政策立案が十分にできないとカミングアウトしているではないか。

「むきだしの好奇心」。
なるほど、山尾氏はそう思っているのだな、と思うと、このブログの内容も合点がいく。
国民はそこまで彼女の私生活を知りたい訳ではないし、逆に言えば、もう既にそれについてはわかっている。
問われていたのは「男女の関係の有無」ではなく「なぜ、この時に、わざわざ、疑われるようなことを?」という危機管理能力と、起ってしまった問題に対してどのように対処をして行くのかということ、また、少なくとも組織(野党第一党=当時)のリーダーになんなんとする人が、そこに連なる人々に対して責任を負うことをどこまで理解しているか、である。
なぜならば、多くの国民は彼女に期待していたからだ。
「この人に、この国を、世界を任せられるか」が問われていたのだ。今も、だ。

そう思うのは、ワタクシもその一人だから、だ。
2009年で衆議院議員に初当選し、鳩山政権が倒れる2010年6月頃から、平日のほぼ毎日、昼休みは彼女と一緒に過ごした。
妊娠した時に議員会館の部屋替えで、既に決まっていた議員に変更をお願いに行ったりもした。
様々な場面で協力しながら、’女性’議員というだけでなく、ひとりの議員として自立をし、この国に住む人々の生きづらさの改善につながることをしたいという思いは同じだったと思う。

家族やプライベートをさらす危険にあるのは、政治家ならば男女ともに同じだと思う。
実際、重婚疑惑を報道された中川元政務官は立候補を断念した。
この問題で女性政治家云々と、ジェンダー議論を持ち出すのは適切ではない。
男性がやっているから女性も、ということではないのだ。

もちろん男性議員よりも、育児や家事の負担を過剰に抱えながら政治活動をしている女性議員はたくさんいる。それと今回の議論を混同してはならない。
そこに逃げてはならぬ。

以前、山尾氏の政治資金が問題になった時に、苦言?(今でもまっとうな意見だと思っているが)を書いたのは党内でワタクシだけだった(と思う)。
党の国会対策から注意がきた。必死で火消しをしているのに、なんだ、ということだった。
ワタクシは火に油を注ぐつもりで書いたわけではないし、「説明責任を果たすべき」と書いただけなのに過剰な反応ではないかと言ったが、党全体にとって都合が悪いならば削除することもやぶさかでないと伝えたら、「直すところはないし、掲載もそのままで良い」とのことだった。
後日、同じようなことが、蓮舫氏の二重国籍の時にもあったのだが。その時には国対から選対を通じて、だった。

しばらく経って、山尾氏にそのことを話した。
彼女が、その後に言ったことや、プライベートで話したことをワタクシは書くつもりは一切ない。

なぜならば、彼女は自らの責任で、自らの本心が伝わるように書き、話すべきだと思っているからだ。

その一つがこのインタビューだったとするならば、かなり残念だ。

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