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2017年11月13日 (月)

月曜 早朝 晴天 コインランドリーにて

父母の介護で心身ともにクタクタになった月曜日の早朝、洗濯物が間に合わず、コインランドリーに。
そこには先約がいた。
高齢者たちだ。
介護が必要な父母たちと、年齢も状況もそう変わらないと思われる人々。
晴天にもかかわらず、ここにいるということは、彼ら、彼女には家で洗濯できない、もしくはしない理由があるということだ。

ぐるぐると回る洗濯機の前に佇み、乾燥機が止まるのを待っている。
時間が来たらただ黙々とできあがった洗濯物を畳み、自転車に乗せて、あるいは足を引き摺って帰って行く。
その間に、作業服を洗濯していた若者が、その場で着替えて出勤する。

2017年、日本の風景だ。

「自分でできる」から日々遠のいて行く高齢者に必要なのは
清潔な衣服、少量で良いから美味しい食事、ここにいることを肯定させてくれる会話。
ただ「着れれば良い」「食べられれば良い」「話しかければよい」というのではなく、
人としての尊厳を守る、まさに「文化的生活」なのだとつくづく感じる。

ところが、それは現行の介護保険の枠内に収まりきれないものでもある。
一方で「家族の役割」と言ってしまえば、多くの高齢者は彷徨わなければならなくなる。

コインランドリー利用についての社会調査等があったら、見てみたい。
今の日本の問題を説く鍵が潜んでいるような気がする。

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