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2018年2月

2018年2月18日 (日)

「ひと呼吸おく」経験値とおっちょこちょい

「日本に長年潜入中の休眠工作員(スリーパー)もいる。政府関係者によると、阪神大震災の時、ある被災地の瓦礫(がれき)から、工作員のものと見られる迫撃砲などの武器が発見されたという。」(読売新聞2007年1月19日付朝刊)

三浦瑠璃氏が「ワイドナショー」での発言について
「阪神大震災時の迫撃砲発見」を発言の根拠としてあげたことはさらなる炎上を呼んでいる。

それに関する記事が上記である。

この記事を目にした時、「『政府関係者』によると」と発言者が特定されていないこと、「工作員のものと『見られる』」としていること、極めつけは「発見されたと『いう』」としていること・・つまりは典型的な「責任回避記事」であることに、少なくとも論文や論考、エッセイの「書き手」ならば気づくはずだ。
曖昧な事に関してはこのように語尾で示しておくこと、つまりは何かで問われた時に「私も断言はしていません」と逃げられるように「自己弁護」の保険を打つことは、「書き手」にとっては作文技法のひとつでもあり、
何か指摘があったときには
「私はそうは言っていない」「ひと言も書いていない」と言う余地を残すのである。
最近では、差別発言や記載を指摘された際の反論としての常套句なっているのが示すように、
これは書き手に取材能力がなかったり、あるいは自分にとって都合のよい言論を引き出す時に使われる「稚拙」な技法であり、そこに情報発信者としての倫理観や矜持が問われていることにすら気づいていない場合が多い。

さて、話を「迫撃砲」の記事に戻そう。

阪神間に一定期間住んだ経験のある人ならば、この記事を読んだ際「ちょっと待て」「もう一押しの証拠がないと、そのまま鵜呑みにできないよな」と思うはずである。

というのも、例えば神戸市東灘区では2007年、2013年と第2次世界大戦中. に米軍が落としたとみられる不発弾が発見され、その除去のために道路封鎖、住民避難等大規模な不発弾処理の作業が行われている。
つまりは市民は武器等も含めて、いまだ戦時中の残存物が地中にあるといったことに対して現実として実感していて、
工作員の「迫撃砲」かも?と言われた時に、いや、それは第二次世界大戦時のものなんじゃないのか?ちゃんと調べた方が良くね?と「ひと呼吸置く経験値」を持っているのである。

そうした経験値が低いまま、ないまま、出所が確認できない記事に飛びつく、
もしくは「出所は言えないですが、実は・・」なんていう茶飲み話の延長のような発言を、具体的地域名他を挙げてテレビやネットメディアも含めて残る形でするのは、「おっちょこちょい」のやることだ。
それが「デマ」となる可能性や危険性を実感できない人はそもそも言論のプロである学者他に向いていないのだと思う。

2018年2月17日 (土)

マーガレット王女と眞子さま〜「ザ・クラウン」に学ぶ女性皇族と自由意志での婚姻

「わたしはピーター・タウンゼントと結婚しないと決意したことをご報告します。王位継承権を捨て、民間人として生きることも可能でした。しかし、キリスト教徒の結婚は永遠であるという教会の教えにかんがみ、また、我が国に対する私の義務を自覚し、しかし私事を優先させるわけにはいかないという決断に達しました」

1955年のイギリス。
エリザベス女王の4歳年下の妹マーガレット王女は自らの自由意志での婚姻を諦め、コメントを出す。

マーガレット王女が心から好きになった男性と婚姻できなかったのは、相手が16歳年上で妻帯者であったからである。
二人の関係は王女が14歳のときから始まったと言われている。長くひた隠しにされていたものの、王室儀式として初のテレビ中継がされた女王戴冠式の場で、大佐の肩のゴミを王女が払う仕草が写真に収められ、ただならぬ仲であることは国民の知るところになりスキャンダルとなる。

タウンゼント大佐は妻と離婚し(妻に有責)王女に求婚、王女はもちろん快諾した。しかし、エリザベス女王に王位が回る原因となった叔父エドワード8世は離婚歴のあるシンプソン夫人との婚姻による王位放棄の傷がまだ癒えない王室、政府首脳、英国国教会ともに反対し、また王女が女王の許諾がいる25歳以下であったこともあり、とりあえず、タウンゼント大佐をベルギーへ転勤させ、冷却期間として2年の月日を置くように仕向ける。

ところが、それでも、二人の愛は冷めない。
王位継承権だけでなく王族としての年金も剥奪すると言われ、結局は別離を決意。冒頭の、国民に向けた前代未聞の「結婚しません宣言」を出すにいたるのだ。

この間のマーガレット王女、タウンゼント大佐、エリザベス女王、チャーチル他、王家の婚姻についてのやり取りや慣習等はネットフリックスのドラマで、
第74回ゴールデングローブ賞においてテレビドラマ部門作品賞(ドラマ部門)およびテレビドラマ部門女優賞(ドラマ部門)を受賞した「ザ・クラウン」が詳細に再現している。(ちなみに「ザ・クラウン」は英国政治を学ぶ上でも大変勉強になる)

さて、イギリス王室はチャールズ皇太子も離婚歴のあるカミラ夫人と婚姻し、今年執り行われる予定のハリー王子の妻も離婚歴のある女性であることを考えれば、この60年あまりの間に大きな転換を図っていることがわかる。
もし、マーガレット王女が今、タウンゼント氏との結婚を望めば喜びを持って迎えられたであろう。

王女がその後結婚したのは、写真家であるアンソニー・アームストロング=ジョーンズ氏(スノードン伯爵)だが、「ザ・クラウン」では家結婚式に向かう車中での新郎であるアンソニー氏と、家柄的には不釣り合いと見なされたその母の会話シーンが、あまりに示唆的で怖い。
「女性皇族の結婚」には世界共通の「難しさ」があるのかもしれない。

余談だが、
王女はその後スノードン伯爵とは離婚。死後、王女の遺書を巡って裁判が起こされる。
英国籍の男性が、マーガレット王女と恋人だったタウンゼント大佐の息子である可能性を主張し、王女の遺書の閲覧を求めたのである。
高位の王族の遺書は1911年以降、封印され、公開されたことがないという。
また、非嫡出子は王位継承権を持たないとされている。

もし日本の皇室で非嫡出子が生まれた場合、もしくは認知した場合は、皇統譜に載るのだろうか?認知の場合、戸籍にはどう記載されるのだろうか?
遺言等の扱いも含めて、諸処の起こりうる問題に関しては頭から「想定外」として詰められていない気がする。

でも、ないことないんですわな。これが。

年齢、婚姻の許可の話や、2年の冷却期間等々も含めて、
全てが相似とは言えないが、微妙な重なりを見せるエピソードの数々に、
マーガレット王女に眞子さまの姿を重ねてしまう人も多いのではないか。

宮内庁の中に「ザ・クラウン」の熱心な視聴者がいるような気がしてならないのは、ワタクシだけだろうか?

2018年2月15日 (木)

是枝裕和監督「無戸籍の日本人」を語る!

「無戸籍の日本人」の文庫化に合わせて、
「井戸まさえX是枝監督」の対談がyoutubeにアップされました(*^o^*)

『無戸籍の日本人』PVはコチラ
https://youtu.be/B7Wd1iPkTyc

特別対談の長尺版はコチラ
https://youtu.be/_bGTqRWnZUo

3月2日には集英社ページからもリンクされます

💖

撮影&編集は仙台市立連坊小路小学校&東華中学校の同級生芳賀武明君です。
世界の是枝監督を撮る!なんてドキドキだったよね⭐︎

ありがとう!

2018年2月11日 (日)

なぜ報道は平昌オリンピックの失敗を期待するかのようなものになるのか

Img_0015

2月9日、平昌オリンピックの開会式終了後、まさにワタクシはこの写真の場所で最寄りの珍冨駅行きのシャトルバスを待っていた。

翌朝、以下の見出しの新聞記事を読んで違和感を持つ。

「平昌オリンピックの開会式後、深夜におよぶ大混乱 「電車は終わりました」
気温は零度を下回り、冷え込んでいく。音楽を流して楽しむ団体もいれば、イライラし出す人も。
遅々として進まない行列に、ある米国人男性は「輸送で、五輪の評価は決まるよね」。
1時間かかってバスに乗った時には、日付が変わっていた。」

うむ。
もちろん「イライラし出す人」はいただろうが、大声を上げたり、係員に文句を言っている人はワタクシが知る限りではいなかったぞ。

加えて、「輸送で、五輪の評価は決まる」って・・そうなのか??
「ある米国人男性」の、このコメントを採用するなら、少なくとも彼が体験したどの五輪が素晴らしくて、どの五輪がダメだったのかを具体的に引き出して書くべきだろう。選手が持てる力を発揮し合える環境と、競技そのものこそが良い五輪の基準だと思っていたが、「輸送」が基準となる根拠がもっと知りたい。
もしくは、日本の、普段からの終電の混み具合等を鑑みれば、五輪時の輸送は対応できるのだろうか?と言うのであればまだわかる。
先日の大雪時の日本の混乱ぶりも記憶に新しいからこそ、首都圏の交通事情に対して何かしらの対策をとるべきであろうことを示唆させる記事になったはずである。

「午前1時になろうとするころ、駅に続々と、満員のシャトルバスが到着した。東海岸の江陵(カンヌン)駅を目指す人が多い。だが案内する警察官の答えは「もう電車は終わりました」。思わずみんな天を仰ぐ。駅内にある出発時刻の案内画面も消えてしまった。」

この状況は午後11時50分頃に珍富駅に着いた私たちにも起ったが、一方で江陵駅行きの一番線ホームに上がるところでのセキュリティチェックは行なわれていたし、人の流れを見れば電車が来るであろうことはわかった。
ホームに上がって3人程の韓国人男性たち(ボランティアかどうかわからなかったが)「に聞くと電車の時刻も教えてもらえた。
ほどなく12時12分に電車が来るとのアナウンスが。続いて、5分程遅れることを詫びるアナウンスも。韓国語と英語で。
チケットはなくても電車の中で買えます、ということも、何度も流れた。

「タクシー乗り場に数十人の行列ができた。だが、ここは深夜の田舎駅。タクシーは30分に1台ほどしか姿を見せない。やがて「江陵駅へ車で輸送する」という案内が。一気にそちらに行列が移る。」

田舎駅・・・。「地方都市」と言うべきところではないか。

「今度はカナダ人の女性が走ってきた。「1番線に電車が来るって!」。その声を聞き、人々は一斉に駅へと走り出した。江陵駅行きの電車がようやくやって来ると、人々をのみ込んで走り去った。」

記事は続いて「英語スタッフが少ないことも拍車」という見出しで以下に続く。

「混乱に巻き込まれたのは、欧米系の人たちが中心だった。英語が話せるスタッフは少なく、片言でのもどかしいやりとりが、あちこちで見られた。」

韓国語を読めない、話せない日本人も基本状況は一緒だった。
いや、前述通り、アナウンスは韓国語と英語で流れていたから、日本語しかできない日本人はかなり困ったはず。
なぜこの記事が「英語スタッフ」が少ないことを特筆するのかわからない。
一般のスタッフは片言であろうが、方々で英語は通じることは実感したもの。

「タクシー乗り場で待ちぼうけをしていたスイス人女性は、ホテルの住所を印刷した紙を持って困り果てていた。「どうやって行ったらいいの? 携帯の電池も切れちゃって」。書かれた住所は平昌エリアだが、駅からは遠く離れた場所だった。」

さて、こうして結ばれた記事。

一番の不思議は、現地の運営スタッフ、駅員、もしくはその場にいるであろう日本人も含めた観光客への取材が全く見えてこないことだ。
答えているのは「ある米国人」と「カナダ人女性」のみ。
彼らのプロファイル、つまり韓国、そしてオリンピックの開会式に来るのは初めてなのか等々の記載もない。

あのラインに並んでいれば、新聞記者でなくとも、オリンピックの開会式に来ている観光客、特に欧米からの場合はある意味「旅慣れた人」が多いことに気がつくはずだ。
何しろ帽子には各地で行なわれたオリンピックのピンバッヂを付けた人率が高い(笑)また「これがコリアンキューよ」と秩序なく並ぶことにも慣れている。韓国社会の、直前まで準備はできていないが最後はなんだかんだでつじつまがあうことも経験積みといった趣だ。(ソウルの公式グッズショップ周りも前日に木材を切っていた笑)

そもそも、今回、このフリーの輸送バスを使っているのは、基本ツアー客ではない。
そもそも帰りの足を心配するなら、この無料のシャトルバスは利用しない。
高級ホテルも独自でシャトルバスを出していて、事前に旅行会社に申込をすることが可能だからだ。
宿泊費が高騰したこともあり、ワタクシたちも含めてその選択肢をとらなかったフリーの観光客はサバイバルに対してある種の免疫ができているし、混乱を予想した上でつっこむ決断をしているとも言える。決して「不意」というわけではなかった。
ちなみにそうした者にとっては「行き」のシャトルバスの運営は、驚く程スムーズだったことも付け加えたい。

平昌オリンピックに関する報道を見ると、「寒さ」に対する過剰な報道も含めて、多かれ少なかれマイナス側面を大げさに印象づける内容になっているような気がする。
まるで失敗を期待するかとも取れるような。
その心象こそ、考えなければならない「危機」のような気がしてならない。

開会式で日本選手団が入って来た時の歓声は意外なほど大きかった。
両国の関係が今までになく悪い、との危惧を持っていたが、そんなことはなかったことに、以下に生の情報から遮断されていたのかを痛感させられた。

いろんな報道があって良いと思うが、少なくとも公共性を担うという自覚と、基本的な押さえポイントは把握していてほしいと願う。

当然ながら多くの人は報道を通じて事象に触れるのだから。

2018年2月 8日 (木)

現代ビジネスに寄稿しました

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54396
現代ビジネスに寄稿しました。
拙著「日本の無戸籍者」第6章(岩波新書)並びに「万世一系の研究」(奥平康弘 岩波書店)もご参照いただけたら。

2018年2月 7日 (水)

非戸籍と丙ウーマン

眞子さまご結婚延期で一本原稿を書く。

「今」を見るだけでは解けない、根深い問題が今回のご結婚延期には潜んでいることを、
「日本の非戸籍者」である天皇・皇族と戸籍、法的婚姻と結納(納采の儀)他社会慣習的婚姻関係儀式から読み取るといった内容である。
拙著「日本の無戸籍者」(岩波新書)では第6章で上記の内容を一部論じている。

担当編集者はこの章の扉に眞子内親王と小室氏の婚約内定記者会見の写真を迷わず選んだ。
近々に迫るであろう女性皇族の婚姻は戸籍制度のバグを示す大きなきっかけになるとの予見、確信があったからだ。
その識見を今回改めて認識することとなる。

余談だが、小室氏母は1966年生まれ。小泉今日子氏、斉藤由貴氏と同級生の「丙ウーマン」である。
眞子さまも。

2018年2月 6日 (火)

目の前で苦しんでいる人がいるときに・・

司法書士さんより「日本の無戸籍者」(岩波新書)のご感想をいただいた。
著者冥利につきます。ありがとうございます。

以下、ご感想です。

*********************

「目の前で苦しんでいる人がいるときに「制度」の話をしてもまったく役に立たない。しかし、一方で制度そのものの議論をしなければ、問題は解決しない、なくならない。その狭間を埋めるために・・・」著者のおわりにの言葉にこの書籍の性質、あるいは著者の日常的な活動が語りつくされている。

著者は、戸籍制度専門の学者というわけではない。しかしこの書籍は、戸籍制度に関して調べつくし分かりやすく歴史的・そして現代実際に起こっている問題と重ね合わせて解説されている。まことに質の高い書籍になっている。
昨年、私は戸籍を見失ってしまった方の支援をしたことで、ようやく戸籍の問題に気づき、この書籍を手にした。司法書士は、日常的に戸籍を扱っているにもかかわらず、この不完全で無用になりかけている制度に対して、意見を持っていない。法律家としては未熟以前の問題だろう。

今日もまた、この書籍で触れられている姻族関係終了の相談を受けた。

無戸籍がなくなる可能性がないのであれば、相続については完全ではないということを認めざるを得ない。そうであれば、そもそも戸籍は必要なのだろうか?

313870

2018年2月 5日 (月)

小泉今日子と斉藤由貴にみる丙午オンナに関する時代的考察 ①〜闘うミューズあるいは「同志」という言い訳をしなければならない不自由

「自分の罪は自分で背負っていきます」

小泉今日子氏は自らが記載したブログの中で、既婚者である豊原功補氏と恋愛関係を認めた翌日、報道陣の取材に対して照れたような笑みを浮かべながら、意識的にか若干舌足らずな発声でこう言った。

「罪」という重い言葉の行き先がわからない。
公表のタイミングやその目的もあいまい。
ふたりの間の何らかの環境変化や事情変更(例えば内部リークや豊原氏妻が「婦人公論」等で激白?等々)があっての先制攻撃ならわかる。
豊原功補氏の薄っぺらな会見によれば、どうやらそうでもなさそうだ。

不倫の公表には「キョンキョンらしい」との賛同もあったが、お相手がこの程度の受け答えしかできないなんて、全くもって「キョンキョンらしくない」。

・・・というのが、たまたま会った友人たち共通の感想だった。

「まだ、斉藤由貴のほうがよかったよね」

そうくるか。
プライベートブティックをやっている友人よれば、
「いまだに『斉藤由貴が着ていたシャツワンピースある?』って、月にひとりは来る」そうで、斉藤由貴のあの会見はそこまで印象的だったのである。

さて、その小泉今日子氏と斉藤由貴氏。
実はふたりには共通点がある。1966年、丙午生まれである。

丙午(ひのえうま)とは、古来中国由来の迷信とされ、十干十二支による 暦と五行が組み合わせからなる。江戸時代初期には「丙午の年には火災が多い」という迷信と、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる「八百屋お七」が井原西鶴の『好色五人女』に取りあげられ、お七が丙午の生まれだとされたことから「丙 午生まれの女性は気性が激しすぎて夫を不 幸にする」との伝聞が広く広がって行った。

『人口動態統計』によれば、丙午の年1906 年の女子出生数は, 前年にくらべ約 7%の減少、翌年は 16%の増加であった。60年後の 1966 年の丙午では前年にくらべ 25%の減少、翌年はなんと42%の増加であった。
実はこの数値を予測し、対応をしていた人がある。「育児の百科」の松田道雄である。松田は育児本を出版するなら1967年と決めていた。丙午で産み控えのあとはかならず反動が来る。その際に必ず育児本は必要とされ、爆発的に売れるはずだと確信を持っていた。そしてその通りになった。

話を数値に戻すと、1906年から60年でのこの数字の激変の理由は受胎調節の結果であろう。人工妊娠中絶数には変化はないことからも、親が意図的に丙午回避で避妊をしていたということが伺われる。
つまり多くの人々は「迷信」を信じていたか、もしくはそうした「迷信」に子が巻き込まれることを回避したいと思っていた、ということである。
一方で、受験等を考えれば、出生数が少ないということは、競争率は低くなる。迷信よりも実利を考えてあえて丙午に、という親もいたであろうことは予想される。
慶応義塾大学の赤林英夫教授は「丙午世代のその後」で、丙午生まれの家庭背景、教育水準、 結婚確率等について統計数値等を用いて分析した結果、学歴水準が高いこと、結婚確率が男女ともに低いことなどを指摘している。

といったなかで、小泉今日子氏&斉藤由貴氏。
丙午に生まれた、ということは、世間の風習に捕われず、自由に思い通り生きること。家族的にはそうではなくとも、社会的には望まれぬ出生だったのではないかと思うことは、
どこかでアナーキーであることを自らに課すことと、一方ではそれでも生まれてことえの「選ばれし感」につながっているのではないか。
それは、彼女たちのもうひとつの共通点にそれが垣間みれる。

「同志」

尾崎豊氏との不倫騒動が持ち上がった1991年、斉藤由貴氏は尾崎氏を「同志みたいな感じ」と表現した。
27年後の今回、くしくも小泉今日子氏も同じような表現を使った。
恋愛する時に、単に「好き」だけではなくて、常に「『同志』という言い訳」をつかわなければならない不自由を彼女たちは内在しているのだ。
「同志」だということは、ふたり以外のところに「志」を異にする人々がいる、ということである。
つまりは常に闘っている、ということでもある。
世間に対して、誰かに対して。
常識に抗い、権威や権力と闘うことは強い肯定感につながるのだ。
だからこそ、道らぬ恋も肯定される。

以前に書いた「斉藤由貴論」でも論じたが、
彼女の歌った「卒業」は、かわいらしくてはかなげな女の子が、当時の大方の流れに逆らって、(多分)戦後初めて「泣かない」「待たない」ことを宣言した画期的な楽曲である。
従順で夢見がちに見える少女が、「それは嘘ではないけれど〜」としつつ、現実を直視せよと男子を諭し(!)行動するのである。
号泣し、夫に許しを請い、夫なしでは生きられないとなりふり構わず、でもどこかでしっかり計算した上でのすっぴん姿で登場した藤吉久美子(1961年丑年生まれ)とは、根本が違うのである。

小泉氏も斉藤氏も50歳を超えた。
50代というのは見えない痛みを想像するだけの経験を積んでいる。
自分のことしか見えず、自分愛への発露としての20代、30代とはまた別のステージにある。
スキャンダル対応とて、80年代のトップスターだったときとは、違うはず・・・だった。

だのに、なぜ。

長い物に巻かれることは許されない丙午オンナ。
加えて、しみ込んだバブルの右肩上がりのベクトルは、どんな時でも小泉今日子に「キョンキョンらしいかっこよさ」を求めてくる。

まあなあ。
「人生の残り時間」の話もしてきたが、闘うのに疲れたのかもな。

「なんてったってアイドル」を背負った丙午オンナ。
今後の展開はいかに。

****
ま、個人的には、

「池田満寿夫と佐藤陽子」「吉行淳之介と宮城まり子」「内田裕也と島田陽子」等々、婚姻に捕われずにパートナーシップをきずき、公表していた人たちは過去にもいるので、別にどうってことはないとは思うけど。

(高熱明けで時間もない中で書いているので、誤字脱字等あったらすみませーん)

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