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2018年4月

2018年4月23日 (月)

「俺様」を支える「男」という根拠

セクハラが顕在化した時に、訴えた人々を「縁遠い方々」つまりは「セクハラすににも値しない、対象外」=「女性としての価値がない」と蔑む態度は、ある種の男性に顕著に見られる行動傾向である。

そこには、どう勘違いしたのか、「セクハラ対象となる、性的対象としての価値があるか、否か」を決めるのは「俺様」であるという、全く根拠のない、いや彼らにとっては「男」であるという一点によっての万能感があるのである。

どうやったら、そういう価値が定着するのだろうかと思うと不思議であるが、
やはりこの国にいまだ存在する「女性差別を含んだ法律」が間接的に、直接的に作用し、「男性優位」という価値を是認、維持する根本になっているのではないかと思う。

長尾衆議院議員の発言が問題になった当初、彼が反論として記していた文言も含んでみれば、「男性議員も複数含まれていた」等については、かなりくるしい言い訳に見えなくもない。男性だって対象になりうるのだしね。

民主党時代にも婚外子差別撤廃に大反対していたくらいだから、今回露呈した人権意識の低さはいずれ露になるだろうなと思っていたが、
本当に猛省しているならば、女性差別を含んだ法律を全て変えるぐらいの大転換をしていただきたいものである。

2018年4月20日 (金)

夫婦別姓と中川善之助

現代ビジネスさんで、夫婦別姓について書いています。


中川善之助先生。
ご存知家族法の大家であるが、夫婦別姓について、
「通称拡大で可」とする人々を、豊富な知識で諌める。
中川先生のすばらしいところは、そこにユーモアをまぶすところである。
そもそも「姓」は「女が生む」つまりは母系を示す。確かにね。
「女の人格というものが全然考えられずに、これに反して男の方は時に神格化さえされていたといえるのであります。こうした男女の間に、個人の尊厳とか両性の平等とかを基調とする婚姻関係が生じえなかったのは、むしろ当たり前であるといえましょう」
・・なんだよね。今のセクハラも、根はそこなのだ。

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2018年4月18日 (水)

シングルマザーの貧困と「裁判資源格差」

昨日、原稿を送ってホッとしていたら、
編集者さんから
「先ほどいただいたファイルが違うもののようです」(一応削除いたしますね)
との返信。

・・削除??なにかマズいものでも送ったか?
はい、その通り。
ぬわんと、誤って調停で提出する「陳述書(案)」を送ってしまっていたっ💦
「養育費」についてのものなのだが、読まれて悪い内容ではないのでまあ、いいといえばいいのだが。

ちなみに、冒頭部分では、当事者たちの調停成立当時の「裁判資源の格差」について書いている。
いつか、これもガッチリ記事にしたい。

つまり、日本において、たとえ裁判所で合意した調停離婚であっても、そもそも夫と妻の間では裁判資源=法的サポートの質量的格差があって、
たとえば夫は弁護士をつけられるが、妻は経済的理由でできなかったりという中で調停、裁判が行われることがままある。

「法テラス」設置も2006年以降だから、それ以前の場合は機関銃に竹槍で戦いを挑む、などといったことは、当たり前の状態だったのだろう。
だからこそ、日本司法支援センターの設置が求められたとも言える。

さて、そのような「格差」がある状況の中で取り決めした内容は
本当に適切なものかと言ったら、そうでない場合が多いのではないか。
調停員に促されるまま、「審判には書けませんが、実際にはこうなります」と言われ、それを信じて合意したのに、「どこにも書いていないから無効」と言われる、なんてことが、実際に起っている。

「当時、自分の側にも弁護士さんがついていれば、こんなことは絶対になかったのに」
との後悔とともに、いや、待てよ、と思う。

シングルマザーが貧困に至る原因のひとつは、こうした「裁判資源格差」の結果でもあると思う。

これでいいはずがない。

だからこそ、戦わねばと思うのだ。

2018年4月10日 (火)

芦屋市役所で「戸籍事務の民間委託」を実感する

「おはようございます。ただいまより窓口業務を開始いた

します」
朝9時きっかり。
整然と並んだ職員たちは声を揃えてそう言っておじぎをす

る。
まるで百貨店の開店時のようだが、ここは芦屋市役所市民課の窓口である。
挨拶が終わると、一斉にそれぞれが動き出す。
音のない世界から、音のある世界へ。
よくできた舞台のようでもあった。


この潮目の時間を体験できたのは、
並ばなくてもすぐに戸籍の写しを発効してもらえるようにと8時50分に到着して業務開始を待っていたからだ。
「ずいぶん、変わったな〜」
一緒に行った夫もびっくりである。なにせ芦屋市役所は私たちにとっては常に「闘いの場」。子どもの戸籍取得を巡って、古参の職員とバトルした現場でもある。そのころはこんな「笑顔のサービス」?はなかった。

「当事者たちの関係を証明するためにはこれとこれが必要だから、お願いします
戸籍の写しの申請書を2枚持っていったワタクシに、
「これ一枚で大丈夫です」と芦屋市役所の職員。
ん?そうなのか??と思いながらも、待つこと10分。
番号が呼ばれて行ってみると、
「あの、これだけでいいでしょうか?」(by芦屋市役所
示されたのは、それだけでは用を足さないモノ。
「いや、ダメです」
・・戸惑う職員。
「では、もう一通・・」
次の予定の時刻が迫る。
戸籍の写しを取るなんてそんなに時間がかかることじゃない。
「だから最初に言ったじゃないですか。その通りやって下さい」
おいおい、プロだろう。ちょっとおかしくね??・・という言葉を飲み込みつつ、ちょっと強い調子で言ってしまった。
で、ふと、その職員のネームプレートを見ると・・・
「(株)パソナ」
そうだ、ずいぶん前に、芦屋市役所は戸籍窓口業務をパソナに委託した、という記事を読んだ気もする。

なるほど。
イレギュラーが来たら、彼らでは対応きかないよね。でも戸籍業務はイレギュラーがレギュラーだから、知見の積み重ねが必須の職場である。
専門性が必要だからこそ、ちょっと前までは役所の中でも「戸籍係」は専門職として採用があったぐらいだ。

「たつの市役所とは大違いだな」(by夫)
先般、義父の戸籍を取りにたつの市役所に行ったのだが、窓口にはベテランらしき職員が数人のみ。声を揃えて挨拶とは別の世界が広がっていたが、こちらの意図をすばやくくみ取り、適切な処理を短時間で行なう仕事ぶりは鮮やかで、まさにプロ中のプロだった。
しかも、一人ではやらずに、もう一人がチェックを行なっている。
知識不足やヒューマンエラーで間違いが起きないようになのだろうな、と、夫もワタクシも密かに感動していたのだった。
窓口で対応にあたっていたのは芦屋市の3分の1ぐらいか。

業務委託をして、表面的な市役所改革はそう難しいことではないのだろう。
コスト削減の視点も大事である。
しかし、根本的なところ、仕事をさばく上での基礎知識やスキルが十分でなくと、しわ寄せは市民が被る。
もちろんバックでは市役所職員が控えているのであろうが、それでこの状況が現実なのだ。

戸籍事務の民間委託は2008年1月の内閣府通知で流れができ、拡大していくものの、現場での不備・不足の実態が明らかになり、2015年3月、法務省は「事務連絡」を出して、【委託できない戸籍事務の例】等を明らかにした。

たとえば、写真付の身分証明書などで本人確認できない際の聴聞や作成された証明書が適正かの確認、また交付できるかの最終確認はできない。
しかし、現場では今でのその際はあいまいなのではないだろうかと思う。
そして、やはり決定的なのは、業務に対する知識の不足なのである。

求人情報を見る。
一般事務となんらかわらない内容である。
時給1100円に対して、業者に払われる業務委託費は一人あたりいくらなのだろうか。
目先のコストカットに捕われるあまりに、本質を見失ってはならない。

結局、自分の戸籍を取るために、5分で終わるところが30分以上かかり、次の予定が遅れ、そのまた次の次の予定が遅れ、とほほの一日を過ごすことになった。
待たされるだけならいいのだが、もっと根本的に重要なミスが起ってもワタクシは驚かないし、その可能性は十分あるなと、出てきた戸籍をみながら思う。
そもそも要求した物とは違ったのである。
でもこれでもワタクシの必要とした情報はとれないわけでもないし、何より訂正するとまた時間がかかりそうなのでスルーしたが、
こうした指摘が入ると対応は市役所職員になるのであろうから、逆に言うとスキルアップの機会もないということでもある。
声を揃えての挨拶とのギャップを感じながら、ロールモデル研修の必要性をつくづく感じる。
難題を持ってくる市民役で、いつでも協力しまっせ(笑)

ん?この場合、研修を行なう主体はパソナ?市役所?法務省??

パソナは与野党問わず、落選議員の受け入れ勤務先としても有名なのだが、彼らを窓口に派遣するのもありじゃないか?時給1100円で、ね。

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2018年4月 8日 (日)

「候補者の誕生」〜連載が始まりました

「候補者の誕生」と題した政治評論
「世界」5月号(岩波書店)で連載が始まりました。

第一回 候補者を決める力学
2017年の選挙をモデルに「候補者の誕生」を考察しています。
たくさんの「候補者」の皆さまからいただいた「思い」を形にして歴史の一側面として残したいと思っています。
ご協力に感謝いたします。

2018年4月 5日 (木)

相撲協会他「伝統」好きな皆さまに贈る、「武士道」新渡戸稲造の言葉

いやはや。

舞鶴の土俵問題。

明治以降の「造られた伝統」を万世一系のごとく太古の昔から続いてきたと信じ切っているようにさえ思える方々に、皆さまが大好きな「武士道」の作者新渡戸稲造先生が語った言葉を贈りたい。

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「婦人が偉くなると国が衰へるなどと云ふのは意気地のない男子の云ふこと」(by稲造)

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以下、「新渡戸稲造の教育論における 「犠牲と奉仕」」(棚村惠子著)より抜粋。最後の2行はワタクシの言葉だがね(笑)

塩をまく前に、よーく読んでいただきたい。

「所謂良妻賢母なる主義は人間を一種の型に嵌め込むやうなものでありま す。女と雖も人間である以上、人間としての教育なり、人間としての修養を しなければなりませぬ。
然るに日本の教育は女を妻か、母か、娘か、いずれ にしても一人立ちの人間らしくない、男の付属品の如く見て居る。何うも日本の女子教育は人間の教育ではない、とかう考へてゐます。―中略―
一個 の人間として立派に出来上がった婦人ならば、妻としては良妻であり、母と しては賢母であることはいふまでもありません。
処が今日迄の教育の結果で は、真実の良妻も賢母も余り見受けないやうで、夫に死なれて明日の生活に 困るといふ様な、弱くて哀れな婦人ばかりが出来上ってゐる様に見受けま す。―中略― 父兄も其娘に保険料でもかける様な考へで、進んで高等教育 を授けて貰ひたい。結婚の衣裳に大金を投ずるだけが親としての責任ではな く、衣装以上の頭を持参させるようにしたいものであります。」(「開かるべ き女子の進路」『婦人に勧めて』)

このように、新渡戸は新しい女子大学は良妻賢母養成教育でもなく、職業教育で もなく「一個の人間として立派に出来上がった婦人(人格)」の養成のため にあるのだと考えていた。さらに女性を夫だけに依存させ、「弱くて哀れな 婦人」にさせかねない従来の女子教育ではなく、自分の頭で考え、道を拓い ていける強い女性を育てたいと考えていたことが分かる。

これに考えに対し、東京女子大開校式の来賓として当日出席するはずの岡田良平文部大臣は、代読による祝辞において、女子教育は「国家発 展の根本を培養する」ことに寄与するのだと述べた。
女性を個人として見る のではなく「国家発展」のためと見る岡田の祝辞は、新渡戸が男女の平等と 女性の「人格」を強調したことと対照的であった。

・・・お、岡田っ💢

今もこの延長ってところが、つらいっすな。

2018年4月 4日 (水)

今、女子大が面白い

ブロゴス他にも転載されたわけでもないのに、 水野真紀さんの「48歳 女子大生」に関するブログに驚く程のアクセスが。

なぜだ?

もしかすると、今、世の中には密かに「学び足し」に興味がある人々がたくさんいるんじゃないか。
まあ、「女子大」というミラクルワードの影響もあるとは思うがね(笑)
実はまるで今日の日を予感したかのように?
佐藤優先生との最新共著「不安な未来を生き抜く最強の子育て」(集英社)では
「今、女子大が面白い」という項目まで作って熱く語っています!!
そして、私は佐藤先生に励ましていただき、この本を作ったことがきっかけとして、
大学院後期博士課程にこの春から進学するということになったのだった。
ええ、もちろん、女子大に(笑)
というのは、やはり、アカデミズムから離れて久しい女性にとって、女子大は
少人数で、のびのび、プレッシャーもなく、施設もキレイで・・・・奨学金も充実。
入試も含めて、かなり暖かいと思います。
まあ、もちろん、共学校で良いところもたくさんあると思いますが、
環境的にはかなりいいですよね。
そんなこともあって、水野さんも女子大に決められたのだろうかな。
というわけで、「最強の子育て」、Kindle版も出ています。
ぜひ、お読みいただけたら!
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加計理事長とアカデミックドレス

加計学園の獣医学部の入学式が行われた。
久々の、そして世間から絶対に注目されるであろう今回の入学式でもアカデミックドレスを着用していることに驚いた。

加計理事長は騒動以来、取材等には応じていないので、
流れてくる本人画像はいつも、大学行事でのアカデミックドレス姿である。(か、ゴルフもしくは悪巧みの3パターン?)

ある意味、映像・画像を撮らせないのは、意図的にアカデミックガウン姿を流してもらいたいと思っているようにも邪推してしまう。

似合わん。しかし、凄い執念である。

さて、アカデミックドレスはここ最近、日本の大学の卒業式でも着用するケースが増えて来ているようだが、入学式にもアカデミックドレスを着用する大学は少ない。

そもそもこのドレスはヨーロッパ中世の大学の制服から派生しており、その後儀式のときのみ着用されるようになっている。

日本でアカデミックドレスといえば大隈重信の銅像が目に浮かぶが、(大隈記念館には緋色のドレスの複製が展示されている)
主に採用されているのは創設者のひとり小野梓がイギリスで学んだ前述早稲田大学のような伝統校や、欧米の影響のあるキリスト教の大学だ。
それも卒業式が主で入学式まで徹底して着用している大学、しかも生徒ではなく教員側というのはそう多くはないだろう。

「アカデミックドレスを着るオレ」にそこまでこだわるということに、どこか神聖で侵してはならないアカデミズムの領域に「魔法」を使って参入したことへの対しての批判・・それはご本人も実は潜在的に抱えている「something」に対して「正統性」の主張、言い訳の可視化のような気がする。
なにより、ガウンを着れば、強くなった気になれる。
「変身願望」「ヒーロー願望」も透ける。

壇上にいる皆さんも、まるでコスプレ、悪い冗談に巻き込まれている感が、あるような、ないような表情。
どこかで、魔法がとける日が来ることがわかっているような。
いや、そもそも魔法にかかっていない人もいるよね、きっと。あくまで、ビジネス。現金に割り切っているはず。

https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/2096261343747325/UzpfSTEwMDAwMTQzODg2NTkyOToxNzgzMjM2MjM1MDY3NjU1/?locale=ja_JP

「48歳・水野真紀 女子大生に」と日本の損失


「48歳・水野真紀、女子大生に 家事と仕事両立「限界へ挑戦したい」
Yahoo!ニュースの見出しに、こんな記事が出ていて感慨深く読む。


芸能人の大学進学や大学院での学びがニュースになることはたびたびあるが、
こんなにどかんと「48歳」「女子大生」が全面に出る記事は、74歳で大学に進学した欽ちゃん以来が見たことがない。
それだけ、この「年齢」と「女子大生」という言葉にはある種のインパクトがある話なのだと思う。


ちなみに、ワタクシも明日が入学式で晴れて女子大生になるわけだが(笑)
先般、院生の打ち合わせに行ってびっくりしたことは・・・教授が一番年下だった(笑)ということだ。
そこで思ったのは、
30年、40年前は「女はそこそこ賢ければ良い。かわいいほうが得」プレッシャーが今よりずっと強く、
当事者たちもそれに対して疑問を持ったとしても抵抗する術を十分に持たず、
社会に出、結婚し、子育てをし・・というライフコースをたどる。
それ以外を選択すると窮屈な思いをすることが多かった。
知らず知らずのうちに、ジェンダーの呪縛にかかっていたといことだと思う。


しかし、だからこそ、女子にはその後、えも言えぬ理不尽が次々迫り来る。
職場で、家庭で、地域社会で。
個人の切実な課題に直面すると「もっと勉強したい」という、素朴な思いが立ち上がる。若干、いや、かなりの後悔とともに。
大学院で学ぶ50代以上の先輩方の論文の骨子発表を聞きながらつくづく思ったのは、
日本はたいそうもったいないことをした、ということだ。
彼女たちが大学卒業時にこの選択をしたならば、今ごろもっと研究は進んでいて、社会に資する論文がバンバン出ていたかも、と。
全ては仮定だから何とも言えないのだが、
彼女たちが女子大生だった時に、少なくとも積極的な選択肢として「学びつつけること」ができたなら、政治分野における女性の参画の低さをはじめ、社会の性別による不均衡は少なくとも今より改善されていて、
もちっと生きやすい社会だったに違いないと思う。


水野さんの場合も「学び」への渇望を叶えてくれる学び舎が「女子大」だということろに、実はひとつのポイントがあるのではないか。
1870年代〜1900年代初頭にかけて、学ぶ機会が男子程十分に保障されていなかった女性たちのみを対象にした女子大学が続々できるのだが、
そこから100年、130年と経った今、そこにまた新たな需要があるということはよくよく考えてみなければならない事象だと思う。

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