« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »

2018年5月

2018年5月23日 (水)

「Nobody knows …but Somebody knows.」  「誰も知らない」の先に

昨日の「現代ビジネス」で書いた是枝監督作品への思いのベースとなっている背景は「無戸籍の日本人」(集英社刊)「文庫化にあたって」にて書いています。

一部を抜粋してお伝えします。

❤️

 

 ノンフィクションという形態をとった本書「無戸籍の日本人」は、映画「誰も知らない」のモチーフとなった「巣鴨子ども置き去り事件」の子どもたちと母親への思いで始まり、終わっている。

 たぶん、届かない。それはわかっている。それでも書かずにいられない。「私たちも同じ思いでここにいる」、ただそれだけを伝えたい、そんな気持ちだった。

 文庫化にあたって、解説を誰にお願いしたらよいかを相談したときに、即座に是枝裕和監督の名前を上げさせていただいた。
 「文字」にする、「映像」にする。その手法は違っても、この問題を通して「伝わるように伝えたい」内容は共通するのではないかという思いからだった。

 映画の撮影の予定をずらして、対談に応じて下さった是枝監督は「責任」という言葉を使った。撮った映画、出演した俳優たち、スタッフ、映画を撮り終えても、生み出した側は全てに責任があるのだ、と。

 映画「誰も知らない」では自由奔放な、「はすっぱ」とも思える役を、俳優YOU氏が見事に演じ切っている。しかし、私が調べた資料の中でのこの事件の母親像はむしろ地味で真面目で、こうした大それた事件に発展するようなことを起こすような女性ではなかった。そして、私の支援してきた母親たちも、むしろ後者に重なる部分が多かった。
 なぜ、母親像を実際とは少しずらして描いたのか、というところが実は最も聞きたいところだった。
「誰かを悪者にしたくなかった」
 ああ、わかる。是枝監督の言葉に、思わずそう頷く。
 そこが、私も本書を書きながら一番難しいと思ったところだ。ごく一般的な、真面目な母親たちの姿を書くことは、一歩間違えると、等身大の彼女たちよりも肥大した悪者のレッテルを一方的に押し付けてしまうことにもなる。世の中の「鬼母」のイメージと乖離をさせることは、逆に同情や共感を呼ばないのだ。むしろ攻撃の対象となってしまう危険性さえある。
 フィクションの強みはそこにある。母、子、気づかない周りの大人たち…誰かを悪者にしないことで、逆に真実は際立っていくのだ。

 そして、監督がもうひとつ付け加えたのは、家族が「楽しい時間を共有していたということを表現したかった」ということだった。
 あの悲惨な子どもたちの人生にも、愛溢れる瞬間があり、笑いがあり、「家族の団らん」があったことを伝えたい。YOU氏が作り出す一種独特の世界は、そのまま現実との境目を越えさせる。子どもたちとのクスッとした、ニヤッとしたやり取りや、肌のふれあいの中で生み出される親子の、兄弟姉妹が作り出す「家族」のリアル。
 この延長上に、私が出会った無戸籍者たちもいる。

 過酷な暮らしの中で、早く大人になることを要求され、当然あるはずの誰かに守られた子ども時代を過ごすことができない子どもたちは、何を支えに今まで生きてこられたのだろうか。私が彼らの中に見たのも、ほんの一瞬かもしれないが「確かに存在した」母親や兄弟との「楽しい時間」なのだ。過酷な時間がどれほど多くとも、彼らはその身体の中に刻まれた体験を反芻して生きていくのだ。

 「誰も知らない」を観かえして「無戸籍の日本人」で書き留めた言葉と、全く同じ台詞が何カ所かあって驚かされた。時系列的に言えば、当然ながら「誰も知らない」の方が先だ。もちろん、私の相談者たちが映画を見て言葉を発したわけではないのに、重なる。そこにあるのは「切実」なのだ。
 そうしたことを、この対談の中で読み取っていただければ幸いである。
 
 集英社の出島みおり氏には文庫化の企画段階からお支えをいただいた。是枝裕和監督との対談を含めて、多大なご尽力に感謝申し上げたい。
 また、是枝監督との出会いはふたりの「上田さん」が導いてくれたものであることを対談後に知った。
 本文中にも紹介されているNHKの上田真理子氏、そして東京女子大の先輩、上田未知子氏だ。
 人生の一時期に活動をともにした方々と是枝監督がつながっていたことは、それこそ「思いもがけない」ことだった。
 点だと思った出来事が、細い糸の先端であること。その糸を辿ると自分の過去の欠片が掬い上げられいくような不思議な感覚。まるで、この日が来ることを誰かが知っていたかのように。

「誰も知らない」。英題は「Nobody Knows」だ。
「英語の時間、語尾にSにつけるか、つけないかで、さんざん解いた例題ですよね」と是枝監督に言ったら、苦笑いされた。
 周りにも気づかれず、認められず、自分すら誰だかわからない。まさに「Nobody knows」。
 でも、本当は、「今、ここに、確かに存在する彼ら」を、生んだ母、母と情を交わした父、近所のコンビニのレジのおじさん・・・「誰か」は知っているのだ、必ず。

but …
私は「Nobody knows」の後に薄い、消えそうな文字を読む。
…but Somebody knows.

 ふとしたきっかけで、今まで見えなかった透明な糸に光があたって、銀色に輝く一本の線が現れる時がある。
 心もとなく、まるで幻だったかのように消えて見えなくなってしまうのは、この透明な存在は自らだけでは発光することができないからだ。
 「偶然」とか「神さま」とかそんな大げさなものでなくとも、透明な糸に光を注ぐのは、彼らを「知っている」もしくは、「『知っている』ことも『知らない』」Somobodyなのである。
 意識的にせよ、そうでなくても、Somobody、「誰か」という存在の加減こそが、細い、切れそうな糸を際立たせ、新たなつながりをもたらし、また誰かへとつなげていくのだ。

Nobody knows but Somebody knows.

 この本を手にした読者の皆さんこそもSomebodyだと、私は確信している。
 
            2017年12月  井戸まさえ

(是枝裕和×井戸まさえ「対談」と残りの「文庫化にあたって」全文はぜひ書店及びAmazonで

2018年5月22日 (火)

是枝監督『万引き家族』が問う、いびつな家族のきずな

「是枝監督『万引き家族』が問う、いびつな家族のきずな」
現代ビジネスに寄稿しました。

実現まで15年を要した「誰も知らない」から「万引き家族」まで、是枝監督が描く「家族」のあり様は、日本の社会構造そのものをあぶり出しているのだ。
Photo
Photo_2

2018年5月20日 (日)

是枝監督 パルムドール賞おめでとうございます!! 〜「巣鴨子ども置き去り事件」から30年に

是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌ映画祭パルムドール賞を受賞!

昨年、この映画を作られている最もお忙しい時期にお時間をいただき対談をさせていただきました。

「誰も知らない」と「無戸籍の日本人」の接点を語っています。

両作品の核にある「巣鴨子ども置き去り事件」から今年で30年。

「万引き家族」でも、「誰も知らない」同様、登場人物は「無戸籍」を想定しているとおっしゃってました。

是枝監督とお話しさせていただいて、一番印象的だったのは「王道」を歩んでいる感。

一切の浮つきもなく、真面目に、地道に物ごとと対峙する。

映画に対する真摯さは、社会に対する姿勢そのもの。

「万引き家族」早くみたいです!!

Dpdfq7fueaalewj

2018年5月18日 (金)

ヒデキ〜心の国民栄誉賞  

ヒデキ。
以前にも書いたが、
ワタクシは彼と結婚するはずだった。

・・・って人がいっぱいいることを今回知った!

ヒデキといえば、思い出すのは酒造組合事務所のデスクである。

2008年か、9年のことだったと思う。
この業界にいると盆暮れその他モロモロ、意味もなく(いや、あるか笑)組合事務所にご挨拶にいくのだが、
いつも無愛想で(失礼)ニコリともしない事務の女性のデスクトップを見たら・・なんと、ヒデキだったのだ!!
気付けば持ち物のあちこちにヒデキ。
殺風景な組合事務所にヒデキ。
そのあまりの意外性を見た時に、
ジャニオタもびっくりの腰の据わった長年のファンがワタクシのヒデキ(笑)を支えいるのだと悟ったのである。

その直後ぐらいのことだった。
盟友横畑君が興奮して電話をして来た。
「ヒ、ヒデキ、す、すごい!!ブーブースカイ♪感動したっ!あれは行くべき!!!」
誰かのおつきでコンサートに行くことになり、ちょっと気が進まなかったが、行ってビックリ!
ヒデキのエンターテナーぶりと、あまりの歌唱力にひれ伏したという。
でしょ、でしょ、ワタクシのヒデキ。いや、酒造組合の彼女のヒデキだもん

❤️

あまりに早い旅立ちの報を聞き、真っ先に彼女の悲嘆を思う。
全国に数多いる「彼女たち」とともにご冥福を祈りたいと思う。

永遠のスター 西城秀樹。

会ったこともないのに、みんなが「自分の思い出」として語れる西城秀樹は、やはり永遠のスターなのである。
一つの時代を一緒に過ごしたという「連帯」がそこにはあったからこそ。

ヒデキこそ、国民栄誉賞だよね。

2018年5月 6日 (日)

「差異を語る応援演説 ①亀井静香編」

新著の執筆をしている。

「候補者と応援演説」という項にさしかかっている。

そう言えば、ワタクシもさまざまな方々から「応援演説」をしていただいたなと回想。

たとえば、元阪神の湯舟選手とか、堺屋太一元経済企画庁長官というのもあった。敵陣なのに、よくぞ演説してくださった。しかも「街頭」で(笑)

直近では、意外なところでコワモテの亀井静香元金融相か。

亀井氏は「死刑制度廃止」「原発ゼロ」「対話重視の外交政策」を信条とし、その点では私とも一致するが、強固な夫婦別姓反対論者としても知られている。

演説会場に入った亀井氏はそこで上記の「外交政策」他私と合致する政策を語った上で言った。

「井戸さんの唯一気に食わんところは夫婦別姓賛成論者ってところだ」

「応援演説」には珍しいことだが、堂々と、私との政策の違いを宣言したのだ。

それを受けた私はもちろん反撃した。
「私は夫婦別姓賛成です。それは変えませんから」

会場は一瞬緊張が走るかと思いきや、意外にもなんとも言えない和やかな雰囲気となった。
有権者もタテマエばかりの政治や選挙に対して物足りなさを感じていたのかもしれない。

「応援演説」に来た人々は、たいていその候補者が「いかに素晴らしいか」を大げさに語る場合が多い。
例えて言うなら結婚式の挨拶のような「誉め称え」が中心なのだ。

そんな中では亀井さんの正直な言論は「異端」ではあるものの、誠実なもので、候補者との政策の違いも含めて極めて明快。通常の集会よりも納得感、満足感も高かったようだ。

そもそも論で言えば、「応援演説」に来た政治家の政策とそれを受けた候補者の政策が事細かに全て一致することはほぼないだろう。
今どきはネットを調べればそれぞれの政治家の政策は容易にわかるから、
個別の政治家同士の「重なり合い」や「差異」を知るのに高度なリテラシーが求められるわけでもない。

「この人が応援に来たからこの政治家の政策は全てその人と一致するはず」と短絡的に思い込む人はいないとは思うが、
亀井氏があそこでああ言った理由は、

①応援した私が「夫婦別姓論を封印した」との誤解を生まないため、
そして同時に
②私を応援することで「自分が夫婦別姓論に転向したのではないか」と誤解されないため
だったのかもしれない。

議員を引退したものの、亀井氏は政治家であり続けるからこそ自分の政策は大事だし、自分の信念とは違ってもそれを掲げて戦う政治家には最大限のリスペクトを払う。そして、だからこそ重なる部分での実行力を期待するといったことなのだと思う。

「差異を語る応援演説」

それは長い間の政治人生の中で、さまざまに積み重なった政治的経験値の集積だったのだ。

松下政経塾では学べない政治だったと思う。

②は石井一氏です。

« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »

2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ