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2018年7月

2018年7月29日 (日)

同性婚を認めたら、次は親子婚 きょうだい婚容認だ!・・という方に対する答え

「同性婚を認めたら、次は親子婚 きょうだい婚容認を容認するのか」との質問に対する答えを書きました。

自民党・杉田水脈衆議院議員が「新潮45」で展開した

「多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」

を引き、
「LGBTという生物学的にみて異常な状態な性癖(原文ママ)も認めるということは、ロリコンや兄妹(姉弟)結婚なども容認していく方針ということですか?」等々、

類似したお問い合わせに対して、お応え致します。

①まず「LGBTという生物学的に異常な性癖」とのご認識ですが、何を根拠に「異常」とおっしゃるのでしょうか?

かつて、同性愛は異常であり、病気であるとされたことがありました。
しかし、現在では、WHO(世界保健機関)や米国精神医学会、日本精神神経学会などが同性愛を「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から除外しています。
文部省(当時)も1994年に指導書の「性非行」の項目から同性愛を除外しました。
http://emajapan.org/promssm/ssmqaa/qa10

こうした誤解を持つ方には、ぜひ「愛についてのキンゼイ・レポート」をご覧戴くことをお勧めします。
https://www.amazon.co.jp/愛についてのキンゼイ・レポート-DVD-リ…/…/B000AR94EG
ゲイ(バイセクシャル)である息子を厳しくしつけた父との確執も実は父親自体が性自認に悩んでいたという実話です。
同性愛が精神病とされた時代のことも描いています。

②さて、次に「婚姻」についてお答えします。
「同性婚を認めれば親子婚をはじめ兄妹(姉弟)婚、引いてはロリコン、幼児との婚姻も容認していく方針ですか?」というご質問です。

現在日本においては、児童福祉法第34条ならびに各自治体の淫行条例により、既婚者を除く18歳未満の青少年との性交渉は「淫行」に当たる場合があり、処罰の対象となることは当然ながらご存知だと思います。

なので、そうしたものと同姓婚と同等に議論すること自体が不適切、不見識、また偏見に満ちたものと私は捉えています。
親子婚、きょうだい婚についても、現在政策課題にのぼっていないことを持ち出し「同性婚を認めたら次はこれ」とすることに違和感があります。
問題のすり替えとも取れます。

ただ、そう言ってもご納得はいただけないでしょうから、
以下に私の見解を記載します。

③「親子婚」「きょうだい婚」については、現在ではそうした婚姻制度を採用する国は少ないものの、過去においては行なわれていた地域や、現在、少ないながらもいくつかの国ではこうした婚姻制度について立法を求める動きがあることも承知しています。

日本においても、歴史をたどれば
敏達天皇と推古天皇(異母妹婚)、聖徳太子の父母である用明天皇と穴穂部間人皇女(異母妹婚)、また、天武天皇は兄である天智天皇の中娘を4人を妻としており(叔父姪婚)そのうちのひとりは持統天皇である等は周知の通りです。

このように時代や地域によって婚姻制度のみならず制度や法は変化するものなのです。

ご承知のように、国民主権の日本では、全ての法律は国民が選挙で選んだ国会議員により改正、創成、廃止することができます。
現行の民法では「婚姻障害」として婚姻できない事由を定めています。
① 婚姻適齢(731条)② 重婚の禁止(732条)③ 再婚禁止期間(733条)④ 近親婚の禁止(734条~736条)⑤ 未成年者の婚姻についての父母の同意(737条)
です。
もし親子婚やきょうだい婚や社会に必要という場合は、この「婚姻障害」の規定が定められた民法を改正する必要があります。

それを望む国民は国民的議論を起こし、この政策を実現しようという議員を立法府に送るもしくは議員に陳情・請願をし、その議論を堂々と国会でやればよいと思います。
不必要と思う人々は反対し、その意を組む国会議員や政党に投票する。いたってシンプルな話です。

私個人に対して「親子婚」や「きょうだい婚」についての婚姻障害規定を改正すべきかと問われれば、それは「否」です。
今の日本で現行制度を変える必要性を認識するには至らないというのが理由です。

一方で同性婚は法的に認めるべきだと思っています。
自治体のパートナーシップ等はありますが、現在の日本でふうふになることは認められていません。日本国憲法の「両性の合意」の「両性」が議論となっていることも、ご承知かと思います。
今、法的に家族になろうという場合は「養子縁組制度」のもと、養子縁組の選択肢をとることになります。
成人同士の「養子縁組」制度は世界でもあまり例がないと言われますが、相続対策と同様、同性婚の代替制度ともなってきました。
しかし、家族となっても「親子」。
民法の身分関係を勉強していると「戸籍には実態を反映したものが記載される(べき)」という原則論に当たります。
とするなら、彼ら、彼女たちは「夫夫」「妻妻」として登録されるべきですし、そこに何ら問題はないと思っています。つまり、実際に婚姻している状態で暮らしている訳ですから、望めば法的担保を受けられる制度を構築するべきだと思います。

以上、問いに対してのお答えとさせていただきます。

「LGBTは生産性がない」杉田水脈氏大炎上「ザワザワ感」の正体

杉田水脈氏の大炎上について、現代ビジネスに寄稿しました。
アンチ杉田の最前線にいたはずなのに、感じる「ザワザワ感」。

その正体を同じ政党にいた人々や、リベラル側の今も含めて考察しています。
そして衝撃のラスト??
ちと長かったと反省しつつ、最後までお読みいただければ。

2018年7月22日 (日)

杉田水脈氏のTwitterに思う

お気の毒すぎる国会質問」「女としての落ち度〜「杉田水脈(的女性)論序の序の序」「BBC番組「日本の秘められた恥」を批判する愛国女性の正義感」とこれまで幾度か「杉田水脈(的女性)論」を書いて来た。

今回の「炎上」後の彼女のTwitterの内容を見ながら、ここに杉田氏が置かれたお気の毒な状況が可視化されつつあるな、と思う。

杉田氏は「大きな家=自民党」に守られていることをアピールするも、党内から擁護の声は上がらない。
個人的にエールを送っていると杉田氏が言う大臣クラスの方やLGBTの理解推進を担当している人々は堂々と名前を名乗って杉田氏擁護の発言をすればよいのに、それもない。
本当に応援している人は実名で批判等を怖れず声をあげるはずだろうに。

「お気の毒すぎる・・」でも同様のことを書いたが、
あの原稿をそのまま載せれば炎上することも編集サイド等周りは十分予想できたと思う。
「言葉足らずで誤解される所はあるかもしれないけど」と先輩議員が杉田氏に指摘するまでもなく、そのくらいは原稿を受け取った段階で編集者が気付いているはずである。
これは自分の思いを無料で一方的に綴る「ブログ」ではない。
プロである編集者が入っている訳だから、少なくとも杉田氏が「切り取り」だと憂慮したり、「言葉足らず」と言われないよう、その真意を伝える文章にすることぐらいはできたのではないかと思う。

文章を書いてある商業誌や媒体に載せる時、編集者の役割は非常に大きい。
自分の名前で出している文章も時に企画の段階から、また校正等を担当してくれる編集者との共同作業だ。
最後の責任はもちろん著者が取るが、何かあれば編集者にも恥をかかせることになる。だから諸々慎重になる。
そういう意識は杉田氏にはないのであろうか。だとすれば、編集者さんも大変だろうなと思う。

困った時にはかならず櫻井よしこ先生が登場というセオリーは今回も踏襲されている。
杉田氏によれば、櫻井氏から「貴女が色々言われるのは目立つから」とのお言葉が。
「目立つから」は批判を正面から受けとめられない場合に使われる常套句だ。
しかし、こうした慰めは杉田氏のためになっているのだろうか?

杉田氏はご自身が思っているほど、党にも媒体にも人にも守られていないのではないだろうか。

そして、こういう状況にあるのは、何も杉田氏に限らないのかもしれないなとも思う。

「フィリバスター」枝野幸男の演説を7月23日(月)生で聞こう!!@蒲田!

「フィリバスター」枝野幸男の演説を7月23日(月)生で聞こう!!@蒲田! 午後6時30分〜 講演会消費生活センター 午後8時00分〜 懇親会「歓迎」蒲田本店 お申し込みは立憲民主党東京都第4総支部 井戸まさえ info@idomasae.com

「就籍」(日本人であることの証明)の杜撰な現状

現代ビジネスに寄稿しています。
日本人であるか否かを決定する「就籍」という手続きで行なわれ驚きの「調査」の実態や、「日本人かはわからない」と申請が却下された後も、国外退去命令はもちろんなく、なんらかの登録を促されるわけでもなく、
ただただ「放置される」日本の無国籍・無戸籍者対策の杜撰な現状について書いています。

2018年7月21日 (土)

タイ「洞窟救出劇」で見えた、無国籍の子どもたちが直面する現実

「タイ 洞窟救出劇」で見えた、無国籍の子どもたちが直面する現実 自分が売買される危険も・・」と題し、現代ビジネスに寄稿しています。

洞窟から救出されたサッカーチームのコーチと子どもたち3人が「無国籍」ことから見える問題を書きました。
山岳地帯の無国籍政策は反共政策の一環で行なわたことや、それには中国の文革の影響等も少なくないこと、
世界的に見ると、第二次世界大戦前には大量の「国籍剥奪」も珍しくなかったこと等にも言及しています。

2018年7月18日 (水)

「納采の儀」が持つ意味〜小室氏がフィアンセではない理由

宮内庁は米国フォーダム大学が「日本のプリンセス・マコのフィアンセが入学へ」とホームページに記載したことに対して、納采の儀が済んでいないためフィアンセではないと伝えることにしているという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl…

さて、この点については、宮内庁並びに関係者が「「納采の儀」の前なら引き返せる」との見解であろうことは、既に現代ビジネスで指摘している。

しかし・・当事者の心はどこにあるのだろうか。
非戸籍者の過酷さを見る。

以下、現代ビジネスより抜粋。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54396

「納采の儀=結納」の大きな意味

 憲法第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 婚姻は上記憲法第24条のもと制定されている戸籍法第74条に従って届け出ることによって効力が生じる。
 その手続きは簡単で、民法第739条第2項により届出は当事者双方及び成年の証人二人以上から、書面又は口頭で行なう。
 ただ、実はいつ結婚が成立したかに関しては国家法と「届出」と社会習俗の「結納・挙式」の間で乖離があることが明治以降に問題となってきた。

 まさに今回の眞子内親王の婚姻延期の発表が、一般の「結納」にあたる「納采の儀」の前に行なわれたというのはひとつのポイントである。
 最近では「結納」をする人は減ってきている。しかし、なおも婚姻はその予約ともいう「結納」、その後に挙式披露宴をし、婚姻届出を提出して結婚生活が始まる、というのが「順序」とされている。
 どこで婚姻が成立するかといえば、いわずもがな民法第739条第1項により「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによって、その効力を生じる」である。明治民法第775条第1項も同趣旨であったが、結婚の社会的承認である結納、挙式、また披露といった儀式、また実質の婚姻生活の始まりと、法律上の届出との間に乖離があることが、明治時代から大きな問題となっていた。
 実質の婚姻生活が存在しても、当時の女性たちは届出をしたくとも戸主が反対したり、「跡取りを生むまでは届出を認めない」というものもあったりで、届け出を出すに至らない場合が多かったのである。
 こうした中で「結納」は大きな意味を持った。結納をし、婚約をすれば、当事者同士に婚姻への意志があり、内縁として夫婦に近い身分関係を認め、縁夫、縁女と言われ、服忌の義務も生じるとされた。縁女が密通すれば、姦通罪にも問われたのである。
 こうしたことは現在での「婚約不履行」等にもつながってくるところでもあるが、当事者が結婚の意志を示すだけでなく、儀式として社会的承認をえる「結納」を行なう前か後かでは二人の権利義務関係は相当に違ってくる、ということなのだ。
 つまり「結納」前ならば引き返せる、ということでもある。
 宮内庁が「婚約」でななく「婚約内定」解消も視野に入れているかどうかはわからない。しかし「婚約」ではなく、今の状態は「婚約内定」。
 ことほど左様に、女性皇族の皇室離脱は用意周到に準備されていくとも言える。

「LGBT」支援の度が過ぎる?はあ?

「LGBT」支援の度が過ぎる(杉田水脈「新潮45」)
はあ?
公的支援の軸は「生産性」なのか。
ワタクシはそうは思わないし、
一万歩譲って氏のいうような角度から見たとしても、
沢山のLGBTファミリーを見て来た。
社会に対する幸福生産性めっちゃ高いよ。ってことで、杉田水脈論再掲。

2018年7月14日 (土)

 「半分、青い。」に箱根駅伝をみる

「半分、青い。」
「怒濤編」に入り、もはやツッコミもできないぐらいの迷走。
毎回15分の間で脚本に強弱つけて、ある程度のクオリティを6ヶ月保ち続けるって、どれだけ難しいかがわかる。
朝ドラはモデルがいる「一代記」が主流となってきた理由がわかったような気がする。
箱根駅伝のブレーキを見る思いだ。

2018年7月10日 (火)

アクセスできるが読み解きにくい政治・選挙とカネ

現代ビジネスさんに寄稿しています。
政治資金収支報告書を見れば、誰にでもアクセスすることができる政治とカネ、選挙とカネの関係。
しかし、解説がないと十分に読み解くことは難しい。
細野氏の昨今の話題を切り口に前回の衆議院選挙を考察しています。

2018年7月 7日 (土)

小説教室で学ぶ「美しい顔」

この春から子どもに付き合い小説教室に通っていることは既に書いた。

先週は芥川賞にノミネートされた「美しい顔」(北条裕子著 講談社)が話題になった。
小説の一部に既に出版された著作物の一部と酷似する部分があった、というあれである。
講師は「全く問題ない」と言い切った。創作(フィクション)とはそんなものだ、と。
私たちが記す物語は、意識的にしろ無意識的にしろ、また姿形が類似していようがいまいが、既に発表されている作品や、過去の表現物の上になりたっている。
言葉は所詮、人をまねて発せられるもの。
感銘を受けた文章の一部が頭に残っていて、それを書いたとしてどこに問題があるのか―——かいつまんで言えば、そんな話だった。


ただ、ワタクシはその意見には違和感を感じる。

引用部分を自分の文章とした時点で「負けて」いるからだ。
人の営みでしか到達することができない言葉をつかわずとも、その状況を想像させ、心をかきむしり、もしかするとそこに確かに存在するものの、人が発せられない言葉を紡ぐのが小説の、フィクションの役割なのではないか、と思うからだ。

「群像新人賞」という大きな文学賞の応募作。
これが取れるか取れないかは、今後の人生に対してもたらすものは雲泥の差だろう。
少しでもよい作品にしたいという欲。
賞も取りたいという渇望。
それはとてもわかる。

参考文献を側に置いて、その文章をキーボードで打つ。
語順を変えたり、語尾をぼやかして「オリジナル」と主張できるようにしておくなどということは、書き手の技量のひとつでもあろう。
しかし、どうあがいても参考文献に書かれている言葉以上の表現はない。
そこで選ばれている言葉も、それをつなぐ「てにをは」さえも「それ以上」がないとしたらーーーー。
文章を書く人は皆、悪魔と対峙する瞬間がやってくるのである。

さて。
「文章を書いてお金をもらう」ということは、360度、どの角度からの批判を受けることでもある。
その「目」があること、また自分自身への誠実からも「盗作」と言われるようなことがないように、細心の注意を払う。ただ段々、それをすり抜けて行く技術も身に付いていくというのもあるのだが。

ただ「応募作」には、その時点では一銭の価値も発生しておらず、逆に言えばどんなズルをしようが「受賞」しなければ、その作品は日の目をみることはない。だからこそ、作品にとって最もよい表現を、たとえ抜き書き、盗作といわれる可能性があったとしても、黙って、自分の文章として提出する、といったことはあるかもしれない。
賞をとり、本になり、人の目に触れない限りは、そもそも道義的な責任など問われようもないのだから。

その「際」が最終選考作に選ばれるか、否かである。
最終選考作はたとえ選に漏れても書籍化される可能性がゼロではないので、そこからは内容も含めて慎重に扱われる。
ノンフィクション関連の文学賞の場合、著名な作家や識者が審査員となって受賞作を選ぶ最終選考に至る前に校正作業が入り、事実関係や参考文献も含めて一旦チェックを受ける。

小説の場合はあくまでフィクションだから、そうした事前のチェックがないのだろうか?
http://www.kodansha.co.jp/…/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/201…
これを読むと、講談社と北条氏の接触は受賞後、初めて、とあるのでそうなのだろう。

しかし、文章を事前の問い合わせもなく、無断で使われた側は穏やかではいられないし、
特に災害に見舞われた被災地で、当事者たちの言葉を集めた時の意図と違う使われ方をしているのであれば、抗議は当然であると思う。
http://shin-yo-sha.cocolog-nifty.com/…/20…/07/post-3546.html

被災地や被災者を文章にすることを抑制しろというのではない。
一度も現地に入っておらずに書くことも否定することはないと思う。
徹頭徹尾、資料をもとに想像と組み合わせて、自分の言葉として語る分にはなんら問題がなかったのだと思う。
でも、そうではなかった。

「圧倒的なリアリティがある」と講師は言った。確かにそうだ。「今回は芥川賞はでないかも」とも。
全ての候補作を読んだところ、リアリティ、臨場感を持つ「美しい顔」がダントツだと言う。
そのリアリティを支えるものがコピペまがいならば、それはやはりアウトなのではいかと思うが、冒頭のように全く関係ない、というのが彼の評価だった。

「あと、嫉妬ね。北条さん、キレイなんです」。
そこは全く関係ないと思いたいところだが、プロモーション的には大事な要素かもしれない。プラスになってもマイナスになることはないと思うが、どうなんだろうか。

加えて「このテーマは被災地にしなくても書けたと思う。なぜ東日本大震災を選んだのか、そこはわからない」とも。
「3.11を描くことも必然となって、ハードルが上がる。
このテーマだったら、ほかの設定にすることも十分に可能だったのではないか」というような指摘もしていて、そこはなるほどとも思った。

いずれにせよ。
「美しい顔」で描こうとした被災者とマスコミの関係といった難しいテーマはより広範に問いかけられる結果となった。
小説として、そして皮肉にもノンフィクションとしても。

2018年7月 5日 (木)

児相と警察の全件共有に警鐘 議論にのぼらない子どもたちのトラウマ

警察との全件共有が先行する児童虐待対策等のなかで、議論にのぼらない子どもたちがいる。
ある日、突然「虐待」で通報された親子のトラウマをたどりながら、表層的な対策に閉じることに警鐘を鳴らしたい。

現在多くの市町村では、「要対協」(要保護児童対策地域協議会・要保護児童、要支援児童等のための関係機関のネットワーク会議)に警察署も参画している。
定期的に開催される実務者レベルのこの会議は、関係機関の情報共有の場でもあり、虐待に限らず基本、不登校や障害も含む全ケースの現状、支援方針などが議論されている。
にもかかわらず、情報共有が叫ばれるのは何故なのか。

それには理由があるのだ。

現代ビジネス

「ある日突然、「虐待」で通報された親子のトラウマ〜本当に必要な対策とは何か?」 で詳しく書いているので、ぜひ読んでほしい。

2018年7月 3日 (火)

「半分、青い。」は、日本の衰退を教えてくれるドラマだ

「半分、青い。」と日本の少子化対策含めた団塊ジュニア対策の失敗等について、現代ビジネスさんに寄稿しています。

2018年7月 2日 (月)

いじめの構造

この動画を見るのがつらい。
でも見なくては、と思う。
日本人、全てが見るべきだと思う。
「いじめ」の構造、そのまま。
これが日本の国会議員。
親の顔がみたい、などとは言わない。
50年も生きて、こんな言動しかできないというのは、あくまで本人の責任。
しかし同時に、幼稚で物ごとを単純化してしか考えられない、はしゃいだ彼らの姿は、
実は日本の姿をうつす鏡なのかもしれないと思うとなんとも言えない気持ちになる。

2018年7月 1日 (日)

女としての落ち度〜「杉田水脈(的女性)論」 序の序の序

「本来日本は、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国だった」
「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」
「女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名の基、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。(中略)・・その結果、ドメスティックバイオレンスが蔓延し、離婚が増加。少子化や子どもの貧困の原因となっています」・・・

以前、「お気の毒すぎる国会質問」として
次世代の党(当時)杉田衆議院議員の衆議院本会議質問について書いたが、自由民主党の衆議院議員となって、どうやら事態はさらに「お気の毒」となっているようだ。

「日本の秘められた恥」としてBBCが放送した伊藤詩織氏のドキュメンタリーの中で、杉田氏はインタビューに答えている

「番組の取材に対し杉田議員は、伊藤氏には「女として落ち度があった」と語った。
「男性の前でそれだけ(お酒を)飲んで、記憶をなくして」、「社会に出てきて女性として働いているのであれば、嫌な人からも声をかけられるし、それをきっちり断るのもスキルの一つ」と杉田議員は話している。議員はさらに、「男性は悪くないと司法判断が下っているのにそれを疑うのは、日本の司法への侮辱だ」と断言。伊藤氏が「嘘の主張をしたがために」、山口氏とその家族に誹謗中傷や脅迫のメールや電話が殺到したのだと強調し、「こういうのは男性のほうがひどい被害をこうむっているのではないかと思う」と述べた。」

「女としての落ち度」もひどい発言だが、
私が最も注目するのは「社会に出てきて女性として働いているのであれば」の部分だ。

この国では
「女性として働いているのであれば」
→「嫌な人からも声をかけられる」
→「きっちり断るのも(女性の)スキルの一つ」

つまり、杉田氏自身が日本がセクハラ社会であることを認めている。
自身の体験も踏まえた上で。ここは重要だ。

一方で、杉田氏や長尾たかし氏らは、詩織さんのことを言っているわけではない旨をわざわざ言い訳した上で、
「当たらずとも遠からず」のイラストに対し、嘲り、笑い、蔑みの言動を行なっている。

批判するならば、真っ正面から批判すればいい。
「逃げ」の担保を取りながら、上から目線で笑いの対象にしていくというのは、悪質。卑怯である。

さらに「モラル」を持ち出す
「母」として。

‪「もし私が、「仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性」の母親だったなら、叱り飛ばします。「そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい。」と。‬
それが母親というものです。」

というわけで、
「杉田水脈(的女性)論」をちゃんと書かねばと思っている。

問題は割ける時間あるかだが。

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