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2018年9月27日 (木)

「半分、青い。」終了で‘ほっとする’人々

「半分、青い。」が(ようやく)終わる。

もはや、痛々しくて見ていられない。いや、だからこそ見続けている、ともいえる。
 ある意味、最後まで見届けることが自分の使命とさえ思うというのは、まるで「ケア」の視点、「見取り」の情・・。  
「半分、青い。」の後半戦、「つまらなくなった」の声にも関わらず視聴率が落ちなかった理由はその辺にあるのではないかと思う。
(中略)
そこで気がつくのは、「半分、青い。」が折々にふれて見せる「死生観」、そしてそれにつながる「再生」が実はこのドラマの芯=テーマであり、逆にそここそが視聴者が抱く違和感にもなっている、ということだ。
なにせ、そもそもナレーションは亡くなった鈴愛の祖母。
毎朝、私たちは死者の声を聞かされていたということ。
鈴愛風に言わせてもらうなら「スピリチュアルか?恐山のイタコか?」となるだろう。
ただ、それにしても「伏線」が見当たらない。
見ている側は「取り残される」のである。
と、言うわけで
思わず「半分、青い」の総括を書いてしまった。
上はほんのさわり。
全文はまた別途。長文になってもうた・・。

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