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2019年2月

2019年2月24日 (日)

「補充立候補」という選択肢

「候補者たちの闘争」(岩波書店)で、カットした原稿がある。

「前史としての東京都知事選挙」である。

小池百合子候補に対して、野党側の候補者選びが難航した結果、公示の2日前、急遽鳥越俊太郎氏が候補者として決定する。

この候補者選出に至る過程に選挙の実動部隊として関わる地方議員等は関わることができなかった。結果として上意下達となる。

都知事選と同時に大田区他で都議会議員の補欠選挙が行なわれたが、選挙では「知事とセットで」闘うことを要請され、名前は知っているが、その人となりもよくわからずに、ただただ都知事候補の名前を叫んで投票依頼をするという、自己矛盾を抱えたままの選挙戦だった。
どこかで有権者を裏切っているのではないかと言う気持ちを抱えたままなんとも辛い選挙。どうしても我慢できなくなり、私はひとつの行動に出た。

責任ある立場の人に「補充立候補」を考えるべきではないかと直訴したのだ。
選挙が始まってすぐと、後半の2回。
たぶん、前代未聞のことだったと思う。
真剣に補選を闘っていたからこその思いだった。
ただ、そこで知ったのは「責任ある立場の人」も候補者選定の過程には関わってはいなかったということだった——。

「 補充立候補」とは、選挙の候補者が公示日以降、投票日以前に死亡、または公職の候補者たることを辞したものとみなされる場合に、追加での立候補が認められ、その数には制限がない。投票日の2日、もしくは3日前まで可能である。
それまでに入った期日前投票の扱いをどうするのか等の議論はあるのだが、そもそもこうした機能が選挙に付属していることを考えると、当然だが上記のような状況が想定されているということだろう。

今日も候補者選定についての問い合わせがきた。

一浪人政治家の私にできることは、そう多くない。
でも、民主主義を支える選挙制度の中に、選挙選が始まってからも候補者の差し替えができるという機能があることを、国民が知っているか否かは大事なことだと思っている。

やはり、これらのやりとりは入れるべきだったかな・・。

毎日新聞書評欄  驚きの偶然!

本日付け毎日新聞書評欄で拙著「ドキュメント候補者たちの闘争ー選挙とカネと政党」が紹介されています。


端的に本書の要点をまとめて下さって、感謝です。
選挙が近づいてくるに従って、あちこちから「候補者の誕生」に関する疑問や疑念、不満も聞こえてきます。「選べない不全感」をどう克服して行くのかは、政治の責任でもあります。
しかし、驚きは・・・下が「ボリショイ卒業」(大前仁著 東洋書店)だったこと!!
隣が「子どものまちのつくり方 明石市の挑戦(泉房穂著 明石書店)だというのは、「まあ、あるか」なのだが、よもや岩田守弘さんの名前と同じ紙面で拙著が紹介されるなんて泣

というのも、最近、理不尽なことへの対応があまりに多くて、落ち込みがち。そんな時に励ましてくれるのは岩田守弘さんのバレエや、生き方そのものだったりして、この数日も友人・家族に熱く語っていたところでした。
いやはや、こんな偶然ってあるのね。
またがんばろうと思います!

毎日新聞さん、(藤)さん、ありがとうございます。

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2019年2月21日 (木)

なぜDV夫と復縁・再婚するのか

なぜDV夫と復縁・再婚するのか。

この問いにこそ、DV問題の本質が宿る。

妻を共犯者にしていく虐待DV夫——。

世間が「母親なら命がけで子どもを守るはず」と母親批判をし、さらなる傷つきを与えることを、DV夫はわかっているのだ。実際、加害者たるDV夫には「父親なら命がけで子どもを・・」という批判は母親ほどは聞かれない。

実情を把握しきれない段階で「母親も悪い」という言説に与することは、私たちもDV夫が仕組んだ罠に陥ることになる。

詳しくは現代ビジネスで。

2019年2月14日 (木)

だから「外国人献金」は繰り返される…保守派が指摘しない「抜け穴」

立憲民主党の辻元清美国対委員長の政治団体が2013、14両年に外国籍の支援者から献金を受け、その後訂正等を行なったとの報道があった。

外国人献金については、献金を受ける政治家が「日本国籍を有すること」と告知しても献金を行なう当事者がそれに気づかない場合や、政治家の信頼失墜等を目的に意図的に献金をする悪質ケースを含め、現実的には抑止ができないのが実情である。

国会議員に関係する政治団体は毎年の政治資金収支報告書を提出する際、登録政治資金監査人による政治資金監査を受けなければならないが、監査は収支の妥当性をチェックするものではない。

繰り返し、こうした問題が起こるのは、抜本的な「対策」がないから、とも言える。

そのキーは「5万円以下献金」にある。

また政治資金規正法上は、寄付者に年齢制限もない。

こうした「抜け穴」があるが故に、「外国人献金」は実はやりたい放題なのだ。

諸外国の例他、詳細は現代ビジネスに寄稿した。

2019年2月12日 (火)

サーシャコーチと契約解消 大坂なおみ選手 決断は「日本人」だから?

大坂なおみ選手は現地時間201921112:59 Twitterを更新し、彼女の躍進に多大な影響を与えたといわれる「サーシャ・バインコーチともはや仕事をすることはない」と報告した。

全米オープンに続いて、全豪オープンを制した大坂なおみ選手。バインコーチの間になにがあったのか。

うまく行っている時にこうした決断ができるのは、大坂選手が理想のテニスを求めて、妥協なく突き進んでいっているということだろう。
しかし、私たちはそこでなぜか「日本人だから」とは「日本人離れしている」と思いたがる。
22歳になるまであと9ヵ月となり、その活躍ともに国籍選択について注目が集まるが、大坂選手の国籍選択が問うものを現代ビジネスに寄稿しました。


2019年2月11日 (月)

実はやりたい放題できる  「外国人献金」の抜け道

辻元さんの外国人献金の話。

別途論考を書いたが、5万円未満の献金は通常、氏名・住所・職業は公表しなくて良く、合算で収支報告書に記載する。

1万円で氏名等を記載していた辻元さんの収支報告書はある意味透明性が高い。

政治資金収支報告書が求めるもの以上に透明性が確保されていたからこそ、外国人献金についての指摘が可能だったという事実はそれを物語っている。


もちろん事前に気がつくべきだったのだろうが、既に指摘されているように現行の法律の中で政治家がチェックするのは難しい部分がある。


さて、実は外国人献金、実は今の日本の法律ではやりたい放題でできちゃうんですよ。

「5万円以下」なら氏名も公表されないから、いくらでも、時には複数の氏名を使っても可能となる。

外国人献金が問題だという人々は、なぜこの「5万円以下献金」について指摘しないのだろうかと不思議である。

ちなみにこれは政治資金収支報告書を書いたことのある人なら、誰でも知っているバグ。

何度も繰り返されるこの問題。いい加減、終わりにしよう。

そのためには、特に国人献金が問題と言っている現職政治家には、今すぐ法改正に着手、法案提出してもらいたい。

外国人献金、問題なんでしょ?1万円でも。

私?
はい。禁止されている事項を守れないようなバグ法、そしてその運用は大問題だと思っています。真面目にやっている政治活動者が罠にはまる可能性もあるから。

そして、毎回の、この空しい論争を終わらせるめにも

論考では抜本的な解決に向けて、対策を提案していますぜ。

2019年2月10日 (日)

「票ハラスメント」を防止するには

ここのところ、各地から政党等を問わず女性政治活動者が訪ねてくることが続く。

電話やメールではなかなかな話せない、女性政治家に対する組織や後援者からの「ハラスメント」についての相談である。

選挙が近づいて来て「一票でも多く」という候補予定者たちの心理をついて、例えば大した用事がなくとも、日に何度もメール等を送って来たり、返事を強要するというのもある。
時間を拘束されたり、上から目線の指導等「マンスプレイニング」の見本のような事例も多々見受けられる。

英国の元政治家で作家のジェフリー・アーチャーの小説に、アメリカ初の女性大統領になるまでを描く「ロスノフスキ家の娘 上・下」(新潮文庫)というものがあるが、主人公フロレンティナもさまざまな「票ハラスメント」を受ける。セクハラ、パワハラ、党内での嫌がらせ・・・。そんな中、戸別訪問(欧米では認められている)で熱心な支持者と話し込む場面がある。
満足するフォロレンティナはたしなめられる。
「あれは共和党支持者だ。民主党支持者はここにいる時間が有れば、他を回れというはず」
(今、手元に上巻だけしかなく、正確な記述を引用できないがそんな内容だったと思う)
まさに膝を打った。

私も後援者とのコミュニケーションをとることは大事だと思うが、「往信不要」のメッセージにどれだけ助けられたか。
「返事はいらない。その時間あったら一枚でも多くビラ配って!私もポスター貼ってくるから」
そんなことを思い出しながら、相談を受ける。

どの候補予定者も、皆、あちこちからの「ご指導」を受けて、すでにノイローゼになりそうな状況。
誰かがブロックしないと、延々に侵食されて行く。
男性の候補予定者にはそこまでしないのに、なぜ女性候補者に?この記事にあるように、今まで男性の職場に女性が参入してくることに対して、潜在的な抵抗があるのだろうか。

上記の「ロスノフスキ家の娘」の中に、私の好きな台詞がある。

「驚いたな、ジェシー。きみは男を十人束にしたぐらいの勇気がある」
「いいえ、女一人分よ」

女性には男性ほどの勇気がないという男性側の思い込みに対して、鮮やかに切り返したひと言。
しかし、一方で男性が10人束になったぐらいの勇気がなければ、男性のフィールド(このシーンは銀行の場面)に参入できないという現実を示していると思う。

それだけの勇気をふるい、立ち上がった女性候補予定者たちにまとわりつく「票ハラスメント」からしっかり守らなければ、選挙戦に行き着く前に彼女たちは疲弊してしまう。

候補予定者たちにとって最も悲しいことの一つは組織の無理解、無関心である。
当然、組織にとって後援者は大事なので、そこで起こっていることがある程度わかっても、「我慢しろ」となる。「まず、勝ってから言え」と、真剣に取り合ってさえももらえない。

組織を越えて「票ハラスメント」に対する対策ができたらな。
この行為は「票ハラスメント」と支援者とも共有できる実例集等が必要な気がする。

実はこうしたこともDVや虐待が放置される現状につながっていると思う。

だから、考えましょう、みんなで。

堺屋太一さん死去。 ご冥福を


たぶん、私は堺屋さんに街頭で応援演説をしてもらった唯一のリベラル系政治家だと思います。
ありがとうございました。

大阪万博招致の際には、自分の個人資産をはたいて「賭け」に出る等、官僚の枠を越えての成し遂げた仕事の数々は、まさに唯一無二、稀有な存在堺屋さんでなくてはできなかったのだと思います。
女子プロレスの大ファン。お茶目な側面も。

堺屋さんの発想で、夫が具現化した仕事が一区切りを迎える今月に逝ってしまうとは。本当に不思議です。
お世話になりました。

ご冥福をお祈り申し上げます。


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堺屋太一さんの著作はたくさん出ているが、
その人物像に迫ったものでは
三田誠広さんの『堺屋太一の青春と70年万博』(出版文化社)が面白い。
夫の本棚からくすめてきて、返していないのだが、バレるな、確実に。
これ、朝ドラになりますよん。


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今週の「ねほりんぱほりん」 は無戸籍!   「無戸籍の日本人」&「誰も知らない」のモチーフとは

2月13日の「ねほりんぱほりん」は無戸籍がテーマとお知らせしたら、「無戸籍の日本人」(集英社)の読者さんが本棚から取り出して、再読しているという投稿があった。
子どもの虐待死が続くが、辿れば本書、そして「誰も知らない」のモチーフとなった1988年の「巣鴨子ども置き去り事件」に行き着くのではないかと思う。

ハードカバーの「無戸籍の日本人」には収録されていないのだが、2年後に出された文庫本では是枝裕和監督との対談とあとがきの一部を「文庫化にあたって」という文章に編み直していて、実はそこに私の思いが凝縮している。
ハードカバーの読者さんにも届くといいなと思い、ごく部分的になるが掲載したい。

できれば、この機会に、「誰も知らない」(是枝裕和監督)、拙著「無戸籍の日本人」(集英社)「日本の無戸籍者」(岩波新書)を再鑑賞・再読していただければと思う。

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「無戸籍の日本人」(集英社)
「文庫化にあたって」(一部抜粋)

(前略)

 ノンフィクションという形態をとった本書「無戸籍の日本人」は、映画「誰も知らない」のモチーフとなった「巣鴨子ども置き去り事件」の子どもたちと母親への思いで始まり、終わっている。
 たぶん、届かない。それはわかっている。それでも書かずにいられない。「私たちも同じ思いでここにいる」、ただそれだけを伝えたい、そんな気持ちだった。

 文庫化にあたって、解説を誰にお願いしたらよいかを相談したときに、即座に是枝裕和監督の名前を上げさせていただいた。
 「文字」にする、「映像」にする。その手法は違っても、この問題を通して「伝わるように伝えたい」内容は共通するのではないかという思いからだった。

 映画の撮影の予定をずらして、対談に応じて下さった是枝監督は「責任」という言葉を使った。撮った映画、出演した俳優たち、スタッフ、映画を撮り終えても、生み出した側は全てに責任があるのだ、と。

 映画「誰も知らない」では自由奔放な、「はすっぱ」とも思える役を、俳優YOU氏が見事に演じ切っている。しかし、私が調べた資料の中でのこの事件の母親像はむしろ地味で真面目で、こうした大それた事件に発展するようなことを起こすような女性ではなかった。そして、私の支援してきた母親たちも、むしろ後者に重なる部分が多かった。
 なぜ、母親像を実際とは少しずらして描いたのか、というところが実は最も聞きたいところだった。

「誰かを悪者にしたくなかった」
 ああ、わかる。是枝監督の言葉に、思わずそう頷く。
 そこが、私も本書を書きながら一番難しいと思ったところだ。ごく一般的な、真面目な母親たちの姿を書くことは、一歩間違えると、等身大の彼女たちよりも肥大した悪者のレッテルを一方的に押し付けてしまうことにもなる。世の中の「鬼母」のイメージと乖離をさせることは、逆に同情や共感を呼ばないのだ。むしろ攻撃の対象となってしまう危険性さえある。
 フィクションの強みはそこにある。母、子、気づかない周りの大人たち…誰かを悪者にしないことで、逆に真実は際立っていくのだ。

 そして、監督がもうひとつ付け加えたのは、家族が「楽しい時間を共有していたということを表現したかった」ということだった。

 あの悲惨な子どもたちの人生にも、愛溢れる瞬間があり、笑いがあり、「家族の団らん」があったことを伝えたい。YOU氏が作り出す一種独特の世界は、そのまま現実との境目を越えさせる。子どもたちとのクスッとした、ニヤッとしたやり取りや、肌のふれあいの中で生み出される親子の、兄弟姉妹が作り出す「家族」のリアル。
 この延長上に、私が出会った無戸籍者たちもいる。

 過酷な暮らしの中で、早く大人になることを要求され、当然あるはずの誰かに守られた子ども時代を過ごすことができない子どもたちは、何を支えに今まで生きてこられたのだろうか。私が彼らの中に見たのも、ほんの一瞬かもしれないが「確かに存在した」母親や兄弟との「楽しい時間」なのだ。過酷な時間がどれほど多くとも、彼らはその身体の中に刻まれた体験を反芻して生きていくのだ。

 「誰も知らない」を観かえして「無戸籍の日本人」で書き留めた言葉と、全く同じ台詞が何カ所かあって驚かされた。時系列的に言えば、当然ながら「誰も知らない」の方が先だ。もちろん、私の相談者たちが映画を見て言葉を発したわけではないのに、重なる。そこにあるのは「切実」なのだ。
 そうしたことを、この対談の中で読み取っていただければ幸いである。
 
(中略)

「誰も知らない」。英題は「Nobody Knows」だ。
「英語の時間、語尾にSにつけるか、つけないかで、さんざん解いた例題ですよね」と是枝監督に言ったら、苦笑いされた。
 周りにも気づかれず、認められず、自分すら誰だかわからない。まさに「Nobody knows」。
 でも、本当は、「今、ここに、確かに存在する彼ら」を、生んだ母、母と情を交わした父、近所のコンビニのレジのおじさん・・・「誰か」は知っているのだ、必ず。
but …
私は「Nobody knows」の後に薄い、消えそうな文字を読む。
…but Somebody knows.

 ふとしたきっかけで、今まで見えなかった透明な糸に光があたって、銀色に輝く一本の線が現れる時がある。
 心もとなく、まるで幻だったかのように消えて見えなくなってしまうのは、この透明な存在は自らだけでは発光することができないからだ。
 「偶然」とか「神さま」とかそんな大げさなものでなくとも、透明な糸に光を注ぐのは、彼らを「知っている」もしくは、「『知っている』ことも『知らない』」Somobodyなのである。
 意識的にせよ、そうでなくても、Somobody、「誰か」という存在の加減こそが、細い、切れそうな糸を際立たせ、新たなつながりをもたらし、また誰かへとつながげていくのだ。

  Nobody knows but Somebody knows.

 この本を手にした読者の皆さんこそもSomebodyだと、私は確信している。
 
 
#ねほりんぱほりん #無戸籍 #誰も知らない #無戸籍の日本人