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2019年6月

2019年6月28日 (金)

「普通の人」とは誰か 「百田尚樹現象」余波に思う

『普通の人々』(原題:Ordinary People)は1980年、アカデミー賞作品賞と監督賞を得たロバート・レッドフォードの秀作である。ここには「普通の人」の定義が明確にある。

「百田尚樹現象とは何か」を問う石戸氏の記事を読んだ時に最初に感じたのは「普通の人」もしくは「普通でない人」の定義を示していないことが「あえて」なのだろうかという疑問だった。

一般論で言えば賛否のある素材を書く場合もしくは自分とは立場の異なる人物を取り上げる場合、書き手としては「問題提起」を行うだけでジャッジはしない方法をとる場合がある。
そして、最後は「読者の判断に任せる」とするのである。

ただ、それにしても、記事の根幹として、記事を貫く視座(例えば、この件では「普通の人」と言うキーワード)を示さないままに論を進めていくことは、そもそもなぜ記事にしたのかと言う、書き手や媒体の意図を無にして、単なる「広告」になってしまう危険性があるからだ。

だからこそ、石戸氏がどうしてこの手法を用いたのかなと不思議だなと思っていた。
しかし、津田氏の論考への反論という形の「苛立ち」を見ながら、どこかで自らが抱えていた後ろめたさ、つまりはいわゆる保守業界全体への蓄積がない中で書いたこと、もしくは結果的にその現象が時代をどう表したものなのかを示すことができていないことへの不全感なのかもしれないなと思った。

今、ネットメディアの勃興で息を吹き返してきたノンフィクションライターで沢木耕太郎を信奉する人は多い。

1977年、ノンフィクションライターとして出発したばかりの沢木耕太郎氏は『危機の宰相』の原型となる原稿を書いた。250枚を取材を含めて1ヶ月半で。長いので50枚ほど削ったとある。政治ネタ、特に政治家個人を描くことはかなり危険である。
そこで用いたのは複数の語り手を用意するという手法である。
政権を引き継いだ池田勇人とエコノミスト下村治、宏池会事務局長田村敏雄・・大蔵省という組織の中で敗れた3人を軸に『所得倍増』という夢を現実化して行く過程だ。
この原稿は実にその後27年という時を経て、単行本化される。それだけの時間が必要だったのは、単行本にまとめるよりも次の原稿を書きたかったからだと沢木氏自身が告白しているが、『危機の宰相』の原稿自体に「一人称」と「三人称」が混在している等の構成上、いくつかの難点があったことも指摘されている。
なん人称で書くか。
試行錯誤の上沢木氏はニュージャーナリズムの影響を受けた中で「徹底した三人称によって『シーン』を獲得する」ことに強く反応した。そして「シーン」こそがノンフィクションに生命力を与えるものなのではないか、と。
「シーン」を作るのは人称というフィルターを通して見えてくる「視点」なのである。

体制側の提出した夢と現実として「所得倍増」の物語。(「危機の宰相」)
右翼と左翼の交錯する瞬間としての「テロル」の物語。(「テロルの決算」)
学生運動とメディアの絡み合いが生み出した「ゆがんだ青春」の物語。(「未完の6月」)

なぜ今その素材を書くか、仕事のアウトプットを見ると、ある種の見取り図が読み取れる。
団塊の世代として「時代の記憶」を辿りながら、日本の歩んだ道を浮き彫りにして行く野心を感じる。

何れにせよ、ある種のメディア媒体を投じて物を書く人々はその論考を通じて、単なる「disり」でも、お太鼓持ちの「広告」でもない、読者に思考の視点を提示する役割を担う。それにより収入を得ているならなおのこと、「見出し」以上の情報と問いかけをしなければ職場放棄だと常々自戒しているのだが、そういう意味でも考えさせられる論争だ。

2019年6月14日 (金)

2000万円問題で、野党が追及すべきこと 〜 70年代に個人年金が商品化された意味を踏まえて

 

「国民年金はですね、現在の段階で一人あたり月々六万円程度しか支給されないんです。これが将来に二十年後になりますと、おそらく二万円程度になります。お小づかいにもなりませんね。
(中略)
年金なんて一昔前は四十歳代になって初めて考える方が多かったんですけど、最近は違います。この七月からは加入開始年齢が二十歳まで下がったんですが、加入者がいるんですよ、これが。二十歳から年金に入ってしまうかたが実に多いんですから」

これは今の話ではない。1990年に刊行された「結婚しないかもしれない症候群」(谷村志穂著・主婦の友社)の一節である。
つまり今から30年前、生命保険会社は「20年後、おそらく国民年金は2万円程度になる」との試算を出して、個人年金商品の勧誘を行っていたのである。

ちなみに、老後生活資金準備へのニーズが増大したことで「医療保障」だけでなく老後を生きるための「生活保障」が求められるようになるのは平均寿命が恒常的に伸びた1970年代だ。1979年以降、保険会社各社は相次いで「個人年金保険」を発売し始めたのだ。
1984
年には「個人年金保険料控除制度」が創設され、税制面での優遇措置もあって「養老保険」「終身保険」「個人年金保険」といった貯蓄性商品が積極的に売られていく。

それらに加入した人たちは公的年金だけでは老後望む水準の生活を過ごせるかどうか、また平均寿命が延びる中、自分たちの老後がいつまで続くかも不安だからこそ、貯蓄や投資を行ったのである。

さて、「結婚しないかもしれない症候群」執筆当時27歳だった谷村氏が生保のセールスレディの勧誘トークに30分で陥落、加入した個人年金保険の毎月の保険料は、月々16千円だという。20歳から60歳まで払うと年金保険料は総額で768万円である。
一方で受給の方は60歳から10年間、一年300万円ということは全額3000万円となる。
768
万円払って、3000万円の戻り・・・
逆にいうと、3000万は必要だと思われていたのだ!30年前にはすでに。

1989年、「1.57ショック」と言いつつ、危機感は薄く、高いインフレと経済成長が続くだろうと、無邪気に信じ、「少子化対策」と言いつつ失策の限りを尽くしたことが「無子高齢化」を産み、公的年金の基盤を揺るがせた。そのことこそ、野党は追求すべきである。
詳しくはhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65200へ。

 

2019年6月 5日 (水)

川崎登戸事件の深い闇

「現代ビジネス」さんに寄稿しました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65001
川崎登戸の事件を、昭和40年〜50年代の日本の離婚家庭に育つ子どもの環境から考察しています。
ネグレクトを受けた経験がセルフネグレクトを生むことにも言及しています。

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