「普通の人」とは誰か 「百田尚樹現象」余波に思う
『普通の人々』(原題:Ordinary People)は1980年、アカデミー賞作品賞と監督賞を得たロバート・レッドフォードの秀作である。ここには「普通の人」の定義が明確にある。
「百田尚樹現象とは何か」を問う石戸氏の記事を読んだ時に最初に感じたのは「普通の人」もしくは「普通でない人」の定義を示していないことが「あえて」なのだろうかという疑問だった。
一般論で言えば賛否のある素材を書く場合もしくは自分とは立場の異なる人物を取り上げる場合、書き手としては「問題提起」を行うだけでジャッジはしない方法をとる場合がある。
そして、最後は「読者の判断に任せる」とするのである。
ただ、それにしても、記事の根幹として、記事を貫く視座(例えば、この件では「普通の人」と言うキーワード)を示さないままに論を進めていくことは、そもそもなぜ記事にしたのかと言う、書き手や媒体の意図を無にして、単なる「広告」になってしまう危険性があるからだ。
だからこそ、石戸氏がどうしてこの手法を用いたのかなと不思議だなと思っていた。
しかし、津田氏の論考への反論という形の「苛立ち」を見ながら、どこかで自らが抱えていた後ろめたさ、つまりはいわゆる保守業界全体への蓄積がない中で書いたこと、もしくは結果的にその現象が時代をどう表したものなのかを示すことができていないことへの不全感なのかもしれないなと思った。
今、ネットメディアの勃興で息を吹き返してきたノンフィクションライターで沢木耕太郎を信奉する人は多い。
1977年、ノンフィクションライターとして出発したばかりの沢木耕太郎氏は『危機の宰相』の原型となる原稿を書いた。250枚を取材を含めて1ヶ月半で。長いので50枚ほど削ったとある。政治ネタ、特に政治家個人を描くことはかなり危険である。
そこで用いたのは複数の語り手を用意するという手法である。
政権を引き継いだ池田勇人とエコノミスト下村治、宏池会事務局長田村敏雄・・大蔵省という組織の中で敗れた3人を軸に『所得倍増』という夢を現実化して行く過程だ。
この原稿は実にその後27年という時を経て、単行本化される。それだけの時間が必要だったのは、単行本にまとめるよりも次の原稿を書きたかったからだと沢木氏自身が告白しているが、『危機の宰相』の原稿自体に「一人称」と「三人称」が混在している等の構成上、いくつかの難点があったことも指摘されている。
なん人称で書くか。
試行錯誤の上沢木氏はニュージャーナリズムの影響を受けた中で「徹底した三人称によって『シーン』を獲得する」ことに強く反応した。そして「シーン」こそがノンフィクションに生命力を与えるものなのではないか、と。
「シーン」を作るのは人称というフィルターを通して見えてくる「視点」なのである。
体制側の提出した夢と現実として「所得倍増」の物語。(「危機の宰相」)
右翼と左翼の交錯する瞬間としての「テロル」の物語。(「テロルの決算」)
学生運動とメディアの絡み合いが生み出した「ゆがんだ青春」の物語。(「未完の6月」)
なぜ今その素材を書くか、仕事のアウトプットを見ると、ある種の見取り図が読み取れる。
団塊の世代として「時代の記憶」を辿りながら、日本の歩んだ道を浮き彫りにして行く野心を感じる。
何れにせよ、ある種のメディア媒体を投じて物を書く人々はその論考を通じて、単なる「disり」でも、お太鼓持ちの「広告」でもない、読者に思考の視点を提示する役割を担う。それにより収入を得ているならなおのこと、「見出し」以上の情報と問いかけをしなければ職場放棄だと常々自戒しているのだが、そういう意味でも考えさせられる論争だ。